「鉄のラインバレル」というGONZOのアニメがある。
ロザバンやストパンと同じ2008年の作品だ。
さてこの作品、一見ふつうなアニメである。
ふつうのメカと美少女モノのアニメである。
しかし!
GONZOにとって異色な作品でもあるのではなかろうか。
本来GONZOは1クセも2クセもある作品ばかり提供してきた。
他社では比較対象も上がらないほど素晴らしい所がある作品を作る反面、たいがいそういう作品には目につく欠点も多かった。
世間では
「GONZO批判ができればいっぱしのアニオタだ」
とか言われる向きもあるが、多分そういうところを意味しているのだろう。
わたしはそうは思わない。
作品は1クセも2クセもあるべきだ。
欠点があるのは望ましくないが、それを退治するために素晴らしい所が損なわれることのほうを懸念する。
わたしはその会社しか作れないアニメを見たいのだ。
ところが世間はそうではない。
そういうクセの強いモノは通好みとして熱狂的なファンがつくが、しかしライトユーザーには受け入れられない。
ビジネスにはなりにくいのだ。
GONZOもそれは薄々感づいていたはずだ。
「俺たちが作るべき作品はこれだ!」
というはざまと
「作ったら売れそうな作品にするにはこうするべきだ!」
というはざまで揺れ動き、結局はいつも前者を辿ってきた。
(例外的に、他社関与が非常に強かった作品は後者になることが多かった。例えば「瀬戸の花嫁」とか。)
その観点でよく見てみよう。
実は「鉄のラインバレル」だけ話が違うようにも見えないだろうか。
「鉄のラインバレル」は、GONZOのファン層をターゲットとした、ふつうのメカと美少女モノのアニメを作ろうとした作品ではないだろうか。
わたしはそう思えるのだ。
作品をよく見てみよう。
ある意味でファフナーや近年のガンダムに似ている。
意外に欠点が目につかない。
減点方式で評価すれば大変良いアニメだという評価を出せる。
もちろん見ていておもしろい。
ライトユーザーに対してはオススメ度は非常に高いと思う。
しかし。
GONZOらしさが薄い。
GONZOでなければ作れなかった作品ではないような気がする。
同年放送のストライクウィッチーズやブラスレイターと比較すると、どうしてもGONZOらしさが薄い感が否めない。
恐らくこの作品は、GONZOが今までのビジネススタイルではダメだと勘付いて、もっとベタな方法を試そうとした作品なのではないだろうか。
その試行錯誤がもっと早い段階でできていれば、GONZOの得意とするやりかたでビジネススタイルとして確立させることができたかもしれない。
GONZOらしいアニメでなおかつ売れるアニメができたかもしれない。
実際、ベタなやり方というのは往々にして正しい。
マス層を取り込むにはベタなやり方がイチバンだからだ。
はなから無闇にニッチに走る必要はないのだ。
ニッチに走るのはスケールメリットで負けてマス層の取り込みにしくじってからでも良いのだ。
・・・というか、ニッチに走る原因は一般的にそういう後ろめたい理由でしかない。
(でもわたしはそういうニッチに走るGONZO作品が大好きなんだけどね。)
ある意味、「鉄のラインバレル」はGONZOの中で最も健全に立案された企画だったかもしれない。
そしてその健全さが債務超過以前に発揮されていたら、もっと違う未来があったかもしれない。
その違う未来とは、いったいどんなモノだっただろう・・・。
上場は維持していたかもしれないが。
ロザバンやストパンと同じ2008年の作品だ。
さてこの作品、一見ふつうなアニメである。
ふつうのメカと美少女モノのアニメである。
しかし!
GONZOにとって異色な作品でもあるのではなかろうか。
本来GONZOは1クセも2クセもある作品ばかり提供してきた。
他社では比較対象も上がらないほど素晴らしい所がある作品を作る反面、たいがいそういう作品には目につく欠点も多かった。
世間では
「GONZO批判ができればいっぱしのアニオタだ」
とか言われる向きもあるが、多分そういうところを意味しているのだろう。
わたしはそうは思わない。
作品は1クセも2クセもあるべきだ。
欠点があるのは望ましくないが、それを退治するために素晴らしい所が損なわれることのほうを懸念する。
わたしはその会社しか作れないアニメを見たいのだ。
ところが世間はそうではない。
そういうクセの強いモノは通好みとして熱狂的なファンがつくが、しかしライトユーザーには受け入れられない。
ビジネスにはなりにくいのだ。
GONZOもそれは薄々感づいていたはずだ。
「俺たちが作るべき作品はこれだ!」
というはざまと
「作ったら売れそうな作品にするにはこうするべきだ!」
というはざまで揺れ動き、結局はいつも前者を辿ってきた。
(例外的に、他社関与が非常に強かった作品は後者になることが多かった。例えば「瀬戸の花嫁」とか。)
その観点でよく見てみよう。
実は「鉄のラインバレル」だけ話が違うようにも見えないだろうか。
「鉄のラインバレル」は、GONZOのファン層をターゲットとした、ふつうのメカと美少女モノのアニメを作ろうとした作品ではないだろうか。
わたしはそう思えるのだ。
作品をよく見てみよう。
ある意味でファフナーや近年のガンダムに似ている。
意外に欠点が目につかない。
減点方式で評価すれば大変良いアニメだという評価を出せる。
もちろん見ていておもしろい。
ライトユーザーに対してはオススメ度は非常に高いと思う。
しかし。
GONZOらしさが薄い。
GONZOでなければ作れなかった作品ではないような気がする。
同年放送のストライクウィッチーズやブラスレイターと比較すると、どうしてもGONZOらしさが薄い感が否めない。
恐らくこの作品は、GONZOが今までのビジネススタイルではダメだと勘付いて、もっとベタな方法を試そうとした作品なのではないだろうか。
その試行錯誤がもっと早い段階でできていれば、GONZOの得意とするやりかたでビジネススタイルとして確立させることができたかもしれない。
GONZOらしいアニメでなおかつ売れるアニメができたかもしれない。
実際、ベタなやり方というのは往々にして正しい。
マス層を取り込むにはベタなやり方がイチバンだからだ。
はなから無闇にニッチに走る必要はないのだ。
ニッチに走るのはスケールメリットで負けてマス層の取り込みにしくじってからでも良いのだ。
・・・というか、ニッチに走る原因は一般的にそういう後ろめたい理由でしかない。
(でもわたしはそういうニッチに走るGONZO作品が大好きなんだけどね。)
ある意味、「鉄のラインバレル」はGONZOの中で最も健全に立案された企画だったかもしれない。
そしてその健全さが債務超過以前に発揮されていたら、もっと違う未来があったかもしれない。
その違う未来とは、いったいどんなモノだっただろう・・・。
上場は維持していたかもしれないが。