皇位継承については、以前に少し触れましたけれども、心の問題でもあると思いますね。男系男子以外に認められないというような意見を強硬な保守派が述べたりしてるらしいのですが、何だか私の受け止め方とは違うと感じました。
これはあくまで私の感覚に過ぎませんが、もしも天皇陛下の純粋な臣下を自認するような人々(所謂タカ派的保守派?)が反対したりしているのであれば、元々臣下に過ぎない連中が天皇家に「意見する」などということは畏れ多いことなので、意見すること自体を止めたらよろしいかと。また、「法による規定」ということも、長きに渡る歴史的にはちょっと「違う」ということかな、と思ったりします(勿論現代社会の仕組みの上では止むを得ないことなのですけれども)。法による、というよりも、元々は自然発生的な「ことわり」(?、と言うべきなのか判りませんが。「道理」ということかもしれません)というようなものであって、それはひとえに「民(国民)が天皇に対して尊崇の念を持ち続ける」ということによって支持されてきたと思います。世俗的権力とか、実際的な執政といった部分に重点があるのではなく、「天皇という存在」とそれを尊敬する気持ち、という実体と思考が一体化したもの―ある種の現象ともいうべきもの―が継続されてきたように思えます。
それゆえ、時の権力者達が栄枯盛衰を色々繰り返し、歴史の中に消え去ろうとも、天皇は存在を保ち続けました。それは1人の「人間の存在」ということに対してではなく、「存在と民の気持ち」が一体化したという、実体を伴わないものが真の存在だからだろうと思っています。もしも、数多の権力者達のように、実体化した「人間の存在」としてその存在が維持されるとしたならば、他の権力者達と同様に途中で消え去ってしまったかもしれません。単なる「人間の存在や地位」というのは、多分時間の壁を乗り越えることは困難なのです。逆に実体化していない、知恵とか宗教とか伝承とか、そういったものは時間と歴史の壁を乗り越えて、残されていくものだろうと思います。天皇の存在もまた、そういう「民の気持ち」という目に見えないものに裏打ちされた存在でありますので、継続されてきたのだろうと思います。
大変申し上げ難いのですが、あれこれ文句を言う保守派というのは、「この方を天皇とするのは賛成だが、この方を天皇とするのは反対だ」というような、まことに見苦しい、畏れを知らぬかのような意見を言っているようなものです。純粋な臣下に選択の余地など有り得ません。そういうことではなくて、それぞれの国民に「気持ち」さえあれば、どなたが皇位を継承されたとて、敬い、お慕い申し上げるはずなのです。そういう気持ちが足りないから、平凡な民の分際で意見したりするのです。そもそも国民が天皇を選ぶのではありません。天皇をお慕いする気持ちが、存在を実体化させ、維持・継続させるのです。
「Y染色体の継承」という点も出されていましたが、本当にそういう「血の伝承」を長い歴史の中で考えているのかどうか判りません。
途中ですが、後で追加します。
復活です。笑
Y染色体の継承という論点ですけれども、これは多少の議論があるやもしれません。ヒトとその他の動物が同じかどうか、というのは何とも言えませんが、少し考えてみますね。
サラブレッドはスタッドブックとかの血統書によって血の継承が記録されており、父系は遡れば3系統に全て行き着くそうです。つまり現在のサラブレッドの先祖は、3頭の「お父さん」馬から生まれたということになるようです。系統図で18世紀あたり以降の全ての血統が明らかになっているのです。では、その3頭は何処から生まれてきたのか?この3頭のY染色体は何処から継承されてきたか?ナゾですね。これはよく分からないのですね。「記録に残っているところ」までが、「正統な血統」ということですね。それ以前というのは、どうなっているかは誰もよく知らないし判らないのです。大袈裟な言い方をすれば、「何処の馬の骨」とも知れないような(笑)牡馬からY染色体を受け継いできたかもしれないのです。でも「いい馬」ということで、記録が残っていさえすれば、それ以後の血統は「正統」と評価される、ということですね。
もう一点、Y染色体は永久不変の遺伝情報を持つのか?ということです。通常、常染色体は父系と母系の遺伝子の組み換えが起こり、染色体の交換が行われるということです。なので、色々な遺伝情報が父親からも母親からも子供に受け継がれる、ということになるのです。では性染色体はどうなのか?女性はX染色体が2つ、男性はXとY染色体の組み合わせとなりますので、男子と女子では考え方が多少異なるかもしれません。正確には知りませんが、常染色体とほぼ同じと考えると、X染色体同士では組み換えが起こってもよさそうです。もしそうであれば、女性の場合には次の世代に受け継がれる遺伝情報は、父系と母系の両方(父方の持っていたX染色体と母方が持っていたX染色体)が遺伝情報を(組み換えによって)交換する可能性がある、ということになります。ところが、Y染色体はX染色体とほとんど組み換えが起こらないということで、男子の場合にはY染色体がそのまま受け継がれているだろう、という推論に基づいていると考えられます。それはどういうことなのか?
ここで、ある仮定をしてみます。Y染色体は組み換えが一切起こらず、基本的に全てそのまま遺伝されるとします。ならば、男子が持つY染色体は常にその父系の染色体しか遺伝されず、その遺伝子は不変ということになります。これはどういう意味なのか?ただ1人の女性-イヴ-に行きつくミトコンドリアの遺伝子のように、あるいはスタッドブックの始めの牡馬のように、最初の父親に行き着くということになります。そして、「日本人」という民族が始めて誕生した時には、まさに「アダムとイヴ」のような日本で最初の(笑)男性と女性に行き着くはずなのです。その男性が持っていたY染色体は、その後の子孫全員に「そのまま遺伝」されていたはずであり、つまりは日本人全部が同じY染色体を有していても不思議ではないのです。その場合には、女性天皇が日本人の誰と結婚し子供を産んだとしても、全員同じY染色体なので、特別に「Y染色体の継承」に拘る必要性はなくなりますね。
この仮定の場合には、Y染色体が登場してからの人類の持つY染色体は全て同じはずである、ということになります。遺伝子組み換えによっては、新たな遺伝情報は登場し得ない、ということですね。中には突然変異型が登場しないとも言えませんが(可能性だけを考えれば)、そうした突然変異は数万~数十万年に一度とかの非常に稀な頻度しか生じないかもしれません(進化速度などの研究もありますから、そうしたものを調べて頂ければと思います)。生物種に雌雄が出来てからは、特に哺乳動物の場合には、ひょっとするとY染色体は「種」特有の同じ遺伝子しか有していないということなのかもしれません。それは、その種特有の一定の形質発現が起こる、ということです。例えば、国鳥であるキジのオスの羽(メスとは違った外見、派手ですね。ありゃ、キジは鳥だな、哺乳類じゃなく。ゴメン)とか、鹿の角みたいな違いとか、イルカのヒレの形とか、何かそういった違いがあるだけで、種内では違いがないのかもしれません。
別な仮定としては、同じ種ごとであっても異なるY染色体を幾つか有するということであれば、それ以前の祖先でどのように誕生していったのかが気になります。X染色体との組み換えがほとんど起こらないのに、別の遺伝型を持つY染色体が誕生しなければならないのです。初めてある種が登場するとしても、偶然似たような遺伝子の変化を獲得するということになる、ということですね。馬であれば、アフリカ大陸の中に、偶然ごく僅かに異なったY染色体を持つオスがそれぞれ別に誕生するということになります。でも、形質発現や遺伝子型はほとんど同じであって、生物学的にはあんまり区別がつかないということですね。ヒトであれば、「黒い髪、黒い瞳、切れ長の目」というような特徴を有する男性が存在しても、それぞれが違ったY染色体を有している、ということです。その先祖はそれぞれ別に存在しており、同じ先祖から分岐した訳ではない、ということです。これはかなり難しいかもしれませんね。生物学の専門家から見て、どうなんでしょうか。イヌであれば、同じ土佐犬であっても、別々のY染色体を有している、ということですね。
もしもX染色体との僅かな組み換えによって、Y染色体に変化を生ずる、ということであれば、そもそもY染色体の継承というのが重要な意味を持たなくなります。それは女性の持つX染色体によって影響されるということになり、結局「誰と結婚し子供ができるか」ということに依存することになってしまいます。
いずれにしても、染色体議論はちょっとよく判りませんが、そういうことが「最も大事なんだ」ということは、感覚的に理解出来ません。天皇家の「血継」を詮索するのも、一般庶民の考えるべきことでもないように思えます。そういう正統性よりも、心の中にある正統性の方がはるかに意義のあるものではないかと思えるからです。
これはあくまで私の感覚に過ぎませんが、もしも天皇陛下の純粋な臣下を自認するような人々(所謂タカ派的保守派?)が反対したりしているのであれば、元々臣下に過ぎない連中が天皇家に「意見する」などということは畏れ多いことなので、意見すること自体を止めたらよろしいかと。また、「法による規定」ということも、長きに渡る歴史的にはちょっと「違う」ということかな、と思ったりします(勿論現代社会の仕組みの上では止むを得ないことなのですけれども)。法による、というよりも、元々は自然発生的な「ことわり」(?、と言うべきなのか判りませんが。「道理」ということかもしれません)というようなものであって、それはひとえに「民(国民)が天皇に対して尊崇の念を持ち続ける」ということによって支持されてきたと思います。世俗的権力とか、実際的な執政といった部分に重点があるのではなく、「天皇という存在」とそれを尊敬する気持ち、という実体と思考が一体化したもの―ある種の現象ともいうべきもの―が継続されてきたように思えます。
それゆえ、時の権力者達が栄枯盛衰を色々繰り返し、歴史の中に消え去ろうとも、天皇は存在を保ち続けました。それは1人の「人間の存在」ということに対してではなく、「存在と民の気持ち」が一体化したという、実体を伴わないものが真の存在だからだろうと思っています。もしも、数多の権力者達のように、実体化した「人間の存在」としてその存在が維持されるとしたならば、他の権力者達と同様に途中で消え去ってしまったかもしれません。単なる「人間の存在や地位」というのは、多分時間の壁を乗り越えることは困難なのです。逆に実体化していない、知恵とか宗教とか伝承とか、そういったものは時間と歴史の壁を乗り越えて、残されていくものだろうと思います。天皇の存在もまた、そういう「民の気持ち」という目に見えないものに裏打ちされた存在でありますので、継続されてきたのだろうと思います。
大変申し上げ難いのですが、あれこれ文句を言う保守派というのは、「この方を天皇とするのは賛成だが、この方を天皇とするのは反対だ」というような、まことに見苦しい、畏れを知らぬかのような意見を言っているようなものです。純粋な臣下に選択の余地など有り得ません。そういうことではなくて、それぞれの国民に「気持ち」さえあれば、どなたが皇位を継承されたとて、敬い、お慕い申し上げるはずなのです。そういう気持ちが足りないから、平凡な民の分際で意見したりするのです。そもそも国民が天皇を選ぶのではありません。天皇をお慕いする気持ちが、存在を実体化させ、維持・継続させるのです。
「Y染色体の継承」という点も出されていましたが、本当にそういう「血の伝承」を長い歴史の中で考えているのかどうか判りません。
途中ですが、後で追加します。
復活です。笑
Y染色体の継承という論点ですけれども、これは多少の議論があるやもしれません。ヒトとその他の動物が同じかどうか、というのは何とも言えませんが、少し考えてみますね。
サラブレッドはスタッドブックとかの血統書によって血の継承が記録されており、父系は遡れば3系統に全て行き着くそうです。つまり現在のサラブレッドの先祖は、3頭の「お父さん」馬から生まれたということになるようです。系統図で18世紀あたり以降の全ての血統が明らかになっているのです。では、その3頭は何処から生まれてきたのか?この3頭のY染色体は何処から継承されてきたか?ナゾですね。これはよく分からないのですね。「記録に残っているところ」までが、「正統な血統」ということですね。それ以前というのは、どうなっているかは誰もよく知らないし判らないのです。大袈裟な言い方をすれば、「何処の馬の骨」とも知れないような(笑)牡馬からY染色体を受け継いできたかもしれないのです。でも「いい馬」ということで、記録が残っていさえすれば、それ以後の血統は「正統」と評価される、ということですね。
もう一点、Y染色体は永久不変の遺伝情報を持つのか?ということです。通常、常染色体は父系と母系の遺伝子の組み換えが起こり、染色体の交換が行われるということです。なので、色々な遺伝情報が父親からも母親からも子供に受け継がれる、ということになるのです。では性染色体はどうなのか?女性はX染色体が2つ、男性はXとY染色体の組み合わせとなりますので、男子と女子では考え方が多少異なるかもしれません。正確には知りませんが、常染色体とほぼ同じと考えると、X染色体同士では組み換えが起こってもよさそうです。もしそうであれば、女性の場合には次の世代に受け継がれる遺伝情報は、父系と母系の両方(父方の持っていたX染色体と母方が持っていたX染色体)が遺伝情報を(組み換えによって)交換する可能性がある、ということになります。ところが、Y染色体はX染色体とほとんど組み換えが起こらないということで、男子の場合にはY染色体がそのまま受け継がれているだろう、という推論に基づいていると考えられます。それはどういうことなのか?
ここで、ある仮定をしてみます。Y染色体は組み換えが一切起こらず、基本的に全てそのまま遺伝されるとします。ならば、男子が持つY染色体は常にその父系の染色体しか遺伝されず、その遺伝子は不変ということになります。これはどういう意味なのか?ただ1人の女性-イヴ-に行きつくミトコンドリアの遺伝子のように、あるいはスタッドブックの始めの牡馬のように、最初の父親に行き着くということになります。そして、「日本人」という民族が始めて誕生した時には、まさに「アダムとイヴ」のような日本で最初の(笑)男性と女性に行き着くはずなのです。その男性が持っていたY染色体は、その後の子孫全員に「そのまま遺伝」されていたはずであり、つまりは日本人全部が同じY染色体を有していても不思議ではないのです。その場合には、女性天皇が日本人の誰と結婚し子供を産んだとしても、全員同じY染色体なので、特別に「Y染色体の継承」に拘る必要性はなくなりますね。
この仮定の場合には、Y染色体が登場してからの人類の持つY染色体は全て同じはずである、ということになります。遺伝子組み換えによっては、新たな遺伝情報は登場し得ない、ということですね。中には突然変異型が登場しないとも言えませんが(可能性だけを考えれば)、そうした突然変異は数万~数十万年に一度とかの非常に稀な頻度しか生じないかもしれません(進化速度などの研究もありますから、そうしたものを調べて頂ければと思います)。生物種に雌雄が出来てからは、特に哺乳動物の場合には、ひょっとするとY染色体は「種」特有の同じ遺伝子しか有していないということなのかもしれません。それは、その種特有の一定の形質発現が起こる、ということです。例えば、国鳥であるキジのオスの羽(メスとは違った外見、派手ですね。ありゃ、キジは鳥だな、哺乳類じゃなく。ゴメン)とか、鹿の角みたいな違いとか、イルカのヒレの形とか、何かそういった違いがあるだけで、種内では違いがないのかもしれません。
別な仮定としては、同じ種ごとであっても異なるY染色体を幾つか有するということであれば、それ以前の祖先でどのように誕生していったのかが気になります。X染色体との組み換えがほとんど起こらないのに、別の遺伝型を持つY染色体が誕生しなければならないのです。初めてある種が登場するとしても、偶然似たような遺伝子の変化を獲得するということになる、ということですね。馬であれば、アフリカ大陸の中に、偶然ごく僅かに異なったY染色体を持つオスがそれぞれ別に誕生するということになります。でも、形質発現や遺伝子型はほとんど同じであって、生物学的にはあんまり区別がつかないということですね。ヒトであれば、「黒い髪、黒い瞳、切れ長の目」というような特徴を有する男性が存在しても、それぞれが違ったY染色体を有している、ということです。その先祖はそれぞれ別に存在しており、同じ先祖から分岐した訳ではない、ということです。これはかなり難しいかもしれませんね。生物学の専門家から見て、どうなんでしょうか。イヌであれば、同じ土佐犬であっても、別々のY染色体を有している、ということですね。
もしもX染色体との僅かな組み換えによって、Y染色体に変化を生ずる、ということであれば、そもそもY染色体の継承というのが重要な意味を持たなくなります。それは女性の持つX染色体によって影響されるということになり、結局「誰と結婚し子供ができるか」ということに依存することになってしまいます。
いずれにしても、染色体議論はちょっとよく判りませんが、そういうことが「最も大事なんだ」ということは、感覚的に理解出来ません。天皇家の「血継」を詮索するのも、一般庶民の考えるべきことでもないように思えます。そういう正統性よりも、心の中にある正統性の方がはるかに意義のあるものではないかと思えるからです。