この日は中秋の名月だったそうだけど、まだ少し時間が早かった。
近所の小学校では運動会の練習を毎日やっていて、小学校を取り巻く花壇にはドングリが落ちていて、すっかり秋。
私が書く物語に、時々酒屋の話が出てくるのは、実家が酒屋をやっているからで。
店舗で店売りもやっているけれど、居酒屋などの業務店に配達もしている。木屋町とか祇園とか先斗町や、注文が入れば京都のあちこちへ配達をする。
だけどそんな居酒屋さんが、今はほとんど休業していて。
先日、京都へ帰った時、代表を務めている兄に聞いたところ、今は業務用の配達がほとんどストップしているらしい。
きっとそうだろうなと予想はしていたけれど、そんな中で、父から会社を引き継いで間もない兄が、不安や負担を抱え込んでいないか、少し心配だった。
4人兄妹の一番上の兄は、小学校の頃から映画を撮っていて、私が演劇を始めたのはそんな兄の影響が少なからずあっただろうし、兄の映画の手伝いをしたり、まあまあ仲良くやってきたと思う。
そんな兄に、酒屋にも政府からの支援はあるの? と聞くと、「居酒屋などの飲食店には支援があるが、その先の酒屋にはない」という。
(厳密に言うと少しあったそうだし、違う形の支援はあるのかもしれないけれど、ここには聞いたままを書いています)
でもなんとか、従業員の方に休んでもらったりしつつ、営業できているらしい。
私にはもう関係ないこととはいえ、暗くない兄の表情に少しホッとした。
だけど母は、一緒にがんばってきた昔ながらの酒屋さんが「もうダメかも」と電話をしてきて、一緒に泣いたそうだ。
で、さらにその先の酒蔵はどうかと言うと、お酒を作っている酒蔵などにも政府の支援はないそうだ。
その先の、酒米を作る農家にも、直接の支援はないという。
酒米とは日本酒を作るための米で、私たちが普段食べている米とは違う。
米によっては、食べる米より高価なものも。山田錦とか、亀の尾とか、五百万石とか、日本酒好きなら聞いたことがあるかもしれない。
だけど、酒米は食べてもあまりおいしくはない。
酒が売れない分、蔵は酒造りを控えるから酒米は余る。余ったからと言って、食べるための米としては出荷できないのだ。
酒蔵は、農家に特別に頼んで米を作ってもらっていることもあり、契約した分は買い取らなくてはいけない。
余った酒米は仕方なく酒屋へ無料で送られて来るので、酒屋はお客さんへ配っているそうだ。
お酒になるはずだった酒米を約束だからと売らなきゃいけない農家も、それでお酒を作れないからと送ってきた酒蔵も、仕方なく無料でお客さんに配る酒屋も、食べるにはおいしくないけどもらって帰る客も、なんだかみんなが少しずつ、互いのために我慢しているようで…言い表せない気持ちになる。
これは例えばお酒にまつわる話だけれど、そんな誰かのための見えない我慢が、今はいろんなところであるんだろうと想像をする。
小学2年になった姪だって、運動会は時間差・入れ替え性でしかやったことがないそうだし。きっと、ウチの近所の小学校でも。仕方ないことだけど。
…酒屋の話とはズレてしまった。
「注文受けて、配達して、お店でお酒を飲んでもらえて。普通に働けるのがいちばんや」
噛み締めるように言った兄の言葉が胸にのこった。