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少子化と労働問題3

2005年12月18日 19時03分22秒 | 社会全般
色々な議論を巻き起こした内閣府の報告(若年無業者に関する調査)ですけれども、分析手法もさることながら、他の統計資料との繋がりが今ひとつ判らない部分もありますね。雇用労働関係の統計についても、担当省庁によってまちまちであったりします。


従来の主な統計の例を挙げると、文部科学省の「学校基本調査」があります。この中では卒業数、進学・就業等の分類がなされますが、どれくらいが仕事に就いてるかというのも不明な部分があります(追加:高校中退者とかも統計数値には入ってこないかと思います)。「進学も就職もしない者」には家業・家事手伝いや海外留学なども含まれてしまっていたりして、現実にどの位の生徒が「本当に何にもしてない無業者」なのか、というのが不明であったりします。就職率も本当に正確な傾向変化を反映しているかちょっと良く判りませんが、「就職率」という用語は卒業者のうち就職した人の割合であって、「就職希望者の内どの位就職できたか」ということとは違います。これも誤解の多い言葉かもしれませんね。「就職内定率」とか、そういう意味で用いてしまってる場合もあるかもしれません。

まあ、いいですが、この就職率は中・高・短大・大学と言う順で見ると、90年とはかなり変わっています。
90年:2.8-35.2-87.0-81.0
05年:0.7-17.4-65.0-59.7
となっています。中卒、高卒のうち就職する割合がかなり減ってると思いますが、短大・大学でも進学などで就職してない人達が結構いると思われます。なので、全体的には「就職しない学卒者達」というのが実際に増えている、ということが観察されます。実数でも考える必要がありますけれども。


ここ2年くらいでは、「進学も就職もしない人」というのは減少傾向にあります。中卒であっても、海外にサッカー留学するとか、囲碁のプロ棋士になる為に院生に専念するとか、色んな理由があったりするので、これも一概に言えません。しかし多くの「進学も就職もしない人」は、何かの目標とかを持って生活していないかもしれません。彼らがどのような進路をとったのか、追跡して頂けるといいのですけれども。
就職数と進学・就職しない人の数を直近で順に見ると次のようになります。

01年 13268;20472
02年 11088;20864
03年 9310;19144
04年 8653;17292
05年 7892;15180

このように就職数は減少しておりますが、一方でいずれでもない人達も減少傾向にあります。01年までは後者の数は増加していましたが、これは統計の取り方の変更も関係してるかもしれません。

中卒者に対する求人も、就職者も減少傾向にある、ということは言えるかと思います。社会環境としては、高等学校以上の学歴を必要とする職種が増えて(単純労働が減ってるということでしょうか?)いるのかもしれませんが、求人を出しても実際に働く人が少ないのであまり求人の意味がなくて減少してきたという側面も考えられます。実際どうなのかは判りません。


中卒者に限らず、高卒者への求人もかなり減少しております。一昔前とは比べものになりません。10分の1という水準で減少しています。

厚生労働省の労働経済白書で見ると(これも統計資料があっちこっちでバラバラですな。内閣府に統計の司令塔を置くのであれば、もうちょっと系統立てて欲しいものですね。探すのが面倒)、代表的なところを記すと次の通りです。90-92-99-04年のそれぞれ3月卒者に対する求人数を挙げてみます。90年はバブル期、92年頃は概ね求人数の最大時期、99年は金融危機後に本格的リストラ開始時期(98年3月の新卒者採用を減らすのが間に合わなかったのだろうと推測、98年との落差は非常に大きい)、04年が最新データです。

製造業       571985-707323-142367-80089
建設業       114563-149988-37388-18044
卸・小売・飲食業 345470-409142-78319-46650
金融・保険業   25094-27800-3976-1980
サービス業     220637-294584-79791-64443
農林漁業      2317-2831-1017-1061

このような感じです。製造業ではかつて70万人規模で募集していたものが、今は8万人ですから、純減数は62万人分です。この受け皿が消滅した可能性がある、ということですね。これはグローバル化の進展にも影響されている(国外に工場移転?)かどうかは不明です。これほどの求人減少ということは、何かの理由があるはずです。正規雇用削減を積極的に行うようになってきた99年以降であっても、更なる削減を続けたということですね。経済財政白書で言うところの、「雇用の過剰」削減をまさに実践したとも言えるでしょう。若年労働者(特に新卒)は、現場で直ぐに使える能力は殆ど持ってないですから、企業としては「即戦力」を好んで求めるようになってきた、とも言えるのかもしれません。


就職内定状況(内定率)では、高卒が同じ年度で見れば95.3-95.2-83.7-76.7ですから、悪化していることは確かですね。大卒と短大卒は正確なデータが無くて、97年以降しかなかったのですが、一応書いてみると次のようになります。年は97-99-04です。
大卒 91.0-88.7-82.1
短大 82.5-79.1-68.5
このようになっていますが、悪化は高卒と同じ傾向ですね。特に短大卒というのが、かなり影響を受けた感じですね。これは恐らく就職を希望して就職活動を行った人々での内定率だろうと思います。希望してなかったり就職活動をしなかった人達がどうなのか、というのは不明です。


大卒の「進学も就職もしない者」(以下、大卒無業者と呼ぶ)を見ると、学校基本調査のデータからは次のような傾向があります。
90年の卒業者は約40万人、就職約32.4万人で大卒無業者は約22000人(約5.6%)であった。これが96年になると卒業数が約51.2万人と初めて50万人を突破、就職約33.8万人と90年よりも多いが大卒無業者も約8万人と増加している。00年では約53.9万人卒業、約30万人が就職、約12万人が大卒無業者、04年は約54.9万人卒業、約30.6万人が就職、約11万人が大卒無業者ということになっています。ただ、03年以前は外国学校とか専修学校への進学も大卒無業者にカウントされており、現実的な数がどうなのかは不明です。海外留学がそれ程珍しくなくなって、かなり海外へと向かっていったと思いますので、大卒無業者の全部が本当に何もしていないかというとそんなことはないと思います。また、就職数ですけれども、最も多かった92年の35万人と99年の32万人とでは3万人の違いに過ぎず、最悪期とも言える00年や03年でも30万人程度ですから、「雇用が悪化している」とは言いながらもそれなりの数が就職していることはしている。しかし、問題は出てくる数が相当増えていて、あまり就職に有利ではない大学を出ても就職出来なかった人達は結構存在したであろうと思われる。それが大卒無業者の増加という形で出て来た可能性はある。また、「一時的な仕事に就いた者」という数で見ると(恐らくこれはフリーターという意味であろう)、90年に3645人、92年でも3941人であったのが、96年には1万人を超え、00年には2万人を超え、氷河期の03年では約2万5千人となっている。だが、これは大卒無業者よりも少ない数であり、実態とは異なっている可能性がある。


採用する企業側としては、高卒の採用を減らしていき、大卒もそれなりに減ったりしたが、一応30万人ラインは大体維持されていた。しかし、大卒新卒者は増える一方で、正規採用から漏れた人々が累積していくこととなり、就職の絶対数(イス取りゲームのイス数)はそこそこ変わらずにあった(30万人分)が、競争者達が多いので就職戦線から降りる人々も出てきたのかもしれません。これは「大学を出て、いい会社に入る」という幻想とも言うべきパターンを多くの人々が信奉していたからなのかは不明です。ですが、元々生徒数が多く(団塊ジュニア層)、大学進学率もそれなりに高くなってきて、大卒者への仕事供給は追いつかなかったということがあるのではないか、と思います。それか、自営業者の減少とか(家業を継ぐ人が減って、被雇用者の道を選ぶ方が多くなった、とか?)、離農者増加といった産業構造変化も関連していたのかもしれないけど。


仕事供給が追いつかない理由というのも、正確には判らないけれども、これは女性の就業が関係しているのではないかとも思う。それは「自立した女性」として仕事を頑張る女性たちが増えて、そういう考えを持って働いていた人々が中々「仕事を辞めない」ことによって、「空きイス」が出来なくなってしまった可能性があるのではないかな?ということです。仕事に張り切っていた女性たちは、20代~30代くらいの人達でなかったか、と。結婚して専業主婦になる、というような古臭い考え方を持たないことでも、そういう「仕事を頑張る」女性たちが残っていたのではないのかな、と。97年以降の労働力化率は減少トレンドであり、景気回復の兆しが見えてきた03~04年くらいでも減少傾向である。ところが、25~29歳女性の労働力化率の変化を見ると、75年頃(ウーマンリブ?とかの頃?ちょっと古すぎてよく判りませんけど)からの長い上昇トレンドであり、「仕事をしよう」という女性は労働力人口として増加してきた、ということが言えると思います。昔みたいに、「職業婦人は~~」とかの批判はなくなり、学校を卒業した後で花嫁修業の為に仕事に就いたりせずに過す人達にも殆ど出会わないですね(笑)。つまり、大抵の女性は卒後働く、ということで、90年代前半に就職したような女性たちの多くは、直ぐに結婚したりなぞせずに、仕事を続けたりしてきたのだろうと思う。それ以後に新卒で就職した女性達の中には、「何かの仕事能力」を得て、派遣や契約社員などの形であっても仕事の現場に存在し続け、一定の仕事量を確保してきたんじゃないかな、と思うのです。


その分は、後から参入しようとする人達(新卒の人や正規採用されずフリーターなどで生活して、次のチャンスを待っていた人達かな?)にとっては、座るべきイスが余ってない状況も想定される。これが本当かどうかは判らないけれども。平均結婚年齢が上昇したこととの関連性はよく判りません。例えば「結婚への幻滅」というのが強くて、その結果結婚したがらない女性が多く出ると、勢い「仕事に生きてやる」とかって強い決意を生んだかもしれない(単に1人で生きていく為には必要という事情かもしれない)し、仕事が好きで好きでしょうがなくて「自分のキャリアを大切にしたい」と思うことで結婚を先延ばしにしてきた女性が相対的に増えたのかもしれない。そこら辺の事情とか女性の考えはよく判らないが、25~29歳の女性における労働力化率では、仕事を続けよう・やっていこうとする女性が過去30年間に渡って増えてきたトレンドを物語っていると思う。


男性はどうなのかというと、00年以降の傾向としては労働力化率は減少傾向であり、特に24歳以下の年代では男女共に低下傾向が見られる。就業を希望していない層が増加した為なのか、他の進学や仕事以外にやるべきことが増えたからなのかは不明である。労働力人口と非労働力人口の区別としては、「求職活動をしているか、いないか」というのが大きな違いとなっており(失業率もそうなんですが)、内閣府の調査においてもここの違いに着目して区分したんだろうと思います。つまり、求職活動「あり」(いわゆる失業者)と「なし」(非労働力人口)群に分け、後者の群でさらに就業の希望「あり」と「なし」という具合にしたのだろうな、と。従来非労働力人口に算入されてきた若年者を探ろうとしたのではないかな。


疲れたので、とりあえず載せます。


少子化と労働問題2

2005年12月18日 14時16分12秒 | 社会全般
問題が非常に大きすぎて、個人の手に余るのですが、もう少し考えてみたいと思う。私が以前から提案していることは、個人単位の社会保障を確立した方がいいのではないか、企業等の雇用側は正規・非正規雇用に関係なく応分の負担をするべきではないか、ということでした。これは個人に入ってくる賃金という形(要するに貰う側にとって目に見える形)での平等効果(言葉が変ですが、表現が思いつかないので)ではなくて、社会的負担とか制度的なバックアップになるかと思います。個人の賃金を「同一労働・同一賃金」という金科玉条で解決しようとするのは甚だ困難である、ということには同意します。これはどこまでを「同一労働」と考えるかにもよると思うからです。ここを区分することはかなり困難だろうと思います。


また例で申し訳ないですが、仮にとあるラーメン屋があるとします。人気店でいつも忙しく店員達も休む間も無く働くということになるのですが、一方不人気の店もあってこちらはダラダラと仕事をしたりするとします。これはどう見たって、人気店の方が大変で不人気店は楽かもしれないですね。となれば、同じ「ラーメン店」ということであっても、賃金が異なるのは仕方がないのですね。これは売上ということにも相関しており、ひいてはお客様が「仕事の価値」を判断するという市場原理が働いているということにもなります。店員の賃金を間接的にマーケットが決めるという部分がある、ということです。これによって、とんでもなく不味い小料理屋とかイタリアンレストランは、マーケットの評価を受けて安い賃金が決定付けられ(悪けりゃ退場かな?)、良い仕事として評価が高ければ高い賃金も可能ということです。経営者の判断もあるので一概に言えませんが、従業員達にとっては良い評価を受ける店での就業によって、「不人気店よりも高い賃金が貰えるかもしれない」とか「賃金は少ししか変わらないが良い店の作り方を学べるかもしれない」というような利点が生まれます。なので、同じ仕事として「同一賃金」ということを実現するのは、中々難しいと思います。業務格差が少ない、例えば「中学校教員の業務」や「廃棄物回収業務」のような仕事においては、それなりに似た賃金体系が望ましい場合もあると思いますが(これも、最低賃金という意味で水準を設定することには意味があると思いますが、業績評価(それに応じた賃金上乗せ)はまた別の判断が必要なのだろうと思いますけれども)。


同一賃金という方法ではなくて、雇用の大きな分断となっていると考えられる社会保障の部分について、「格差を縮小する」という方が望ましいのではないかと思っています。それは例えば年金モデル世帯における「専業主婦」世帯と、共働き世帯の不平等にも現れています。専業主婦に優遇的であり(政策として女性の就業率を下げたい、という目的でもあるならば別ですが)、女性が自分の仕事を続けることによって不利となってしまう面があります。今後労働人口が減少していく中で、貴重な労働力として考えるのであればなおのこと、仕事をすることが賃金や年金に反映されるような社会保障制度が望ましいと思いますね。

それよりももっと大きな問題は、所謂フリーターと呼ばれる若年者達の「労働者としての権利」は考慮されているのか、ということです。国民年金や国民健康保険という制度に加入可能ですので、決定的な不利とまではならないとしても(しかし一部には未加入・未払い問題がある)、雇用保険にも未加入となってしまったりすると失業時の「保障」というのは全くありません。雇用契約においても不利な取扱となってしまい、実質的には正規雇用者達と大きな違いがない業務従事であるのに、権利は殆ど守られることがありません。こういう若年者達が増加することを許容するのであれば、それも仕方がないでしょうけど。


若年者達がフリーターやニートと呼ばれるような状況となってしまうと、その後の採用においても新卒者に比べて不利を覚悟しなければなりません。企業への調査においても約3割が「採用しない」としており、影響がないと考えている企業もあるものの、就業チャンスは少なくなってしまいます。それだけ「狭き門」となる、ということです。またフリーターの5年後滞留率(今フリーターの人が5年後にもフリーターである割合)は6割弱となっており、一度フリーターの道を歩み始めると、もう正規採用への道が閉ざされることも有りえる、ということです。このような人々は一生涯労働者としての権利を守られることなく過ぎてしまうかもしれないのです。それならば、働き方による区分を設けないようにして、賃金の差があるのは受け入れる(個人的能力などの違いもあると思うので)としても、社会保障という部分では大きな格差が生じないような方向性の方が望ましいと思います。すなわち、「正規雇用」「非正規雇用」という区分を、社会保障とか労働者権利からは無くしていく、ということです。現在のフリーター達にとっては、いかに転職を繰り返して沢山の仕事に就き、色々な経験を積み重ねたとしても、その後の仕事や賃金には反映されない場合が多いのではないかと思います。フリーターの職歴はほとんど評価の対象とならない、ということであれば、その人にとってそういう働き方はマイナスでしかないのですが、現実には雇用側がそういう若年者を求めて求人を多く出していたりするのは、別な見方をすれば大変ズルイやり方なのです。


雇用者側の社会保障負担が直線的になるのであれば、評価も概ねそのようになっていくと思います。一定の能力を持つ個人に対しては、その仕事の出来に応じてそれなりの賃金が支払われると思います。市場創生期では派遣・契約社員達の保障が不十分であることも多かったと思いますが、改善が進んでいる面もあるかと思います。正規雇用ではなくとも、そうした労働者達の権利を保護しようという意味だろうと思います。流動的な雇用ということも理解できますので(特に景気循環に左右され、昔のようにクビになってしまうリスクというのもそれなりにあったのかな、と)、働き方などによらず仕事の評価を受けられること、それに見合う保障や権利が確保されること、などが望ましいと思います。それによって、従来の正社員達の中に起こりつつある過重負担(週60時間以上の労働など)も緩和されるかもしれません。多くの若年者達は何か特定の仕事の能力とかスキルとかを身につける前の段階ですので、どこかでそうした教育とかトレーニングを受けないと、派遣にも契約社員にもなれない、という面もあると思います。正規雇用から漏れてしまって、キャリアを積める機会すらない、という状況が続くということになります。それがフリーター歴が長く続いてしまう理由の一つなのかもしれません。


若年労働者達の権利とか保障をどのように考えるか、職歴と個人の能力アップをどのように考えるか、幾つかに区分して問題解決の糸口を探すしかないと思います。




少子化と労働問題

2005年12月18日 04時29分48秒 | 社会全般
最近ちょっと肉体的に弱ってますけど、思うところを書いてみたいと思います。人口減少社会となっていくことは周知と思います。少子化によって若年人口が減少してしまう為ですね。最近の若い人達が結婚しない為に、生まれる子供達も少なくなっていることが影響しているとも言われてます。平均結婚年齢などからは晩婚化が窺えますし、生涯未婚率についても男性では12%以上ということも言われています。以前に各年代では男性が女性よりも常に多い、ということを書いたことがありますが、それが影響しているのかどうかは不明です。若い人達が結婚しない為に、産まれてくる子供が少なくなってしまうとしたら、そこへの対策を考えないと「少子化対策」としては不十分なのかもしれません。


では、なぜ結婚しないかというと、「お金がない」ことが理由の主なものとなっています。「パラサイト・シングル」の如く生活していた時期から見れば、結婚して独立した世帯を運営していかねばならないとなれば、それなりの生活力(昔でいうところの「経済力」と言うべきか、昨今の批判対象は大体こうした「~力」ですから)が必要となります。若年層の収入基盤が脆弱であれば、どうしても結婚を躊躇うということも出てきてしまい、その上「コミュニケーション能力」にいくらかの問題があるとなれば、「彼女(結婚相手)の出来ない男達」という存在も生まれてくる可能性もありますし。そういう色んな要素があって、「結婚できない」「結婚が困難」というような状況を多く生み出すのであれば、そこへの対策は必要となってくると思います。


で、若年層の収入基盤の脆弱さは、フリーターなどに代表されるような「労働問題」でもあります。ニートという語感には、世の中全体に誤解を生じやすくなっているかもしれない、ということであれば(昨年末にネット上でも沸き起こった「ニート論争」などもその一端が見られるかもしれないですね)、別な用語を定めてきちんと分類することでいいのではないでしょうか。「若年無業者」と決めるなら、内閣府とか厚生労働省とか総務省の統計での「不一致」を改めて、統一的にデータを収集・分析していけるようなものに系統立てていくべきなのではないかと思いますね。評価の仕方や政策面での不一致などを理由にして、「分析が間違ってる」「言い方が望ましくない」「そういう対象者は含まれない(or含むべきでない?)」等々、著述的な論争を繰り広げても、若年者の雇用が良くなる訳でもありませんし、問題を抱える若者が救済される訳でもありません。

研究者や学者さん達に批判的に申し上げてるのは、「フリーター」という呼称を用いることが良くなくて「非正規雇用者」とするのがいいのか、そこには呼称に対する先入観が存在するかどうかが本質的問題なのか、その検討が問題解決に有効なのか、そういうことが本当に考えられているのか疑問だということです。「ニート」という言葉に、メディアで喧伝されたマイナスのイメージがあってよろしくない、ということを研究者達の多くが認識しているのであれば、教育関係の学会とか労働関係の学会(専門外なのでよく判りませんが、用語統一の影響力が大きいところが行えばいいのではないでしょうか)などで、きちんと定義して使えるようにすれば済むことです。定義や分類をきちんと行った上で、それぞれに必要な対策を講じていくということをそれぞれの専門分野において取り組んで行けばよいではありませんか。「目の前にある問題を解決する」ということに対して、あまりに無策という印象を拭えません。他に有効な方法を知っているのであれば、そういう施策を実施できるような「現実的解決」を至急実現することが国民にとって有利なのですから。


労働問題に戻りますが、若年者達の将来を考えていくのであれば、失業、フリーター、ニート等について課題があることは多くの研究者達が認識しているでしょうから、どういった方法を考えていけばいいのか、それぞれ出して頂ければいいのではないでしょうか。一つの方法論で済むものなのか、ポリシーミックスというような考えが必要なのか、ということも研究者であれば判るでしょう。


若年層における失業率に対する要因分析では、雇用環境(景気動向などの要因)の影響が最大なのか、他の要因が影響力が大きいのかは、専門家であればきっと判るはずですね(ミスマッチ要因が最大、という研究がありますが、その信頼性は評価できる人達が正しく評価してみて下さい)。フランスやイギリスにおいて若年層の高い失業率が見られるように、確かに景気動向に左右されやすい若年者の雇用情勢であるということは日本だけではないだろう。きちんとdecent workが若年者にも(他の労働者達にも)、もたらされるようにするにはどうしたらよいか、という答えを用意するのが専門家の役割なのではないかと思う。employability の問題なのか、他の教育制度の問題(いい学校、いい会社幻想?)なのか、道徳教育的な問題(笑)なのか、それとも産業構造変化に伴うemployment creation の問題なのか、詳しい原因分析によってそういうのが見えてくるかもしれないですね。


懸念がある、誤解を含んでいる、・・・色々あると思いますが、変化の特徴を捉えること、その変化は有意なものか、変化の原因は何か、変化に与える影響の大きい要因とは何か、それぞれの要因に対策はあるか、どの対策が最も効率的か(効果のある順はどうなってるか)、そういう分析を積み上げていくべきではないかと思います。「ニート」「フリーター」などの若年雇用の問題は、ここ1~2年くらいで浮上したことですか?それ以前は無かったのですか?そういう問題は元々存在しない、ということなのであれば、今取り立てて問題視する必要性もないでしょう。誰かが世の中に問題提起を行って、それが俎上に上ってきたのであれば、そのこと自体には意味があると思うが。問題意識というか、そこに目を向けさせたことに一定の効力があったのではないか。