宮沢賢治学会イーハトーブセンター冬季セミナーin東京「宮沢賢治と映画」で行われた講演です。
初期の映画では、文明の利器による大惨事というイメージが、映画で繰り返し描かれていたとのことです。
また、二十世紀初頭には、リアルな映画もファンタジックな映画もありましたが、その後はリアルな作品の方へ進んでいきました。
これらは、文明に対する人々の無意識の怖れを表していると思われます。
一つのパターンとして、文明の利器で異空間へいくということが多く描かれました。
映画を見るという知覚体験が、いかに当時の人々に多くの影響を与えたかは、様々な媒体が発達した今とは比べられないほど大きかったのではないでしょうか。
弟の宮沢清六さんの証言によると、賢治は連続活劇にも詳しかったのではないかと推定されます。
賢治とフランスのシュールレアリスムとは同時代で、ともに連続活劇映画の影響を受けています。
連続活劇映画の作品は、ブルジョア社会の秩序を破壊しているため、世界中の庶民におおいにうけました。
それらの中では、女性が大活躍していました。
それにひきかえ、日本映画に女優が登場するのは1918年からで、それまでは男性の女形が演じていたので、賢治も含めた当時の男性観客にはあまりアピールしませんでした。
また、連続活劇の中では探偵と悪漢は同一人物のことが多かったのですが、これは賢治の作品の中にも見られます。
男性の女装だけでなく、女性の男装も多くあり、トランスジェンダーのモチーフがあったようです。
このあたりは、賢治の作品に出てくる少女歌劇団との関連も考えられます。
賢治だけでなく当時の日本の近代文学者たちに、どのように映画が影響を与えたかを豊富な実例を用いて説明されたので興味深い内容でした。
また、いろいろなサイレント映画の注目すべきシーンが実際に上映されたので、当時の映画の水準の高さと日本の文学者への影響の大きさが実感できました。
萩原朔太郎というメディア―ひき裂かれる近代/詩人 | |
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