またアイマス師匠のサイトから引用したい。
娘が欲しい!!
http://blog.goo.ne.jp/styui-gdb/e/ee674099eedec230599749a4f777f2ae
師匠は娘がいいと力説なさる。
さて、わたしはどうだろうか。
娘はかわいいとか、娘はいとおしいとか、はたしてわたしはそう思うのだろうか。
少しはわかる。
世間一般の社会通念として、子供がかわいらしいというのの意味はわかる。
個人的感覚から言わせてもらえば、それは子猫なんかの愛玩用小動物がかわいく見えるのに非常に近いような気がする。
ただし。
ようするにペットがかわいいという認識と同程度のものしかわたしにはない。
ではペットは飼いたいか?
飼いたくない。
1週間で飽きる自信がある。
そもそも毎日かかさず世話をするのはめんどくさいと思うに決まっている。
だから、子供が欲しいというのをそれに置き換えると、
「パッとその場で愛でる分にはかわいい。
けど自分が毎日かかわるとマイナス面の側面のほうが気になりすぎるに違いない。
だからいらね」
という回答になる。
これを書いている自分でも、世間一般の感情とは根本的なところで致命的な思い違いがあるのは薄々気付いている。
しかし、それが何なのかまではわからない。
恐らく、世間一般でいうところの
「子供はかわいい」
という意味をわたしは本質的には理解していないのだろう。
・・・と思っていた。
今までは。
偶然にも
「子供はかわいい」
の真の意味の鱗片を今日垣間見ることができた。
それは次の動画による。
【チャイルドスモックの】うちのカミさんと愛娘【有効活用?】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4820516
ちょっぴりオトナっぽい千早。
・・・と。
千早そっくりのちっこい生き物。
なんだこのかわいらしい生物は!!!
これは死ぬほどかわいい。
心臓を平手で掴まれて鼓動を握りつぶされそうなほどかわいい。
そうか、これが子供なのか・・・。
わたしは今、生まれて初めて
「娘が欲しい!!」
という意味の本質を少しだけ理解した。
好きな女そっくりそのままの小さな生き物。
自分の知らない出会う前のその人を愛でているかのような錯覚。
そして、その人の今までの人生を追体験するかのような成長の憧憬。
これが欲しいという意味か!
だれでもいいから「娘が欲しい」ではない。
「千早の娘が欲しい」というべきだろう。
いや、「千早と娘を育てたい」というべきかもしれない。
半分は千早そのものだ。
のこりの半分は千早でなくてもいい。
例えそれがわたしでなくてもいい。
それでも千早の娘なら好きだと言える。
アイマス師匠の
> 俺、きっと子供ができたら子供のためなら命投げ出せるんじゃねー?
> そーゆー風に思えましたね。
の意味を少し遅れて理解した。
最大の問題は、そこまで好きになれるような女が、果たしてこの世に1人でも存在することが有り得るのだろうかという話になるのだが(笑)。
たとえばの話だが、中学校の同級生の女が子供づれで買い物か何かに行っているのを傍目で見かけても、
「あらら、世間はご苦労なこって」
としか見えないのだから。
育児をしながらオバハン化していく同級生を見ると、世間の悲喜こもごもにかかわるのはカンベン願いたいと、心からそう思う。
だからこそ、子供の中身のもう半分が誰なのかというのは、わたしにとっては生死を分かつまでに致命的に重要だ。
そして、そのもう半分になり得る女が現実世界にいるとは思い難い。
だからこそ千早が好きなのだ。
まあ、無いモノねだりはいけまへんね。
娘が欲しい!!
http://blog.goo.ne.jp/styui-gdb/e/ee674099eedec230599749a4f777f2ae
師匠は娘がいいと力説なさる。
さて、わたしはどうだろうか。
娘はかわいいとか、娘はいとおしいとか、はたしてわたしはそう思うのだろうか。
少しはわかる。
世間一般の社会通念として、子供がかわいらしいというのの意味はわかる。
個人的感覚から言わせてもらえば、それは子猫なんかの愛玩用小動物がかわいく見えるのに非常に近いような気がする。
ただし。
ようするにペットがかわいいという認識と同程度のものしかわたしにはない。
ではペットは飼いたいか?
飼いたくない。
1週間で飽きる自信がある。
そもそも毎日かかさず世話をするのはめんどくさいと思うに決まっている。
だから、子供が欲しいというのをそれに置き換えると、
「パッとその場で愛でる分にはかわいい。
けど自分が毎日かかわるとマイナス面の側面のほうが気になりすぎるに違いない。
だからいらね」
という回答になる。
これを書いている自分でも、世間一般の感情とは根本的なところで致命的な思い違いがあるのは薄々気付いている。
しかし、それが何なのかまではわからない。
恐らく、世間一般でいうところの
「子供はかわいい」
という意味をわたしは本質的には理解していないのだろう。
・・・と思っていた。
今までは。
偶然にも
「子供はかわいい」
の真の意味の鱗片を今日垣間見ることができた。
それは次の動画による。
【チャイルドスモックの】うちのカミさんと愛娘【有効活用?】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4820516
ちょっぴりオトナっぽい千早。
・・・と。
千早そっくりのちっこい生き物。
なんだこのかわいらしい生物は!!!
これは死ぬほどかわいい。
心臓を平手で掴まれて鼓動を握りつぶされそうなほどかわいい。
そうか、これが子供なのか・・・。
わたしは今、生まれて初めて
「娘が欲しい!!」
という意味の本質を少しだけ理解した。
好きな女そっくりそのままの小さな生き物。
自分の知らない出会う前のその人を愛でているかのような錯覚。
そして、その人の今までの人生を追体験するかのような成長の憧憬。
これが欲しいという意味か!
だれでもいいから「娘が欲しい」ではない。
「千早の娘が欲しい」というべきだろう。
いや、「千早と娘を育てたい」というべきかもしれない。
半分は千早そのものだ。
のこりの半分は千早でなくてもいい。
例えそれがわたしでなくてもいい。
それでも千早の娘なら好きだと言える。
アイマス師匠の
> 俺、きっと子供ができたら子供のためなら命投げ出せるんじゃねー?
> そーゆー風に思えましたね。
の意味を少し遅れて理解した。
最大の問題は、そこまで好きになれるような女が、果たしてこの世に1人でも存在することが有り得るのだろうかという話になるのだが(笑)。
たとえばの話だが、中学校の同級生の女が子供づれで買い物か何かに行っているのを傍目で見かけても、
「あらら、世間はご苦労なこって」
としか見えないのだから。
育児をしながらオバハン化していく同級生を見ると、世間の悲喜こもごもにかかわるのはカンベン願いたいと、心からそう思う。
だからこそ、子供の中身のもう半分が誰なのかというのは、わたしにとっては生死を分かつまでに致命的に重要だ。
そして、そのもう半分になり得る女が現実世界にいるとは思い難い。
だからこそ千早が好きなのだ。
まあ、無いモノねだりはいけまへんね。