Cache-Cache ~かわいいかくれんぼ~

日々の生活の中で“見つけた”なにげない事柄を、
子供たちの育児日記と一緒に・・・

カーネーションの思い出と安息日

2012年05月15日 | 子育て日記

今年はお天気がすっきりと晴れない日が多く、今日も冷たい雨の一日でした。
せっかく咲いたバラも、雨に打たれて可哀想。
花泣かせの、そんな日でした。

先日の母の日は、お天気が良く、朝から庭仕事に片付けにと、充実した一日でした。
4月に地植えしたカーネーションも、次から次へとよく咲いて、
主役の一日にも、可愛い色の花たちに癒されました。

そんな母の日。
今年から、子供たちには、カーネーションは“なし”でいいよと、話していました。

ひねくれた話ではありません。
実は、ずっと思っていたことなのですが・・・
この時期、カーネーションの花が高すぎて、子供のお小遣いで買えない、
買ってもらうのが申し訳ないと思っていたからです。

需要がある時期に、高くなるのは仕方が無い、またそれが消費期限が
早いものだと尚更だということも。

でも、やっぱり、
「お母さんへ」
という気持ちを考えると、何だかやりきれないものが残っていました。

「駅前の花屋さんは、一本400円。
少し離れた花屋さんだと250円。
スーパーのだと、150円。」

道行く学生さんたちの、相談している姿を見ました。


昔・・・小学生の頃、母の日間近になると、朝、学校のPTA会議室みたいな教室で
今思えば、どこかの団体だったのでしょう、
紙でできた造花のカーネーションにピンが付いたのを、
一本10円だかで売っていたのを憶えています。
ただ、そのときは、赤いのと白いのしかなく、
白いカーネーションが珍しく思えて。

「白は、お母さんが死んだ子が贈るのだよ。」

男子が冗談の中で、買うのを聞いていた子が、そう話していました。
白にそんな理由があったのを知らなかった私は、それから
そこでカーネーションを買うのが嫌な気分になり、やめました。
どうして、そう思ったのかは、上手く言葉にできませんが、
子供心に、何か不快に感じるものがあったのでしょう。
そのカーネーションの飾り自体も、ピンがすぐ取れたり、壊れたりで
肝心の母の日に役立っていたのかどうか、定かではありません。

東日本大震災から、少なからず私には、年間カレンダーに記載されている
イベント事に対して、以前のように、子供と(消費を)喜ぶだけのものには
したくないなと思う気持ちが強くなりました。
何にしても、消費が先立っての事には、もう嫌気がするのです。

「今年の母の日は、お母さんが安息日で過ごせるよう、
それぞれが考え、仲良く過ごせるよう、そんな一日にしてください。」

子供たちにお願いしたことです。
花も物もいりません。
この日の本来の意味を思い、母でいられる事の喜びや幸せを感じられれば
それでいいのです。

お姉ちゃんは、前に買っておいてくれた、私が好きなものをくれました。
この子は、どんなときも私の気持ちを考え、長女としての役目を
引き受ける、逞しい子に育ってくれています。

長男は、お寿司を作って、夕飯に振舞ってくれました。
この子はプライドが高いのに、家族の様子を人一倍気に掛け、
自分が道化になってまで気遣うことができる、優しい子に育ってくれています

次男は、ありがとうの言葉を沢山くれました。
自分に対してしてくれたことを、当たり前と思わず、些細な事にでも
ちゃんとお礼を言ってくれる、素直な子に育ってくれています。

お母さんでいられる事の喜びと努めを、どの日よりも
深く感じる一日でした。

そしてこの日だけは、私に怒られることはなく、静かな日曜日を過ごせました。
この日だけ・・・
次の日から、またまた兄弟喧嘩が始まっています。