なんとなく過ごしていた5月の終わりが、5年前から父の命日になった。
父の命日は「母の日」と近いので、両方を兼ねて実家に花を送る。
元気に生きている母と、亡くなった父に向けて。
もう5年も経つし、陰気くさいのもイヤだし、お供え用の花ではなく、控えめの色使いの普通のアレンジメントを選んで。
花が届いたと報告してくれた母は、お仏壇に飾っておくだけじゃ人の目に触れずもったいないから、玄関に飾りたいと言っていた。
どこに飾ってもいいけど、命日当日の間くらいはお仏壇に置いてねと、伝えておいた。
5月は父の命日と、同じ年に亡くなった俳優の深水三章さんのお誕生日がある。
5年前、船上パーティーで深水三章さんの70歳の誕生日を盛大に祝った数週間後に父が亡くなって、そのことを深水さんに報告した数ヶ月後に深水さんが亡くなった。
あの一年のことを思い出すと、今でも辛い気持ちになる。
街で、亡くなった人に似ている人を見かけてハッとすることがある。
面影を追いかけた瞬間、その人が亡くなっていることは忘れていて、ハッとして「あぁもう亡くなったんだと」思い出す。
もう会えない人に「会いたいなあ」って思うことは寂しいけど、思い出している間はその人と一緒にいるってことだから孤独ではないなって思う。
こういう感覚を、大切な人を亡くしてから知った。
いま私は父にも深水さんにも会いたくて、本当には会えないけど、この瞬間は会っているなって感じていて、寂しいけど嬉しい。矛盾してるなって少し笑って、そこで思い出すことをやめる。
会ったところで、きっと憎まれ口しか言えないんだろうけど。
スマホに残っていた5月始めの夕方の写真。
道端のジャスミンのいい香りに気付いたら、その向こうの夕焼けが同じピンクの色をしていました。