現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

進撃の巨人 Season3 Part 2

2019-07-15 19:51:45 | アニメ
 進撃の巨人では、Season 3に入ってから、ほとんどが人間対人間の戦いになって、肝心の巨人がほとんど登場しなくなってしまいましたが、Part 2はかなり改善されていて、巨人との戦いも描かれるようになりました(まだまだ不十分ですが)。
 特に、獣の巨人の投石攻撃の迫力は圧倒的で魅力があったのですが、それゆえその後にあっさりとリヴァイに倒されたのはなんだか納得がいかない感じでした。
 それと、Season 1・2では、一応巨人対人類の戦いだったのですが、今回は完全に巨人対調査兵団の戦いになっていて、その分ヒロイックなイメージが強くて(特に、死を覚悟した突撃や、アルミンの自分を犠牲にした戦いや、エルヴィン団長の戦死)、それに伴う巨人による残酷なシーンも無理な意味付けがされているようで素直に楽しめませんでした。
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進撃の巨人 Season3 Part 1

2019-07-15 18:47:44 | アニメ
 進撃の巨人Season3のPart1がNHKで放送されましたが、ある意味衝撃です。
 話が、巨人対人間の戦いでなく、完全に人間対人間の戦いになってしまいました(王の血筋がどうのこうのなんてつまらない話なんて、他の女性向けファンタジーに腐るほどあるので、わざわざ「進撃の巨人」で詳しくやらなくてもいいのではないでしょうか?)。
 また、全体に女性視聴者向けに作られていて、リヴァイ兵士長(いつの間にか背が高くなっていて笑えます)やエルヴィン団長のようなイケメンの男性が活躍する話になっていて、もともとの主役の三人、エレン、ミカサ、アルミンはほとんど活躍しないようになってしまいました。
 今までの「進撃の巨人」が衝撃的だったのは、なんといっても巨人たちのグロテスクさや人間が食われるような残酷なシーン(こんなのテレビアニメでやっていいの?と何度も思いました)が頻出することだったのですが、Season3 Part1ではそういったシーンはまったくなくなってしまいました(NHKで放送されることがアナウンスされた時から、ネット上では心配されていたことですが)。
 また、オープニング・アニメやエンディング・アニメも、今までは残酷でグロテスクで最高だったのですが、今回は美しい女性向けアニメ風になってしまいました(オープニング・テーマにも大物アーチストが使われ、いかにも売ることを狙っている感じです)。
 いったんビジネス的に成功すると、あらゆること(野球でもサッカーでも競馬でも映画でも小説でもマンガでもゲームでもテレビ番組でも)が、より一般的に受け入れられるように改変されていき(多くはエンターテインメントの消費の多数派である女性にうけいれられるようにします)、男性(特に大人)にはどんどんつまらなくなるのですが、「進撃の巨人」もそのパターンに陥ってしまいました。
 数少ない(というよりはほとんどない)大人の男性にも見られるアニメが、こうしてまたなくなってしまいました。
 いっそのこと、タイトルも「進撃の巨人」ではなく、「戦えリヴァイ兵士長」か何かに変えた方が良かったのではないでしょうか?

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「座談会 古田足日 現代児童文学のデザイン」日本児童文学2015年1・2月号所収

2019-07-15 08:37:42 | 参考文献
 2014年に亡くなられた古田足日先生の追悼号において、総論の代わりとして行われた、児童文学評論家の西山利香、宮川健郎、藤田のぼる(司会)による座談会です。
 「現代児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)において、評論と創作の両面で大きな足跡を残された古田先生について、きちんと仕事の全体像を明らかにした総論を書かない(あるいは書けない)のが、現在の評論の弱さを示しています。
 そう言えば、2010年に後藤竜二が亡くなった時も、評論の現場を二十年以上離れている人(その人は一所懸命に作品の読み直しをしたりして、彼としてはベストのものを書いていました)に総論を押し付けていましたが、あの時もずっと評論の現場に居続けている彼らのうちの誰かが責任を持って書くべきだったでしょう。
 あんのじょう、個人的な思い出や自分の関心のある話題(戦争児童文学)に引っ張りすぎて、古田先生の仕事の全体像はさっぱり浮かび上がってきません。
 特に、未完(「日本児童文学」に連載途中で打ち切りになった)の戦争児童文学二作の話を長々としていたのにはびっくりしました(読者はほとんど誰も読んでいないし、古田先生自身の判断で打ち切られた作品です)。
 古田先生の現代児童文学における活動について、総論としてまとめるべきだった思われる内容について、私見を述べれば、以下のようになります。
1.1950年代の童話伝統批判において、いかに中心的な役割りをはたしていたか。
2.盟友で最も文才のあった山中恒が去った後で、「赤毛のポチ」の世界を発展させた形で、どのように社会主義的リアリズムを児童文学の世界に取り込もうとしていたか。
3.各地の教育実践の成果を、どのように児童文学に取り込んでいったか。
4.新しい幼年文学の世界をどのように切り拓いていったか。
5.新しい戦争児童文学(及びその書き手)をどのように育てていったか。
6.後進の指導(評論及び創作の両面において)
 1990年に安藤美紀夫が亡くなった時に、追悼号で彼の仕事の全体像を理路整然とまとめてくださった(その記事を参照してください)のは古田先生ご自身でした。
 図らずも、古田先生の不在の大きさを、今回痛感させられました。

古田足日子どもの本
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童心社
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