応募していた『この世界の片隅に』のイベント『被爆電車で聴く すずさんの嫁入り道中』に当選できました。
*被爆電車・・100年以上も前からずっと、いろ島市民にあいされてきた路面電車。
1945年8月6日の朝も、たくさんの人が乗っていました。
午前8時15分。原始爆弾が投下されたとき、市内のあちこちを走っていた電車も大変な被害を受けました。
それでも立ち上がった人々は復旧作業に力をつくし、わずか3日後には己斐~西天満町間に電車を走らせました。再び動きだした電車の運転士や車掌をつとめた中には、広島電鉄家政女学校の女学生たちもいました。
焼け野原を走る電車の姿は人々を勇気づけ、「広島の復興のシンボル」になったのです。
そして、被爆70年をむかえた昨年。みんあの希望になった電車を、当時の姿によみがえらせよう。広島のまちを力強く走る電車に乗って、復興への熱い思いを感じてもらおう。「被爆電車特別運行プロジェクト」は、こうしてはじまり、今年も走ります。(被爆電車特別運行プロジェクト パンフレットより引用)
電車の車庫がある江波に集合。
まずは歩いて二本松集会所へ。
ここで、すずさんと同年代の大岡喜美枝さんのお話を聴きます。
『江波に生きる 大岡喜美枝さんの証言』~戦争・原爆・暮らし
江波は漁師町だったので、海苔を作っていたひとも多かったようです。
また舟で沖へ出るときなど、船上で簡単に食事ができる「江波巻き」という食べ物が。
ひらいた海苔にご飯(酢飯ではなくて普通に炊いたご飯)をさっと薄く載せて、ちょっと醤油をたらして、簀巻きは使わず手でくるっと細まきにします。おかずが残っていたらそれを巻いてもよし。
これを端からぱくりと食べちゃう。
江波巻きはシンプルなのがけっこうおいしいそうです。
今回お土産に山城屋さんの「焼きのり」をいただきましたので、帰ったらぜひ試してみたいと思います。
つづく・・