「こんなにかわいい子が女の子のはずがない」
諸君。
この意味を理解できるだろうか?
これを理解できない者は多い。
「こんなにかわいい子が『男の子のはずがない』なら意味はわかるけど、なぜそこで『女の子のはずがない』になるの?」
というのが正常な感想だ。
無論そうではない者たちもいる。
ショタではなくてもそれを本能で理解できた者も大勢いる。
しかし、その意味を的確に言葉で説明することができる者がいったいどれだけこの地上に存在するだろうか。
そう思った次第である。
今日は無謀にもその
「こんなにかわいい子が女の子のはずがない」
の意味の解説を試みようというものだ。
さて諸君。
かわいい女の子というのは、いったいどれだけ現世に棲息しているだろうか。
ツラがちょっとくらいかわいい程度の女の子なら、稀に目撃したことがある。
わたしだったらそう答える。
ツラが比類なきかわいさで、かつ性格も比類なきかわいさを誇る女の子、そんな生命体はは現存するだろうか。
そんなのは見た事がない。
わたしの正直な感想だ。
わたしの場合、現物のねえちゃんは生物学的に受けつけないので、見た目の件については恐らく例外的に著しく評価が低い特異パターンだとは思う。
しかし性格面の評価については、恐らく世間一般の価値判断からは大きく逸脱してはいないのではなかろうか。
性格もかわいい女の子とは何だろうか?
いかにも女の子らしい性格の女の子。
それが最も安易に思いつく回答だ。
しかしこれは諸刃の剣でもある。
「かわいらしい」という意味での女の子らしい性格という説明は妥当である。
それと同じように、「かわいらしくない」という意味での女の子らしい性格もまた同時に存在する。
もっと言うと、唾棄すべきという意味での女の子らしい性格と言ってもいいものである。
たとえば・・・
民主党副代表の円より子のように、男は皆どこかしら性犯罪者予備軍であるかのように振舞うところ。
女子高でありがちなパターンのように、自分たちだけの利益を優先するグループを形成して他のグループを積極的に排斥するようなところ。
結婚して専業主婦化するのを夢見るオバハン化一歩手前の女のように、男にカネを稼がせて自分はグータラする気マンマンな他力本願な人生が当然だと思っているところ。
そこいらの合コンでよく見る類の女のように、やって来た男を常に値踏みするような目つきで品定めしているところ。
うちの隣の家の奥さんのように、育児ヒステリーだか何だか知らんが小さな子供に向かってしょっちゅう気が触れたかのように怒鳴りちらして大騒ぎしているところ。
・・・などなど。
これらは全て女の子らしい性格に含まれる。
それはあたりまえで、男はそんな事はほんの少しも思うことなどありはしない。
ふとした拍子にこういうのを見ると心の底からガッカリする。
ガッカリするというか、人類に対して絶望感を抱く。
100年の恋も醒めるのも当然だ。
だから、いかにも女の子らしい性格の女の子が、必ずしもかわいい女の子と等しいとは限らないのだ。
では、何だったらかわいらしい女の子になり得るのか?
この答えの一端を記すのに、男の娘を描くことに全力で傾注している「ゆびさきミルクティー」という作品を取り上げないわけにはいかないだろう。
以下は9巻からの引用となる。
> わたしのことどう思う?
> 変な女
> 話してて面白いしいい女だとは思うけど・・・
> でも彼女にしたいとは思わない
> ・・・でしょ?
> うっ
> 何でだと思う?
> 高槻(註:男の娘に惚れた男)はわたしの『女』の嫌な部分を無意識に見抜いている
> 『わがまま』で『計算高い』ところとか
> あーーー
> そこに『自意識過剰』と『嘘つき』もたしといて
> どすっ
> ほらね
> 惚れてない女には冷静でしょ?
> つまり『理性』が働いている
> でもどれだけ感情を抑えても理性的な思考ができなくなるときってあるじゃん
> 『恋の病』にかかったら何も見えないよ
> 恋をしたら相手の欠点なんて見えなくなる
> ユキ(註:男の娘)は池田(註:男の娘の変身前)の理想化された女性像だもん
> 最初から『女』の嫌なところなんてないんだよ
> 男視点で見れば『女の欠点』が見えない
> 『理性』の『ガード』がかからない
> 男なら誰だって
> ユキに恋に落ちる
・・・つまり、まあ、何だ。
男にとっての理想の女性像というものは、現物の女の分布の中心とか、現物の女の目指す理想を直線近似した延長上とか、そういうところには存在しない。
あえて言うならば、女の子らしいところの良い面だけを取り出し、悪い面は完全に切り離す、それが理想の女性像というものだ。
性格というものはそうそう都合よく切り離すことなどできはしない。
もしそれができるとすれば、人工的にそれを創ることでしか成り立たない。
だから我々は創作の世界で理想の女性像というものを描く試みを常に行っている。
理想の女性像は男にしか創り得ないものなのだ。
だから思う。
見た目から性格から、全てにおいて本当に理想的な女の子を目の当たりにしたとき、人はどう思うか。
「こんなにかわいい子が女の子のはずがない」
そう答えるのも無理からぬことなのだ。
そういうモノは男が関与して人工的に創りあげるしか稼動できる余地はのこされていないのだ。
往々にしてそのように称される人物には『男の娘』という設定が付与されている。
今となってはある種のオヤクソクでもある。
つまり・・・
見た目は女の子そのもので不可避的にかわいらしい。
ファッションや小物のチョイスも女の子そのものとしか言いようがない。
性格はまさに理想の女の子そのもの。
だれしも女の持つ特有のイヤな側面は全く見当たらない。
信じられるだろうか、こんなに良い女の子が本当に存在して良いものだろうか!?
しかし天は地上に完全体が降臨する事を拒否した!
実はその娘は生物学的には男。
ついていてはならない所にあるモノがついている。
全ての男はその悲運を嘆いた。
現世に理想は具現化しないことに絶望した。
しかし、その絶望のただ中から立ち上がる者も現れた。
「こんなにかわいい子が女の子のはずがない」
その者たちはこう語った。
その者の目には血の涙が流れていた。
絶望のただ中にあって、あえて絶望の釜の底からよじ登り、その事実を知ってなお女の子として愛することを誓う。
・・・それが「こんなにかわいい子が女の子のはずがない」という意味の本質なのだ!
追伸:
ツイ☆てる
http://cdrive-soft.com/tuiteruHP/info.htm
男の娘ゲーというとやはり↑これ。
ヒロイン3人のうち2人までが男の娘、しかもエロゲとして攻略可能という、なかなかのツワモノっぷりを発揮してくれる。
公式サイト下のリンクから男の娘2人分のエロシーンつき体験版をダウンロードできる。
恐る恐るアレを理解したいと願う勇者諸君、すでにアレを理解している猛者諸君、皆のものこぞって挑戦してみてはいかがだろう?
あえて言う必要もないかもしれないが・・・
タイトルにあるツイてるとはラッキーだという意味だけではなく、本来ついているべきではないとあるモノが標準装備されている事もまた意味する。
それが何を意味するかわからない場合は手を出すべきではないと忠告しておきたい。
諸君。
この意味を理解できるだろうか?
これを理解できない者は多い。
「こんなにかわいい子が『男の子のはずがない』なら意味はわかるけど、なぜそこで『女の子のはずがない』になるの?」
というのが正常な感想だ。
無論そうではない者たちもいる。
ショタではなくてもそれを本能で理解できた者も大勢いる。
しかし、その意味を的確に言葉で説明することができる者がいったいどれだけこの地上に存在するだろうか。
そう思った次第である。
今日は無謀にもその
「こんなにかわいい子が女の子のはずがない」
の意味の解説を試みようというものだ。
さて諸君。
かわいい女の子というのは、いったいどれだけ現世に棲息しているだろうか。
ツラがちょっとくらいかわいい程度の女の子なら、稀に目撃したことがある。
わたしだったらそう答える。
ツラが比類なきかわいさで、かつ性格も比類なきかわいさを誇る女の子、そんな生命体はは現存するだろうか。
そんなのは見た事がない。
わたしの正直な感想だ。
わたしの場合、現物のねえちゃんは生物学的に受けつけないので、見た目の件については恐らく例外的に著しく評価が低い特異パターンだとは思う。
しかし性格面の評価については、恐らく世間一般の価値判断からは大きく逸脱してはいないのではなかろうか。
性格もかわいい女の子とは何だろうか?
いかにも女の子らしい性格の女の子。
それが最も安易に思いつく回答だ。
しかしこれは諸刃の剣でもある。
「かわいらしい」という意味での女の子らしい性格という説明は妥当である。
それと同じように、「かわいらしくない」という意味での女の子らしい性格もまた同時に存在する。
もっと言うと、唾棄すべきという意味での女の子らしい性格と言ってもいいものである。
たとえば・・・
民主党副代表の円より子のように、男は皆どこかしら性犯罪者予備軍であるかのように振舞うところ。
女子高でありがちなパターンのように、自分たちだけの利益を優先するグループを形成して他のグループを積極的に排斥するようなところ。
結婚して専業主婦化するのを夢見るオバハン化一歩手前の女のように、男にカネを稼がせて自分はグータラする気マンマンな他力本願な人生が当然だと思っているところ。
そこいらの合コンでよく見る類の女のように、やって来た男を常に値踏みするような目つきで品定めしているところ。
うちの隣の家の奥さんのように、育児ヒステリーだか何だか知らんが小さな子供に向かってしょっちゅう気が触れたかのように怒鳴りちらして大騒ぎしているところ。
・・・などなど。
これらは全て女の子らしい性格に含まれる。
それはあたりまえで、男はそんな事はほんの少しも思うことなどありはしない。
ふとした拍子にこういうのを見ると心の底からガッカリする。
ガッカリするというか、人類に対して絶望感を抱く。
100年の恋も醒めるのも当然だ。
だから、いかにも女の子らしい性格の女の子が、必ずしもかわいい女の子と等しいとは限らないのだ。
では、何だったらかわいらしい女の子になり得るのか?
この答えの一端を記すのに、男の娘を描くことに全力で傾注している「ゆびさきミルクティー」という作品を取り上げないわけにはいかないだろう。
以下は9巻からの引用となる。
> わたしのことどう思う?
> 変な女
> 話してて面白いしいい女だとは思うけど・・・
> でも彼女にしたいとは思わない
> ・・・でしょ?
> うっ
> 何でだと思う?
> 高槻(註:男の娘に惚れた男)はわたしの『女』の嫌な部分を無意識に見抜いている
> 『わがまま』で『計算高い』ところとか
> あーーー
> そこに『自意識過剰』と『嘘つき』もたしといて
> どすっ
> ほらね
> 惚れてない女には冷静でしょ?
> つまり『理性』が働いている
> でもどれだけ感情を抑えても理性的な思考ができなくなるときってあるじゃん
> 『恋の病』にかかったら何も見えないよ
> 恋をしたら相手の欠点なんて見えなくなる
> ユキ(註:男の娘)は池田(註:男の娘の変身前)の理想化された女性像だもん
> 最初から『女』の嫌なところなんてないんだよ
> 男視点で見れば『女の欠点』が見えない
> 『理性』の『ガード』がかからない
> 男なら誰だって
> ユキに恋に落ちる
・・・つまり、まあ、何だ。
男にとっての理想の女性像というものは、現物の女の分布の中心とか、現物の女の目指す理想を直線近似した延長上とか、そういうところには存在しない。
あえて言うならば、女の子らしいところの良い面だけを取り出し、悪い面は完全に切り離す、それが理想の女性像というものだ。
性格というものはそうそう都合よく切り離すことなどできはしない。
もしそれができるとすれば、人工的にそれを創ることでしか成り立たない。
だから我々は創作の世界で理想の女性像というものを描く試みを常に行っている。
理想の女性像は男にしか創り得ないものなのだ。
だから思う。
見た目から性格から、全てにおいて本当に理想的な女の子を目の当たりにしたとき、人はどう思うか。
「こんなにかわいい子が女の子のはずがない」
そう答えるのも無理からぬことなのだ。
そういうモノは男が関与して人工的に創りあげるしか稼動できる余地はのこされていないのだ。
往々にしてそのように称される人物には『男の娘』という設定が付与されている。
今となってはある種のオヤクソクでもある。
つまり・・・
見た目は女の子そのもので不可避的にかわいらしい。
ファッションや小物のチョイスも女の子そのものとしか言いようがない。
性格はまさに理想の女の子そのもの。
だれしも女の持つ特有のイヤな側面は全く見当たらない。
信じられるだろうか、こんなに良い女の子が本当に存在して良いものだろうか!?
しかし天は地上に完全体が降臨する事を拒否した!
実はその娘は生物学的には男。
ついていてはならない所にあるモノがついている。
全ての男はその悲運を嘆いた。
現世に理想は具現化しないことに絶望した。
しかし、その絶望のただ中から立ち上がる者も現れた。
「こんなにかわいい子が女の子のはずがない」
その者たちはこう語った。
その者の目には血の涙が流れていた。
絶望のただ中にあって、あえて絶望の釜の底からよじ登り、その事実を知ってなお女の子として愛することを誓う。
・・・それが「こんなにかわいい子が女の子のはずがない」という意味の本質なのだ!
追伸:
ツイ☆てる
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男の娘ゲーというとやはり↑これ。
ヒロイン3人のうち2人までが男の娘、しかもエロゲとして攻略可能という、なかなかのツワモノっぷりを発揮してくれる。
公式サイト下のリンクから男の娘2人分のエロシーンつき体験版をダウンロードできる。
恐る恐るアレを理解したいと願う勇者諸君、すでにアレを理解している猛者諸君、皆のものこぞって挑戦してみてはいかがだろう?
あえて言う必要もないかもしれないが・・・
タイトルにあるツイてるとはラッキーだという意味だけではなく、本来ついているべきではないとあるモノが標準装備されている事もまた意味する。
それが何を意味するかわからない場合は手を出すべきではないと忠告しておきたい。