日本児童文学2013年1-2月号から「現代児童文学史ノート」を三回連載した藤田のぼるには、30年前に同じ様なタイトルの論文を同じ日本児童文学に発表しています。
そこでは、主として六十年代と七十年代の現代児童文学について、藤田がどのように考えるかが、執拗に追及されています。
作品からの引用が多かったり、未整理な点がありますが、藤田がこの時代の現代児童文学についてどのように考えるかが繰り返し語られています。
紙数の違いはありますが、2013年の連載でも、もっと藤田の見方を前面に出した書き方にしてもらいたかったと思いました。
1980年代から1990年代に、主として日本児童文学誌上において、盛んに評論を発表したり座談会をしていた当時の若手評論家たち(佐藤宗子、宮川健郎、石井直人、村中李恵など)は、その後大学教授などの収まる所へ収まってしまい(そのころは児童文学関連の講座を開設する大学が増えていました)、佐藤を除くと最近はほとんど論文を書かなくなってしまいました。
その後の世代は、今度は常勤の大学教員などの仕事が得られずに(少子化や文学・教育関連の学部の縮小によります)、生活のためにより仕事が得やすい英米文学や近代文学へ流れています。
また、日本児童文学誌自体も、かつての月刊で一般の書店にも並んでいた時代から、隔月刊で児童文学者協会の周辺の人たち向けの機関誌という本来の状態へ縮小されてしまいました。
当時から、一貫して日本児童文学者協会で働いている藤田には、より当事者意識を発揮して、現在の会員たちを啓蒙してもらいたいと思っています。
そこでは、主として六十年代と七十年代の現代児童文学について、藤田がどのように考えるかが、執拗に追及されています。
作品からの引用が多かったり、未整理な点がありますが、藤田がこの時代の現代児童文学についてどのように考えるかが繰り返し語られています。
紙数の違いはありますが、2013年の連載でも、もっと藤田の見方を前面に出した書き方にしてもらいたかったと思いました。
1980年代から1990年代に、主として日本児童文学誌上において、盛んに評論を発表したり座談会をしていた当時の若手評論家たち(佐藤宗子、宮川健郎、石井直人、村中李恵など)は、その後大学教授などの収まる所へ収まってしまい(そのころは児童文学関連の講座を開設する大学が増えていました)、佐藤を除くと最近はほとんど論文を書かなくなってしまいました。
その後の世代は、今度は常勤の大学教員などの仕事が得られずに(少子化や文学・教育関連の学部の縮小によります)、生活のためにより仕事が得やすい英米文学や近代文学へ流れています。
また、日本児童文学誌自体も、かつての月刊で一般の書店にも並んでいた時代から、隔月刊で児童文学者協会の周辺の人たち向けの機関誌という本来の状態へ縮小されてしまいました。
当時から、一貫して日本児童文学者協会で働いている藤田には、より当事者意識を発揮して、現在の会員たちを啓蒙してもらいたいと思っています。
日本児童文学 2013年 08月号 [雑誌] | |
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