無差別殺人わけわかめ
http://blog.goo.ne.jp/andoromeda-hirorinn/e/5776efa26646d0539283bc8d0f389062
勇者ひろりん氏のblogで無差別殺人の話があったので、今日はそれをネタにしたい。
あの無差別殺人予告の件は、あれはまあ単なる愉快犯だとしか思えない犯行声明だったわけだが、世の中には本当に無差別殺人をしたがるヤツも実在する。
たとえば秋葉原の通り魔事件とか。
最近は日本より中国のほうが流行っているみたいではあるが。
中国で頻発する幼稚園、小学校児童殺害事件
http://nangoku851.at.webry.info/201008/article_6.html
中国でまた幼稚園に男乱入:大量殺人の犯罪心理
http://shinrigaku.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-86bb.html
なぜこんなことをするのか?
正常な精神のヤツだったら誰だってそう思う。
それについて非常に的確な表現をしたものが先のリンク先に書いてある。
> 「表現としての犯罪」であり、周囲を巻き込んだ「拡大自殺」とも言えるでしょう。
これは自殺テロにやや近いような気がする。
「ハイジャックして超高層ビルにぶつかって、世界中を震撼させる世紀の大ニュースになって、世界中で俺は有名になって死ぬのさ」
ってな自己中美学である。
そこには、アメリカが嫌いだとか、世界貿易センタービルは破壊すべきものだとか、資本主義が気に入らないだとか、そういう理由は後付けで加えられる。
これはこれでそうなりうる気はするので比較的理解しやすい。
韓国で貧困層が破壊的に拡大した後、日本で韓国人による無差別殺人事件があったとすれば、たぶんこういうロジックで起こる。
いや、韓国の日本大使館にトラックで突っこんだバカが既にいたな。
しかし!
このロジックでは説明のつかないものが1つある。
なんで幼稚園や秋葉原でそれが起きるのかということだ。
もしわたしが誰かから
「俺はもうこれ以上生きていたくない!
かといって自殺するような女々しいこともしたくない
だから、大量殺人を犯して、そのあげく誰かに殺されるか死刑になるかで死にたい」
と相談を受けたとしよう。
この文面をそのまま受け取れば、先の拡大自殺そのものになるはずだ。
これについてわたしならば
「だったら中南米にでも行って、マシンガンを現地調達して、現地の麻薬利権マフィアと戦ってきたら?
装備も殺意も対等だし、自分も相手も恨みっこなしで後腐れは無いし、最終的に自分が死ぬかどうかについても絶対確実だし、これ以上にあんたの望みどおりになる条件はないはずだ」
と答えたい。
類似回答として、
「リアル北斗の拳で名高いヨハネスブルグにでもいって、マッチョな黒人の強盗とナイフ片手に切りあいでもしてきたら?」
と答えてもいい。
だが・・・。
こういうことをしたい連中は、ぜったいにそうはしない。
なぜか?
怖いからだ。
「拡大自殺を所望するヤツが怖いなどとは笑止千万!」
と思うかもしれないが、たぶんそうなる。
なぜ怖いのか?
相手のほうが強そうだからだ。
メキシカンマフィアやヨハネスブルグのチンピラと殺し合いをしても絶対勝てないとしり込みしていらだ。
彼らはマンガのヒーローを気取りたがるにもかかわらず、ヒーローのような
「相手にとって不足なし」
という要望はありえなくて、
「絶対勝てる確実に殺せる相手がいい」
という要望を叶えられそうな相手しか見ていない。
だから、幼稚園児やら、一見ひ弱そうでニートと間違われそうな秋葉原の同志諸君らやらが標的になる。
つまるところ、彼らはいったい何がしたいのか?
ようするに、自分が自殺してこの世を退場するにあたり、自殺の巻き添えを増やしてウサ晴らししたいのだ。
夫婦喧嘩でモノを投げてウサ晴らしするのと同様、
韓国人が他人の家に火をつけてウサ晴らしをするのと同様、
これは破壊によりウサ晴らしするという行動原理であり、
そして他人を殺すという行為は究極の破壊であるからだ。
もちろん、ハイジャックした飛行機で超高層ビルに突っこむのも同じである。
そして時には
「俺もそれで死んだんだからお互いチャラでいいでしょ?」
みたいな超絶自己中な甘えまでそれに含まれる。
バカはどこにでもいる。
そういうヤツは頼むから一人で勝手に自殺してくれと言いたいところだが、必ずしもそうはならない。
それはなぜかというと、
彼らにとっては自殺する事よりも自殺する前にウサ晴らしする事のほうが重要であり、
そいつがそのウサ晴らしに選んだ方法が殺人だったからなのだ。
http://blog.goo.ne.jp/andoromeda-hirorinn/e/5776efa26646d0539283bc8d0f389062
勇者ひろりん氏のblogで無差別殺人の話があったので、今日はそれをネタにしたい。
あの無差別殺人予告の件は、あれはまあ単なる愉快犯だとしか思えない犯行声明だったわけだが、世の中には本当に無差別殺人をしたがるヤツも実在する。
たとえば秋葉原の通り魔事件とか。
最近は日本より中国のほうが流行っているみたいではあるが。
中国で頻発する幼稚園、小学校児童殺害事件
http://nangoku851.at.webry.info/201008/article_6.html
中国でまた幼稚園に男乱入:大量殺人の犯罪心理
http://shinrigaku.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-86bb.html
なぜこんなことをするのか?
正常な精神のヤツだったら誰だってそう思う。
それについて非常に的確な表現をしたものが先のリンク先に書いてある。
> 「表現としての犯罪」であり、周囲を巻き込んだ「拡大自殺」とも言えるでしょう。
これは自殺テロにやや近いような気がする。
「ハイジャックして超高層ビルにぶつかって、世界中を震撼させる世紀の大ニュースになって、世界中で俺は有名になって死ぬのさ」
ってな自己中美学である。
そこには、アメリカが嫌いだとか、世界貿易センタービルは破壊すべきものだとか、資本主義が気に入らないだとか、そういう理由は後付けで加えられる。
これはこれでそうなりうる気はするので比較的理解しやすい。
韓国で貧困層が破壊的に拡大した後、日本で韓国人による無差別殺人事件があったとすれば、たぶんこういうロジックで起こる。
いや、韓国の日本大使館にトラックで突っこんだバカが既にいたな。
しかし!
このロジックでは説明のつかないものが1つある。
なんで幼稚園や秋葉原でそれが起きるのかということだ。
もしわたしが誰かから
「俺はもうこれ以上生きていたくない!
かといって自殺するような女々しいこともしたくない
だから、大量殺人を犯して、そのあげく誰かに殺されるか死刑になるかで死にたい」
と相談を受けたとしよう。
この文面をそのまま受け取れば、先の拡大自殺そのものになるはずだ。
これについてわたしならば
「だったら中南米にでも行って、マシンガンを現地調達して、現地の麻薬利権マフィアと戦ってきたら?
装備も殺意も対等だし、自分も相手も恨みっこなしで後腐れは無いし、最終的に自分が死ぬかどうかについても絶対確実だし、これ以上にあんたの望みどおりになる条件はないはずだ」
と答えたい。
類似回答として、
「リアル北斗の拳で名高いヨハネスブルグにでもいって、マッチョな黒人の強盗とナイフ片手に切りあいでもしてきたら?」
と答えてもいい。
だが・・・。
こういうことをしたい連中は、ぜったいにそうはしない。
なぜか?
怖いからだ。
「拡大自殺を所望するヤツが怖いなどとは笑止千万!」
と思うかもしれないが、たぶんそうなる。
なぜ怖いのか?
相手のほうが強そうだからだ。
メキシカンマフィアやヨハネスブルグのチンピラと殺し合いをしても絶対勝てないとしり込みしていらだ。
彼らはマンガのヒーローを気取りたがるにもかかわらず、ヒーローのような
「相手にとって不足なし」
という要望はありえなくて、
「絶対勝てる確実に殺せる相手がいい」
という要望を叶えられそうな相手しか見ていない。
だから、幼稚園児やら、一見ひ弱そうでニートと間違われそうな秋葉原の同志諸君らやらが標的になる。
つまるところ、彼らはいったい何がしたいのか?
ようするに、自分が自殺してこの世を退場するにあたり、自殺の巻き添えを増やしてウサ晴らししたいのだ。
夫婦喧嘩でモノを投げてウサ晴らしするのと同様、
韓国人が他人の家に火をつけてウサ晴らしをするのと同様、
これは破壊によりウサ晴らしするという行動原理であり、
そして他人を殺すという行為は究極の破壊であるからだ。
もちろん、ハイジャックした飛行機で超高層ビルに突っこむのも同じである。
そして時には
「俺もそれで死んだんだからお互いチャラでいいでしょ?」
みたいな超絶自己中な甘えまでそれに含まれる。
バカはどこにでもいる。
そういうヤツは頼むから一人で勝手に自殺してくれと言いたいところだが、必ずしもそうはならない。
それはなぜかというと、
彼らにとっては自殺する事よりも自殺する前にウサ晴らしする事のほうが重要であり、
そいつがそのウサ晴らしに選んだ方法が殺人だったからなのだ。