孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”ブログ編

「孫文さんの“北京の隠れ部屋”」を「孫文さんの“多摩たまの隠れ部屋”」に変更しました。

== ポチの一人旅 「歴史を感じる国分寺の旅」==

2022年02月24日 23時32分41秒 | 日本雑感 (日本の話題何でも)

久しぶりに、ポチの一人旅にします。 今日はランチを食べて、愛人には国分寺をぶらぶらしてくると言い残して家を出た。

まず向かったのは、隣の駅の「国立駅」。 この駅の北側に来たのは初めて。歩いてしばらくすると、国立市から国分寺市となり町名が「光町」になっている。 光町の「ひかり」は新幹線の「ひかり号」を記念して町名変更したとのいわれがある。到着したのは、鉄道総研の傍にある建物で、ここに記念すべき新幹線が展示されている。展示している951型新幹線は、昭和47年に時速286m/hの世界記録を出した車両。中は一般解放されていて運転席に座ることも可能。

記録達成から50年、余生を過ごしている新幹線。今は新幹線はそれ以上のスピードで運航できる。50年前はすごかったんだろうなぁ。

 

新幹線見学後は、さらに隣の「西国分寺駅」に向かった。 この駅を下車して20分くらい歩くと、「武蔵国分寺」の遺跡場所。 国分寺薬師堂の阿吽像、初めてカメラを向けたけど、迫力あるなぁ。 口を開けているのは阿形像、口を閉じているのが吽形像です(1718年、ともに作者不明)。

 

旧武蔵国分寺の創建は、8世紀半ばの750年代末から760年代初と推測されている。(出典:Wikipedia)

1000年以上の昔の遺構を上に立ち当時の様子をめぐらしながら散策。当時としてはビックプロジェクトだったんだろうなぁと感じる。そして高さ60mの7重塔が建っていたなんて信じられない。当時の建築技術はすごかったんだろうなぁ。

 

散策後、西国分寺の駅方面に向かう。途中にある遺構は「東山道武蔵路(とうざんどうむかしみち)」。

7世紀後半から8世紀前半にかけて整備化され幹線道路。下記の写真の道路で車線は1車線だが、歩道はめちゃめちゃ広い。 この歩道の下に当時の「東山道武蔵路」が眠っている。保存のため、このような道となっている。