ちょっと物騒な話になるかもしれないけれど、
数ヶ月前の冬の夜、消防車のサイレンが鳴って起きた。
近くで音が止んで、「ああ近所で火事なんだな」と思った。
犬が吠えていて「またか」と思った。その犬は小さな地震や何かでも大騒ぎをする。
その後、新聞を見たら火事のことが載っていた。一人が亡くなったと書いてあり、あの夜に近所の誰かが煙に巻かれて亡くなったことを思って怖くなった。
自転車で近所を通ると独特のにおいがした。小学生の頃、実家の隣の文房具店が焼けた。文房具店だけあって、お隣はとても良く燃えた。その時と同じ匂い。
その焼け跡は想像していたよりもずっと近所で、以前は電気店をやっておられたらしい古い家は外から見ても物に溢れていて、火なんか出たらひとたまりもないだろうなと思った。
住んでいたおじいさんを何度か見かけたことがあり、きっとあの人が亡くなったのだと思った。
ある日、郵便受けにチラシが入っていた。「近所で不審火があり男性が亡くなった。家の周りに物を置かないように」。あの火事は放火だった。
稽古の帰り道、近所を一緒に帰っていた女優さんにも「怖い」と話した。
数日後、焼け跡はあっという間に更地になった。
実家のお隣の文房具店が取り壊されるまではもう少し時間を要したのに、こんなに早く取り壊されることに驚いた。
そんなことも忘れて過ごしていた春の初め、新聞に小さな写真展の記事を見つけた。
火事で亡くなったお父さんを偲んだ息子さんが、お父さんが撮りためた写真を展示する。続いて電気店、不審火などと書いてあり、時間や場所を見ると、あの夜の火事のことだった。
お父さんの写真は決して本格的な物ではなく、好きな物を撮った、ただのスナップ写真。お孫さんの七五三や、近所の犬、珈琲や草花。きっと他愛もない、誰にでも撮れそうな写真なんだろうと思った。
「その場所で一人で暮らしていた父のことを少しでも残したい」と、息子さんの言葉が書いてあった。
お父さん思いの息子さんがおられて、
奥さんを早くに亡くされて、
お孫さんを可愛がっておられた。
そんな人が、住んでいた場所。
そう思うと、怖かっただけのあの更地が、急に温度を持った様に感じて。その人の人生がそこで途絶えたことや、それを受け止める家族の気持ちで心が溢れた。
長くなったけど、私が驚いたのはそういった自分の変化だ。
息子さんのその写真展の記事のお陰で、他人だった見知らぬおじいさんになんだか親しみを感じるようになったし、まさしく対岸の火事だった出来事が、すぐ隣でおこった火事くらいに少し身近になった。
いなくなった人の価値や、その言葉や、出来事の意味は、生きている人が決める。
って、改めてそう感じると、なんだか背中がピンとのびる様な気持ちがした。それはそこに責任のような物を感じたからなのかもしれない。
写真展はきっと大切な人達が集まる会になったんだろう。
ええと……どう結んでいいのか解らなくなったので、ちょっと無理矢理繋げてしまいますが……
いま土田有希ちゃんと永島広美ちゃんが参加している16日からの舞台も、そういう役割を持つお芝居の様に思います。
いなくなった人や過ぎた時間と、自分を繋ぐような。
震災のお話だそうです。
私は震災のことを考えることは日々避けているし、直接的には書けませんが、だから観て考えてみようと思っています。
背筋を正して。
すっかり長くなりました。