教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

いじめられる側にも原因があるとしたら

2012-08-26 00:03:34 | 経済/経済/社会
当blogに来てくださっている常連の方々からすると、わたしは過激派みたいな性格だと思われているかもしれない。
たぶんそれは一部正しいんじゃないかという気がする。

しかし。
リアル知り合いからすると、わたしは怒ることもまずなさそうな温厚な人間に見えるらしい。
当の本人としては自覚は全くないのだが、これは複数の証言を得たので統計的にそれなりにもっともらしい。

かつて中学校当時、わたしは大変残念な教員にめぐまれたこともあって、中学校時代は大変荒れていた。
自分の手の腕が折れるほど人を殴ったこともあった。
高校になってマトモな先生にめぐりあったこともあり、それ以降はだんだんと大人しくなった。
日本人平均からするとどうかはおいといて、当時の自分からすれば今は考えられないほど温厚になったとは思う。

・・・という前提があって、以下の話をお読みいただきたい。



わたしの会社の同じ部には、道徳的に容認しがたいクズが1名ほどいる。
その男は、周りにいる特定の後輩をつかまえて、言葉じりの揚げ足をとっていじめてウサ晴らしするというクズだ。
そしていじめる相手もろくに反論してこないような大人しい後輩ばかり標的にする典型的なクズだ。

かつてわたしもそのクズのいじめの標的になったことがある。
とはいっても、言葉じりの揚げ足をとっていじめてウサ晴らしする程度のことで、中学校当時暴れていた当時ほど腹もたたんし、ガチで殴り合いになれば自分が勝つと思っていたので、
「なんだこいつめんどくせえ・・・」
くらいにしか見ておらず、マジギレはしなかった。

その後は上司の計らいによりいっしょに仕事をする機会を意図的に排除してくれてそれなりに一件落着となった。

しかし!

そのクズは次から次へと標的を変えていじめをするようになった。

あるとき、その標的の1人になった新入社員が会社に来なくなりそうになるほど追い詰められた。

わたしは20年ぶりにマジギレした。
一人の人間の人生をだいなしにしようとするクズが自分の席の近くに座っていてそれを見逃すほどわたしは温厚にはなりきれていなかった。
そして今からここで殺し合いになってもかまわんぜという勢いでそのクズをにらみつけた。

その後どうなったと思うだろうか?

そのクズは、今はわたしが廊下を歩くと避けて通る。
いまだに「あいつムカつく」と陰口を叩いているようだが、立場が逆転した事だけは間違いない。

いじめはこうやって解決するのが最も手っとり早い。



実際、自分の手の腕が折れるほど人を殴った経験のあるヤツとか、刃物で刺されそうになるようなケンカをした経験のあるヤツとか、そんなヤツはそう多くはあるまい。
だからガチで殴り合いになっても相手が先のクズであればわたしは負ける気は全くしない。
ガチで殺し合いになったらガチで相手を殺せるヤツが絶対に勝つからだ。
そもそも、そいつ程度ならナイフを持っていてこっちが素手だとしても負ける気がしない。

とはいえ、日本の法体系は私的な成敗を容認しない。
韓国のような野蛮な国はともかくとして、日本に住んでいるのに法治国家日本を否定するようなことを率先してやる気もさらさらない。
だから、仮に勝てるとわかっていても、ガチで殺し合いになるようなことはなるべくしたくない。

しかし!

大津市は別だ。
本来は法治国家の守護者となるべき者が、いじめを容認するどころか、いじめた側に配慮していじめられた側を握りつぶそうとしていた。

この場合は、いじめられた側はガチで殺し合いをして解決をはかるしか選択肢がない。



よく
「いじめられる側にも原因がある」
という論法を見る。

だがそれは、いじめられた側による報復殺人を黙認するという意味にほぼ等しい。

また大津市の教育委員長が報復を受けている件も、本来は法治国家の守護者となるべき者が法治国家を維持しようとしなかったため法ではない方法で世間から報復を受けている、とも解釈できる。
(そしてその教育委員長が即座に警察の保護を受けようとしているところがさらに世間から嘲り笑われている。)

韓国ではともかくとして、これは法治国家のやることではない。



「いじめられる側にも原因がある」
という立場を取る者へ。
その本来の意味するところが何なのかを理解しているのだろうか。

わたしは法治国家の機能していない当時の大津市のあの学校の状況ならば報復殺人を容認する。
いじめは、自ら死を選んで退場するか、相手を殺して退場させるか、法の制裁を加えるか、そのどれかでしか解決しない。