Steve Jobs 2 を読み終えた。
Steve Jobs 1は、Steve Jobs の生まれからガレージでAppleを興し、Pixarで蘇るまでの波乱万丈の物語であって、Steve Jobs 2は、Appleに返り咲き、アップルストア、iPod、iTuneストア、iPhone、 iPad、iCloudを生み出し死に至るまでの包み隠さない、ありのままの彼の姿と、US企業におけるドロドロの吐き気がするような人事抗争も書かれており、本を読んでいる途中でAppleファンを辞めた人間もいるんじゃないかとも思えた内容…
事実、Steve Jobs 1、2は古本で格安で購入できる…
実際、僕も始めはSteve Jobs 1を読めば十分で、上述のSteve Jobs 1の読後感も手伝って、Steve Jobs 2を読むのを暫く躊躇していたし、Steve Jobs 2の半分くらいまで読み進めるうちは、読まなければよかったのかと思ったりもした…
しかし、そんな思いとは懸け離れて引きずられるように後半一気に読み進めたのは事実だ。
特にSteve Jobs 2の最後となる第41章(415項~430項)は珠玉の1章であり、ここを留める為だけでもSteve Jobs 2は絶対に購入し座右の書とすることを勧めたい。
ハードウエアとソフトウエアをエンドツーエンドで統合するのがAppleで、完璧さを阻害する外的要因を尽く排除したアップル製品はジョブスの完璧主義とデザイン思考の織り成す垂直モデルの世界であるのに比べて、マイクロソフトやグーグルのようにハードウエアとソフトウエアをオープンにした水平モデルで世界は2分されている。
ハードウエアとソフトウエアとコンテンツを統合して一貫したシステムにする力がある故に、ジョブスは全てをシンプルにしていくことが出来た訳で…「自然はシンプルさと一貫性を愛する」(ヨハネス・ケプラー:天文学者)ジョブスもまさにケプラーと同じだ…
ゆえに、統合システムを本能的に求めるジョブスは、オープン対クローズドと言う、デジタル世界を2分するラインの最前線に立ち続けた。
一方、コンピューターは自由の小箱と考えるハッカー精神はオープンなアプローチを好むし、自由の象徴であるように短絡的に思ってしまう帰来がある。
確かに、自由にハードウエアやソフトウエアを改造する、コードを共有する、オープンスタンダートでプログラムを書き、独自システムを避け、様々な機器やオペレーティングシステムで使えるコンテンツやアプリを手に入れることが出来る世界がオープンシステムである。
一方、統合システムは家電製品のようにハードウエアとソフトウエアが一体化されて改造も出来ない世界…それが目指すのはシームレスでシンプルなユーザー体験を目指している。
こう考えてみると、ホームコンピューターと様々なポータブル機器をシームレスにリンクさせるデジタルハブ戦略(iPodもiTunesストアから買ったコンテンツをダウンロードしてiTunesソフトを使って再生するシームレスなシステム)に対し、オープンなアンドロイドの場合、携帯端末やタブレットのメーカー各社が思い思いにアンドロイドを改造した結果、仕様も味付けも多数存在するようになり、全てがバラバラで一貫した動作を保証できるアプリを作ることは難しくなってしまった…
ただ、ジョブスのアプローチの問題はユーザーを喜ばせる完璧な体験を提供しようとするあまり、ユーザーに権限を渡さないことでもある。
「顧客の望むものを提供する」はマーケティングの基本かも知れないけれど、それを顧客よりも早く掴み、形としていく事を仕事として行ったのがAppleであって、その未来の顧客価値に直結するのがシームレスなユーザー体験を提供する統合システムだと思う。
そして、感情の起伏が激しいジョブスに振り回された社員は大変だったと思うが、自分の姿を写した時には共感できる部分もある…
凄いデザイナーと凄いアーティストは、先入観を振り払い俯瞰して見た世界の中で自然のシンプルさから創造物を生み出す共通項があり、そこにジョブスの生み出したプロダクトが実在している…
確かにジョブスは不世出の天才だったことを実感する。
返す返すも彼の早すぎる死は残念でならない…9カ月も開けずに直ぐに手術出来ていたら…
「たら、れば」は言いたくはないが、彼の死はもっと先であって欲しかった。
また、AppleがiPodを出す時に、全ての必要な資源を持っていたSONYが何もできなかった事も残念でならない…原因は事業部制で硬直した組織になっていたからなのか、無能なCEOだからだったのか...
今度、平井一夫さんが書いた「SONY再生」を読んでみたい。
そして、Apple共同創業者であるスティーブ・ウォズニアック氏の講演会にも参加しようと思っている。
なにより、Apple製品を手に取ってじっくり動かしてみたい衝動に駆られる自分が居る。
以上、読後感の思いは尽きません。
Steve Jobs 1は、Steve Jobs の生まれからガレージでAppleを興し、Pixarで蘇るまでの波乱万丈の物語であって、Steve Jobs 2は、Appleに返り咲き、アップルストア、iPod、iTuneストア、iPhone、 iPad、iCloudを生み出し死に至るまでの包み隠さない、ありのままの彼の姿と、US企業におけるドロドロの吐き気がするような人事抗争も書かれており、本を読んでいる途中でAppleファンを辞めた人間もいるんじゃないかとも思えた内容…
事実、Steve Jobs 1、2は古本で格安で購入できる…
実際、僕も始めはSteve Jobs 1を読めば十分で、上述のSteve Jobs 1の読後感も手伝って、Steve Jobs 2を読むのを暫く躊躇していたし、Steve Jobs 2の半分くらいまで読み進めるうちは、読まなければよかったのかと思ったりもした…
しかし、そんな思いとは懸け離れて引きずられるように後半一気に読み進めたのは事実だ。
特にSteve Jobs 2の最後となる第41章(415項~430項)は珠玉の1章であり、ここを留める為だけでもSteve Jobs 2は絶対に購入し座右の書とすることを勧めたい。
ハードウエアとソフトウエアをエンドツーエンドで統合するのがAppleで、完璧さを阻害する外的要因を尽く排除したアップル製品はジョブスの完璧主義とデザイン思考の織り成す垂直モデルの世界であるのに比べて、マイクロソフトやグーグルのようにハードウエアとソフトウエアをオープンにした水平モデルで世界は2分されている。
ハードウエアとソフトウエアとコンテンツを統合して一貫したシステムにする力がある故に、ジョブスは全てをシンプルにしていくことが出来た訳で…「自然はシンプルさと一貫性を愛する」(ヨハネス・ケプラー:天文学者)ジョブスもまさにケプラーと同じだ…
ゆえに、統合システムを本能的に求めるジョブスは、オープン対クローズドと言う、デジタル世界を2分するラインの最前線に立ち続けた。
一方、コンピューターは自由の小箱と考えるハッカー精神はオープンなアプローチを好むし、自由の象徴であるように短絡的に思ってしまう帰来がある。
確かに、自由にハードウエアやソフトウエアを改造する、コードを共有する、オープンスタンダートでプログラムを書き、独自システムを避け、様々な機器やオペレーティングシステムで使えるコンテンツやアプリを手に入れることが出来る世界がオープンシステムである。
一方、統合システムは家電製品のようにハードウエアとソフトウエアが一体化されて改造も出来ない世界…それが目指すのはシームレスでシンプルなユーザー体験を目指している。
こう考えてみると、ホームコンピューターと様々なポータブル機器をシームレスにリンクさせるデジタルハブ戦略(iPodもiTunesストアから買ったコンテンツをダウンロードしてiTunesソフトを使って再生するシームレスなシステム)に対し、オープンなアンドロイドの場合、携帯端末やタブレットのメーカー各社が思い思いにアンドロイドを改造した結果、仕様も味付けも多数存在するようになり、全てがバラバラで一貫した動作を保証できるアプリを作ることは難しくなってしまった…
ただ、ジョブスのアプローチの問題はユーザーを喜ばせる完璧な体験を提供しようとするあまり、ユーザーに権限を渡さないことでもある。
「顧客の望むものを提供する」はマーケティングの基本かも知れないけれど、それを顧客よりも早く掴み、形としていく事を仕事として行ったのがAppleであって、その未来の顧客価値に直結するのがシームレスなユーザー体験を提供する統合システムだと思う。
そして、感情の起伏が激しいジョブスに振り回された社員は大変だったと思うが、自分の姿を写した時には共感できる部分もある…
凄いデザイナーと凄いアーティストは、先入観を振り払い俯瞰して見た世界の中で自然のシンプルさから創造物を生み出す共通項があり、そこにジョブスの生み出したプロダクトが実在している…
確かにジョブスは不世出の天才だったことを実感する。
返す返すも彼の早すぎる死は残念でならない…9カ月も開けずに直ぐに手術出来ていたら…
「たら、れば」は言いたくはないが、彼の死はもっと先であって欲しかった。
また、AppleがiPodを出す時に、全ての必要な資源を持っていたSONYが何もできなかった事も残念でならない…原因は事業部制で硬直した組織になっていたからなのか、無能なCEOだからだったのか...
今度、平井一夫さんが書いた「SONY再生」を読んでみたい。
そして、Apple共同創業者であるスティーブ・ウォズニアック氏の講演会にも参加しようと思っている。
なにより、Apple製品を手に取ってじっくり動かしてみたい衝動に駆られる自分が居る。
以上、読後感の思いは尽きません。