年の瀬に、思いを綴りたい…
北米ではコロナ禍による工場操業停止の空白期間を置いて、自動車やボートを始めとしたレジャー関連ビークルや、それに付随する製品の販売は絶好調
そして、日本でも同じような傾向が見て取れる…
普通に考えれば、大変な社会環境の変化と共に不況が囁かれる現在のコロナ禍の状況で、趣向品の購買に走るのは全く理解できないし、以前なら、景気悪化の予兆を見るにはメガヨットなどの富裕層向け超高価格帯商品の動向を見ればわかるとされてきたことが全く予測不能の状況…
この現状の説明として、ロックダウンや自粛により遊びに行けなくなった金が、アウトドアレジャーや個人趣向消費に向かったと言われているが、このベールを剥がせば2020年初からのコロナ禍が浮き彫りにした資本主義社会の歪みが見えてくる
コロナ禍の中でのアメリカ大統領選では共和党のトランプと、民主党のバイデンの戦いとなったが、未来に向けた世界のリーダーたるべきメッセージは一つも無く、あるのは利己主義による個別最適論と政敵批判に終始し、崇高な理念のかけらもない強欲なグリード戦いにしか見えなかったのは、世界が目撃した紛れもない事実だ
大統領が強欲なグリードであれば、経営者の多くが同じ穴の狢であっても何ら不思議ではない…
世界の富は、ほんの数パーセントの金持ちが握っているともいわれるように富の不均衡は社会を蝕んでいる
世界を見てもCEOは膨大な金額の年収を得ている訳で、日本の一流企業の社長の給与も当然のことながら、億単位の現実がある
老練なコンサルタントが、会社が税金を多く収める事が企業価値を高めるゆえ、役員給与は高額でなければならないと述べていたこともある
そして、日産の社長だったカルロス・ゴーンが数十億円の年収を得ていた事実とそれに付随する異常なまでの金への執着が、逃亡劇の一部始終から白日の下にさらされた…
30年前、目刺しの土光さんが居た頃の日本は、経営層と一般社員の間に、これほど極端な給与格差は存在していなかった…Japan as number oneが出版されたころは欧米に比べて日本が経営層との間に極端な給与格差が無いことが強みとも記されていた…
しかし、今の日本は、まさに欧米化だ…
一方、現在はコンピューターサイエンスの爆発的開花により、ITを中心とした産業革命の真っただ中で、未来のコト価値に繋がる産業技術が花開く姿は、明るい未来への希望を人々に抱かさせてくれているのも事実だ
しかし、産業革命は花開いても、前述の規定事実となってしまった会社組織における給与格差は、そのまま社会における様々な産業に従事する庶民の所得差の写し鏡になっているのが、現在のスマートな産業革命と並行して動いている闇に他ならない…
そして、この所得の2極化が、富める者と富めざる者の格差を増し、コロナ禍の中でも贅沢品が売れる状況を炙り出している
日本のニュースでは、総理の高級レストランでの会食ニュースが幾度となく報道されるが、これに反応する民衆心理はコロナ自粛の不満以上に、格差に対する不満が大きいと思う
そして、格差は不満をもたらし大きな潮流を作り、社会の混乱へと繋がっていくのは歴史が紐解く事実…
この行き着く先が、資本主義の終焉であることに他ならない…
一度上げた給与は下げる事はなかなかできないのが現実であって、30年前の経営層と一般社員との給与格差の割合に戻すことは、取りも直さず一般社員の給与を更に上げることが命題になる
これが一部の産業ではなく社会全体で、インフレを起こさずにできるのか…
また、コストダウンすることにより得た社内留保は、もっと積極的に社会に還元し、全ての産業を潤すことが出来るのか…
この解決のため単純に、実利を伴わない共産主義思想にも陥りかねないが、一番の心配事…
自由主義発想の中で格差社会を是正し、人々に幸せをもたらすアクションが必要だ
京都の龍安寺の手水鉢は「知足の蹲踞(つくばい)」と呼ばれ、蹲踞に「我唯足知」と記されている…
これは現代社会に対する警鐘に他ならない…
そんな目で、社会を俯瞰してみると、国内では格差社会の不安が浮き彫りにさたコロナ禍であるにもかかわらず、桜の会の会計支出に関する問題で安部元首相に対し、マスコミ・野党が追及の嵐に血気盛ん…
一国の総理がそんな細かなとこまで目が行く訳が無いだろうし、逆に日本の総理がそんなマイクロマネジメントをしていたら国は立ち行かなくなるだろう…
それに、安部氏は支出こそすれ自分が金品を受け取るような得をしたのか?
まさに、社会混乱をあおり国の危機から目を背けさせようとする、マスコミと無能な野党の姿は、この社会混乱の中、外国勢力と手を組んだ反社会勢力にも見えてくる…
結局、リベラルと称する輩は自分の価値観に縛られて大局が見えていないのが実情だ
個別最適に走り混乱するアメリカでも格差はますます拡大し、混乱は海外にも影響を及ぼすはずだ…
歴史を紐解けば理想主義者のような姿をしたリベラルの民主党政権が、圧力をかけ日本を戦争に巻き込み、原爆を落とし、ベトナム戦争を泥沼化させた事実が浮かび上がってくる…
2021年、人類の業により、益々世界は混乱するのか…
しかし、人々が“量”的成長から、“質”的成長に価値観をシフトし、利己から利他へ幸福感のパラダイムシフトが出来れば光明が見いだせるはずだ…
「素晴らしい世界を築いて行こう!」 青臭く聞こえる綺麗ごとだが、ここが生きる意味においても原点…これを忘れたら人類は野生の動物でしかない
ビジネスに直せば、「世界の人々に豊かさと喜びを提供し、共に成長しよう!」と言う当たり前の理念
お互いの成長失くしてはビジネスは続いて行かないのだから…
振り返って、自分の存在とは何なのか?の内省を行い、初心に帰ることが、今を生きる我々には必要な事ではないだろうか…
当たり前の青臭い「素晴らしい世界を築いて行こう」と言う生きる意味にも通じる理念を、人々が「初心に帰って」自らに問い直し行動できれば、素晴らしい未来が待っていると信じたい
北米ではコロナ禍による工場操業停止の空白期間を置いて、自動車やボートを始めとしたレジャー関連ビークルや、それに付随する製品の販売は絶好調
そして、日本でも同じような傾向が見て取れる…
普通に考えれば、大変な社会環境の変化と共に不況が囁かれる現在のコロナ禍の状況で、趣向品の購買に走るのは全く理解できないし、以前なら、景気悪化の予兆を見るにはメガヨットなどの富裕層向け超高価格帯商品の動向を見ればわかるとされてきたことが全く予測不能の状況…
この現状の説明として、ロックダウンや自粛により遊びに行けなくなった金が、アウトドアレジャーや個人趣向消費に向かったと言われているが、このベールを剥がせば2020年初からのコロナ禍が浮き彫りにした資本主義社会の歪みが見えてくる
コロナ禍の中でのアメリカ大統領選では共和党のトランプと、民主党のバイデンの戦いとなったが、未来に向けた世界のリーダーたるべきメッセージは一つも無く、あるのは利己主義による個別最適論と政敵批判に終始し、崇高な理念のかけらもない強欲なグリード戦いにしか見えなかったのは、世界が目撃した紛れもない事実だ
大統領が強欲なグリードであれば、経営者の多くが同じ穴の狢であっても何ら不思議ではない…
世界の富は、ほんの数パーセントの金持ちが握っているともいわれるように富の不均衡は社会を蝕んでいる
世界を見てもCEOは膨大な金額の年収を得ている訳で、日本の一流企業の社長の給与も当然のことながら、億単位の現実がある
老練なコンサルタントが、会社が税金を多く収める事が企業価値を高めるゆえ、役員給与は高額でなければならないと述べていたこともある
そして、日産の社長だったカルロス・ゴーンが数十億円の年収を得ていた事実とそれに付随する異常なまでの金への執着が、逃亡劇の一部始終から白日の下にさらされた…
30年前、目刺しの土光さんが居た頃の日本は、経営層と一般社員の間に、これほど極端な給与格差は存在していなかった…Japan as number oneが出版されたころは欧米に比べて日本が経営層との間に極端な給与格差が無いことが強みとも記されていた…
しかし、今の日本は、まさに欧米化だ…
一方、現在はコンピューターサイエンスの爆発的開花により、ITを中心とした産業革命の真っただ中で、未来のコト価値に繋がる産業技術が花開く姿は、明るい未来への希望を人々に抱かさせてくれているのも事実だ
しかし、産業革命は花開いても、前述の規定事実となってしまった会社組織における給与格差は、そのまま社会における様々な産業に従事する庶民の所得差の写し鏡になっているのが、現在のスマートな産業革命と並行して動いている闇に他ならない…
そして、この所得の2極化が、富める者と富めざる者の格差を増し、コロナ禍の中でも贅沢品が売れる状況を炙り出している
日本のニュースでは、総理の高級レストランでの会食ニュースが幾度となく報道されるが、これに反応する民衆心理はコロナ自粛の不満以上に、格差に対する不満が大きいと思う
そして、格差は不満をもたらし大きな潮流を作り、社会の混乱へと繋がっていくのは歴史が紐解く事実…
この行き着く先が、資本主義の終焉であることに他ならない…
一度上げた給与は下げる事はなかなかできないのが現実であって、30年前の経営層と一般社員との給与格差の割合に戻すことは、取りも直さず一般社員の給与を更に上げることが命題になる
これが一部の産業ではなく社会全体で、インフレを起こさずにできるのか…
また、コストダウンすることにより得た社内留保は、もっと積極的に社会に還元し、全ての産業を潤すことが出来るのか…
この解決のため単純に、実利を伴わない共産主義思想にも陥りかねないが、一番の心配事…
自由主義発想の中で格差社会を是正し、人々に幸せをもたらすアクションが必要だ
京都の龍安寺の手水鉢は「知足の蹲踞(つくばい)」と呼ばれ、蹲踞に「我唯足知」と記されている…
これは現代社会に対する警鐘に他ならない…
そんな目で、社会を俯瞰してみると、国内では格差社会の不安が浮き彫りにさたコロナ禍であるにもかかわらず、桜の会の会計支出に関する問題で安部元首相に対し、マスコミ・野党が追及の嵐に血気盛ん…
一国の総理がそんな細かなとこまで目が行く訳が無いだろうし、逆に日本の総理がそんなマイクロマネジメントをしていたら国は立ち行かなくなるだろう…
それに、安部氏は支出こそすれ自分が金品を受け取るような得をしたのか?
まさに、社会混乱をあおり国の危機から目を背けさせようとする、マスコミと無能な野党の姿は、この社会混乱の中、外国勢力と手を組んだ反社会勢力にも見えてくる…
結局、リベラルと称する輩は自分の価値観に縛られて大局が見えていないのが実情だ
個別最適に走り混乱するアメリカでも格差はますます拡大し、混乱は海外にも影響を及ぼすはずだ…
歴史を紐解けば理想主義者のような姿をしたリベラルの民主党政権が、圧力をかけ日本を戦争に巻き込み、原爆を落とし、ベトナム戦争を泥沼化させた事実が浮かび上がってくる…
2021年、人類の業により、益々世界は混乱するのか…
しかし、人々が“量”的成長から、“質”的成長に価値観をシフトし、利己から利他へ幸福感のパラダイムシフトが出来れば光明が見いだせるはずだ…
「素晴らしい世界を築いて行こう!」 青臭く聞こえる綺麗ごとだが、ここが生きる意味においても原点…これを忘れたら人類は野生の動物でしかない
ビジネスに直せば、「世界の人々に豊かさと喜びを提供し、共に成長しよう!」と言う当たり前の理念
お互いの成長失くしてはビジネスは続いて行かないのだから…
振り返って、自分の存在とは何なのか?の内省を行い、初心に帰ることが、今を生きる我々には必要な事ではないだろうか…
当たり前の青臭い「素晴らしい世界を築いて行こう」と言う生きる意味にも通じる理念を、人々が「初心に帰って」自らに問い直し行動できれば、素晴らしい未来が待っていると信じたい