ミャンマー出張の疲れも癒えて、なにか心地よい気持ちの中で思い出を振り返るのも乙なもの
とは言え、ミャンマーに出向くにあたっても鎖骨骨折のギブスをしたままの出張となって、今回を入れれば骨折したまま2度目の南アジア出張…
痛くは無いけど、暑さが堪えるのは致し方ない…
軍事政権のキナ臭さと、民主化の足取りの中でちょっとしたミャンマーブームが起きているのが今日この頃か
聞けば、20年前はバンコクの駐在員がミャンマーのヤンゴンまで買出しに行っていたと言うから、経済制裁の影響は深かったようだ
ヤンゴン(ラングーン)の空港に降り立つと、空港施設の立派さに驚いてしまう
機内で知り合った方が言うには、日本企業が作っている途中で経済制裁の煽りを受けて途中から工事は別業者に引き継がれて完成したとのこと
空港からの道路も綺麗でゴミが目立たないのも初めての訪問者には嬉しいところだ
ただし、この国…基本的に現金決済…クレジットカードはマスターカードが使えるところもあるけれど、使えないと思ったほうが無難…
と言う事で、US$1800を携えての現金決済出張の始まり…
この頃のミャンマーの変化を知る人は、昨年末までメールがまともに出来なかったのが今年になったら繋がるようになったとか、ホテルの値段が見る見る上がったとか、変化はかなり急激な様子…
でも、スーチーさんがマンダレーに演説に来た時は、現地出張者のメールが不通になったりして情報制限が掛かっているように感じたのも下衆の勘繰りか
一方、今のミャンマー通貨は0を一つ取れば日本円と同じと考えればわかりやすい
ミャンマーで売られているおみやげ物も、粒が歪な本真珠のネックレスが1500円だったり、ヒスイのキーホルダーが100円だったりして価格意識が破壊されてしまうのも嬉しい
…とは言え、ホテルのクリーニングでTシャツが3$、コートが4$と言うのは、何が基準なのか全く解らなくなってしまう…
(4$でクリーニングに出した冬物コートは、本当に綺麗になりました 笑)
車の値段はと言えば、以前はランドクルーザーの中古が3000万円、つい最近はマークXの5年落ちの中古が500万円とか…
いずれにせよ、走れるようになるまでの登録絡みの費用がべらぼうに掛かるらしいのが実態…
ここでの自動車ビジネスには魑魅魍魎が潜んでいるんだろうなあ
ヤンゴンで出迎えてくれた現地スタッフは日本語も堪能な、大学で機械工学を専攻した非常に優秀な乙女。
働くスタッフ達も、非常に教育水準が高いと言う印象を受けるし、事実本当に頭が切れる人間が多い。
思えば、高い教育を受けた優秀な人材の受け皿が国内には少ないのかもしれないと感じたりもした…
また、今回街角で出会ったミャンマーの人達は本当に人が良い方ばかり…日本語で気さくに話しかけてきて色々と面倒を見てくれても報酬目当てではない…
都会ずれしていない出会いは、忘れかけていた何かを思い出させてくれた
ヤンゴンの街角での一コマ…たこ焼き屋のように見える現地スナック(お菓子?)の屋台
タナカと言われる、現地の化粧品(お洒落な日焼け止め?)をつけた物売りの女性
面白い事に、子供達や若い子もけっこうタナカを愛用している。
流行に敏感な現地の女性はつけないようだけれど、そんな彼女に、「資生堂がタナカを発売したらつけてみる?」と聞くと「絶対買ってつけたい」との御返事…
なかなか、根付いた文化は面白い
ヤンゴンをあとに、ミャンマーの京都と言われるマンダレーへ向かう…
昼食に訪れたミャンマー料理屋さんでの一コマ…一見カレーのように見えるが、カレー味ではない煮込み料理
マンダレーの街角にて…
3月7日のお祭りに備えて仏像がトラックに載せられて動いていきます
路地裏でのシーケンス
路上マーケットも活気に満ちている
みんな気さくに話しかけてくれたり、肩を叩いてニコニコしてくれたり… 嬉しくなる路地裏散策
鬼太郎の妖怪ポストを発見… 無料の水飲みポットです
公衆の炊事場、兼洗い場、兼浴場…
主要道路では自転車レーンも決まっていて交通の住み分けが出来ています
マンダレーの街角で見つけた骨董品のマツダ車…タクシーとして利用されているようだ
休日を利用しマンダレーを観光…
始めに訪れたのはマンダレーヒル
ここには大きなパゴダと呼ばれる仏塔がいくつも建っており、マンダレーの町を見下ろす事が出来る
寺院に入るには靴を脱いで行かなければならず…靴を脱いでエスカレーターで寺院に上る…
マンダレーヒルから望むマンダレーの街
マンダレーヒルの寺院にて
マンダレーヒルで出会ったインド人の手相占い師
マンダレーヒルには日本人戦没者の慰霊塔も建っており、線香を手向ける事が出来た
マンダレーヒル以外にも、近郊のサガインにはインパール作戦戦没者の名前が刻まれたパゴダもある
訪れた方に聞くと、従軍看護婦さんの名前も非常にたくさん刻まれてたとの事…女性も含めて多くの犠牲者が出た悲惨な戦いであった事を改めて感じ入った
マンダレーヒルを降りて、一路マンダレーパレスへ…
ここは19世紀の最後の王宮跡
現在は一部が軍の厚生施設にもなっており警備の軍人が目に付くのは致し方ない…
面白いことに我々が乗っていた車が高官の車に見えたようで慌てて敬礼までしてくれてチョット嬉しかった 笑)
マンダレーのローカルレストランで昼食をいただく
炊事場の舞台裏
ローカル料理 この揚げ魚が美味しかった~
スープの中身を持ち上げると…オヨヨ
ビールの栓を抜くのに特殊工具が登場 笑)
とても楽しい昼食です
続いて訪れたのはミングォン
ここはボードーパヤー王が世界一大きなパゴダを建てようとしたが、夢半ばに死去し完成されずに残った建造物
急勾配の階段を息を切らして登って行きます
この施設は地震で大きなダメージを被っており、亀裂が彼方此方に存在しています
落ちたら尋常で居られないような亀裂…
地元の人にカメラを向けると嬉しそうな笑顔が返ってくる
頂の石積みの上に石を置いてイラワジ川に向かって合掌
ミングォン・パゴダから見下ろしたイラワジ川
汗だくになりミングォン・パゴダから降りてきた時に、現地スタッフが一言…
「ここ…以前は政府が危ないから登る事を許可していなかったんです…」
それなら先に言ってくれよ~
…中々危険な道中です…
麓の寺院の前では、小坊主が美味しそうにアイスクリームをペロリ
道案内の子供たちの笑顔
イラワジ川の辺で
ミングォンパゴダの後にはミングォンの大釣鐘を見に行く事に…
釣鐘の裏側には多くの文字が書かれている
撞いてはいけないのかな…と思っていると地元の老人が、ここを撞けという仕草で杵を渡してくれた…
なにかとっても嬉しく、ほのぼのとした感じだ
続いて訪れたのはウーペイン橋 全長1.2kmと言われるこの橋はチーク材で出来ている
川の袂ではセパタクローを見物する人々の輪が出来ている
橋を渡る御坊さんを後ろからパチリ
夕暮れ時が最高との事で、休みなのに同行してくれた現地スタッフの1番のお勧めどころが、このウーペイン橋
湖上に船を出し、夕日をバックにウーペイン橋を仰ぎ見る幻想的な時間が過ぎていく…
満月の夜、タウンマウン湖に掛かるウーペイン橋を見ながら地元の椰子酒のスカイビヤーを呑むのも、旅の疲れを癒す一時…
翌朝は、お勧めのローカルレストランで朝食をいただく
大賑わいのレストラン…ゴマ味を絡めた麺料理が美味しかった
いよいよマンダレーを離れ、再度ヤンゴンに向かう…
空港への道すがらで見つけた交通事故の警告看板…40人近く亡くなったシリアスな事故だ
カンボジアもそうだったけれど、急激な高速化による事故は後を絶たないのが実情か
ヤンゴンの町はマンダレーに比べ一層活気付いている事を肌で感じる
アウンサンマーケットにて
マーケットには色々なものが売られており、スーチーさんTシャツを思わず買ってしまった
これも民主化の表れか…
マーケットの裏手に回ると、アジアの町と変わらない光景が目に飛び込んでくる
線路を渡る電車の景色もなにかのんびりとしている
ヤンゴンでは日本祭りも開催され、秋葉文化のコスプレやアニメソングが紹介されていたのにはビックリ
シャイなミャンマーの方達も遠巻きながら興味深く見ている姿が面白い
現地通貨を抱えてのショッピング風景?
一束1万円か?千円か?と言ったところ… 高額な買い物には普通の財布は用を成さないか… 笑)
現地スタッフとの別れを惜しみ、ヤンゴン空港に向かう
イミグレーションは外国人ゲート以外は誰も並んでいないのに、現地人ゲートには係官だけが座っている…
手続きを行ってくれるかと問いかければNGとの御返事…日本とは融通が違うか…
外国人ゲートに暫し並び、NGを言われたゲートを振り返ると、係官がTVゲームに夢中…日本なら咎められるだろうけれど、これも休み時間と思えば彼らの価値観か…
いずれにせよ、のんびりとした物差しで見れば、悪い気はしないのが不思議な空気だ…
いよいよ思い出深いミャンマーを離陸し一路経由地のシンガポールへ…
しかし…
1時間30分近く飛んだところで、機長から飛行機後部に異常振動を感じるとのアナウンスにより急遽ヤンゴンに引き返す事に…
なんとかヤンゴンに再度降り立ちホッとしていると、機体整備が出来ず、その日は航空会社が手配したヤンゴンのホテルに宿泊する事に…
乗客一同ホテルも決まらず、中々大変です 笑)
やっと確保されたホテルは2つ星のローカルホテル…久しぶりにハンドシャワーのみで、トイレットペーパーが装備されていないホテルに泊まるのも乙なもの…
シングルビザで2回も入国できたの笑ってしまうけれど、同じ飛行機に乗り合わせた皆が、一体感を感じたミャンマー最後の一夜がビールの泡と共に過ぎていきます
そして、、、翌日…やっと無事に出国し、機上の人に…
ミャンマー出張を終えて思う事が一つ…
悪の権化にたとえられるミャンマーの軍政とは何なのか…
ミャンマーの歴史を紐解くと、大国に翻弄された少数民族の流転を感じ取る事が出来る
歴史に翻弄された憎悪の連鎖の中で、国をまとめた唯一の手段が軍政が敷いた恐怖政治とするならば、民主化の後には、ややもすると民族主義の混乱が引き起こされるのかもしれない。
「恨」の意識を後世に伝えていく事は、子供たちの将来に破壊しか残さない事を強く感じるのが正直な気持ちだ…
民族主義からの脱却が無い限り、世界中に真の平和は訪れないだろう
そんな意識の元、30度近い温度差の日本に降り立った…
思い出深いミャンマーでの日々…
そして今、ミャンマーの人々とのふれあいを通じて、ミャンマーが大好きになった自分がいる
とは言え、ミャンマーに出向くにあたっても鎖骨骨折のギブスをしたままの出張となって、今回を入れれば骨折したまま2度目の南アジア出張…
痛くは無いけど、暑さが堪えるのは致し方ない…
軍事政権のキナ臭さと、民主化の足取りの中でちょっとしたミャンマーブームが起きているのが今日この頃か
聞けば、20年前はバンコクの駐在員がミャンマーのヤンゴンまで買出しに行っていたと言うから、経済制裁の影響は深かったようだ
ヤンゴン(ラングーン)の空港に降り立つと、空港施設の立派さに驚いてしまう
機内で知り合った方が言うには、日本企業が作っている途中で経済制裁の煽りを受けて途中から工事は別業者に引き継がれて完成したとのこと
空港からの道路も綺麗でゴミが目立たないのも初めての訪問者には嬉しいところだ
ただし、この国…基本的に現金決済…クレジットカードはマスターカードが使えるところもあるけれど、使えないと思ったほうが無難…
と言う事で、US$1800を携えての現金決済出張の始まり…
この頃のミャンマーの変化を知る人は、昨年末までメールがまともに出来なかったのが今年になったら繋がるようになったとか、ホテルの値段が見る見る上がったとか、変化はかなり急激な様子…
でも、スーチーさんがマンダレーに演説に来た時は、現地出張者のメールが不通になったりして情報制限が掛かっているように感じたのも下衆の勘繰りか
一方、今のミャンマー通貨は0を一つ取れば日本円と同じと考えればわかりやすい
ミャンマーで売られているおみやげ物も、粒が歪な本真珠のネックレスが1500円だったり、ヒスイのキーホルダーが100円だったりして価格意識が破壊されてしまうのも嬉しい
…とは言え、ホテルのクリーニングでTシャツが3$、コートが4$と言うのは、何が基準なのか全く解らなくなってしまう…
(4$でクリーニングに出した冬物コートは、本当に綺麗になりました 笑)
車の値段はと言えば、以前はランドクルーザーの中古が3000万円、つい最近はマークXの5年落ちの中古が500万円とか…
いずれにせよ、走れるようになるまでの登録絡みの費用がべらぼうに掛かるらしいのが実態…
ここでの自動車ビジネスには魑魅魍魎が潜んでいるんだろうなあ
ヤンゴンで出迎えてくれた現地スタッフは日本語も堪能な、大学で機械工学を専攻した非常に優秀な乙女。
働くスタッフ達も、非常に教育水準が高いと言う印象を受けるし、事実本当に頭が切れる人間が多い。
思えば、高い教育を受けた優秀な人材の受け皿が国内には少ないのかもしれないと感じたりもした…
また、今回街角で出会ったミャンマーの人達は本当に人が良い方ばかり…日本語で気さくに話しかけてきて色々と面倒を見てくれても報酬目当てではない…
都会ずれしていない出会いは、忘れかけていた何かを思い出させてくれた
ヤンゴンの街角での一コマ…たこ焼き屋のように見える現地スナック(お菓子?)の屋台
タナカと言われる、現地の化粧品(お洒落な日焼け止め?)をつけた物売りの女性
面白い事に、子供達や若い子もけっこうタナカを愛用している。
流行に敏感な現地の女性はつけないようだけれど、そんな彼女に、「資生堂がタナカを発売したらつけてみる?」と聞くと「絶対買ってつけたい」との御返事…
なかなか、根付いた文化は面白い
ヤンゴンをあとに、ミャンマーの京都と言われるマンダレーへ向かう…
昼食に訪れたミャンマー料理屋さんでの一コマ…一見カレーのように見えるが、カレー味ではない煮込み料理
マンダレーの街角にて…
3月7日のお祭りに備えて仏像がトラックに載せられて動いていきます
路地裏でのシーケンス
路上マーケットも活気に満ちている
みんな気さくに話しかけてくれたり、肩を叩いてニコニコしてくれたり… 嬉しくなる路地裏散策
鬼太郎の妖怪ポストを発見… 無料の水飲みポットです
公衆の炊事場、兼洗い場、兼浴場…
主要道路では自転車レーンも決まっていて交通の住み分けが出来ています
マンダレーの街角で見つけた骨董品のマツダ車…タクシーとして利用されているようだ
休日を利用しマンダレーを観光…
始めに訪れたのはマンダレーヒル
ここには大きなパゴダと呼ばれる仏塔がいくつも建っており、マンダレーの町を見下ろす事が出来る
寺院に入るには靴を脱いで行かなければならず…靴を脱いでエスカレーターで寺院に上る…
マンダレーヒルから望むマンダレーの街
マンダレーヒルの寺院にて
マンダレーヒルで出会ったインド人の手相占い師
マンダレーヒルには日本人戦没者の慰霊塔も建っており、線香を手向ける事が出来た
マンダレーヒル以外にも、近郊のサガインにはインパール作戦戦没者の名前が刻まれたパゴダもある
訪れた方に聞くと、従軍看護婦さんの名前も非常にたくさん刻まれてたとの事…女性も含めて多くの犠牲者が出た悲惨な戦いであった事を改めて感じ入った
マンダレーヒルを降りて、一路マンダレーパレスへ…
ここは19世紀の最後の王宮跡
現在は一部が軍の厚生施設にもなっており警備の軍人が目に付くのは致し方ない…
面白いことに我々が乗っていた車が高官の車に見えたようで慌てて敬礼までしてくれてチョット嬉しかった 笑)
マンダレーのローカルレストランで昼食をいただく
炊事場の舞台裏
ローカル料理 この揚げ魚が美味しかった~
スープの中身を持ち上げると…オヨヨ
ビールの栓を抜くのに特殊工具が登場 笑)
とても楽しい昼食です
続いて訪れたのはミングォン
ここはボードーパヤー王が世界一大きなパゴダを建てようとしたが、夢半ばに死去し完成されずに残った建造物
急勾配の階段を息を切らして登って行きます
この施設は地震で大きなダメージを被っており、亀裂が彼方此方に存在しています
落ちたら尋常で居られないような亀裂…
地元の人にカメラを向けると嬉しそうな笑顔が返ってくる
頂の石積みの上に石を置いてイラワジ川に向かって合掌
ミングォン・パゴダから見下ろしたイラワジ川
汗だくになりミングォン・パゴダから降りてきた時に、現地スタッフが一言…
「ここ…以前は政府が危ないから登る事を許可していなかったんです…」
それなら先に言ってくれよ~
…中々危険な道中です…
麓の寺院の前では、小坊主が美味しそうにアイスクリームをペロリ
道案内の子供たちの笑顔
イラワジ川の辺で
ミングォンパゴダの後にはミングォンの大釣鐘を見に行く事に…
釣鐘の裏側には多くの文字が書かれている
撞いてはいけないのかな…と思っていると地元の老人が、ここを撞けという仕草で杵を渡してくれた…
なにかとっても嬉しく、ほのぼのとした感じだ
続いて訪れたのはウーペイン橋 全長1.2kmと言われるこの橋はチーク材で出来ている
川の袂ではセパタクローを見物する人々の輪が出来ている
橋を渡る御坊さんを後ろからパチリ
夕暮れ時が最高との事で、休みなのに同行してくれた現地スタッフの1番のお勧めどころが、このウーペイン橋
湖上に船を出し、夕日をバックにウーペイン橋を仰ぎ見る幻想的な時間が過ぎていく…
満月の夜、タウンマウン湖に掛かるウーペイン橋を見ながら地元の椰子酒のスカイビヤーを呑むのも、旅の疲れを癒す一時…
翌朝は、お勧めのローカルレストランで朝食をいただく
大賑わいのレストラン…ゴマ味を絡めた麺料理が美味しかった
いよいよマンダレーを離れ、再度ヤンゴンに向かう…
空港への道すがらで見つけた交通事故の警告看板…40人近く亡くなったシリアスな事故だ
カンボジアもそうだったけれど、急激な高速化による事故は後を絶たないのが実情か
ヤンゴンの町はマンダレーに比べ一層活気付いている事を肌で感じる
アウンサンマーケットにて
マーケットには色々なものが売られており、スーチーさんTシャツを思わず買ってしまった
これも民主化の表れか…
マーケットの裏手に回ると、アジアの町と変わらない光景が目に飛び込んでくる
線路を渡る電車の景色もなにかのんびりとしている
ヤンゴンでは日本祭りも開催され、秋葉文化のコスプレやアニメソングが紹介されていたのにはビックリ
シャイなミャンマーの方達も遠巻きながら興味深く見ている姿が面白い
現地通貨を抱えてのショッピング風景?
一束1万円か?千円か?と言ったところ… 高額な買い物には普通の財布は用を成さないか… 笑)
現地スタッフとの別れを惜しみ、ヤンゴン空港に向かう
イミグレーションは外国人ゲート以外は誰も並んでいないのに、現地人ゲートには係官だけが座っている…
手続きを行ってくれるかと問いかければNGとの御返事…日本とは融通が違うか…
外国人ゲートに暫し並び、NGを言われたゲートを振り返ると、係官がTVゲームに夢中…日本なら咎められるだろうけれど、これも休み時間と思えば彼らの価値観か…
いずれにせよ、のんびりとした物差しで見れば、悪い気はしないのが不思議な空気だ…
いよいよ思い出深いミャンマーを離陸し一路経由地のシンガポールへ…
しかし…
1時間30分近く飛んだところで、機長から飛行機後部に異常振動を感じるとのアナウンスにより急遽ヤンゴンに引き返す事に…
なんとかヤンゴンに再度降り立ちホッとしていると、機体整備が出来ず、その日は航空会社が手配したヤンゴンのホテルに宿泊する事に…
乗客一同ホテルも決まらず、中々大変です 笑)
やっと確保されたホテルは2つ星のローカルホテル…久しぶりにハンドシャワーのみで、トイレットペーパーが装備されていないホテルに泊まるのも乙なもの…
シングルビザで2回も入国できたの笑ってしまうけれど、同じ飛行機に乗り合わせた皆が、一体感を感じたミャンマー最後の一夜がビールの泡と共に過ぎていきます
そして、、、翌日…やっと無事に出国し、機上の人に…
ミャンマー出張を終えて思う事が一つ…
悪の権化にたとえられるミャンマーの軍政とは何なのか…
ミャンマーの歴史を紐解くと、大国に翻弄された少数民族の流転を感じ取る事が出来る
歴史に翻弄された憎悪の連鎖の中で、国をまとめた唯一の手段が軍政が敷いた恐怖政治とするならば、民主化の後には、ややもすると民族主義の混乱が引き起こされるのかもしれない。
「恨」の意識を後世に伝えていく事は、子供たちの将来に破壊しか残さない事を強く感じるのが正直な気持ちだ…
民族主義からの脱却が無い限り、世界中に真の平和は訪れないだろう
そんな意識の元、30度近い温度差の日本に降り立った…
思い出深いミャンマーでの日々…
そして今、ミャンマーの人々とのふれあいを通じて、ミャンマーが大好きになった自分がいる
マンダレーヒルは、金・青緑・濃いサーモンピンク。
こんな印象です。
境内にいる鳥は、日本がスズメや鳩なら、ミャンマーはオウムや極楽鳥です。
まだまだ感想はありますが、長くなるのでこの位にします。
ミャンマー…中々興味深いところでした。
確かに見慣れた景色から離れた外国の、原色の色彩のインパクトってドカンと響くものがあります。
食文化も然り…かな?
マンダレーヒルの寺院とマンダレーパレスの色が印象的でした。
スープの中の鶏の足にビックリです。