今日はクリスマス・イヴですが、日本中で多くのカップルが何らかの消費や生殖活動に貢献することだろうと思います(笑)。昨日妻が買い物に出たら、多くの彼氏・彼女のカップルがワンサカ(死語?)来てたということを言っておりました。
意外な光景として話していたのは、デパートの化粧品の対面販売で女性がお化粧をしてもらっている間、彼氏がその傍でずーっと立って待っているんだそうです。ジッと彼女の化粧されているのを眺めているんだそうです。忍耐強いのか、はたまた変身していく彼女を見るのが楽しいのか(笑)、理由はよく分りませんが、親切というのか優しい男性が増えているのでしょうか?でも、化けてみたところで、中身が化粧前と化粧後で変わる訳でもないんですけど(笑)。こういうのは、「さなぎから蝶へ変身」とは言わない。ただ単に、カレンダーの絵に自分で別な塗り絵をしたようなものではないかと。元々の「カレンダー」は一緒ですね。
因みに我が家では、「絶対に有り得ないよね」と我が妻の弁。そうです、有り得ません。私の場合、人混みが苦手なのでそのような環境にいると徐々に弱っていく為、長時間の買い物などは高ストレス状態となり、「ちょっと、コーヒーショップで休んで待ってるから」という結末になりがちです(笑)。せいぜい2~3時間が限界時間でしょう。しかも同じ場所に、小一時間も留まるなどということは全く有り得ません。なので、化粧品売り場には一度も一緒に行ったことはないです。そういう場所が、何となく恥ずかしいし(笑)。
つい数日前に、とあるコーヒーショップで耳にした話。若い女性の2人組が私の隣におりまして、何となく話が聞えてきた。聞く気などないし、別段耳をそばだてていた訳でもない(笑)のですが、面白い話をしていた。
「ねえ、昔の彼氏から貰ったものはどうしてるのお?」
「私はね、全部捨ててる。あ、でもね写真はとっておく」
「ふーん、そうなんだあ、私はね、指輪だけ残す」
「えー、私は捨ててるけど」
「今さあ、昔もらった指輪が3つあるんだけど、全部真っ黒なんだよね」
「へー?」
「ほらあ、銀の指輪って、普段してないと黒くなるじゃん」
「あー、そうだよね」
・・・・・・
耳に入ってきた話題としては、興味深かい部分があって、是非その場で感想を言ってあげたかった。でも、変態オヤジと思われるのも困るから、勿論そんなことはしませんでしたけど。
「昔もらった指輪が3つ」というのは、女友達に対する自慢心理?なのかどうかは知りませんけれども、その3つが3つとも「真っ黒」というのは、笑えました。そりゃ、騙されてるようなもんじゃないかな?、と。確かに純銀製の食器は使っていないと酸化膜がついてしまい、黒くなると思うけど(毎日ピカピカに磨き上げていればいいのですけど、そんなの面倒に決まってますね)、通常の指輪が黒くなるというのは、「安物」である可能性が高いでしょうね。純銀製だと強度はやや不足しがちであり(変形しやすい)、強度を増す為に銅や亜鉛など別な金属を混ぜる、所謂「銀合金」のものが多いのではないかと思います。仮に純銀製であったとしても値段的にはたかが知れており(商品相場で銀と金の値段はべら棒に違います。金は1グラム1800円超、プラチナは3500円超くらいですが、銀は100グラムでも3500~4000円くらい。単価では金と50倍、プラチナとは100倍くらい違います)、プラチナ製のような金属であれば黒くなったりはしませんね。「お嬢さん、安物をつかまされた(釣られた?)んですよ」と教えてあげたかった(笑)。プラチナ製と銀製の見分けは普通つかないと思うし。金は色が違うから分かり易いと思うけど。
このエピソードから感じたのは、3つとも銀製であるということは、プレゼントする側の彼氏の「財力」というか懐具合がかなり深刻な「不況」であることを物語っているように思います。このお嬢さんがとりわけ「金のない貧乏人」が好きで、そういう彼氏ばかりと付き合っていたのなら別だろうけど、特にこの女性が「貧乏男」を選好していたとは考えられないのです(通常、そのメリットは殆どないと思います、笑)。従って、昔みたいな「3高」というのは(高学歴、高収入、高身長)、「古きよき時代の幻想」となってしまったのかもしれませんね。若者達のカップルにも、経済基盤の脆弱性がプレゼント価格の「低価格方向へのシフト」もしくは「2極化」(高いブランド品をもらえる女性と安物を掴まされる女性)をもたらした可能性があるな、ということです。彼氏のプレゼントは「値段じゃなく気持ちが一番大事」ということもあると思いますので、どのようなものであっても当人たちが嬉しいのなら、それはそれで幸せだろうと思いますけれど。
全くの印象なのですが、近年の男性の何かの「優位性」というのは、消滅しつつあるのかもしれません。多くの女性の方々から非難を受けるやもしれませんが、昔とは違った感じがします。大学進学率も、女性は年々高くなり、高学歴の女性が増えていますが、男性の方が低下しつつあるのではないかと思います。学歴でも全く遜色ない女性たちが増え、職業や給与といった社会的な評価も男性を上回る女性達が増えたことは、結果的に「結婚相手」の対象範囲を狭めたことになっているのかもしれません。考えている結婚相手としては、女性は割りと現実的に「自分よりも給与の高い男性」とか「現在の収入が何百万円以上の男性」とか「預貯金がいくら以上」とか、そういう条件を付加しているのではないかと思うのです。だが、そういう男性に出会うことが少なくなってきているんじゃないか・・・そんな気がします。
男性達がもっと頑張ればいいのだろうと思いますが、ひょっとすると「俺にまかせろ」というような部分が弱くなってきているのかもしれません。何かの番組で紹介されていたのですが、ある若いカップルがいて、彼女が「これから、何処かに行こうか」と彼氏に聞くと、「場面で良くねえ?」と言ったりするんだそうです。因みに、私には全く理解出来ませんでした。これはどういう意味か分り難いのですが、要するに「適当に、その場のノリというか雰囲気で決めよう」というようなことだそうです。これは「いつ、何処に行くか」という問いに対しては、何ら答えになっていないのです(笑)。そういうわけで、予定を決める事が出来ないんだそうです。「何処で食べようか」と聞くと、「オマエの好きな所でいいよ」とか言うならばまだ分りますけれども、「場面」で何をどう決められるのか謎なのです。これは特殊な事例なのかもしれませんが、男性達に「何かを自分が責任を持って決めよう」とか「計画的に何かをしよう」とか、そういう面が弱くなってきているのかも?と思ったりします。そういう男性達を見て、女性達が将来不安に思うことが多くなっているのだとしたら、これも困った問題ではないかな、と思います。この遠因となっているのが、ひょっとしたら家庭内での父親の弱体化ということ?なのかな、と思ったり。
「一家の大黒柱」とかそういう古い価値観は女性たちに非難されたりすると思います。しかし、実際に結婚しようと思っている女性達に、「男性がしっかりしてくれないと」と考えている部分が多いのであれば、男性が主導していくような感じにならないと、中々結婚しようということにはならないのではないかな。女性達に「自分が家計を支える」という考えが浸透して、主夫ということも抵抗なく受け入れるのであれば、それはそれでいいと思う。ライオンだって、狩はもっぱらメスが行い、オスライオンは狩なぞしないし。一生家族を養っていくぞ、っていうほど決意が強くある訳でもないが、「仕事はしたい」とか「キャリアを大切にしたい」とかの気持ちはあり、男性には「それなりの生活基盤を支える収入」を期待していたりする女性は少なくないと思う。もしも、男性側にも「自分が責任を持つ」という部分が欠けていて、女性側にも「男性がちゃんと養って」と考える部分が多ければ、結婚することが益々困難になるかもなー、と思ったりします。
「男の弱体化」「父権の失墜」「父性の脆弱化」というか(正確にはどのような表現なのか判らないのですが)、何らかの男性優位部分の消失は、女性の男性に対する信頼を失いつつあるのかもしれない。彼氏が「当てにならない、頼りにならない」と感じることが多ければ、結婚してリスクを背負ったりするのを避ける女性が増えても仕方がないような気がするのです。「玉の輿」に代表されるように、大抵の女性は結婚によって何らかの社会的評価が「アップ」することを望んでおり、敢えて貧乏男と結婚して、その夫を自分が養ってあげよう(笑)などという奇特な女性は少ないのです。仕事や社会進出は「男女平等で」などと言いつつも、現実面では結婚によって「男に何とかしてもらいたい」と願っている女性がまだ多数派であろうと推測しています。学歴、収入等のいずれにおいても、女性が上回ってしまっているならば、結婚したいと思わない女性が増えてしまうのかもしれないのかな、と。
あー、それから、昔は「そろそろお見合いでもしなさい」とか世話を焼くおばさんとか、「社内結婚」とかの微妙な「マッチングシステム」が社会的に機能していたんだろうと思う。「そろそろ結婚したらどうだろうか」などと上司がOLに声を掛けたりして、部下と見合いをさせるということもあったのかもしれない。だが、今そんなことを言ったりしたら、「セクハラだ!」とかって大問題になっちゃったりしてしまう(笑)かもしれないしね。下手に声も掛けられない。「結婚」の二文字はある意味社内で「禁句」でさえあるかもしれない(私は大企業の実態は知りませんから、全くの妄想ですからね)。出会わない、出会えない、まさに結婚漂流難民状態の人達もいるかもしれませんね。昔のドラマとかでは、「今度ね、見合いすることになったの。いい年なんだから、そろそろ結婚しろ、って。田舎に帰るわ」とかの台詞があったりした。これは多分、いつまでも「独身でいる」ならば(とは言うものの、高々25歳前後であった)、田舎の親や親類や御近所の世話好きおばさん達が「結婚しろ、結婚しろ」などとウルサク言い、相手を独自のネットワークの中から必ず探し出してきて、くっつけられたものなのだ。女性にとっては「恋物語」のようなドラマチックなものなどではなく、「まあ、ある程度仕方がないか」というような半分諦め的な妥協策がそこにはあったのだと思う。現代では、「本人の自由、意思」の尊重が大きなものとなった為に、そういうおせっかいが「ウザイ」ということになってしまう。そういうところにも、孤独の罠があるのかもしれない。「放っといてよ!私の好きにさせてよ」と娘が言ったりして、その通りにしておくと、本当に「放られっぱなし」となってしまった女性達もいたかもしれない。結婚確率は年齢依存的に、高齢化していけば低下する一方である。30歳時点で独身の女性の約半数は、その後も未婚女性のままなのである。
「田舎で、見合いしろってうるさくって。それで仕方なく見合いしただけだよ。本当だ、君を愛しているんだ」
うっかり封筒から見合い写真が落ちて、彼女にバレる、とかっていう筋書きが消えたのはいつ頃なんだろう(笑)。
こういうのが、良かったのか悪かったのかは判らないが、一部の結婚難民を救済していたことは間違いないと思う。全員が自分でそういう「手当て」が出来たはずがないのだから。小説みたいな恋愛もあったかもしれないが、大半がそういう思いを「憧れ」の中にしまって、現実的な結婚を選択していたのは何故なんだろう。「周りの皆が結婚するから」なのかな?今は、何が違うのか、やっぱりよく判らないですね。
結婚も現代では「困難なイベント」の一つということになってしまった、ということなのかもしれませんね。
意外な光景として話していたのは、デパートの化粧品の対面販売で女性がお化粧をしてもらっている間、彼氏がその傍でずーっと立って待っているんだそうです。ジッと彼女の化粧されているのを眺めているんだそうです。忍耐強いのか、はたまた変身していく彼女を見るのが楽しいのか(笑)、理由はよく分りませんが、親切というのか優しい男性が増えているのでしょうか?でも、化けてみたところで、中身が化粧前と化粧後で変わる訳でもないんですけど(笑)。こういうのは、「さなぎから蝶へ変身」とは言わない。ただ単に、カレンダーの絵に自分で別な塗り絵をしたようなものではないかと。元々の「カレンダー」は一緒ですね。
因みに我が家では、「絶対に有り得ないよね」と我が妻の弁。そうです、有り得ません。私の場合、人混みが苦手なのでそのような環境にいると徐々に弱っていく為、長時間の買い物などは高ストレス状態となり、「ちょっと、コーヒーショップで休んで待ってるから」という結末になりがちです(笑)。せいぜい2~3時間が限界時間でしょう。しかも同じ場所に、小一時間も留まるなどということは全く有り得ません。なので、化粧品売り場には一度も一緒に行ったことはないです。そういう場所が、何となく恥ずかしいし(笑)。
つい数日前に、とあるコーヒーショップで耳にした話。若い女性の2人組が私の隣におりまして、何となく話が聞えてきた。聞く気などないし、別段耳をそばだてていた訳でもない(笑)のですが、面白い話をしていた。
「ねえ、昔の彼氏から貰ったものはどうしてるのお?」
「私はね、全部捨ててる。あ、でもね写真はとっておく」
「ふーん、そうなんだあ、私はね、指輪だけ残す」
「えー、私は捨ててるけど」
「今さあ、昔もらった指輪が3つあるんだけど、全部真っ黒なんだよね」
「へー?」
「ほらあ、銀の指輪って、普段してないと黒くなるじゃん」
「あー、そうだよね」
・・・・・・
耳に入ってきた話題としては、興味深かい部分があって、是非その場で感想を言ってあげたかった。でも、変態オヤジと思われるのも困るから、勿論そんなことはしませんでしたけど。
「昔もらった指輪が3つ」というのは、女友達に対する自慢心理?なのかどうかは知りませんけれども、その3つが3つとも「真っ黒」というのは、笑えました。そりゃ、騙されてるようなもんじゃないかな?、と。確かに純銀製の食器は使っていないと酸化膜がついてしまい、黒くなると思うけど(毎日ピカピカに磨き上げていればいいのですけど、そんなの面倒に決まってますね)、通常の指輪が黒くなるというのは、「安物」である可能性が高いでしょうね。純銀製だと強度はやや不足しがちであり(変形しやすい)、強度を増す為に銅や亜鉛など別な金属を混ぜる、所謂「銀合金」のものが多いのではないかと思います。仮に純銀製であったとしても値段的にはたかが知れており(商品相場で銀と金の値段はべら棒に違います。金は1グラム1800円超、プラチナは3500円超くらいですが、銀は100グラムでも3500~4000円くらい。単価では金と50倍、プラチナとは100倍くらい違います)、プラチナ製のような金属であれば黒くなったりはしませんね。「お嬢さん、安物をつかまされた(釣られた?)んですよ」と教えてあげたかった(笑)。プラチナ製と銀製の見分けは普通つかないと思うし。金は色が違うから分かり易いと思うけど。
このエピソードから感じたのは、3つとも銀製であるということは、プレゼントする側の彼氏の「財力」というか懐具合がかなり深刻な「不況」であることを物語っているように思います。このお嬢さんがとりわけ「金のない貧乏人」が好きで、そういう彼氏ばかりと付き合っていたのなら別だろうけど、特にこの女性が「貧乏男」を選好していたとは考えられないのです(通常、そのメリットは殆どないと思います、笑)。従って、昔みたいな「3高」というのは(高学歴、高収入、高身長)、「古きよき時代の幻想」となってしまったのかもしれませんね。若者達のカップルにも、経済基盤の脆弱性がプレゼント価格の「低価格方向へのシフト」もしくは「2極化」(高いブランド品をもらえる女性と安物を掴まされる女性)をもたらした可能性があるな、ということです。彼氏のプレゼントは「値段じゃなく気持ちが一番大事」ということもあると思いますので、どのようなものであっても当人たちが嬉しいのなら、それはそれで幸せだろうと思いますけれど。
全くの印象なのですが、近年の男性の何かの「優位性」というのは、消滅しつつあるのかもしれません。多くの女性の方々から非難を受けるやもしれませんが、昔とは違った感じがします。大学進学率も、女性は年々高くなり、高学歴の女性が増えていますが、男性の方が低下しつつあるのではないかと思います。学歴でも全く遜色ない女性たちが増え、職業や給与といった社会的な評価も男性を上回る女性達が増えたことは、結果的に「結婚相手」の対象範囲を狭めたことになっているのかもしれません。考えている結婚相手としては、女性は割りと現実的に「自分よりも給与の高い男性」とか「現在の収入が何百万円以上の男性」とか「預貯金がいくら以上」とか、そういう条件を付加しているのではないかと思うのです。だが、そういう男性に出会うことが少なくなってきているんじゃないか・・・そんな気がします。
男性達がもっと頑張ればいいのだろうと思いますが、ひょっとすると「俺にまかせろ」というような部分が弱くなってきているのかもしれません。何かの番組で紹介されていたのですが、ある若いカップルがいて、彼女が「これから、何処かに行こうか」と彼氏に聞くと、「場面で良くねえ?」と言ったりするんだそうです。因みに、私には全く理解出来ませんでした。これはどういう意味か分り難いのですが、要するに「適当に、その場のノリというか雰囲気で決めよう」というようなことだそうです。これは「いつ、何処に行くか」という問いに対しては、何ら答えになっていないのです(笑)。そういうわけで、予定を決める事が出来ないんだそうです。「何処で食べようか」と聞くと、「オマエの好きな所でいいよ」とか言うならばまだ分りますけれども、「場面」で何をどう決められるのか謎なのです。これは特殊な事例なのかもしれませんが、男性達に「何かを自分が責任を持って決めよう」とか「計画的に何かをしよう」とか、そういう面が弱くなってきているのかも?と思ったりします。そういう男性達を見て、女性達が将来不安に思うことが多くなっているのだとしたら、これも困った問題ではないかな、と思います。この遠因となっているのが、ひょっとしたら家庭内での父親の弱体化ということ?なのかな、と思ったり。
「一家の大黒柱」とかそういう古い価値観は女性たちに非難されたりすると思います。しかし、実際に結婚しようと思っている女性達に、「男性がしっかりしてくれないと」と考えている部分が多いのであれば、男性が主導していくような感じにならないと、中々結婚しようということにはならないのではないかな。女性達に「自分が家計を支える」という考えが浸透して、主夫ということも抵抗なく受け入れるのであれば、それはそれでいいと思う。ライオンだって、狩はもっぱらメスが行い、オスライオンは狩なぞしないし。一生家族を養っていくぞ、っていうほど決意が強くある訳でもないが、「仕事はしたい」とか「キャリアを大切にしたい」とかの気持ちはあり、男性には「それなりの生活基盤を支える収入」を期待していたりする女性は少なくないと思う。もしも、男性側にも「自分が責任を持つ」という部分が欠けていて、女性側にも「男性がちゃんと養って」と考える部分が多ければ、結婚することが益々困難になるかもなー、と思ったりします。
「男の弱体化」「父権の失墜」「父性の脆弱化」というか(正確にはどのような表現なのか判らないのですが)、何らかの男性優位部分の消失は、女性の男性に対する信頼を失いつつあるのかもしれない。彼氏が「当てにならない、頼りにならない」と感じることが多ければ、結婚してリスクを背負ったりするのを避ける女性が増えても仕方がないような気がするのです。「玉の輿」に代表されるように、大抵の女性は結婚によって何らかの社会的評価が「アップ」することを望んでおり、敢えて貧乏男と結婚して、その夫を自分が養ってあげよう(笑)などという奇特な女性は少ないのです。仕事や社会進出は「男女平等で」などと言いつつも、現実面では結婚によって「男に何とかしてもらいたい」と願っている女性がまだ多数派であろうと推測しています。学歴、収入等のいずれにおいても、女性が上回ってしまっているならば、結婚したいと思わない女性が増えてしまうのかもしれないのかな、と。
あー、それから、昔は「そろそろお見合いでもしなさい」とか世話を焼くおばさんとか、「社内結婚」とかの微妙な「マッチングシステム」が社会的に機能していたんだろうと思う。「そろそろ結婚したらどうだろうか」などと上司がOLに声を掛けたりして、部下と見合いをさせるということもあったのかもしれない。だが、今そんなことを言ったりしたら、「セクハラだ!」とかって大問題になっちゃったりしてしまう(笑)かもしれないしね。下手に声も掛けられない。「結婚」の二文字はある意味社内で「禁句」でさえあるかもしれない(私は大企業の実態は知りませんから、全くの妄想ですからね)。出会わない、出会えない、まさに結婚漂流難民状態の人達もいるかもしれませんね。昔のドラマとかでは、「今度ね、見合いすることになったの。いい年なんだから、そろそろ結婚しろ、って。田舎に帰るわ」とかの台詞があったりした。これは多分、いつまでも「独身でいる」ならば(とは言うものの、高々25歳前後であった)、田舎の親や親類や御近所の世話好きおばさん達が「結婚しろ、結婚しろ」などとウルサク言い、相手を独自のネットワークの中から必ず探し出してきて、くっつけられたものなのだ。女性にとっては「恋物語」のようなドラマチックなものなどではなく、「まあ、ある程度仕方がないか」というような半分諦め的な妥協策がそこにはあったのだと思う。現代では、「本人の自由、意思」の尊重が大きなものとなった為に、そういうおせっかいが「ウザイ」ということになってしまう。そういうところにも、孤独の罠があるのかもしれない。「放っといてよ!私の好きにさせてよ」と娘が言ったりして、その通りにしておくと、本当に「放られっぱなし」となってしまった女性達もいたかもしれない。結婚確率は年齢依存的に、高齢化していけば低下する一方である。30歳時点で独身の女性の約半数は、その後も未婚女性のままなのである。
「田舎で、見合いしろってうるさくって。それで仕方なく見合いしただけだよ。本当だ、君を愛しているんだ」
うっかり封筒から見合い写真が落ちて、彼女にバレる、とかっていう筋書きが消えたのはいつ頃なんだろう(笑)。
こういうのが、良かったのか悪かったのかは判らないが、一部の結婚難民を救済していたことは間違いないと思う。全員が自分でそういう「手当て」が出来たはずがないのだから。小説みたいな恋愛もあったかもしれないが、大半がそういう思いを「憧れ」の中にしまって、現実的な結婚を選択していたのは何故なんだろう。「周りの皆が結婚するから」なのかな?今は、何が違うのか、やっぱりよく判らないですね。
結婚も現代では「困難なイベント」の一つということになってしまった、ということなのかもしれませんね。