日本児童文学学会が、そのころ(1971年)急激に増えていた児童文学研究を志す人(つまりは、各大学で児童文学の講座が開設されて、そこで学ぶ学生や学会の会員も急激に増えていました)に向けて出版した手引き書(他に「日本児童文学概論」と「世界児童文学概論」も出版されました)の序文です。
タイトルからもわかるように、序文というよりは、檄文に近い内容です(本自体にも「必携」なる文字が付されていて、当時の執筆者たちの気負った雰囲気が伝わってきます)。
1、児童文学研究の意味するもの
一般文学と比較して児童文学研究がいかに遅れているかを慨嘆しつつ、ようやくこうした手引き書を出せるようになったことを感慨深く述べています。
また、当時の児童文学者の背景にあった政治的立場を反映して、「児童文学を志す者は、国家というオーソリティーにたいする批判の精神を、常に持ちつづけてほしいしまた持ちつづけなくてはならない」としています。
2、児童文学研究とは何か
「「子どものための文学に関する科学」であると同時にそれ自体ひとつの「知的文学」でもあらねばならぬ」と主張しています。残念ながら、この言葉に見合った論文は、そのころもその後も非常に少ないです。
3、児童文学研究の領域と方法
領域としては、児童文学理論、児童文学批評、児童文学史、児童文学書誌をその四領域としています。
方法としては、文芸学的方法、歴史社会学的方法、書誌学的方法の三種類をあげています。
さらに、補助的な方法として、哲学的方法、心理学的方法、教育学的方法、比較文学的方法、民族学的・文化人類学的方法、社会経済学的方法もあげています。
4、児童文学研究の心的基軸
木を見て山を見ずや、その逆の山を見て木を見ずでもない、複眼的なアプローチの必要性を指摘し、モチーフとしては、投機的・功利的、知的興味的、教育的・児童文化的な責任感、人生論的のすべてを持ち合わせることを要求しています。残念ながら、それらを持ち合わせた児童文学研究者には、寡聞にして出会ったことがありません。
総じて、学問分野の勃興期における、希望や気負いに満ちあふれた文章になっています。
すでに斜陽になった(児童文学の講座は少なくなり、学会の会員数も減少しています)現在の児童文学業界(学会だけでなく、出版状況も含めて)から考えると隔世の感があります。
私自身は、これら三冊を1976年の大学四年の時に買ったのですが、それは「ただちに児童文学の研究をする」ためでなく、全く違う業界(エレクトロニクス)で働くことを決めていたので、「いつの日か、児童文学の研究をする」ための自分自身への決意表明のようなものでした。
その時は、こんなに早く日本の児童文学が衰退するとは夢にも思っていませんでした。