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「泥のように働け」論議について考える

2008年05月30日 16時24分58秒 | 社会全般
大反響となったようです。
以前からの丹羽氏ウォッチャー(ウソ)の私としては、参戦せざるを得ませんな。
(過去に丹羽氏のことを書いたことがある、という程度です。暇な方は記事検索してみて下さいね)

はてなブックマーク - 「10年は泥のように働け」「無理です」――今年も学生と経営者が討論 - IT

元々は日経新聞に掲載されたという丹羽宇一郎氏の言葉だそうだ。
こんな解説まで登場していた。
泥のように働くとは - はてなダイアリー


こういった反応を見ていると、似たようなことを思い出した。梅田氏の時のことだ。
強者の言葉は理解されにくいのか

丹羽氏の言葉も、梅田氏の言葉も、どういうわけだか「切り取り」にあってしまって、文字の上っ面だけが取り上げられ、間違い探しみたいなこととか反証探しとかのようなことが行われる。ダメじゃないけど、空し過ぎなんじゃないの、と思うね。届かない人々には、やはり理解されないし、永遠に届かないんだな、と。

別に色んな反発があってもいいと思うし、若者らしく「絶対に見返してやるぜ」という固い決意で頑張るとか実行してみせるとか、そうであるならそれはそれでいい。「年寄りが寝言言ってんじゃねーよ」ということで、年寄りたちにオレさまの実力を見せつけてやるぜ、ということで、結果を出してくれればそれでいい。結果を出しているなら、文句は出ないと思うよ。だが、現実には結果が出せないのに口だけ達者で、「じゃいいよ、お前の好きにやっていいから」と突き放しておくと、何一つ満足にできない人は結構いるだろう。

こんな感じ。

コーチ 「練習AとBでやれ。時間は○○時間。死ぬ気でやってみろ」
選手  「ヘン、死ぬ気でなんてできないって」
コーチ 「でもやってみなけりゃわからんだろう」
選手  「練習AやBはタダの根性なんじゃねーの?オレはイヤだね」
コーチ 「じゃ、好きにしろ。勝手にトレーニングをすればいい」
選手  「ヘッヘッへ、ほいじゃ、勝手にやらしてもらうぜ」
・・・・・・
結果は惨敗、プレイヤーの自己流ではまるで通用しませんでしたとさ、チャンチャン。
みたいな。

ここで「どうだ、オレ様は!勝ちまくりだぜ」ということで、結果を出しているならコーチも多分文句は言わないんじゃないのかな、ということですね。けど、世の中そんなに甘くはないだろうね。普通は、自力で切りひらける人の方が少ないだろう。勉強もそうだよ。塾とか、通信教育とか、そういう色々な「トレーニング法」みたいなのを利用しているじゃないですか。独力で「オレ様はオレ流でやらしてもらうぜ」ということが通用している人は、圧倒的に少ないような気がするんですがね。元々才能のある数%程度ではないでしょうか。そういう絶対的な自信のある人たちは、コーチとか経験者とかの言葉を聞く必要性なんてないかもしれませんが、現実には殆どが「それではダメな結果が待っている」ということではないですかね。


そうではないなら、梅田語録でもいいし、例の著書に出てくる言葉でもいいし、他の誰でもいいんですが、そういうのを聞いておいてもいいんじゃないでしょうかね。後は自分次第なんですから。言葉を聞いておいて、それで「損をする」ということなんてあるんですかね。理解するのも、活用するのも、結局自分じゃないですか。こんなの使えないな、とか思うのであれば、「ジジイに負けるもんか」と思って、結果を出せばいいだけだな。他人の力や知恵なんかを当てにせずに、自力でやってくれればそれでいいだけなんだよ。


何故か多くの人たちが「言葉尻」を捉えて、間違った用法なんじゃないのか、とか、意味が通じないよ、とか、下らない意見が多いのに驚かされる。感性の問題なのではないか、と思うけど。広告のコピーみたいなものと同じようなものじゃないかな。単に文字列として捉えて、「文章として変だ、意味が通じない」みたいな意見しか出ない人がいても、それはそれでしょうがないわな、と。

「泥のように働く」という言葉に接した時、私はどのように感じたか。
前に書いたので、基本的には同じようなものだな>日本復活の道を探る・2~「努力しろ」は禁句か

意味合いとしてはいくつかあるかもしれないが、仕事の経験がある人には通じる部分は多いかもしれない。別に、「これが正解だ」みたいな答えなんてあるもんじゃないとしか思えないのだけど。

・泥のようにヘトヘトになるまで懸命に働いてみろ
大抵は何かに一生懸命打ち込むと、疲労困憊でヘトヘトになるよ。けど、そういう頑張りがきくのは、「若いうちだけ」だから。エネルギーも回復力も、若い時は旺盛だから。年をとってから頑張ろうと思っても、無理はできないもの。だから、今すぐには意味が判らないこととか、自分では見えてないこととかあるかもしれないけれど、とりあえず打ち込んでみろ、というようなことかな。苦労を買ってでも精一杯やれば、後々自分の血肉になっていることが多いよ、というようなことかと。

・カッコつけるな、泥臭くやれ
よく思うことが、これ。「何カッコつけてんだよ、分らないなら、分らないと言え、隠さずに聞け」みたいなこととか。変にプライドとか持ってるだけで、それが邪魔して能力アップを妨げているとか。スマートさなんていらない。能力のあるスーパースター級の人とか、はじめから百人力の人とか、そういう人たちは「軽くこなせる」ので、大抵スマートに見える。けど、そんな能力の持ち主は滅多にいない。平均的な凡人(笑、オレもそう)なのであれば、スマートにできなくたっていいんだよ。カッコ悪いかもしれないけど、地道にやるのが自分の為になるよ、と。若い時の泥臭さなんて、恥でも何でもないと思う。

・泥を被るつもりでやれ
仕事や役割を与えられるまで待っているよりも、機会を自分で獲りに行け、ということかな。待っているだけではチャンスが巡ってこないことも多い。自分が泥を被ることを厭わないのであれば、チャンスを掴める可能性は出てくると思う。


丹羽氏の真意はどのようなものなのかは、私には判らない。上に書いたような私の受け止め方は、全然違うかもしれない。実際のところは直に会って聞いてみなけりゃ何とも言えないだろう。
けれど、「泥のように働け」と言われた時、もし自分がそこの会社員で社長がそう言ったのであれば、そうだな、とは思うね。若い人たちは自分の給料が安すぎで、給料以上の働きをしている、などと考えている人はきっといるかもしれないが、現実には給料分以上に働ける人たちというのは、ごく少数だろうと思う。通常の若手は、「半人前」どころじゃないと思う。むしろ「マイナス1人前」とか「マイナス半人前」とかではないかな。凄く変な言い方なんですけど。

ある程度仕事ができるようになった人には、色々と頼めるし、責任を持ってやってもらえる。これが普通の1人前として、仕事の量(?)というか稼ぎというのを10としよう。すると、若人はあまり使いものにはならないので、半人前だと5ということなのだが、5じゃなくて「-5」ということだな。それは10の仕事力のAさんと、新人のBさんとで、2人合わせて「5しかできない」みたいなことだな。それはAさんが1人でやっていると10の仕事ができるのに、Bさんが教えてくれとか間違えたとかしくじったとか、足を引っ張るというか要するに足手まといということで、結果的にAさんの仕事の能率とかを落とすことになっている、というようなことです。つまり、Bさんは現状ではいない方がマシ、みたいなことになっているわけです。でも、組織の将来の為とか、Bさんが成長して使える戦力となれば稼ぎはAさん+Bさんで20という風に増やせるわけですから、「後々の時点で返して下さいね」ということなわけなんですよ。

そういうわけで、通常の新卒なら「早くマイナスの世界から、ゼロになってください」ということを会社は願っているのではなかろうか、と思いますね。AさんとBさんを「合わせて5」から、Bさんがゼロになれば、2人で10に戻りますから。その後、順調にBさんが成長していけば、5とか10の仕事力がついてくるので、そうすると過去の「マイナス時代」の分が返せます、ということ。けれど、返しただけではまだ会社にとってのプラスなんかないわけで、時間が無駄なだけですね。きちんと「プラス分」を生み出して会社に貢献して下さいね、ということになるでしょう。ここまで辿り着くには、軽く数年とか5年とか(業界などで異なるかもしれませんが)かかってしまいますので、すぐに辞めたり職場を異動された日にゃ、会社としては「マイナス投資のまま」で終わってしまうことになるでしょう。


はじめから能力が高くて、バンバン仕事ができる若い人たちもいると思います。けれども、通常の平凡な才能の持ち主であれば、滅多にそういうことにはならないのです。機械的に書くと、2年で「-10→0」に到達し、以後この期間のマイナスを返還するのに2年かかりますよね(0→10)。才能のある人だと、これが半分で済むかもしれませんが、この2年だけだと会社にとってはゼロと同じだ、ということなんですね。それなら、はじめから仕事力5の人を雇った方がいいんですよ。つまり経験者ということだ。コンスタントに5の仕事をしてもらえる方がメリットが大きいわけだから。
別に、若くて使いものにならない「あなた」を雇う必要性なんかない、ということなんですよ。会社は何故若い人たちを求めるのか、というと、若いというあなたの将来に賭ける、あなたの未来に投資する、ということなのです。初期のマイナス投資を敢えて選ぶのは、先行投資以外の理由なんかないのです。「あなた」からその未来を取ってしまえば、会社にとっては何も残らないに決まっているのです。「会社が投資する理由」なんてものは、これっぽっちもないのです。「会社を辞めるつもり」というのは、将来時点での会社には「未来のあなた」は存在していません、ということに他ならないのです。


若い人たちには、仕事のことというのは、経験が少ない故に判り難いのかもしれません。
「泥のように働け」という言葉をどう受け止めるかというのは、各人の自由でいいものですので、判りたくない人や拒否したい人たちは自分なりの方法で仕事や未来を切り開いて下さい。結果責任を負うのは常に自分なのだ、ということです。