●旧交を温めることから
1月がはじまりました。
おいおい、また渋めになんですかい。
いや、1月の飲み会の話なんですけどね・・・
なんだ、あんたよう飲んでますなぁ・・あいかわらず、で!
いやまぁ、昨日、一昨日はまさに、町内会やら、お隣のとなりの睦さんの新年会だったのですが、月初めは一番最初に就職した会社の先輩、同僚の方々との飲み会が多かったですけどね・・・。
ただ、最初の会社の先輩のお話ともなると、今生の別れとなってしまった方々の話などもありましてな・・・
また、年配とも限らず、一つ年上のひとだったり、同期だったりも物故となったお話もありで、、、
まぁ・・・だんだん寂しくなるなあという感じです。
すみません。
ここからさらに湿りますんで、すみません、私の備忘録ですさかい、、
先日のその旧会社の飲み会で、2つ年次が上の先輩がやはり物故となってしまった話がありました。
そうしたら、先週ですがその方のお母様からいただきました、 喪中のお葉書を・・・
その先輩ですが、とてもショッキングで、悲しいお亡くなり方だったのを飲み会でうかがったので、
やはりといいますか、お悲しみのお母様の声が聞こえるお葉書でした。
1989年、ですから28年前のちょうど今頃ですか、、
「あさはら~・・・・」 と
わたしの最初の配属先上司である 新井哲夫 町田支社長はその先輩のことをとても親しげな言い回しで呼びつけておりました。
会社内ではとても厳しい!支社長としてその名をとどろかせていたのですが、
先輩を呼びつけている支社長と先輩の会話はとてもフレンドリーなもので、入社2年目だった私もそのやりとりに、
私も早くあのように、信頼感をもって支社長に使われたいな、、、、と思ったものです。
それほどに面白い、頭の切れる先輩、
営業職員、いわゆる保険セールスのおばちゃん達にも慕われる兄ちゃん、、、
ですが、そのうちに私もかわいがってもらえるようになりました、その先輩に・・・
というか からかわれたりしたという感じでしょうか・・・
でもなぜか、なんのきっかけだったかわかりませんが、調子に乗りすぎた私がその先輩に飲み会でえらく怒られたのを思い出します。
やがてその先輩は、本社へ異動、、
わたしは、支社長に 「いちろう・・・」とよばれ、かわいがられるようになりました。
たしか、支社長が取締役になられた時は、先輩の声掛けの小人数で、上野駅近くの居酒屋でお祝い飲み会をした記憶があります。
が、その支社長もその後 2場所だったか支社を異動したのち、 現役のままお亡くなりになりました。
一方、その先輩のほうはといえば、
私より先だったかな、その会社を辞めて、小伝馬町にあるどっかの会社に勤めるようになりました。
やがて縁遠くなり、直接会うこともなく唯一、年賀状のやりとりだけとなりました。
でも年賀状だけはつづいていたので、
先輩は小伝馬町の会社からさらに転職
事務機器販売とかの関係だとは伺っていたのですが・・・
一方のわたしのほうも転職を重ね
一昨年、小伝馬町の牢屋、あ、いや小伝馬町にある今の会社に落ち着きました・・・
おお小伝馬町!
やっと先輩の追いついたか・・・と、昨年の年賀状には、「小伝馬町で飲みませう・・・」とか書いたように思います。
ですが、その先輩ももういません。
残念ながら昨年3月8日に、遥か遠く、アフリカの地でお亡くなりになっていました。
アフリカ!!
やっぱり私はまだまだだな、、
中東バーレーンまでしか行ってないや・・・
すげえや、先輩は、アフリカか・・・
とおもっていたところで、
先ほど述べたお母様からの喪中ハガキです、
寂しいな
でも残しておきましょう
やっぱり尊敬していた、人懐っこく面白かった先輩、浅原雅史さま
どうかやすらかにお眠りください。
合掌
タンザニアにむかって
1月がはじまりました。
おいおい、また渋めになんですかい。
いや、1月の飲み会の話なんですけどね・・・
なんだ、あんたよう飲んでますなぁ・・あいかわらず、で!
いやまぁ、昨日、一昨日はまさに、町内会やら、お隣のとなりの睦さんの新年会だったのですが、月初めは一番最初に就職した会社の先輩、同僚の方々との飲み会が多かったですけどね・・・。
ただ、最初の会社の先輩のお話ともなると、今生の別れとなってしまった方々の話などもありましてな・・・
また、年配とも限らず、一つ年上のひとだったり、同期だったりも物故となったお話もありで、、、
まぁ・・・だんだん寂しくなるなあという感じです。
すみません。
ここからさらに湿りますんで、すみません、私の備忘録ですさかい、、
先日のその旧会社の飲み会で、2つ年次が上の先輩がやはり物故となってしまった話がありました。
そうしたら、先週ですがその方のお母様からいただきました、 喪中のお葉書を・・・
その先輩ですが、とてもショッキングで、悲しいお亡くなり方だったのを飲み会でうかがったので、
やはりといいますか、お悲しみのお母様の声が聞こえるお葉書でした。
1989年、ですから28年前のちょうど今頃ですか、、
「あさはら~・・・・」 と
わたしの最初の配属先上司である 新井哲夫 町田支社長はその先輩のことをとても親しげな言い回しで呼びつけておりました。
会社内ではとても厳しい!支社長としてその名をとどろかせていたのですが、
先輩を呼びつけている支社長と先輩の会話はとてもフレンドリーなもので、入社2年目だった私もそのやりとりに、
私も早くあのように、信頼感をもって支社長に使われたいな、、、、と思ったものです。
それほどに面白い、頭の切れる先輩、
営業職員、いわゆる保険セールスのおばちゃん達にも慕われる兄ちゃん、、、
ですが、そのうちに私もかわいがってもらえるようになりました、その先輩に・・・
というか からかわれたりしたという感じでしょうか・・・
でもなぜか、なんのきっかけだったかわかりませんが、調子に乗りすぎた私がその先輩に飲み会でえらく怒られたのを思い出します。
やがてその先輩は、本社へ異動、、
わたしは、支社長に 「いちろう・・・」とよばれ、かわいがられるようになりました。
たしか、支社長が取締役になられた時は、先輩の声掛けの小人数で、上野駅近くの居酒屋でお祝い飲み会をした記憶があります。
が、その支社長もその後 2場所だったか支社を異動したのち、 現役のままお亡くなりになりました。
一方、その先輩のほうはといえば、
私より先だったかな、その会社を辞めて、小伝馬町にあるどっかの会社に勤めるようになりました。
やがて縁遠くなり、直接会うこともなく唯一、年賀状のやりとりだけとなりました。
でも年賀状だけはつづいていたので、
先輩は小伝馬町の会社からさらに転職
事務機器販売とかの関係だとは伺っていたのですが・・・
一方のわたしのほうも転職を重ね
一昨年、小伝馬町の牢屋、あ、いや小伝馬町にある今の会社に落ち着きました・・・
おお小伝馬町!
やっと先輩の追いついたか・・・と、昨年の年賀状には、「小伝馬町で飲みませう・・・」とか書いたように思います。
ですが、その先輩ももういません。
残念ながら昨年3月8日に、遥か遠く、アフリカの地でお亡くなりになっていました。
アフリカ!!
やっぱり私はまだまだだな、、
中東バーレーンまでしか行ってないや・・・
すげえや、先輩は、アフリカか・・・
とおもっていたところで、
先ほど述べたお母様からの喪中ハガキです、
寂しいな
でも残しておきましょう
やっぱり尊敬していた、人懐っこく面白かった先輩、浅原雅史さま
どうかやすらかにお眠りください。
合掌
タンザニアにむかって