わたしはアナログ電子回路の技術屋である。
そしてわたしに限らずハード屋の多くは、技術の進化は喜ばしいことだと、太陽が東から昇るのがあたりまえなのと同じくらいあたりまえにそう思っている。
たまにこれに否定的なヤツも現れる。
だが、そういうヤツはたいがい文明と環境破壊や公害をむすびつけて語りたがるポルポト派なみの極左である。
そういうヤツは我々の作った文明の利器を一切使わないでいただきたいものだと鼻で笑って相手にしない。
しかし!
最近そうでもないことが起きている。
たとえばアニメ。
技術の粋を集めて作られたフルCGのアニメというと、のトイ・ストーリー(1995年ディズニー)や、青の6号(1998年GONZO)がある。
あれから15年くらい過ぎている。
技術的な難易度だけでいえば、あれと同等のものを作ることは桁違いに容易になったはずだ。
では。
アニメはフルCGで占拠されたかというと・・・
たしかにアメリカでは半分占拠されかけているかもしれない。
だが、日本はそうではない。
メカモノの描写では既に当然のように使われる時代となったが、依然として手描き主体である。
ゲームでも同様である。
洋ゲーは、もはや3DCGでなければゲームでないという有様なほどフルCGで作られている。
しかし日本では、必ずしもそうなっていない。
むしろ3DCGで描写しているにもかかわらずわざわざトゥーンレンダリングしてアニメ調にしているくらいなのだ。
実はアイドルにも当てはまる。
欧米では、そもそも論的に歌唱力がなければ話にならない。
しかし日本で人気があるのはAKB。
電子機器に関しては実は立場が逆転する。
iPhoneがはじめて登場したとき、分解して
「こんなもんうちでもカンタンに作れるわい」
と思ったハード系エンジニアはいくらでもいるはずだ。
だが国産機の今の惨状は推して知るべし。
どうしてこうなった?
これは技術の進化の限界なんじゃないかという気がしてならない。
我々がアニメに求めるものに技術の進化はほとんど関与していない。
求めるものは、ストーリーであり、人物描写である。
ギャルゲーでは女の子がかわいいことが絶対条件であり、それがCGで作られたものかどうかの違いは味付けが違うという程度の域を出ない。
GPUの演算性能を駆使して描かれた洋ゲーの女主人公では、我々の眼はそれを異性として恋愛対象として認識しえない。
AKBのファンだって、メンバーの歌がうまいかどうかなど蚊ほども気にしてはおるまい。
これは、技術の進化が満足度に連動しなくなったという好例ではなかろうか。
実はもっといい例がある。
GREEやモバゲーである。
ゲーム愛好家は、GREEやモバゲーを見て
「グラフィックは時としてファミコンにさえ劣り絶句するほど貧弱、ゲーム性はプレイディアにさえ満たないほど子供だまし、こんなものをゲームと称するなど笑止!」
などと語っていた。
いや、今もってしてそう語る。
しかし!
ドリランドや神撃のバハムートは上記指摘がそのまんま当てはまるにもかかわらず、ゲーム愛好家の想定の1000倍は繁盛してしまっている。
なぜか?
これがコンテンツやソリューションという無形資産の競争力なのだろう。
コンテンツやソリューションというものは、いったいどうやったら提供できるのだろうか?
その答えの1つは、今の音楽界に起きていることに見ることができるかもしれないと思っている。
今の音楽界。
そこは冬の時代。
ただしAKBは例外のようだが、これはCDがオマケでついている投票券を買うものであり、あれをCDの売り上げとして集計すべきかどうかという点に少々疑問が残る。
そんな中、これまでめったに見なかった勢力がオリコンを時折にぎわせる。
それは、けいおん!であり、アイマスであり、声優であり、ようするにこちら側からのリアルワールドへの侵食である。
けいおん!やアイマスのCDを買った人たち。
彼らはいったい何を求めて買ったのであろうか?
その曲が気に入ったから、その歌詞が気に入ったから、そういう理由で買うヤツは1人もいるまい。
我々は、けいおん!だから、アイマスだから、買うのだ。
わたしはアイマスの千早のCDを買って、千早の歌を聞いて、そこで千早と時を共有したい。
そのために買うのであり、音楽を聴くために買うのではなく、必ずしもそれがCDである必要すらない。
もし仮に、けいおん!やアイマスというコンテンツに紐付いていなければ、それを誰も買おうとうはしないだろう。
買った我輩でさえそう思う。
これがコンテンツやソリューションの力なのだ。
音楽CDが売れない理由、それをカスラッk…おっと、JASRACは大いに勘違いしているのではなかろうか。
我々が目指す先。
そこは、技術的優位性よりも、アイデアや感性、また顧客自身でさえ気付いていない本当に求めていることを実現できるかどうかのほうが重視される世界だと思われる。
「世界一優れたプログラマーはビルゲイツである」
というブラックジョークがあるが、ようするにそういうことだ。
(ようするに、顧客はまともに動くOSが欲しいとは口では言うが、本心ではアプリケーションソフトがたくさんあるデファクトスタンダードのOSが欲しいからビルゲイツ製品をしかたなく買っていたわけであってだね…。今はマトモになったからアンチではなくなったけど当時はねぇ…)
そしてわたしに限らずハード屋の多くは、技術の進化は喜ばしいことだと、太陽が東から昇るのがあたりまえなのと同じくらいあたりまえにそう思っている。
たまにこれに否定的なヤツも現れる。
だが、そういうヤツはたいがい文明と環境破壊や公害をむすびつけて語りたがるポルポト派なみの極左である。
そういうヤツは我々の作った文明の利器を一切使わないでいただきたいものだと鼻で笑って相手にしない。
しかし!
最近そうでもないことが起きている。
たとえばアニメ。
技術の粋を集めて作られたフルCGのアニメというと、のトイ・ストーリー(1995年ディズニー)や、青の6号(1998年GONZO)がある。
あれから15年くらい過ぎている。
技術的な難易度だけでいえば、あれと同等のものを作ることは桁違いに容易になったはずだ。
では。
アニメはフルCGで占拠されたかというと・・・
たしかにアメリカでは半分占拠されかけているかもしれない。
だが、日本はそうではない。
メカモノの描写では既に当然のように使われる時代となったが、依然として手描き主体である。
ゲームでも同様である。
洋ゲーは、もはや3DCGでなければゲームでないという有様なほどフルCGで作られている。
しかし日本では、必ずしもそうなっていない。
むしろ3DCGで描写しているにもかかわらずわざわざトゥーンレンダリングしてアニメ調にしているくらいなのだ。
実はアイドルにも当てはまる。
欧米では、そもそも論的に歌唱力がなければ話にならない。
しかし日本で人気があるのはAKB。
電子機器に関しては実は立場が逆転する。
iPhoneがはじめて登場したとき、分解して
「こんなもんうちでもカンタンに作れるわい」
と思ったハード系エンジニアはいくらでもいるはずだ。
だが国産機の今の惨状は推して知るべし。
どうしてこうなった?
これは技術の進化の限界なんじゃないかという気がしてならない。
我々がアニメに求めるものに技術の進化はほとんど関与していない。
求めるものは、ストーリーであり、人物描写である。
ギャルゲーでは女の子がかわいいことが絶対条件であり、それがCGで作られたものかどうかの違いは味付けが違うという程度の域を出ない。
GPUの演算性能を駆使して描かれた洋ゲーの女主人公では、我々の眼はそれを異性として恋愛対象として認識しえない。
AKBのファンだって、メンバーの歌がうまいかどうかなど蚊ほども気にしてはおるまい。
これは、技術の進化が満足度に連動しなくなったという好例ではなかろうか。
実はもっといい例がある。
GREEやモバゲーである。
ゲーム愛好家は、GREEやモバゲーを見て
「グラフィックは時としてファミコンにさえ劣り絶句するほど貧弱、ゲーム性はプレイディアにさえ満たないほど子供だまし、こんなものをゲームと称するなど笑止!」
などと語っていた。
いや、今もってしてそう語る。
しかし!
ドリランドや神撃のバハムートは上記指摘がそのまんま当てはまるにもかかわらず、ゲーム愛好家の想定の1000倍は繁盛してしまっている。
なぜか?
これがコンテンツやソリューションという無形資産の競争力なのだろう。
コンテンツやソリューションというものは、いったいどうやったら提供できるのだろうか?
その答えの1つは、今の音楽界に起きていることに見ることができるかもしれないと思っている。
今の音楽界。
そこは冬の時代。
ただしAKBは例外のようだが、これはCDがオマケでついている投票券を買うものであり、あれをCDの売り上げとして集計すべきかどうかという点に少々疑問が残る。
そんな中、これまでめったに見なかった勢力がオリコンを時折にぎわせる。
それは、けいおん!であり、アイマスであり、声優であり、ようするにこちら側からのリアルワールドへの侵食である。
けいおん!やアイマスのCDを買った人たち。
彼らはいったい何を求めて買ったのであろうか?
その曲が気に入ったから、その歌詞が気に入ったから、そういう理由で買うヤツは1人もいるまい。
我々は、けいおん!だから、アイマスだから、買うのだ。
わたしはアイマスの千早のCDを買って、千早の歌を聞いて、そこで千早と時を共有したい。
そのために買うのであり、音楽を聴くために買うのではなく、必ずしもそれがCDである必要すらない。
もし仮に、けいおん!やアイマスというコンテンツに紐付いていなければ、それを誰も買おうとうはしないだろう。
買った我輩でさえそう思う。
これがコンテンツやソリューションの力なのだ。
音楽CDが売れない理由、それをカスラッk…おっと、JASRACは大いに勘違いしているのではなかろうか。
我々が目指す先。
そこは、技術的優位性よりも、アイデアや感性、また顧客自身でさえ気付いていない本当に求めていることを実現できるかどうかのほうが重視される世界だと思われる。
「世界一優れたプログラマーはビルゲイツである」
というブラックジョークがあるが、ようするにそういうことだ。
(ようするに、顧客はまともに動くOSが欲しいとは口では言うが、本心ではアプリケーションソフトがたくさんあるデファクトスタンダードのOSが欲しいからビルゲイツ製品をしかたなく買っていたわけであってだね…。今はマトモになったからアンチではなくなったけど当時はねぇ…)