いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

近頃の話ですが

2008年03月30日 13時16分52秒 | 俺のそれ
1)疲れと脱力感

じっくり書くことができない。
慌しいというのもあるが、腰を据えて集中して考えることができない。
なので、記事が杜撰だ(笑)。更新も滞りがち。


何というか、情熱とか、熱意とか、何かそういう心の奥底から湧き出てくるようなものがないと、書けない。書く動機を生み出す何かが、今自分には欠けているかもしれない。激情のようなもの、が消えかけているのかもしれない。

自分自身の心を「ある何か」に投影することによって、見えてくるもの、心に浮かぶもの、頭に浮かぶ文字、そういったものが瞬時に「線」で繋がるような、そういう感覚が不足している。

それは多分、自分の弱さ、無力さ、意志の欠落、達成目標のなさ、そういうものが影響しているだろう。


当たり前だが、オレ如きが「書いても無駄」。

煽動力に欠ける。
動員力に劣る。


大半のことは、考えること自体あまり意味がない。

それは、オレが考えてもしょうがない問題だからだ(笑)。


世間にはもっと頭が良くて、物事をよく知っている人たちが大勢いるんだし、専門の人も大勢いるんだから、そういう人たちが正しく考えてくれればいいだけ。

そういうのを信頼する人が多いのだから、結果としてはオレが考えることには何らの効力も持たない。
あるのは自分が考えた結果だ、ということを自分が知っているだけ。

だから?
それで?


2)クマ

我が家でちょっとしたブーム。ぶクマではないよ。全然関係なし。
宇多田の歌のことなんです。
家族曰く、替え歌いっぱいできそう、とのこと。


3)法曹ブログのコメントスクラム

前にブクマで話題になっていたので、チラッと見知った程度。
本物の医師の人が書き込んでいるのかどうかは判らんが、コメントには色々とあるようで。そんなことをしても、何も変わらないどころか、事態が悪くなるだけなんではないかと思いましたけど。

裁判官への批判がなくていいとも思ってない。しかし、判決への批判をするべきで、裁判官への人的非難だけをやったところで意味はない。感情悪化を促進すること間違いなし、だろう。なのに、何故書き込まずにはいられないのか?
不思議だ。


思うに、法学の素人衆が何を言っても無駄だと思う。
法曹界には、その道の暗黙の業界ルールみたいなものがあるんだろう。知らないけど。何かを言って無駄でないのなら、もっと何か変わっていくだろうからね。そんな気配はなさそうだけど。どうなんでしょう。

裁判官は苦悩しているっていうのは、そうですか、まことにありがたいことです、ご苦労さまです、とは思う。自分にはできそうもないな、やりたくないな、とも思う。
が、「苦悩しているんだ」と言われたからとて、間違ってもいいです、ヘンな判決を書くことを許容します、とかにはならない。苦悩の程度とか仕事内容の比較はできないし、比較に意味はないが、けれど医師のように死に直面する厳しさみたいなものはないだろうと思う。
目の前で、人が死んでしまう、ということがどういうことなのか、理解できるのだろうか。裁判官は裁判長になるまでの間に死刑執行のボタンを自ら押し、人が死んでいく、誰かに死なれてしまう、という体験を全員義務化したらいいんじゃないかな。その時に、今と同じことについて「苦悩しているんだ」と主張するかどうかが判るだろう。


弁護士にしても、優秀な人は大勢いるだろうが、どうしてそういう主張となるのか意味不明なことを言う人もいるし。米国の弁護士みたいに、訴訟を発掘して歩いているのではないかと思えるような弁護士もいるかもしれない。まるでトレジャーハンターだな。金になるから、ということだね。

『エリン・ブロコビッチ』のみすぎなんでは?(笑)
飲みすぎではなく。