日常の小さなドラマを作ることが多い私が、最近取り組んだのも日常の小さなドラマで。
稽古をしていて、なかなか俳優に理解してもらえないなと感じるのは、やっぱり難しい箇所で。
難しい箇所というのは台本上で、登場人物が複雑な心情になっているところ。本を書く上では「プロットポイント」と言われる箇所であることが多い。
私は、最初のうちは俳優に細かい要求はしない。と思う。
最初は当然、俳優に登場人物の心情を理解してもらえない。というか、私もあまり気にならない。
読み合わせの最初は、自分が書いたものを読んでもらう嬉しさと恥ずかしさと恐縮する気持ちと、でもそれを悟られまいと考えるいろいろな気持ちで、細かいことまで気にする余裕がないような。
それに、俳優さんにはできるだけ自由に演じて欲しいと、基本的には思っている。
で、稽古を重ねていくと簡単な箇所(単純なシーン)が固まって行って。
そうなると、上で書いた難しい箇所が気になり始める。
「そうじゃないんだけどな。違うな。でも思ったようにならないのはきっと本が悪いんだな。本を直そうか、でもここは気に入ってるんだけどな」と、ひとり逡巡し始める。
プロットポイントとは物語の大切な箇所なので、作者としては思い切って書いていることが多い。そういうところは思い入れも強くできれば変えたくないと思ってしまう。
悩んでいるうちに稽古が進んで、物語の着地点がどうしても違うな、となり始める。
そこで、感じていること、例えば「もう少し明るい感情で終わって欲しい」などと、俳優に伝え始める。
俳優は「やってみるよ」と考えてくれる。
すると「じゃあ、ここがおかしくない?」と俳優が聞いてくれるのが、ほとんどの場合で私がもともと悩んでいたプロットポイントで。
私はだいたい「やっぱり?!」となる。
「 私もそう思ってたんだけど、本がわるいと思っていて」と、お互いに思っていることをすり合わせる。
そして本がおかしいところは変えつつ、心情が変わるセリフやイメージを伝えたり、向こうが発見したりすると、俳優は急にガラリと変化する。
オセロの白が全部黒になるように、ガラッと変化して、そうすれば相手役も。もちろん全体も変わって。それは見ていてとても面白いと感じる瞬間、俳優もそうじゃないかな、聞いたことないけれど。
そういう変化の瞬間を見るのは感動的で。
もちろん、全体のストーリーが変わるわけではないので、携わった者にしかわからない小さな変化なのだけれど、ささやかな日常の物語には小さな変化がとても大切だと思うのです。
でもこういうやり方で、迷惑をかけている俳優さんもいると思う。
私は書いている時の自分の感情の変化を頼りに演出することが多いので、その時の私と近い気持ちに俳優さんがなってくれるのは、それが作り物の世界であったとしても、自分が肯定されたようで嬉しいです。
作品を見てもらうことは、物語を作ることでもあるけど、自分たちが取り組んだ過程のストーリーを自分で見ることでもあるんだなと。劇だけじゃなく音楽や絵や器とかも同じかもしれない、ささやかな物語だけど。
明日から7月。