chuo1976

心のたねを言の葉として

さう言へばこけしに耳のない寒さ      久保枝月

2020-01-11 08:57:30 | 文学

さう言へばこけしに耳のない寒さ      久保枝月

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立小便する気も失せる冬木立      渥美清

2020-01-10 16:46:00 | 文学

立小便する気も失せる冬木立      渥美清

 

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冬木立日のあるうちに別れけり      清水基吉

2020-01-09 07:32:51 | 文学

冬木立日のあるうちに別れけり      清水基吉

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『戦陣訓』 1941/1/7

2020-01-08 05:36:31 | 文学

現代語訳『戦陣訓』


 そもそも戦陣というところは、天皇陛下のご命令をもととして、皇軍の皇軍たる真価を現し、攻撃すれば必ず取り、戦闘すれば必ず勝ち、広く八紘一宇のご聖旨を世界に行き渡らせ、敵軍に、天皇陛下のご威光を仰がせて、その尊さを深く心に刻みつけさせる場所である。だから戦陣にある者は、十分にわが大日本帝国の、世界人類の幸福を増やさねばならぬという、尊い役目を会得して、皇軍の軍人として皇道を顕現するためにふみ行わねばならぬ、正しい道をしっかりと保ち、わが国の威光と恩徳とを、広く世界に揚げ現すように努めねばならない。
 思うに、軍人精神の根本となる道は、恐れ多くも軍人にお下しになった勅諭の中に、はっきりとお示しくださっている。そして戦闘や訓練などについて、よりどころとせねばならない大切な点は、また操典や要務令などの綱領に教え示されている。ところが戦陣の様子や事情というものは、また格別な点があって、どうかすると目先の事柄に気を取られて、大切な根本を忘れ、ひょっとするとその行いが、軍人としての義務に背くようなことがないとは限らない。十分に反省し気をつけねばならぬことではないか。そこで、これまでの戦陣における経験から考えて、常に戦陣で勅諭のご聖旨を頂いて、十分にその大御心に添い奉る行いができるように、いちいち実際の事柄について戦陣での行いのよりどころを教え、そして皇軍の将兵が、八紘一宇のご聖旨を世界に行き渡らすために守り行う道徳を、一層高いものにしようと思う。これがつまりこの戦陣訓本来の趣旨とするところである。


(陸軍省が制定し、1941年(昭和16年)1月7日に上奏、翌8日の陸軍始の観兵式において陸訓第一号として全軍に示達した。)


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良夜なり言葉少なき夫とゐて       原槙恭子

2020-01-07 06:00:51 | 文学

良夜なり言葉少なき夫とゐて       原槙恭子

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ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅣジョイス・ウィーランド  Joyce Wieland (1931-1998)を見る聴く、

2020-01-06 09:35:40 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅣジョイス・ウィーランド  Joyce Wieland (1931-1998)を見る聴く、

エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/1/6

 

1933 (1967)   窓から見える、通りの風景、雑踏、車、歩く人々、同じ映像の反復、似て非なるものでは無い、全く同じ映像、繰り返されて、此処に、何か意味ありげなものが映っているのだろうか、スパイ、革命、闘争、権力、労働者、市民、黒人、外国の人物、何も無いのでは、だが、世界は混沌とした時代、恐慌の後、ファシズム、ニューデール、ナチス、党大会、満州事変も既に、日華事変、この空気に何を見る、何を聴く、撮ること、見る事、覚悟、そんな時空を反復するとは、

 

Sailboat (1967)  海の沖合を船が行く、同じ船では無い、ボート、ヨット、次々に、時制は、何時の、同じ日、いや、全く違う時間、編集にて、重ねたばかり、そんな最中に、一人の男がカメラの前を歩き去る、背中を大きく露わにして、何故にこんな姿を挿入した、カメラの位置、客観、主観の自覚、覚悟、監督の立ち位置を露わにして、この男の背中に依って己の位地を曝け出してしまった、曝け出されてしまった、カメラ、私、見事、ワンショットの衝撃、

 

Handtinting (1967-68)  黒人の娘たち、踊り、音楽、リズム、手拍子、愉快に踊る、いや、座ってみている、楽しんでいるのか、退屈しているのか、誰と誰が、しかし、黒人しか居ない、狭いサークル、そして、こんな彼女たちが、プールに、水着に着替えて、水泳の練習、水に顔を埋める、初めての出来事、恥じらい、笑み、どうして良いやら、自由なダンスと、水泳の教室、仕組まれて、学業、教育、まさに、共にアメリカの現実、自由不自由、動いているようで、動かされて、自由の様で不自由で、捉えられて、危うい間、音楽、若い黒人娘たち、だが、白人青年たちだって、同じ不自由の中に在るのでは無いか、アメリカという権力の中に、

 

Rat Life and Diet in North America (1968)   キッチンのネズミ、カップの中、どこから現れた、連れられてきた、捕らえられた、飛び出した、檻の前に猫の居る箱の中のネズミ、大きな猫、ネズミから観たら、身動きも只ならず、不気味なガラス張りの外の猫、恐怖、これは仕組まれた世界、ゲバラの死、泳がされて、殺されて、自由を求めて、カナダ、草原の中、音楽、自由の様で、何も無い、いや、権力の手の中に、踊らされて、危ない、危ない、カナダという権力、不自由の中に、逆に捕らわれて、その背景にはアメリカが絶対的に在るのだ、その外は無い、一途に敗北の最中に、そこから、さてさて、この暴力の中から、如何に、

 

Dripping Water (with Michael Snow) (1969)   水の滴、繰り返し、まさにスノウの世界、キッチンの桶の水の揺らぎ、水面の展開、何かあるのか、何もないのか、反復、何処までも、何も無いままに、在る、

 

Cat Food (1969)   猫のアップ、眼、顔、毛、不気味、獣、この姿に、何を見る、可愛い猫、いや、権力の爪のある恐ろしい猫、果たして、

Reason Over Passion (1969)  車のフロント、雨だろうか、もやって、車の走り、山間、風景、光、影、乱反射、光の乱射、何が映し出されているか、ハッキリしない、そして、海、波、反復される波、重なり遇って、反復される波、カナダの国旗、繰り返し、かくて、車は走り行く、疾走、風景、美しい風景、水面、山、緑、高揚、心地よい走り、視線、視点、これがカナダ、国旗、家、車、豊かな世界、この風景の中に溶け込んで、実際の暮らしは見えない、経済は、政治は、そして、一人の男のアップ、政治家だろうか、芸術家だろうか、何を見る、語る、ビジネスマンか、彼がこの国に何をしでかしたのだろうか、だが、車の走りは続く、この度は雪景色の中、秋から冬に、雪の中、光、影、山間、通り、何処までも続く、雪景色、反復、こうして、続く中に、カメラが縦に、傾き、如何した、視線が、視点が傾いた、何が起こった、車の反転、そして、乗り物の中の人物のショット、こうして、これまでのカメラの視点、視線が、明らかに、全くの客観など無いのだと、乗り物の中の主観が捕らえた世界、しかも、乗り物の中は瞬間、傾いたのも瞬間、見る事、撮ることへの問い掛け、何を撮っているのだ、何を見ているのだ、そして、遂には、カメラの前に夫人の後ろ姿、頭と背が、夫人は窓の外を見ているらしい、カメラはその背の後ろから、外を見詰める、ならば、カメラとは、この夫人の夫、息子、家族、友人、それとも、単なる編集、繋ぎ、赤の他人、かくて、カメラが問いかけられて、これまでの客観のごとき外の風景から、撮影主体が問われて、在る、視点、視線、誰の、何の、そして、繋ぎとは、編集とは、上映とは、映画のパッションとは、そして、パッションの先には、何が、観てしまった、撮ってしまった、繋いでしまった、そして、今、上映が、そして、今、私が観る、観る私、カナダ、主体とは、客観とは、こんな解体の中に、在り続ける私たち、映画、

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ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅢ「ヴィタリナ」を見る聴く、    『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/1/5

2020-01-05 06:20:32 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅢ「ヴィタリナ」を見る聴く、     エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/1/5

  闇の中、長回し、路地、闇の路地の奥から、人々が、行進、いや、ぶらぶらと、隊列、だらだらと、誰かが死した、何処の、何時の、誰、判らない、夫人、鏡の前、肖像画、ワンショットの凄さ、顔、表情、姿、光り、影、絵画だ、絵画はこのワンショットで全てを表現してきた、映画は、その絵画に、時間を導入して、僅かの動き、体、手、頭、顔、眼、口、更に、起き上がる、立ち上がる、動き出す、肖像画に動きを与えた、ショットが変わり、動きの無いとき、何が映されているのか暫く判らないときが、間が、場が、見る事が拒まれて、いや、見る事自体では無く、解釈してしまうことが拒まれて、そのショットの中の人物が、動き始めて、漸く画面の理解が、だが、何が理解された、位置関係が判ったばかりで、彼等の存在は、在処は、苦悩は、喜びは、関係は、何も判らない、かくて、判ることが、そのごとに壊されていく、ショットごとに、肖像画として安心して見ていたが、動きが導入されて、繋げられて、見ていた安心が何処に連れ行かれるのか、判らない、そもそもに、夫人は何処に、飛行場のショット、足、タラップ、連れ戻されて、主人公は辿りつかなかった、どこにも、この廃墟の中の夫人は、誰、何、幽霊、亡霊、見るものたちの錯覚、監督の錯覚、廃墟の中の人々の錯覚、観客としてみている私たちの錯覚、死した男の錯覚、夫人自体の錯覚、辿りついても居ないのに、やって来たかの如くに、振る舞って、ならば、この夫人とは、主体は何処に、リスボンの廃墟に、闇、夜、扉、開き、僅かの開きから光が、だが、この光は、昼の陽射しの光か、ライトの光か、判らない、基調は、何処までも、闇の中、夜の中、倒れて、起こされて、佇んで、語らって、誰と、誰が、個々の幻、だから、会話は成り立たない、それぞれの思い込みで見ている、聴いている、語らっている、共和から遠く離れて、個々に、孤独に、離ればなれ、夫人は、夫を求めてやって来た、だが、実際は辿りつかなかった、ならば、この夫人とは、誰の幻想、山間の小屋、アフリカ、教会、この地こそが夫人の故郷、ここから思いを馳せた、戻らない夫、消えた夫、女たちとの関係、嫉妬、噂、だが、何が真実かは判らない、だが、ヨーロッパに出向いてきて、帰らなかったことは確か、誘うと、共に暮らすと語りながら、教会、神父、説教、最前線、正義の闘いなど、遠く離れて、革命などない、在るのは、廃墟と、盗みと、その日暮らし、裏切り、連帯などほど遠く、労働者ともほど遠く、ならば、何が在るのだ、生活、死とは、誰の、己かも知れない、死んでいる、生きている、判りはしない、共に在る、いや、共々としてあるばかり、時に、陽射しの中の街の通りが、路地が映されて、こんな街中に、在る、闇世界、世界は、この闇世界を知らずに、日常を送っている、世界の至る所に、こんな闇世界が、怪しい光の漏れる世界が、葬儀の列がだらだらと行き過ぎる世界が、だから、日本でも、天皇の隊列の影に、裏に、横に、表に、天に、地下に、こんな闇が在る、この地に現れた,夫人、幽霊は,何処に消える,消えることは無いのだろうか、死した夫も在るのだし、幽霊たちは,消えない,何処までも,何時までも、見る気があれば,見える,大戦の死者も,ユダヤ人も、虐殺された民も、移民も、共に在るのだ,今もって,消えはしないのだ、私たちは,だから,大戦において,虐殺した,アジアの人々と共に,今もって在るのだ、彼等と語り,恋し、求め、裏切り、嫉妬し、これからもよろしくね、近いうちには,私もまた,彼等の仲間入り、怒りを持って,参上いたします、何処までも,何時までも、肖像画の彼女彼等の視線たち、この視線に撃たれて、ラストは,夫人の故郷の屋敷、屋根が崩れ落ち,いや,新しく屋根を繕うのだ、夫人は,夫に,屋根の修理を求めて居た,そのままに出掛けてしまって,戻らずに,今、このシーンは,だから,過去とも,未来とも、未来ならば,また同じ関係が反復されるのだとも、ワンシーンの作り、叫び、言葉、ドラマでは無い,ショットの力、そんな繋ぎ、まさに,力強く,壊れてあるのだ、此処を生きるしか無い、

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只の年またくるそれでよかりけり 星野麥丘人

2020-01-01 06:40:15 | 文学

只の年またくるそれでよかりけり         星野麥丘人

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf