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毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

将棋 「藤井新棋聖」誕生!

2020年07月17日 09時29分38秒 | 日常

 将棋がお好きなツイ主さんがおられるんですね。昨日も棋聖戦を対局開始から熱く見守っておいでだったのですが、いよいよ最終局面というあたりで、「歴史的瞬間に立ち会えるから、今すぐアベマを観て!」と呟かれたのを読んで、楽天の応援を中断して、ライブ中継を観る事にしました。

そして無事に藤井棋聖誕生の瞬間に立ち会えたんですが、強く印象に残ったのが、勝敗のつく前の渡辺明二冠の姿でした。天井を見上げる、身体をゆする、顔の汗を拭く等、たぶん、もう敗着は判っておいでなんだろうなぁと素人がわかるほどの動きでした。

そうしたら解説者が「負けを受け入れるのには、こういう時間が必要なんです」という事を仰って、勝負の世界の厳しさに胸が痛くなりました。

 

↓ 私は将棋はルールも満足にわからないのですが、広瀬八段の「局面を複雑化して戦機を待つ」「優勢になってからは負けにくい、リスクの少ない指し方」という、藤井棋聖の必ず勝つ!という意思を感じる戦法に痺れました。

この記事を読んでいて、『銀英伝』のヤン提督の戦いぶりを思い出しました。

☆「スポーツ報知 / 藤井新将聖、センス光った80手目3八銀・・・広瀬章人八段が見た」

( https://news.yahoo.co.jp/articles/27d19bc0fdf8039dc6776fb357b2b5f0742943cc )より引用

 中盤までは少し劣勢を意識していたはずですが、盤面全体を使って局面を複雑化して戦機を待つ指し回しを貫き、実らせたセンスが素晴らしかったです。  

優勢になってからは負けにくい、リスクの少ない指し方を選んでいたのも今の藤井さんの力を表しています。もっと早い寄せもあったと思いますが、手堅くまとめたのは、多くの経験を積んで得た強さだと思います。

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↓ 以前なにかで読んだ杉本八段のお話で、亡くなられた師匠の板谷四段の事をとても尊敬されていて、故人が強く望んでいた、子どもたちへの将棋指導をもっと普及したいという願いを継いでいきたいと語っておられました。なので、藤井棋聖の活躍は、本当に嬉しいことなんでしょうね。

☆「日刊スポーツ / 藤井新棋聖、師匠杉本八段に「恩返しできたのかな」」

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/trend/f-so-tp0-200716-202007160001020
より引用

 師匠の杉本昌隆八段(51)は弟子の快挙を喜んだ。日本将棋連盟を通じ「藤井聡太新棋聖の誕生をうれしく思います。10年前、小学生の聡太少年に出会ったときから、この日が来ることを確信していました」とコメントした。

終局後の記者会見に同席した杉本は「東海にタイトルを持ち帰るのは私の師匠である故板谷進の悲願でした。孫弟子である藤井棋聖が持ち帰ることができ、感慨深い」としみじみと話した。豊島将之竜王・名人は愛知出身だが、現在は兵庫県に住んでいる。

故板谷進九段は47歳で志半ばで急逝した。名古屋市内にある杉本の将棋研究室には、弟子たちの頑張りを見守るように、故人となった師匠の写真が高く掲げられている。藤井もここで研さんした1人だ。

師匠の満足そうな笑顔を見た藤井は「ずっとお世話になってきた。恩返しできたのかな」とはにかんだ。

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↓ もうひとつ、藤井棋聖の人としての在り方を書いた、とても良い記事がありました。

>「なくてはならないもの」というレベルを超えている将棋という存在について、感謝の心を忘れない。

ここを読んで、その在り方がフィギュアスケートの羽生選手と重なるように思いました。

☆「ABEMA TIMES / 相手と将棋に礼を尽くして・・・誰よりも低く、深く下げる藤井聡太棋聖の「お辞儀」」

https://news.yahoo.co.jp/articles/d4652b2f70f5b2800ca9643117c8414cd612e69a )より引用

 世の中の負けず嫌いが集まった、と言ってもいいようなプロの将棋界。当然、藤井棋聖も筋金入りだ。

(中略)

負けた時は自分が先に頭を下げることになるが、勝っても負けても相手より先に頭が上がることがない。プロ入り以来、ずっと目標に定めてきたタイトル獲得が決まった瞬間も、その姿勢が崩れることはなかった。

将棋に対して、努力して強くなるというよりも、共に生きて強くなっているタイプだ。生活の中に将棋があるのではなく、将棋の中に自分が生きている。そんな感覚すらある。将棋のことを考えている方が、ニュートラルなのかもしれない。「なくてはならないもの」というレベルを超えている将棋という存在について、感謝の心を忘れない。だから毎回、深くお辞儀する。

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コメント
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