chuo1976

心のたねを言の葉として

『朝焼けの中で』  森崎和江

2020-04-20 06:07:58 | 文学

『朝焼けの中で』  森崎和江


八つか九つくらいの年ごろだった。
朝はまだひんやりしていた。私は門柱に寄りかかって空を見ていた。
朝日が昇ろうとしていたのだろう、透明な空が色づいていた。

朝早く戸外にノートと鉛筆を持ち出して、私は何やら書きつけていた。
が、空があまりに美しいので、その微妙な光線の変化を書き留めておきたくなって、
雲の端の朝焼けの色や、雲を遊ばせている黄金の空に向かって感嘆の叫びをあげつつ、
それにふさわしい言葉を並べようとし始めた。
けれどもなんという絶妙な光の舞踏・・・・・。

わたしあの朝、初めて言葉という物の貧しさを知ったのである。
絶望というもののあじわいをも知ったのだった。
自然の表現力の見事さに、人のそれは及びようのないことを、魂にしみとおらせた。
うちしおれる心と見事な自然の言葉に声を失う思いとを、共に抱き、涙ぐむようにしていると、
父が出てきて、笑顔を向けてくれた。

何を話してくれたか、もう記憶にない。ただあの時の強い体験にふさわしいようないたわりが、
父から流れてきたことだけが残っている。
空が白くなり、人間たちの朝が動いていく気配が満ちた。

いつのまにか文筆にかかわって生きてきたけれど、言葉に対する私の感じ方の中には、あの朝の体験が
深く広がっているようである。それは人間たちの深々とした生の営みの中で、言語化されている
部分の小ささ、貧しさへの思いである。いや、まだ言葉になっていない広い領域のあることに対する、愛しさである。

言葉は朝焼けの中の八歳の少女のようだ。

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映画は戦争を止められるか? 大林宣彦監督が新作語る 2019/10/21

2020-04-19 04:54:08 | 映画

映画は戦争を止められるか? 大林宣彦監督が新作語る
 
残酷さ鮮明に描く
「皆さんに意識されていなかったが、僕は原爆投下について6回か7回、映画で描いている。今度は(米軍のB29爆撃機)エノラ・ゲイから原爆が広島に落ち、主人公たちが殺されてしまうことをはっきりくっきりと描いた。これはただごとではなく(撮影を)やっているうちにどうしても本気になる」
監督は日本の自主製作映画の先駆者だ。商業映画に進出して「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作などで若者から熱狂的に支持された。振り返れば商業映画第1作のホラー「HOUSE/ハウス」をはじめ、表現手法は違っても戦争を描いた映画を撮り続けていたことに気づいたという。
「同じことをやってきているんだよね、僕は。戦争を知っている最後の世代(である自分)が、戦争のむなしさ、恐ろしさ、ばかばかしさ、無謀さ、残酷さを背後にして描いてきた。戦争の暴力的な力の存在。それが僕の映画の全部にあった」
1938年生まれ、戦時中に幼少期を過ごした。「敗戦少年世代」と自らを呼ぶ。「子どもであるがゆえ戦争体験は関係ないと大人は思うかもしれないが、子どもだからこそ大人を一生懸命観察した。この大人は信用できるか、できないか。痛いほど身にしみて感じるのは、むしろ子ども」と訴える。

虚実の間のまこと
「映画は未来の若者たちのために存在する」と語る大林監督
現代の日本への懸念を隠さない。「日本人ぐらい学び下手の国民はいない。体験したことを簡単に忘れて能天気に過ごしている。僕たち戦争を知っている子どもとしてはそれが悔しくてね。忘れるなよ、こんな大事なことをと言いたい」
「映画人はすべからくジャーナリストでなければいけない」と語り「情報という『他人ごと』を映画の物語性によって『自分ごと』として実感してほしい」と説く。「映画には虚と実の間にまことがある。その真実を力に僕たちは映画を撮っている。僕が映画を作っている理由でもある」
「切迫感」という言葉を繰り返した。一見平和に見える日本だが、背後に戦争の影が忍び寄っていないか。そんな切実さがにじむ。
もっとも、自分より若い世代の映画人から「過去の歴史を変えることはできないが、映画で未来を平和に変えることはできる」といわれ、希望も見いだす。「映画は未来の、幸せに生きる若者たちのために存在する。それが映画の誇り、自慢」と力強く語った。
「海辺の映画館」は東京国際映画祭で11月1日に上映される。20年公開予定。
(文化部 関原のり子)
[日本経済新聞夕刊2019年10月21日付]

 

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春空に鞠とゞまるは落つるとき                       

2020-04-18 05:45:54 | 俳句

春空に鞠とゞまるは落つるとき
                           橋本多佳子

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寿限無寿限無子の名貰ひに日永寺                           

2020-04-17 05:29:30 | 俳句

寿限無寿限無子の名貰ひに日永寺
                           櫛原希伊子

 

 

 

「じゅげむ じゅげむ ごこうのすりきれず かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつ うんらいまつ ふうらいまつ くうねるところに すむところ やぶらこうじのぶらこうじ ぱいぽぱいぽ ぱいぽのしゅーりんがん しゅーりんがんの ぐーりんだい ぐーりんだいのぽんぽこぴーの ぽんぽこなの ちょうきゅうめいのちょうすけ」

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なつかしき春風と会ふお茶の水

2020-04-16 05:28:50 | 俳句

なつかしき春風と会ふお茶の水
                           横坂堅二

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『風少年』 小檜山博

2020-04-15 06:00:26 | 文学

『風少年』 小檜山博

 

 相変わらず夕ご飯を食べたあとも空腹のままだった。二階で勉強しはじめても腹が鳴りつづけ、勉強どころではなかった。それで台所へ降り、小母さんにわからないようにコップ五杯ほど水を飲んで水腹をつくる。だが二十分ほどして小便をすると、また腹は空っぽになってしまった。
 わけもなく大声で叫びたい気持ちだった。頭の中は村祭りに食べたイナリズシやボタ餅が浮き出てくる。何でもいいから腹いっぱい食いたかった。
 八時ごろ、ぼくは誰にも気づかれないように谷本さんの家を出た。村の家へ帰って腹いっぱい食べてこようと思ったのだ。
 ジャンパアを着て首へ母ちゃんが編んでくれた毛糸の襟巻きをし、長靴をはいた。森の中の暗い雪道を、歩いたり走ったりする。坂道を登るとき汗をかき、下るときに乾いた。
 家へ着くと玄関の戸の内側につっかい棒がしてあって、あかなかった。家の中は真っ暗だ。戸を小さく叩くと、トモコ姉さんが起きてきて戸をあけてくれた。
 ――どうしたの、こんな時間に。
 トモコ姉さんが囁き声で聞いた。いま何時、とぼくは聞いた。もうすぐ十二時になるということだった。
 家の中に入ろうとすると茶の間の戸があき、母ちゃんが顔を出した。丹前を着ている。
 ――どした。
 母ちゃんの声は尖っていた。
 ――腹へった。
 ぼくはしゃがみ込みそうになって言った。
 ――何? 腹へった?
 母ちゃんがかん高い声で言った。それから低い声でトモコ姉さんに寝るように言った。母ちゃんが僕を睨む。
 ――玄関から入るな、裏口へ回れ。
 母ちゃんの声は怒っていた。ぼくは玄関を出て戸を閉めると、家の裏へ回って台所の出入り口から入った。そこの上がりかまちのところに、母ちゃんが家の中を掃く箒を持って立っていた。
 ぼくはいきなり箒の柄のほうで腕や腰を叩かれた。
 ――この馬鹿が。腹へったぐらいで帰ってくる馬鹿があるか。
 母ちゃんの怒鳴り声が台所に響いた。頭も叩かれる。ぼくは両手を下げたまま、黙って叩かれていた。手を頭に上げて箒をよけたり逃げたりはしなかった。小さいときから、ずっとそうしてきていた。
 よけるのは母ちゃんに悪い気がした。
 間もなく母ちゃんが、丼に盛った麦飯へ味噌汁をかけて持ってきてくれた。台所へ入れとは言わなかった。ぼくは靴脱ぎ場に突っ立ったまま、その飯を掻き込んだ。
 うまかった。また母ちゃんが箒を持ってわめいた。
 ――おまえがいなくなったことがわかったら、谷本さんの小母さんらどうすると思う?家族じゅうを起こして街の中を捜し回るかもしれんだろ、この夜中に。そんなこともわからんのか、十四にもなって。なんで自分のことしか考えんのだ、この阿呆。
 太ももや尻を叩かれた。しかし母ちゃんはもう一回、丼に山盛りの飯を盛ってくれた。
 ぼくがそれを食べ終わると、すぐ帰れ、捜してくれていたときはどうしたらいいかは自分で考えれ、と叫んだ。
 ぼくは追い出されるように外へ出た。雪がやみ、空気が冷えはじめていた。襟巻きで頬かむりをし、街へ向かって走り出した。
 谷本さんの家へ着くと、みな寝静まっていた。誰も気づかなかったようだった。忍び足で茶の間を通るとき柱時計を見ると、朝の四時だった。
 二階へ上がって蒲団へもぐると、腹が鳴った。八時に出かけるときよりも腹がへっていた。母ちゃんに叩かれに帰ったようなものだ、と思った。

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壊れやすきもののはじめの桜貝

2020-04-14 05:54:10 | 俳句

壊れやすきもののはじめの桜貝         川崎展宏

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少しづつ場所移りゆく猫の恋

2020-04-13 05:46:32 | 俳句

少しづつ場所移りゆく猫の恋        桂米朝

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一草も眠らず朧月夜なり                            島田葉月

2020-04-12 05:23:01 | 俳句

一草も眠らず朧月夜なり
                           島田葉月

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「フレデリック」 レオ・レオニ

2020-04-11 05:29:12 | 文学

「フレデリック」 レオ・レオニ

         谷川俊太郎 訳



まきばのふるいいしがきのなか、のねずみのいえがあった。
おひゃくしょうさんがひっこしてしまったので、
なやはかたむき、サイロはからっぽ。
そのうえ、ふゆはちかい。
ちいさなのねずみたちは、とうもろこしと きのみと こむぎと わらを あつめはじめた。
みんな、ひるも よるも はたらいた。
ただーフレデリックだけはべつ。
「フレデリック、どうして きみは はたらかないの?」
「こうみえたって、はたらいてるよ。さむくて くらい ふゆのひのために、ぼくは おひさまの ひかりを あつめてるんだ」
「こんどは なにしてるんだい、フレデリック?」
「いろを あつめてるのさ。ふゆは はいいろだからね」
「ゆめでもみてるのかい、フレデリック」
みんなは、すこしはらをたててたずねた。
「ちがうよ、ぼくは ことばを あつめてるんだ。ふゆは ながいから、はなしのたねも つきてしまうもの」
ふゆがきて、ゆきが ふりはじめた。
五匹のちいさなのねずみたちは、
いしのあいだの かくれがに こもった。
はじめのうちは、たべものもたくさんあった。
のねずみたちは、ばかな きつねや、
まぬけな ねこの はなしを しあった。
みんな ぬくぬくと たのしかった。
けれど すこしずつ、きのみやくさのみは へっていった。
わらも なくなった。
いしがきのなかは こごえそう。
おしゃべりを するきにも なれない。
そのとき、みんなはおもいだした。
おひさまのひかりや いろや ことばについて
フレデリックがいったこと。
「きみが あつめたものは、いったい どうなったんだい、フレデリック」
「めを つむってごらん」
フレデリックは いった。
「きみたちに おひさまを あげよう」

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf