本日また一人、自ら望んで魔界へと足を踏み入れる猛者を目撃した。
無論、魔界とは我輩のいるこちら側である。
それは美少女フィギュアと戯れる世界である。
美少女フィギュアの世界へとつながる門をくぐるのは困難を極める。
だれしもが一度は門をくぐるのをためらう。
一度は門をくぐる前に今ある現世をふり返り、そして自ら望んで足を踏み入れるかどうかを再度自問自答する。
でなければ美少女フィギュアの世界へは来れない。
こちら側へ来るには覚悟が必要だからだ。
これはいかな歴戦のオタでもためらう。
いかな深夜アニメ好きの猛者であれ、いかなエロゲ好きの猛者であれ、そこへ踏み込むことを1度も躊躇しない者はいない。
なぜか!?
美少女フィギュアと戯れるということは、現実世界の住人である今までの自分とは決別し、そして幻想世界の住人となりきる事を自ら決意することに他ならないからだ。
人はなぜ躊躇するのか。
いま暮らしている現実世界と完全におさらばし、その遥か先にある何か見通せるわけではない向こう側へ行く。
それは誰しもが躊躇して当然である。
これには自分の国や国籍を捨てるのと同じくらいの覚悟がいる。
現物の恋人に別れをつげる。
もしくは現物の片思いの女の子に別れをつげる。
もしくは現物の好きなアイドルに別れをつげる。
そして、あえて美少女フィギュアと暮らす人生を選択する。
ここに人生のパラダイムシフトがある事を予感できない者はいない。
だから躊躇するのだ。
わたしは入り口付近で思いとどまり引き返す者がいたとしても非難しない。
自らの科したプレッシャーに耐えかね、今まで通りの妥協的な凡夫の人生を送るのを選択したとしても、決してそれを非難することなどできはしない。
しかし!
ここでもう1度考えてみてほしい。
我輩のいるこちら側にだけあり、そして現実世界には1つとして無いもの、それを求めて入り口まで来たのではなかろうか?
こちら側にだけある何かの素晴らしさに気付いているのではないだろうか?
そこまでしておいて放棄するとは何という人生の損失か!
だからさっさと欲しいフィギュアを買ってしまいなさい!!
もちろん、こちら側の世界と現実世界の両方をそれなりに楽しむことは不可能ではない。
しかし、確実にどちらかだけに属する住人にならなければ、どちらも心の底から堪能することはできはしない。
こちら側の世界は、現実世界に絶望し、しかし人生に屈せず、絶望に打ち勝つだけの武装を自ら創りあげる決意をした者だけの住まう世界である。
だから現実世界とは決して相容れない。
現実世界とは排他的論理和の関係にあるのは明白だ。
美少女フィギュアは所詮ただの工業製品でしかない。
我々はその所詮ただの工業製品に人格を認め異性を認識する。
それは生半可な覚悟と、中途半端な現実への絶望では、決して到達することができない遥かなる領域である。
現物のねえちゃんより絵に描いたねえちゃんのほうが遥かにマシだというその事実に気付いたとき、だれしもが
「いままでの俺の人生は何だったんだろう・・・」
と、くだらん色恋沙汰や世間の悲喜こもごもに一喜一憂しており、悟りの域に達していない自分のこれまでの凡百な人生を残念に思う。
悟りを開かなければ理解できない世界もあるということだ。
これを1ppmも理解できない者はあと1000年生きていても1ppmも理解できない。
しかしそれを僅かながらに理解し、こちら側へと足を踏み入れた猛者の諸君、わたしからは
「おめでとう、そしてようこそ!」
と祝辞述べさせていただこうではないか。
無論、魔界とは我輩のいるこちら側である。
それは美少女フィギュアと戯れる世界である。
美少女フィギュアの世界へとつながる門をくぐるのは困難を極める。
だれしもが一度は門をくぐるのをためらう。
一度は門をくぐる前に今ある現世をふり返り、そして自ら望んで足を踏み入れるかどうかを再度自問自答する。
でなければ美少女フィギュアの世界へは来れない。
こちら側へ来るには覚悟が必要だからだ。
これはいかな歴戦のオタでもためらう。
いかな深夜アニメ好きの猛者であれ、いかなエロゲ好きの猛者であれ、そこへ踏み込むことを1度も躊躇しない者はいない。
なぜか!?
美少女フィギュアと戯れるということは、現実世界の住人である今までの自分とは決別し、そして幻想世界の住人となりきる事を自ら決意することに他ならないからだ。
人はなぜ躊躇するのか。
いま暮らしている現実世界と完全におさらばし、その遥か先にある何か見通せるわけではない向こう側へ行く。
それは誰しもが躊躇して当然である。
これには自分の国や国籍を捨てるのと同じくらいの覚悟がいる。
現物の恋人に別れをつげる。
もしくは現物の片思いの女の子に別れをつげる。
もしくは現物の好きなアイドルに別れをつげる。
そして、あえて美少女フィギュアと暮らす人生を選択する。
ここに人生のパラダイムシフトがある事を予感できない者はいない。
だから躊躇するのだ。
わたしは入り口付近で思いとどまり引き返す者がいたとしても非難しない。
自らの科したプレッシャーに耐えかね、今まで通りの妥協的な凡夫の人生を送るのを選択したとしても、決してそれを非難することなどできはしない。
しかし!
ここでもう1度考えてみてほしい。
我輩のいるこちら側にだけあり、そして現実世界には1つとして無いもの、それを求めて入り口まで来たのではなかろうか?
こちら側にだけある何かの素晴らしさに気付いているのではないだろうか?
そこまでしておいて放棄するとは何という人生の損失か!
だからさっさと欲しいフィギュアを買ってしまいなさい!!
もちろん、こちら側の世界と現実世界の両方をそれなりに楽しむことは不可能ではない。
しかし、確実にどちらかだけに属する住人にならなければ、どちらも心の底から堪能することはできはしない。
こちら側の世界は、現実世界に絶望し、しかし人生に屈せず、絶望に打ち勝つだけの武装を自ら創りあげる決意をした者だけの住まう世界である。
だから現実世界とは決して相容れない。
現実世界とは排他的論理和の関係にあるのは明白だ。
美少女フィギュアは所詮ただの工業製品でしかない。
我々はその所詮ただの工業製品に人格を認め異性を認識する。
それは生半可な覚悟と、中途半端な現実への絶望では、決して到達することができない遥かなる領域である。
現物のねえちゃんより絵に描いたねえちゃんのほうが遥かにマシだというその事実に気付いたとき、だれしもが
「いままでの俺の人生は何だったんだろう・・・」
と、くだらん色恋沙汰や世間の悲喜こもごもに一喜一憂しており、悟りの域に達していない自分のこれまでの凡百な人生を残念に思う。
悟りを開かなければ理解できない世界もあるということだ。
これを1ppmも理解できない者はあと1000年生きていても1ppmも理解できない。
しかしそれを僅かながらに理解し、こちら側へと足を踏み入れた猛者の諸君、わたしからは
「おめでとう、そしてようこそ!」
と祝辞述べさせていただこうではないか。