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映画「チルソクの夏」は永遠です♪

山口県労働協会創立50周年記念~紺野美沙子さん講演会~

2015-10-25 21:43:28 | 気になるひと
山口県労働協会創立50周年記念で開催された『紺野美沙子さん講演会』を聴講して来ました。



女優としてだけでなく、国連開発計画(UNDP)親善大使としてもご活躍中とのこと。
そして、妻として母としても。(今年の夏で二十歳になった息子さんがいらっしゃるそうです)

1980年NHK朝ドラ『虹を織る』のヒロインとしてデビュー。このヒロインの出身地が山口県萩市ということで、それからの縁で、何度も山口県を訪れてくださっているとのことでした。

女優を長く続けてこれたのは、「運」「縁」そして「この仕事が好き」ということ。
小さなころから音読が大好きだったそうです。(もう女優としての基礎が備わっていたのでしょうね)
音読が好きで入った演劇クラブ。そのとき指導してくださった女の先生が本当に厳しくて。
でも、本気で子どもに接してくれる大人に出会えたことがよかったとおっしゃっていました。

また、女優という仕事を特別とは思っていなくて、いろんな職業があって、たまたま目立つ部門を担当しているだけだと。
好きという思いと、喜んでくれる人にために、自分は仕事をしているとのことでした。

その仕事も、一人ひとりとの縁を大切に、誠実に真面目にこつこつ、小さなことも大事に誠実にやってきた。近道はないと。
ただ、女優として、可もなく不可もなく・・個性がない自分について考えたこともあったけれども、先輩の檀ふみさんに相談したとき「自分らしさを大切に」と言われ、自分のいいところを自信を持って歩いていけばいい、自分が自分の応援団長になろうと気付けたと言われていました。
そして、「生涯仕事を続けていきたい」と、ファンにとって嬉しい一言をいただけました。

女優のお話のあとは、ご家庭のこともいろいろと。
夫は食事で釣れるし、息子もです。おいしいご飯を作っていれば、例え寄り道をしたとしても、必ず帰ってきます、と。
二十代のころ、10年間家庭料理の教室にも通われていたそうです。
忙しく仕事から帰ってきたときも、スーパーに寄って食材を買って、おいしいお料理をたくさん作られていたそうです。

そして、国連開発計画親善大使としての活動も、映像を使って説明してくださいました。
この親善大使は世界で10人。サッカーの方が多かったですね。
報酬もあるんですって・・と言っても、一年間で1ドル (本当の本当にボランティアなんですね!)

心の中が平穏で、心配ごとがない、安心して暮らせること・・ 世界中の子どもたちがこうあって欲しい。みんなの願いでもありますね。

講演の最後には、紺野さんの朗読が。
井上ひさしさんの『置かれた場所で咲きなさい
*すみません、ご指摘があり、当日のメモを確認したところ、『きらめく星座』の誤りのようです。

『置かれた場所で咲きなさい』のくだりは、
急ぎ過ぎへの警告というか、開発を目指している自分たちの歴史・文化を大切にすることが大切ではないか、人の心を壊すような急ぎ過ぎた開発は要らない。
「足るを知る」「自分の物差しを大切にする」そう「自分の置かれた場所で自分のできることを」というお話でした。

今度は、紺野さんの朗読座にぜひ行ってみたいと思います。








大専坊

2015-10-24 23:59:47 | 大河ドラマ『花燃ゆ』と幕末長州
防府天満宮参道の左側にある「大専坊」 いつもは扉がぴったりと閉まっているのですが・・
偶然、開いているではありませんか (これも『花燃ゆ』効果で、観光客の方が多く来られるからというサービスなのかしら?)
とにかく初めて中に入りました。





古くは毛利元就がここを本拠として、弘治三年(1557)大内義長を追放して防長二国を掌握した場所ですが、今回はやはり『花燃ゆ』!! 幕末のころの役割について書こうと思います。

<玄関です>


幕末のころ、ここは来島又兵衛が遊撃隊の拠点としていました。
元治元年(1864)1月24日のことです。高杉晋作が、世子様より遊撃軍鎮静のための親書を来島又兵衛に渡すよう命じられ、大専坊へやってきます。

しかし、説得に行ったはずの高杉晋作は、来島又兵衛に挑発されて、京都へ行ってしまいます。(富海から飛び舟に乗ったようですね)
実のところは、京都にいる久坂玄瑞や桂小五郎らに事情を話して、又兵衛の京都進発を抑えるためだったようですが、ここのところで、なぜ脱藩といわれるのかというと、「世子様の御用を途中で放り出して」という罪で、ですね。
本当は事情があったのに・・と思いますが。

もしかしてこの中で高杉晋作と来島又兵衛が!?


なんかよくわからないけど、ドラみたいなものが置いてありました。


覗き込みましたが、鶴の絵の描いてある板戸は残念ながらよく見えませんでした。

庭には大きなソテツがありました。
当時もこうだったのかしら?確か毛利邸にも中庭に大きなソテツがあったけど、そのころ流行っていたのでしょうか?







漫才師 宮川花子氏講演会

2015-10-23 23:59:35 | 地元のこと
防府経済交友会創立50周年記念として、漫才師 宮川花子師匠の講演会が開催されました。
題は「愛をみつけた ~私のしあわせ 私の家族~」です。

最初に、会を代表して、株式会社澤田建設の社長さんがご挨拶。
「50周年ということで、まだ半分です。だから今回は花子師匠にだけ来ていただきました。100周年のときには、ぜひお二人揃って来ていただこうと思います。50年後、会場のみなさまもぜひまたいらしてください」
いやぁ、前説をされた若手芸人さんよりずっと「うまい!」と思いました。(すみません)

この続きはまた明日にでも書きますね!


『涙袖帖』と美和さんの書

2015-10-21 23:59:49 | 大河ドラマ『花燃ゆ』と幕末長州
ほうふ大河ドラマ館での『涙袖帖』の展示、第三段が始まりました。



今回は文久三年(1863)8月29日の日付
「久坂が文に八月十八日の政変の悔しさを吐露」という内容です。

文面を見ると、全体的に平仮名が多いようです。
これは年下の妻に対して、読みやすくという配慮なのでしょうか?

政変後に、久坂は玄瑞という名前を「義助」に改名したと書いています。
「尚々、われ事もやまれぬ次第ありて、よしすけと名をあらためまいらせ候。かしく」

そして手紙の最後には、
      かへすがえすもみなみなさまへ
      よろしくおんつたへなさるべく
      ぞんじ参らせ候。そもじさむさおん
      いとひかんもじぞんじまいらせ候。かしく

      おふみどのへ   まいる         とあります。

史実では、これからあと1年で禁門の変になりますね・・


さてさて、今回の展示変えにあわせて、楫取美和子(文)さんの直筆のお手紙も公開されています。
晩年、現在の周南市に住む山田稔之丞さんに宛てたものだそうです。
封筒も残っていて、消印を見ると「防府」となっています。
楫取さんの自宅のあったすぐそばに今でも郵便ポストがありますが(防府高校前の場所)、もしかしたらその当時からここにポストがあったのかもしれません。

大正六年(1917年)十二月二十二日
封筒の宛名は・・
都濃郡戸田村(現在の周南市戸田)
山田稔之丞 様 御返事

この山田稔之丞さんという方は、郵便局長を務めた後、明治44年7月13日に村長に当選された方だそうです。

お手紙には、御所のお局様からいただいたお菓子をお分けしたことなど書いてあります。みんなに配ったから少しでごめんなさい・・みたいな感じで。
このお局様というのは、銀姫のことなのか、それとも貞宮さまの関係の方なのか?
ちょっと勉強してみないとわかりません。

文さんの文字は大変美しく、あの当時、女子はきちんと学校に行っていないのではないかと思いますが、さすが松蔭先生の妹さん、博識がおありなんだと思います。



『檜垣良之 木版画に見る 防府歴名所百景之内』展示会

2015-10-18 23:00:44 | 地元のこと
10月16日からアスピラートで開催中の『檜垣良之 木版画に見る 防府歴名所百景之内』へ行って来ました。



「防府市内の歴史・名所・旧跡・古風景を木版画でおこす」とあります。
和紙に水彩絵の具を摺り込んで発色させるという、日本独自の印刷方法だそうです。

フラッシュをたかなかったら、写真撮影もOKとのこと。
全部で67作品の展示がありました。一応、私の「こころの風景」ということで、「枡築らんかん橋」を撮らせていただきました。





おみやげにポストカードを数枚購入。
『マイマイ新子と千年の魔法』で出てくる、でも今はもう無くなってしまった「古風景」の二箇所です。

*右 「旧山口銀行防府支店(古風景)」
*左 「佐波川土手桜並木古き良き風景(古風景)」



見慣れた地元の風景ばかりですが、こうして木版画で見ると、なんだか特別なもののように感じます。

会場のアスピラートに隣接するルルサス2階の大河ドラマ館入り口近くの廊下にも、こんなふうに作品が飾られています。
こちらはかなり大きいです。
実は展示会に、ドラマ館のチケット(半券でもOK)を持っていくと、来場記念のポストカードがもらえます。(先着500名様)