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オール人力狙撃システム試作機

占いとか血液型とか

2008年05月18日 16時51分21秒 | 俺のそれ
なんか、大袈裟になっているような気がしないでもない。

事象の地平線---Event Horizon---で、見かけたので。

(一部引用)

このような見方をするならば、「アガリクスでガンが治る」「○○水でアトピーが治る」という主張と、「ありがとうと叫べば琵琶湖がきれいになる」という主張は、規模が違うだけで同種のものであるといえる。いずれも間違っているしそもそも科学ではないし、まともな医学の手柄を横取りするとか、計画を立てて湖の浄化に努力した住民の手柄を横取りするといった弊害はあるが、言及の範囲は自然現象に限られているからである。
 「道徳のあり方を水に決めてもらう」と「血液型性格診断(A型の人はこんな性格、と分類しようとする)」は、他人をきちんと見ないようにし向けるという点で、同種のものになる。ニセ科学を手段として使い、その結論が他人と正面から向き合うことを避けるものになっている言説は、むしろカルトが使用する言説に近い。人間関係に何らかのフィクションや妄想を導入するからである。

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「水もの」については、悪徳商法とかまであるから、そりゃ、対決せねばならんな、というようなことはあるだろう。「科学の装い」みたいなこともよくないのも判る。が、「血液型性格診断」とか、禁止するべき事柄なのか?という疑問は残らないでもない。

これは度々問題になっているのだけれども、「血液型性格診断」の存在によって非常にマズい事態というのが起こったりするものなのだろうか。

はてなブックマーク - 血液型性格判断をやめよう


いや、確かに「科学的ですか?」とか聞かれたら、そりゃ「違うでしょ」と答えると思うよ。「何か根拠がありますか?」って聞かれても、特に思いつかないし。血液型性格診断に関連する本とかに出ていたように思います、とか、昔の女性雑誌なんかに出ていたのではないでしょうか、とか(いずれも適当)、あやふやな答えしかできないでしょうけど。調べれば世の中には「血液型性格診断の大家」(オオヤじゃないよ)というような人がいるかもしれないし。それは大した問題じゃないからいいけど、「血液型性格診断」みたいなのをヤメロ、と他人に求めるのって結構難しいんじゃないでしょうか。普通は、「当たったり、当たらなかったりすることはあるよね」という次元のことでしかないのでは。それを科学だ、とか錯覚している人の方が珍しいというか、少ないんじゃなかろうかと思ったりしないでもない。


例えばですね、よくある似たような問題というのは、占いとか宗教とかですかね。
普通の人々は、神社でおみくじを引いたりするでしょ?わざわざお金を払ってまで、するわけですよ。中にはモナー神社で済ませてる人たちがいるかもしれませんが。こういうのも、「一体何の根拠があってこんなことを書いているんだ」とか、いくらでも言いようがあると思うんですね。根拠がない、科学的でもない、だからヤメろ、とか、言うのでしょうか?

最近は東京辺りだと、「占いの館」みたいなものがある(実物を見たことないけど)らしく、様々な占い師がいるらしいんですね。こういうのも、バカにならない料金を取って、「占う」わけです。テレビでも、毎朝「占い」をやってたりしますよね?星座占いみたいなんですが、毎日やってる。雑誌やネットでも、しつこいくらいに占ってる。これらを全て「認めない」、だから「止めろ」という主張なんだろうか、という疑問があるわけです。

おみくじや占いとかは、共通するのは何処にも「根拠」なんてない、ということだ。でも、何故か社会的には認められていて、営業活動もそれなりに行われているわけです。多分、社会通念上、「正確・科学的な情報」とは認識されておらず、重大な影響を及ぼさないから、ということなのだろうなと思うのです。まともに信じ込む人など「滅多にいないはずだよね」ということが前提とされているからでしょうか。もしも万が一、「占い」に結果責任を求められた場合、「占いを信じて重大なビジネス上の契約にしくじった、どうしてくれるんだ」とか、「金運最高だったのに、株で損したじゃないか、どうしてくれるんだ」みたいな話になりかねない、ってことでしょ?
テレビで占いを流す時には、「事実とは異なります」とか、「テレビ局の見解を示すものではありません」とか、全て細かく表示しなけりゃならない、ってなことになるのでは?

普通は、「そんなもんじゃないの」程度の話ではないかな、と。占いを真に受けて全て信じ込んでる人というのは、滅多にいないんじゃないかと思うけど。


これが血液型性格判断ということになった途端に、禁止事項になったりするもんなんでしょうか。同じく、「そんなもんじゃないの」程度の話なのでは。よく女の子なんかが
「アタシって、結構A型って言われるけど実は違うのよ」
「へえー、そうなんだ、ホントは何型?」
「B型」
「やっぱり?アナタって、そういうとこあるもんね」
みたいに会話してるじゃないですか。
こういう会話に遭遇した時、内心「何が『やっぱり』だよ、それなら先にB型って言えばいいじゃないか」と思ったりする。
じゃなかった、「オイラはクワガタ」とかって超さむいオヤジギャグをかましてやろうか、と企てるのでもなく、こういう「血液型性格判断」が普及しているんだな、と感じるわけですよ、心の中で。

こういう時、「ああー、キミ達ねえ、血液型性格判断は間違いだから、それはデマだから」とか言って、彼女たちを失望させるのも可哀想かな、と思うわけです。目の前で、「あー、わかるわかる」だとか、「そうよね、そういうトコあるわね」とか、「当たってるー!」とか、盛り上がっている時に、「そういうの、全部ウソだから、当たってると感じるのは気のせいだから、○○さんが言ってたB型の特徴というのはニセですから」とか言うのもナンだな、と。私には、そんなことはできないだろうな。
女性が「●型ですか?」とか、よりによって私に指摘してきたような場合、「ああ、それはデタラメを言っていますね」なんてことを言えるわけもなく、素直に「ハイ、そうです」とか「惜しいっ、けど違うんですよ、よく●型って言われますよ」とか、全然惜しくなくても(*)それなりに答えてきましたよ。

(*):4つしかないのに、それで外すアナタは運が悪いんですね、と内心思っていても、敢えてそう指摘することは決してない。が、もうちょっと考えておけばいいのにね、と。私がもしも女性だとしたら、きっとこう尋ねるだろう。
「A型っぽく見えるけど、O型ですか?」or「O型っぽく見えるけど、A型ですか?」
これで7割はカバーできる。外れるのはB型とAB型しかいない。その存在割合はそれぞれ約20%、10%なので、あまり出会わないからね。的中率が7割あれば、それはよく当たる、という錯覚をもたらせることになるだろう。見た目で「A型っぽくない時(笑)」には後者を、そうでなければ前者を採用すると、A型又はO型の人には、的中なら「よく判ったね」とかで、「~っぽく見える」方なら「実際、見た目通りなんです」とかになるだろうから。

そういえば、男性同士で血液型が何型、といった話をした経験など一度もない。占いも。そういうのは女性相手でしかしないんじゃないかと思う。男の大半は興味も関心もないんじゃないか。女性がそういう占いとか好きなので、仕方なく相手をしているだけのことが多いと思うけど。だからといって、これらを止めさせるべきものだと思ったりはしない。「そんなもんでしょ」という程度の話、でしかないわけだから。相性を占い(血液型)で決めたのに別れちゃったのをどうしてくれる!みたいに言う人はいないでしょう。おみくじには~と書いてあったのに(以下略)、でもいいんですけど。


なので、血液型性格判断に目くじら立てている人たちの言い分というのが、イマイチ判らんのです。放置しておいちゃマズいんですかね。それとも、おみくじ撲滅運動とかまで発展させるつもりなんでしょうか。占い師なんて、所詮(以下略)ということで、摘発対象とするべし、みたいなことを意図しているのかな、とか。