1985年に日本児童文学学会会報19号に発表されたこの論文は、四百字詰め原稿用紙にして四、五枚の短いものですが、その鋭い指摘と予見性により、その後の多くの論文で引用されています。
会報のバックナンバーの入手は困難ですが、「現代児童文学論集5」に収録されているので読むことができます。
この論文における著者のまとめによると、
「<成長物語>では、主人公は一つの人格という立体的な奥行きを持った個人である。主人公が経験したことは、その内面に累積していって、自己形成(ビルドウング)が行われる。いわば、アイデンティティー論の成立する場である。こうした主人公の成長をモデルとした作品が、一般に近代小説といわれてきた。
<遍歴物語>は、対比的に、主人公はむしろある抽象的な観念(イデエ)であって、それが肉化したものとしての人物であるにすぎない。いわば、主人公そのものはどうだっていいというところがあり、重要なのは作品を通じて繰り返し試される観念の方である。」
小説のジャンルを、<成長物語>と<遍歴物語>に類型化することは、特に目新しいことではありません。
著者の論文の新しいところは、この二項対立を以下のように日本児童文学史に適用した点です。
「早大童話会による「『少年文学』の旗の下に!」(少年文学宣言)は、その文章自体、<成長>をめぐるレトリックから構成されている。このことは、戦後児童文学の理念および童心主義批判が、成長物語のタイプをめざして、前近代である遍歴物語(注:ここでは小川未明などの近代童話を指しています)の語りを抑圧していく過程であったことを示している。」
また、以下のように現在の児童文学における<遍歴物語>の復権(那須正幹のズッコケシリーズをはじめとしたいわゆるシリーズものやライトノベルなどの隆盛)を予見しています。
「しかし、芸術・学問の諸ジャンルにおいて、近代小説・近代的自我といったものへの信頼が揺らいできた今日、遍歴物の語りに属する≪小川未明≫のいくつかの作品も、本質的に再評価されていく必然にあるのではないか。いいかえれば、子どもを(つまりは人間を)成長のイメージでみないようにすることによって、遍歴物語の語りとそれに導かれた遍歴の思考形式を救抜しようという運動が理論化されつつあるのが、80年代前半という時代だといっていい。その意味で<遍歴>のタイプは、前近代であると同時にポスト近代でもある。」
以上のように、近現代日本児童文学史は、<成長物語>と<遍歴物語>のせめぎあいで、現時点では<遍歴物語>が優位にあるようです。
<成長物語>の巻き返しによってポスト現代児童文学の新しい形になるのは、短期間には可能性が低いと思われます。
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