広島の一件に続いて、今回もですか。米兵を追い込めないというのも、大変困りますな。
世の中には、「厳しい罰」がないと抑止できないという、愚かで恥知らずな連中がいるようですので、厳罰を持って臨むということを求める必要があるかもしれません。いや、米兵がそうだ、と言っているわけではありませんがね。
日本の法で裁けないのであれば、米軍の軍法会議にでもかけてもらうように働きかけてみてはどうですか?
被害者が告訴取り下げということを申し出たようだが、これには複雑な沖縄の事情があるのかもしれない。それは前にも書いたが、基地経済ってやつだ。無謀な推論であるということを承知で書くので、読む際にはご注意を。
>米軍基地がある方が有利なの?
沖縄というのは、小さな社会だろうと思う。東京みたいに生きていける空間や、人海に埋没できるほど大勢の人たちがいるわけじゃない。いくら報道されなくたって、どこの学校の少女が被害者なのか、というのは現地の人たちならすぐに判ってしまうであろう。警察の人とか軍関係の人とか、頻繁に出入りするんだろし。学校を休んでいる少女とか、あっという間に個人が特定されてしまったりするであろう。だから、東京みたいな大きな社会の中で、匿名でいられるなんてことはきっと有り得ないであろう。
そうなると、どうなってしまうか?
日々の生活を、米軍関係に依存していた人々は確実にいるだろう。そういった人たちから、どんな反応が待っているだろうか?
考えたくはないのだが、「兵隊さんが来なくなって、商売上がったりだ」とか、「全く余計な事件のせいでこんなことに…」とか、そういったごく狭い範囲でのリアルな反応というものが返ってきたりするんじゃなかろうか。同じ学校の生徒や同級生の中に、飲食店経営とか、基地関係の仕事で食べてるとか、そういった家庭があったとしたら?一体、どんな反応が待っているだろうか?
想像したくはないのだが、小さな社会の中の亀裂のようなもの、「基地のおかげで経済が成り立っているんだ」という見かけ上の依存、そういったことがあると、何か突き刺されるような痛みを常時感じてしまい、「自分のせいだ」と思わせてしまうのではないか、そういう畏れが私には思い浮かぶのである。
報道のせいだ、とか、ネットの書き込みが云々、とか、そんなことなんかではないと思う。もっと強く、現実に目の前にある、極めてリアルに降りかかってくる無言の圧力だろうと思う。四六時中針のムシロに座らされているようなものだろうと思う。
僅か14歳の少女に背負えるわけもなく、その重みと痛みに耐え切れるほど多くの人間は強くはなれないと思う。
だからこそ、米軍の行為を許し難いのである。
人間の弱さを知っており、その脆弱性をついてくることも、懐柔も、全て計算づくで行われるということが、もっと腹立たしく思うのである。ウチの子は丁度中三の受験生で、少女と同じ年頃だ。子を持つ親として、米兵の行為を絶対に許すことはできない。
少女に戦えと求めること自体が無理なんだよ。
少女が戦う必要なんてない。
傷ついた体を休め、そっと目を閉じていればいいんだ。
大人たちが戦えばいいんだ。
政治家が戦えばいいだけなんだ。
言っとくけど、私は許さんから。
不起訴になったからといって、犯罪行為が無かったことにはならないから。
たとえ法的に罪を問えないとしても、道義的責任は残るから。
デートレイプとか、似ている面はあるかもしれない。
日本の法での強姦というのがたとえ成立していないとしても、米兵の行為が正当化されることは決してない。
広島、沖縄、どちらも咎められることなく済まされていいなどとは絶対に思わない。
世の中には、「厳しい罰」がないと抑止できないという、愚かで恥知らずな連中がいるようですので、厳罰を持って臨むということを求める必要があるかもしれません。いや、米兵がそうだ、と言っているわけではありませんがね。
日本の法で裁けないのであれば、米軍の軍法会議にでもかけてもらうように働きかけてみてはどうですか?
被害者が告訴取り下げということを申し出たようだが、これには複雑な沖縄の事情があるのかもしれない。それは前にも書いたが、基地経済ってやつだ。無謀な推論であるということを承知で書くので、読む際にはご注意を。
>米軍基地がある方が有利なの?
沖縄というのは、小さな社会だろうと思う。東京みたいに生きていける空間や、人海に埋没できるほど大勢の人たちがいるわけじゃない。いくら報道されなくたって、どこの学校の少女が被害者なのか、というのは現地の人たちならすぐに判ってしまうであろう。警察の人とか軍関係の人とか、頻繁に出入りするんだろし。学校を休んでいる少女とか、あっという間に個人が特定されてしまったりするであろう。だから、東京みたいな大きな社会の中で、匿名でいられるなんてことはきっと有り得ないであろう。
そうなると、どうなってしまうか?
日々の生活を、米軍関係に依存していた人々は確実にいるだろう。そういった人たちから、どんな反応が待っているだろうか?
考えたくはないのだが、「兵隊さんが来なくなって、商売上がったりだ」とか、「全く余計な事件のせいでこんなことに…」とか、そういったごく狭い範囲でのリアルな反応というものが返ってきたりするんじゃなかろうか。同じ学校の生徒や同級生の中に、飲食店経営とか、基地関係の仕事で食べてるとか、そういった家庭があったとしたら?一体、どんな反応が待っているだろうか?
想像したくはないのだが、小さな社会の中の亀裂のようなもの、「基地のおかげで経済が成り立っているんだ」という見かけ上の依存、そういったことがあると、何か突き刺されるような痛みを常時感じてしまい、「自分のせいだ」と思わせてしまうのではないか、そういう畏れが私には思い浮かぶのである。
報道のせいだ、とか、ネットの書き込みが云々、とか、そんなことなんかではないと思う。もっと強く、現実に目の前にある、極めてリアルに降りかかってくる無言の圧力だろうと思う。四六時中針のムシロに座らされているようなものだろうと思う。
僅か14歳の少女に背負えるわけもなく、その重みと痛みに耐え切れるほど多くの人間は強くはなれないと思う。
だからこそ、米軍の行為を許し難いのである。
人間の弱さを知っており、その脆弱性をついてくることも、懐柔も、全て計算づくで行われるということが、もっと腹立たしく思うのである。ウチの子は丁度中三の受験生で、少女と同じ年頃だ。子を持つ親として、米兵の行為を絶対に許すことはできない。
少女に戦えと求めること自体が無理なんだよ。
少女が戦う必要なんてない。
傷ついた体を休め、そっと目を閉じていればいいんだ。
大人たちが戦えばいいんだ。
政治家が戦えばいいだけなんだ。
言っとくけど、私は許さんから。
不起訴になったからといって、犯罪行為が無かったことにはならないから。
たとえ法的に罪を問えないとしても、道義的責任は残るから。
デートレイプとか、似ている面はあるかもしれない。
日本の法での強姦というのがたとえ成立していないとしても、米兵の行為が正当化されることは決してない。
広島、沖縄、どちらも咎められることなく済まされていいなどとは絶対に思わない。