ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

パプアニューギニア ラバウルKOKOPOにて

2011-09-13 22:42:22 | 
9月11日~13日(日、月、火) パプアニューギニア ニューブリテン島のラバウルKOKOPOに滞在
KOKOPOはラバウルが火山爆発で埋まった事により新しく出来た町
空港には、ようこそラバウルへの表示も

現地に住む日本人女性の家族と偶然空港で顔を合せ、久しぶりの感覚にホッとするものを覚えた。

RAPOPO PLANTATION RESORTに宿泊
ここにはゼロ戦の星型エンジンや、プロペラが置かれていた


ラバウルの山々が夕日に映えて我々を迎えてくれる


KOKOPOへ離島から来る人々の船溜まり…浜辺の風景も南国をしのばせる


余暇を利用し、ラバウルへ
途中にある博物館は大戦時の朽ち果てた遺物が展示されている

零戦21型…翼内には20mm機関砲が鎮座する

朽ち果てた爆撃機のコックピットの操縦桿を動かせば違和感無く左右と連動して今もスムーズに稼動する…

隼の翼…

93式酸素魚雷


墜落したP38ライトニングのV12アリソンエンジン

墜落し破壊されたF4Uコルセアの残骸

朽ちるに任せる保存状態だが、今でも当時をしのばせる

ラバウルで御世話になった現地のモベさんは驚異的なスピードでトヨタの4駆をラバウルに向けて運転…
Made in Japan!!! No.1 !!!!! Very first!!!!! と叫んでいるけれど、Made in Japanじゃなくて、モベさん、あなたの運転が強烈なんだよ…
たった30分でラバウルの町に到着、ZERO PUPERMARKETなどと言うスーパーもあり、旧市街に近い所でも人々の暮らしは息づいている。
オーストラリア人女性が営む、火山灰に囲まれたエリアのホテル

ここから少し車を進めれば、あたり一面は灰に覆われた景色が出現する…


靴の先も真っ白だ…


管理人さんにお願いし、この街にある山本バンカーに入れてもらう。ここが当時の中央司令室だ。

壕内の壁には当時の敵味方識別の作戦記号が書かれている。時間帯でモールス信号と翼灯により識別を分けていた事がわかる。
 
壕の中の日本語も鮮明に見え、65年以上経つ現在でも当時を偲ばせる。



続いてラバウルの火山灰に囲まれた慰霊塔に立ち寄る…管理状態は、あまり良くない

手向けの日本酒を持ってこなかったことが悔やまれる…
国に殉じ海外で死んだ人々に対するテイクケアの無さは日本政府の恥じる所だと痛感する、USの慰霊碑がいかに綺麗にされているか…

ここから見るラバウルの街も灰に覆われた事がわかる


帰路の道路わきには、いくつもの壕が点在する。


ここの湾は水深が非常に深く大型船の停泊が可能な天然の良港だが、いまも多くの船や飛行機が沈んでいる


連合軍は、自給自足を整えていた要塞ラバウルに対し強固な反抗による損害を避けるため、飛び石作戦をとる事で、ここでの上陸戦は実行せず、ラバウルは陸の孤島と化して終戦を迎えた。
現地の仕事仲間のナカムラさんは、お爺さんが終戦後も現地に残った元日本兵の子孫。日本人の面影が残る顔立ちだ。

日本人に対する感情も非常に良いのか、公園を訪れたら若い子がいきなりハグしてくれたのにはビックリ。
始めに、このオバサンが抱きついてきて…

次にこの若い子が抱きついてきた…

な、、、何だったんだろう…

カメラを向けると無邪気な笑顔が返ってくる

これは、例のビートルナッツ売りのオバサン


子供達の顔は何処の国も無垢で曇りがなことが救いだ


宿に帰れば、いつになく夕日がまぶしい


また、いつの日かラバウルに来よう…


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