現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

森忠明「ふたりのバッハ」少年時代の画集所収

2024-12-07 09:21:20 | 作品論

 小学校の卒業アルバムに、森少年は六年三組のみんなとはべつの丸の中に写っています。
 しかも、お岩さんのように左のほっぺたにあざができています。
 顔面にデッドボールを受けて、学校を休んでいる間に記念撮影があり、森少年だけが自宅で撮影されたからです。
 しかし、デッドボール事件にもいいこともありました。
 保健室で、貧血で隣のベッド休んでいた同じクラスの水町玲子さんと知り合うことができたのです。
 もともと二人は、同じ「つくし」というあだ名がある関係でした。
 二人が休んでいる保健室には、バッハの美しい旋律が流れていました。
 男の子と女の子の淡い恋の想い出を、バッハの旋律、俳句、手紙といった、今の読者からすると本当に古風な小道具を使って描いています。
 森の大きな特長である子どものころの記憶の恐ろしく精密なディテールが、この作品でもいきています。
 「少年時代の画集」の記事で指摘したように、この短編集あたりから森作品はかなり変質してきています。
 現在を生きる子どもたちを描くよりも、過去の自分の少年時代を懐かしむ大人の森の視線がチラチラと現れ始めてきました。
 このノスタルジックな雰囲気は、その後の作品ではさらに顕著になっていきます。
 それにつれて、森作品は、現実に今を生きる子どもたちから離れていってしまったようです。
 

少年時代の画集 (児童文学創作シリーズ)
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斎藤隆介作/滝平二郎画「八郎」

2024-12-05 09:02:28 | 作品論

 

 

 1967年発行の創作絵本の古典です。
 農民のために海を静かにさせた伝説の山男の姿を通して、民衆のエネルギーや人のために成長する姿を描いたとして、「現代児童文学」の代表作のひとつとされています。
 方言をいかした斎藤の文章と力強い滝平の切り絵が作品の持つエネルギーを巧みに表現しています。

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モスラ対ゴジラ

2024-12-04 09:10:36 | 映画

 1964年に作られた東宝の怪獣映画です。
 2014年は、1954年の作られた「ゴジラ」の60周年ということで、盛んに古い怪獣映画がテレビでも上映されました。
 この映画は、ゴジラシリーズでは第4作目で、先行して1961年に作られた「モスラ」と対決することになります。
 これは、第3作の「キングコング対ゴジラ」が好評だったのですが、キングコングはアメリカ産の怪獣だったので、東宝の自前の人気怪獣であるモスラと戦わせることにしたのでしょう。
 「ゴジラ」「ラドン」「モスラ」などの怪獣が単独で登場する初期の映画では、「核実験反対」「公害問題」「先住民問題」などの社会批判が作品に込められていましたが、対決シリーズになってからは、「人類の敵」ゴジラ対「人類の味方」モスラといった単純な構図になってしまい、娯楽色がさらに強くなりました。
 それでも、この映画のころまでは、ラストシーンなどに「より良い社会を作っていかなければならない」などの理想主義的なセリフがスローガンのように付け加えられていましたが、やがてそれもすっかりなくなりました。
 「現代児童文学」も同様ですが、当初は「社会の変革」などの意志を持って出発したどんなジャンルも、次第に商業主義に負けて娯楽色を前面に出していき、ついには陳腐なものに成り下がるようです。

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シベールの日曜日

2024-12-02 18:36:29 | 映画

 冒頭、第一次インドシナ戦争のシーンで始まります。
 戦闘機のパイロットだったピエールは、恐怖の表情を浮かべたベトナムの少女らしい子どもの姿を目にしたとたんに撃墜されてしまいます。
 この事故により記憶を失った30才のピエールは、病院で知り合った看護婦のマドレーヌと暮らしています。
 ピエールは、数少ない理解者の芸術家のカルロスの仕事を手伝ってわずかな小遣いをもらっていますが、生活面でも経済面でもマドレーヌの庇護下で暮らしています。
 そういう点では、マドレーヌはこの映画では母性を象徴しているかもしれません。
 ある夜、ピエールは、父親に修道院の寄宿舎に預けられる形で置き去りにされた12才の少女と遭遇します。
 日曜日、寄宿舎に出かけたピエールは、面会に来た父親と間違えられてしまいます。
 それから、日曜ごとのピエールと少女の交流が続きます。
 ふたりがいつも散歩する湖の景色が、白黒のスクリーンに本当に美しく描かれています。
 特に、少女が湖に小石を投げて波紋が広がる中にふたりの姿が映り、少女が「これが私たちのおうちよ」というところは、ため息が出るほど美しいシーンです。
 少女は修道院ではフランソワーズと呼ばれていますが、それは彼女のギリシアの女神から取った名前がキリスト教的でないというので変えられたのだと、彼女はピエールに言います。
 そして、教会の屋根の風見鶏を取ってくれたら、本当の名を教えてあげるとピエールに告げます。
 ところが、ピエールは記憶を失ったときの後遺症か、高いところにあがるとめまいに襲われてしまうのでした。
 二人の日曜日ごとの交流は、子ども同士のようにほほえましいシーンの連続です。
 ピエールは、事故のショックで記憶を失うだけでなく、子ども以上に純真な心の持ち主になっています。
 そのため、二人の会話は、いつも少女の方がリードして進められます。
「私がお母さんのかわりになってあげる。」
「私が12であなたが30、13で31」と、数えていって「私が18になったら、あなたはまだ36だから結婚しましょう……」
といった会話も交わしますが、二人の交流は子どもたちによる純真なものです。
 あとで二人の交流を知って不安を訴えるマドレーヌに、芸術家のカルロスだけはピエールに理解を示します。
 戦争で過去を失った男と、家族に捨てられた少女の、孤独な者同士の魂のふれあいという関係は、なかなかまわりからは理解されません。
 クリスマスの夜を、二人は一緒に過ごすことになります。
 カルロスの家からツリーを持ち出したピエールと、寄宿舎を抜け出した少女の、二人だけのささやかで暖かいクリスマスの晩をすごします。
 いたずらっぽくほほえんだ少女がピエールに渡したマッチ箱。
 その中の紙切れに、一言「Cybele」と書かれています。
 初めてピエールに明かした名前シベール。
 これが、少女の心からのクリスマスプレゼントでした。
 ピエールは、「あとで僕もプレゼントをあげるよ。」と秘密めかした笑顔で答えます。
 そのころ、不安に駆られたマドレーヌが同僚の医者に相談したことで修道院に連絡がとんて゛大騒ぎになり、警察が少女の行方の捜索を開始していました。
 カルロスが「なんて軽はずみなことを……」といったのも後の祭りでした。
 以前の約束を覚えていたピエールは、少女が眠っている間にナイフを片手に教会の屋根によじ登って、風見鶏を取り外します。
 その時、突然ピエールは、今まで自分を悩ませていためまいなどの発作が治っていることに気がつきます。
 シベールとの交流で、ついにピエールが戦争で負った心の傷(ベトナムの少女を殺してしまったと思いこんでいます)が癒えたのです。
 そして、ナイフと風見鶏を手に、シベールの所へ戻りかけたとき、警官にピエールは発見され、少女に害意を持って近づく変質者と思われて射殺されてしまいます。
 警官が無線で報告している声が聞こえてきます。
「危ないところでした。もう少しでナイフで少女を……」
 マドレーヌやカルロスたちが、現場に駆けつけたときは全てが終わった後でした。
 警官たちに起こされて「君の名前は?」と聞かれたシベールが、あたりの状況を見て、「もう、私には名前なんかないの。誰でもなくなったの!」と泣きながら叫ぶラストシーンが印象的です。
 そして、終始静かだった映画で最後のシベールの叫びに、いきなりかぶさってくる音楽が「miserere nobis」(我らを哀れみたまえ)なのでした。
 この映画は、1962年のアカデミー外国語賞をはじめとして、数々の賞を受賞しています。
 私が今は無きぴあ(当時は100円でした)を片手に、毎日のように都内各地の名画座や自主上映会で内外の名画を見てまわっていた1970年代には、「シベールの日曜日」は雑誌で人気投票すると必ず上位に入る(たしかぴあでは1位になったこともあります)ほどの有名な映画でした。
 当時はビデオ・レンタルもなく(だいたい家庭用ビデオレコーダーもありませんでした)、映画を見るためには自分でその場所へ行くしかなかったのです。
 その代わりに、フィルムセンターや名画座や自主上映会で、少なくとも都内に住んでいれば毎日どこかで名画を見られたので、商業主義全盛の今よりもむしろ環境は良かったかもしれません。
 話は脱線しますが、小劇場の演劇も今みたいに商業主義化していなくて、やはりぴあの情報をもとに毎週のように千円以下の低料金で見にいってていました。
 当時は、つかこうへい劇団と野田秀樹の夢の遊眠社(会場は東大の駒場キャンパスが多かったです)が全盛期でした
 話を映画に戻しますと、「シベールの日曜日」は2010年にDVDが出ているのですが、どこの宅配レンタルDVD会社も在庫を持っていません。
 名画を見る唯一の頼みの綱だったシネフィル・イマジカも、とうとう商業主義に屈して、2012年3月1日に名画専門チャンネルの看板を下ろして、イマジカBSという平凡な娯楽映画チャンネルになってしまいました。
「これはDVDをアマゾンで買うしかない」と思いかかっていたのですが、「第3回午前十時の映画祭」で「シベールの日曜日」を上映することが分かって、立川まで見に行くことにしていました。
 ところが、日曜日の朝刊を何気なく見ていたら、スターチャンネルの欄に「シベールの日曜日」の文字がありました。
 「第3回午前十時の映画祭」とのタイアップで、なんとその日の午前十時に放映されるのです。
 あわてて契約の手続きをして何とか時間までにスターチャンネルが映るようになり、「シベールの日曜日」を録画することができました。
 37年ぶりに見た「シベールの日曜日」は、少しも古びることなく二十歳ごろに見たときと変わらない感動を私に与えてくれました。
 当時は、冒頭のインドシナ戦争(アメリカでなくフランスとの間でおきました)でベトナムの少女を殺したと思いこんだことから始まっていることで、一種の反戦映画ともいわれていました(当時は日本だけでなく世界的に反ベトナム戦争運動が盛んでしたから、そういった映画もたくさんありました)。
 また、キリスト教の閉鎖性に対する批判という解釈もありました(修道院では、シベールがギリシアの女神の名前だという理由で、彼女は別の名前をつけられてしまいます。ラストシーンで、教会の風見鶏をピエールが盗みます。クリスマスの日に、ピエールは殺されてシベールは永遠に名前を失います。ラストシーンで、教会音楽の一節 「我らを哀れみたまえ」が流れます)。
 しかし、一番素直な解釈は、シベールとピエールという二つの孤独な魂が邂逅する物語だとする見方でしょう。
 その過程で、ベトナムの少女を殺したと思いこんでいたピエールの心の傷が、シベールという自分と同じように孤独な少女と触れ合うことによって癒され、ピエールが自己を回復していきます
 しかし、マドレーヌや同僚たちに象徴される世俗の人たちには、シベールやピエールという疎外されている人たちの心情を正しく理解することができません。
 ラストのピエールの死とそれによりシベールが永遠に名前を失う結末は、シベールのイノセンス(純真で無垢)な魂がやはりイノセンスなピエールの魂は救済したものの、世俗的な現実には受け入れられなかったことを象徴しています。
 イノセンスな魂による別の魂の救済というと、1956年に同じくアカデミー外国語賞をとったフェデリコ・フェリーニの「道」で、ジュリエッタ・マシーナが演じた知的障碍者の女性ジェルミソーナのイノセンスな魂が、アンソニー・クイン演じる凶暴な大男ザンパノの魂を救済したラストシーンを思い浮かべます。
 また、このイノセンスな魂による人や社会の救済というのは、映画だけでなく文学、特に児童文学にとって(狭義の現代児童文学だけでなく、近代童話や現在の作品も含めて)重要なテーマの一つだと考えています(ようやくこのブログの主題につながりました)。
 私は、イノセンスな魂と、いわゆる童心主義が同じものだと考えていませんし、イノセンスな魂というのは子どもだけに宿るものだとも思っていません。
 ただ、イノセンスな魂は、抑圧される側(大人より子ども、健常者より障害者、マジョリティよりマイノリティ)に宿りやすいとは信じています(あるいは、信じたいと思っています)。
 最後に余談になりますが、この映画の人気は、シベールを演じたパトリシア・ゴッジのちょっとおませでキュートな女の子の魅力に負うところも多いと思われます。
 そして、ピエールは、成熟した女性の魅力にあふれる同棲相手のマドレーヌでなく、まだ未成熟な少女のシベールを選択します。
 そのため、近年では「シベールの日曜日」とロリータ・コンプレックスを関連付けて語られることもありますが、実際に映画を見ていただければそんな単純な映画ではないことがよくわかります。
 

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宮沢清六「兄、宮沢賢治の生涯」角川文庫版「注文の多い料理店」解説

2024-12-01 13:06:49 | 参考文献

 賢治の六歳年下の弟による評伝です。
 肉親が書いたにもかかわらず、感傷的にならずに淡々と賢治の誕生から臨終までを描いています。
 賢治の生涯については様々な形で書かれていますが、近親者でしか知ることのできないエピソードも描かれていて興味深い内容です。
 文中にも書かれているように、著者は生前からの賢治の理解者であり協力者(賢治の原稿を「婦人画報」に持ち込んだのも筆者です)であり、死後は賢治の膨大な原稿の散逸を防ぐとともに、様々な全集などの編纂にも関わりました。
 生前はほとんど無名であった賢治が、死後日本の児童文学者の中でも最も著名な作家になったのは、賢治作品自身の魅力はもちろんですが、筆者の献身的な努力も大きく貢献したと思われます。
 他の記事にも書きましたが、1974年3月14日に、友人たち(早稲田大学児童文学研究会宮沢賢治分科会のメンバー)と賢治の生家で著者にお話をうかがう機会を得ました。
 大勢で押しかけた若い学生たち(当時の賢治研究の第一人者であった続橋達雄先生の紹介はありましたが)にも、丁寧に対応してくださり、賢治の想い出話を語っていただいた帰りには、この復刻版の「注文の多い料理店」(角川文庫)を記念にいただきました。

兄のトランク (ちくま文庫)
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木と市長と文化会館 または七つの偶然

2024-11-30 09:17:13 | 映画

 1992年のエスプリのきいたフランス映画です。
 村の活性化のために文化会館を作ろうとする市長(本当は村長の方が正しいのではないでしょうか?)と反対派のエコロジストの校長を中心に、みんなが議論を戦わせる姿を描いたドキュメンタリータッチの映画です。
 市長や校長(この二人は直接は議論しません)を中心に、市長の愛人の女流作家、この問題を取材に来た女性フリーライター、彼女が記事を載せた政治雑誌の編集長、文化会館建設のコンペに優勝した建築家、村の英語教師、牧畜を営む老人など、様々な人が、それぞれの立場で堂々と意見を述べ合います。
 私にはあまりフランス人の知人はいないのですが、みんなこんなに議論好きなのでしょうか?
 日本では日常会話ではタブーとされる政治がらみの話(社会党と緑の党が中心)でも、フランクに自分の意見を述べ合い、反対の立場の人の意見にも感情的にならずに尊重するので、かなり衝撃的でした。
 特に、校長の10歳の娘(校長の意見にも反対の立場)が市長を論破する場面では、今の日本の児童文学が忘れている「子どもの立場に立つ」が鮮やかに実現されていて感心しました。
 校長の娘の意見の通りに、文化会館の代わりに村の人たちがみんなで集まれる緑地が作られるラストは、ちょっとハッピーエンドすぎる(しかもそこだけミュージカル風)気もしますが、まあ一種の寓話と考えればいいのかもしれません。

木と市長と文化会館/モンフォーコンの農婦 (エリック・ロメール コレクション) [DVD]
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ジュマンジ

2024-11-29 09:08:54 | 映画

 1995年公開のアメリカ映画です。

 1981年に出版された同名の絵本を元に作られ、同名のボードゲームのサイコロの目によって次々と不思議なことが起きます、

 CG、アニマトロニクス、ミニチュアなどを駆使した当時としては最新の特殊撮影映像と、主演のロビン・ウィリアムスを初めとした一流俳優陣によるしっかりした人間ドラマを兼ね備えた、一級のエンターテインメント作品です。

 2017年に、舞台をビデオゲームに移した続編の「ジュマンジ/ウェルカムトゥジャングル」(その記事を参照してください)が作られてヒットし、さらに続編の「ジュマンジ/ネクストレベル」(その記事を参照してください)まで作られました。

 

 

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がんばれ!ベアーズ

2024-11-28 09:02:50 | 映画

 1976年に製作されたリトルリーグを題材にしたコメディ映画です。
 飲んだくれの元マイナーリーグ選手が、お金のために問題児ばかりのポンコツチームの監督を引き受け、次第に熱中していって、元同棲相手の娘の女性ピッチャーや運動神経抜群だが不良(日本なら小学生の年齢で改造バイクを乗り回して、いつも煙草をふかして、大人の女性もナンパしています)のホームランバッターの助けも借りて、リーグの優勝決定戦に進出するという、ありがちなストーリーです。
 今だったら、日本でも上映できないようなシーン(子どもへの暴言や体罰、子どもたちの飲酒や喫煙など)が多発しますが、監督と女の子投手の擬似親子関係や、不良少年と他のチームメイトたちの和解、ライバルチームの監督親子の問題も絡めてうまくストーリーを展開しているので、特に日本ではヒットしました。
 1973年の「ペーパームーン」で史上最年少でアカデミー助演女優賞を獲得して、当時人気があった天才子役テイタム・オニールのアイドル映画という側面もあるのですが、「おかしな二人」のウォルター・マッソーや「コンバット」のヴィック・モローなどの芸達者が大人のドラマの部分を演じて全体を支えています。

 

 

 

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シング・ストリート 未来へのうた

2024-11-27 08:18:22 | 映画

 1985年のアイルランドのダブリンを舞台に、バンド活動にのめり込んでいく少年たち(14、5歳)を描いてます。
 女の子にもてたいために、男の子がバンドを始めるのは万国共通なようです。
 でも、この映画は単なる「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」ではなく、その時代の背景も描いていて作品に深みを与えています。
 取り巻いている閉塞的な状況(両親の不仲と別居(カソリック教徒なので離婚できません)、経済的な理由で転校させられた学校(強圧的な校長、落ちこぼればかりで暴力的な生徒たち)、失業者が街にあふれ若者たちが英国へ渡っていってしまう故郷など)に抵抗するように、主人公たちはバンドにうち込んでいきます。
 音楽に関するメンターである兄(大学中退で家に引きこもっています)やミューズである年上の少女(児童養護施設で暮らしています)などに導かれながら、主人公たちは音楽の腕前をあげていきます。
 デュラン・デュランやAーhaなどの80年代のヒット曲が懐かしいし、少年たちのオリジナル・ソングも素晴らしい(主題歌はマルーン5のアダム・レヴィーンが担当しています)ので音楽映画としてもよくできています。
 また、少年たちが化粧をして自分たちのミュージックビデオを撮影するというのも、MTVが世界中を席巻していた当時を彷彿とさせます。
 学校のダンスパーティで演奏する(ギグ)のシーンは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「青春デンデケデケデケ」(その記事を参照してください)を、主人公が彼女と二人で小さなモーターボートで50キロ離れたイギリスへ向かうラストシーンは「小さな恋のメロディ」(その記事を参照してください)を思い起こさせて、映画ファンにとっても懐かしさを感じさせてくれます。

シング・ストリート 未来へのうた
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ユニバーサル ミュージック

 

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マネキン

2024-11-26 12:54:05 | 映画

 1987年公開のアメリカ映画です。

 自分で作ったマネキンに恋した男性と、彼のおかげで命を得たマネキンとの恋愛を描いた、ロマンチック・ファンタジーです。

 全体的には他愛のないドタバタ・コメディなのですが、主役を演じている二人がとてもかわいいのでついつい最後まで見てしまいます。

 マネキンは男性と二人きりの時にしか生きた女性にならなかったのですが、ラストで彼に命を救われて完全な女性になることができて、めでたしめでたしです。

 また、挿入されているダンスシーンや音楽も魅力的です。

 特に、主題歌のスターシップ「愛はとまらない」は全米No.1ヒットになったので、映画よりもこちらの方が有名でしょう。

 実際、「愛はとまらない」のミュージックビデオはこの映画の名場面集なので、それだけ見れば映画は見なくてもいいかもしれません。

 これと同じことが、「フットルース」や「フラッシュダンス」でも言えます。

 

 

 

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