1936年に書かれた作者の代表作です。
作者の分身と思われる文士と、当時玉の井(現在の墨田区寺島町)にあった私娼街(吉原などの公設の花街ではなく個人が経営していました)のお雪との、出会いと別れを情緒的に描いています。
当時、作者自身も足繁く玉の井に通い、実際にお雪のモデルとなる女性とも馴染みだったようです。
そのため、当時のそのあたり(よくこうした所を下町といいますが、本当の東京の下町は神田あたり(せいぜい浅草までの隅田川の西側で、東側は一種の異世界だったのでしょう)で、場末という言葉が正しいでしょう)の街並みや人々の生活がリアリティをもって活写されています。
また、二人の間には、身分の違い、年齢の違い(当時荷風は57歳(現在で言えば70近い老人でしょう)で、お雪は二十代半ば)があり、また作者にはこうした場所の女性と同棲して懲りた経験(作者の言葉で言えば、懶婦(らんぷ、怠け者)や悍婦(かんぷ、じゃじゃ馬)に変身してしまったそうです)があって、初めから実らない恋愛(あるいは疑似恋愛)だったのです。
つまり、こうした場所は、言ってみれば非日常の空間であり、男も女もいっときだけ生きづらい日常を忘れるためのものなのでしょう。
実際、二人のやり取りには、どこか芝居じみた感覚があって、それが作者にはどんな演劇や小説などよりも優れた、一種の芸術と捉えているところがあります。
この作品はたびたび映画化されているのですが、それらで描かれたような官能的なシーンは原作には全くなく、それゆえに二人の関係が純文学的な作品として昇華されています。
作者の視線は客観的で乾いていて、冷徹な観察と所々にお散りばめられた俳句や漢詩、高い学識とも相まって、この作品を芸術に高めています。
この作品を情緒的にしているのは、二人の恋愛ではなく、遠くなりつつある明治時代への郷愁とそれに伴った主人公(作者)の老いに対する諦観でしょう。
また、作中で主人公が書きあぐねている通俗小説(51歳の中学校教師と24歳のカフェーの女給の駆け落ち)と二重構造になっているのも、それとの対比でこの作品の文学性を高めています。
題名の「濹東綺譚」は隅田川の東の物語という意味で、小説の舞台は墨田区ですが、江東区や葛飾区、そして私の育った足立区千住もそこに含めてもいいかもしれません。
その地域は、私が育った昭和三十年代でも、愛着を込めて「場末]と呼びたい、猥雑なエネルギーやヴァイタリティに溢れていました。
そして、都築響一「東京右半分」(その記事を参照してください)によると、その残滓は今でも残っているようです。
濹東(ぼくとう)綺譚 (岩波文庫) | |
永井 荷風 | |
岩波書店 |