現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

小熊英二「1968」

2024-12-17 08:15:10 | 参考文献

 上下巻で2000ページもある大著なので、読みきるには集中力を持続する必要がありますが、現代日本児童文学の舞台(とくに初期)やそのころの作者たちの創作の背景を理解するためには必須の本ではないでしょうか。
1.叛乱の背景と始まり
 上巻では、当時の若者たちの叛乱とその背景について書かれています。
 時代的・世代的背景、各セクトについて、全共闘の個々の闘争(慶大闘争、早大闘争、横浜国大闘争、中大闘争、羽田闘争、佐世保闘争、三里塚闘争、王子野戦病院闘争、日大闘争)、特に東大闘争については発端から結末までを、詳述しています。
 全共闘世代はいわゆる団塊の世代で、義務教育のころは戦後民主主義教育を受け、その後激烈な受験戦争に巻き込まれ、大学の大衆化に直面し、アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄化などの現代的不幸に直面した最初の世代でした。
 セクトの変遷とそれぞれの特徴がまとめられていて、初めて知ったことも多かったです。
 慶大闘争が、一連の若者たちの闘争の端緒だというのは、初めて知ったことでした。
 早大闘争は、私が知っていた1972年の川口君リンチ殺人事件を発端にした革マル対他セクトプラス一般学生の争いではなく、当初は学費値上げ反対闘争だったとのことなので、初めて知ったことも多かったです。
 横浜国大闘争は、学芸学部から教育学部への変更反対闘争で、伝統的な学問を究める大学から、産業の要請する労働力(この場合は教員)養成の大学への変換への抵抗の典型的な例として興味深かったです。
 中大闘争も学費値上げ反対の闘争でしたが、学生側の勝利した数少ない闘争として貴重なものでした。
 このパターンが後続の大学紛争のモデルになっていれば、結果はだいぶ違うものになったでしょう。

2.闘争の高まり
 羽田闘争での犠牲者山崎君の死が、その後の全共闘への参加のきっかけになっている例が多かったことを知りました。
 三里塚闘争では、農民の闘争に学生が参加して、互いに刺激し合って闘争が過激化し、機動隊側にも死者を出しました。
 佐世保闘争と王子野戦病院闘争では、一般市民も巻き込んだ闘争の例として、初期の全共闘の運動が社会からも支持されていたことを示しています。
 日大闘争では、大学側の対応や状況があまりに前近代的(最近のアメフトを初めとした日大の事件を知ると、体質が少しも変わっていないことに驚かされます)なので、読んでいて学生側に同情しました。
 特に、いったん決まりかかった改革案を、時の佐藤首相が介入して反故にしたという事実を初めて知って驚きました。
 もし、これがなければ、学生側の勝利で終結していたでしょう。
 その後のセクトの介入により、闘争への一般学生たちの共感が失われてしまったのが残念でした。
 東大闘争も、初めは医学部の封建的な体制の改革に乗り出し、大学側がほとんどの要求に合意した時点で学生側の勝利で終結できたでしょう。
 ところが、闘争にセクトが介入し、しだいに自己否定などによる学生の自分の表現としての闘争に変化して、泥沼化してしまいました。
 この闘争を重要視し、七十年に向けての拠点にしようとするセクトの思惑が原因でした。
 この闘争が、その後の大学での闘争のモデルになったため、学生側の敗北によって終結するようになってしまったようです。
 大学ごとに結成されてノンセクト・ラディカルが重要な役割を果たした全共闘(終末期にはセクトあるいはセクト連合にイニシアティブを握られてしまいましたが)と、セクトによって細分化されていく全学連の違いが初めて理解できました。
 大学闘争については、その発端から終末まで詳しく書かれていますが、それ以外の闘争についてはあっさり書かれているので、それぞれの闘争の実態まではよくわかりませんでした。
 これらについては、個別に適切な本を読んで補う必要があると思われます。

3.叛乱の終焉
 下巻では、叛乱の終焉とその遺産について書かれています。
 高校闘争、68年から69年への反乱の推移、1970年に起こったパラダイム変換、関連する個別の闘争(ベ平連、連合赤軍、リブ)に関して記述して、最後に結論を述べています。
 高校闘争は自分自身の高校時代の直前に行われたので、もし一、二年違っていたら、私も巻きこまれていたかもしれません。
 自治が認められていた大学と違って、激しい弾圧にさらされていて、短期間に集結してしまったことは初めて知りました。
 しかし、私の通っていた早稲田大学高等学院では、高校闘争の遺産として、中間試験の廃止、制服、制帽の自由化など、民主化運動の成果がたくさんありました。
 そのへんについての記述がまったくないのには、不満を感じました。
 それとも、高等学院の場合は、早稲田大学の付属という特殊性が原因していたのでしょうか。
 東大闘争で確立された全共闘の闘争パターンが他の大学、地方の大学、高校へと波及し、細く長く反乱の時代が続いていたことが理解できました。
 70年代のパラダイム変換は高度資本主義を推し進めているに対しては有効だが、そこがピークを過ぎて再び格差社会になった現代では限界が出ています。
 現在のワーキングプアの問題やそれによる子どもたちの阻害に対しては有効ではないのじゃないでしょうか。
 そのあたりの記述が不足している感じがしました。
 ベ平連に関しては、その発足から解散まで、時系列に詳しく書かれています。
 全共闘とは違って、当時の自分のすぐ隣(中学の同じクラスの女の子がベ平連の活動に参加していました)にあったこの運動の全貌が分かって興味深かったです。
 一時期のベ平連は、中学生まで巻き込むほどの運動体としての魅力があったのでしょう。
 もし、もう少し年齢が高くもっと社会に目覚めていたら、私自身も関わっていたかもしれないと思わせるものがありました。
 他の闘争と違って、小田、吉川、鶴見俊輔などの中心人物が大人だったのが、全共闘とは一味違う運動にしたのでしょう。
 組織の存続を目的とするのではなく、柔軟な運動体としての存在というのはユニークでした。
 ただ、他の章と違って、筆者がべ平連に好意的すぎるように感じられるのが気になりました。
 連合赤軍に関しては、革命左派と赤軍派という路線の違う二つの党派の野合にすぎなかったこと、総括という名のリンチの凄惨な詳細を初めて知りびっくりしました。
 リンチ事件とあさま山荘事件との関係が、初めて理解できました。
 ただし、あさま山荘事件の記述は、あっさりしすぎているような気がしました。
 リブに関しては、著者自身が認めているように全体像を書きあらわそうとしていないので、よくわかりませんでした。
 特に、その後のフェミニズムへの流れはきちんと理解したかったと思いました。
 なぜ、田中美津にフォーカスしたかも理由が不明です。
 彼女の武装論は、あまりに場当たり的で理解不能でした。
 ただ、赤軍派や革命左派と接点があったのには、びっくりしました。
 一歩間違えれば、まさに彼女は永田洋子になった可能性があったのです。

4.結論
 これらの若者たちの叛乱が、政治運動でなく表現行為だったというまとめが正しいとすれば、自分自身の叛乱も文章による表現行為として成立するかもしれません。
 特に、現代的不幸を描くという点においては、それが言えるでしょう。
 また、この反乱が、高度資本主義社会に組み込まれていく前のモラトリアムの状態だという指摘はうなずけます。
 全共闘の闘争を維持し、しかし、最後に敗北させたのは、一般学生のエゴイズム(ストライキが起きれば、休講になったり、試験が延期やレポートへの切り替えになったりするから、年度の初めには全共闘の運動を支持する。かといって、単位を取って進級や卒業はしたいから、年度の最後にはストライキを終結させる)だという指摘は、自分自身の体験と照らし合わせても、妥当だと思えました。
 そして、この一般学生の無関心、そして就職して高度資本主義社会に組み込まれた後の政治への無関心が、長期にわたる自民党政権を維持してきたのです。
 これが、民主党政権に変わって、変化が起きるかどうかは興味深かったのですが、民主党も体制内野党だったためかまったく変わり映えがしなくて失望感が広がり、あっさりと自民党政権が復活しました。
 現代的不幸に対処するためにどんなパラダイムが必要なのかについて、著者の結論が述べられなかったのは、なんだか肩すかしを食ったような気分でした。
 しかし、これだけ膨大な文献を読みこなし、この長大な論文にまとめあげた著者の力量は、今までの著作と同様にすごいものがあります。
 例えば、セクト(上下)、日大闘争、東大闘争(上下)、べ平連、連合赤軍などの各章は、それだけで単行本にしてもいいぐらいの読みごたえがありました。
 ただ、今回はこの反乱の時代に若者だった当事者の多くがまだ存命なので、いつもの徹底した文献の渉猟だけでなく、実地にインタビューなどの取材で文献の裏を取る必要があったのではないでしょうか。
 このあたりは、ネットなどで当事者たちから痛烈な批判を受けています。
 公平に見ても、今回の著者のとった方法論には、少なからず誤りがあったと言わざるを得ません。
 それにしても、1968年に14才で中学二年生だった私は、この若者の叛乱の時代に遅れてきた世代だったということははっきりといえます。

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景
クリエーター情報なし
新曜社



1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産
クリエーター情報なし
新曜社

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