一応、取り上げないわけにはいかないかな、と。
コチラです>はてなブックマーク - 白川総裁発言寸評と「学者肌」説への批判 - Economics Lovers Live
(元記事から一部引用)
それと白川総裁は「学者肌」なので理論から納得すれば大胆な政策転換あるかも、というお勉強好きな人たちのどうしようもないスジ悪の見方があります。本当にどうしてそんな希望観測がもてるのかなあ。白川総裁はかってゼロ金利解除時に、わざわざ国会の答弁で、金利収入の損失を声高く説明したかたですし、この実績だけでも理論よりも組織に殉ずる方なことは十分明らかです。この種の希望観測をもつ人は本当に猛省したほうがいいと思いますけどね。それに本当に「学者肌」だったら参考文献に自分と異なる見解でも代表的なものはリファーしますよ。むしろ自説の貢献を強調するためには自分と違う見解似た見解を積極的に紹介しそれを批判的検討するのが「学者肌」じゃないだろうか?*1 。簡単にいえばサーベイきちんと「学者肌」ならするでしょう。残念ながら白川総裁の『現代の金融政策』にはそんな作業は完全にというほどすっとばされてるので、そもそも本当の「学者肌」なのかさえ僕には疑わしい。
=====
田中教授のご意見だそうです。まあ、これはこれでいいですけど、とりあえずこれを「学者肌説」と呼ぶこととします。さてこの説の首謀者というのは一体誰なのか、というのが気になるところです。
「~というお勉強好きな人たちのどうしようもないスジ悪の見方があります。」
と述べられておりますので、当方ではないだろうとは思う(お勉強好きな人たち、ではないので、笑)のですが、となると、どこに向けて書かれた言葉なのかなあ、と。
当ブログ記事を振り返ってみますと、いくつかありました。
日銀は何か変わったか
この記事中では、次のように書いています。
白川総裁がこれまでの考え方の全てを変えたとか、何かのポリシーを捨て去った、というような劇的変化があったというものではないでしょうが、ウチみたいな低俗ブログの書いたことの何か一つでもいいので通じてくれれば大変有り難いことです。もっと末端のサポート部隊の人たちの誰かにでもいい。本当にそう思います。
もしも何か「響いたもの」があったとすれば、多分、白川総裁に染み付いた「学者さん」気質なのだろうと思いますね。学者気質であるが故に、それも筋金入りのマニアであるが故に、「曲げない」部分があるのではないかな、と。最も許容できない、受け入れ難いのは……ということなんだろうな、と。ホントのところはどうなのか知らないんですがね(笑)。
=====
少なくとも、田中教授の主張の如く「理論から納得すれば大胆な政策転換あるかも」、ということを言ったわけではないのですが、深読みしてそうお考えになっているのか、それとも、もっと別の「学者肌」説一派がどこかに存在しているのか、ということですね。ま、ウチごときのようなオメガブログを読んでいるわけでもないでしょうから、きっとどこかに「学者肌説」論者がいて、そちらを批判したのでしょう。
それと、もう少し遡ると、これらの記事がありました。
日銀総裁人事案についての提案・さらに補足
日銀総裁人事案についての提案・補足
たとえ、白川総裁は学者肌ではない、白川総裁は(理論よりも)日銀に殉ずる、みたいな見解であるとしても、それを表明するのは何ら構いません。スジ悪な見方だね、という評価もまあ、アリな意見でしょう。だからといって、希望観測を持つ人は猛省した方がいい、というのは、どういった意図なのでしょう。
日銀総裁の決定権限は、普通の国民にはありはしません。国民には「どうにもできない」ということなのに、反省もヘチマもありません。それとも、猛省でもしたら、日銀総裁の首を挿げ替えられるとでも言うのでしょうか?
選べるわけでもないのに、総裁人事に責任を負うかのごとく、何故反省を求められるのかよく判りません。もし反省を求めるとしても、それはもっと別な人たちなんじゃないでしょうか?それは決めた人たち、決定権限を持っている人たちでしょう。或いは、政策決定に影響力を持つような人々なのではありませんかね。日銀の政策を云々する立場にあるのは、エコノミストだのマスコミだの、そういう方々なのではないでしょうか。
決まってしまった以上、国民にはどうすることもできませんね。福井総裁でさえ、辞任させられなかったですから。残される道は、極めて少ないでしょう。
そこでどのような戦術を選択するのか、ということについては、本来的に個人の勝手ですね。
私が何か記事を書いたからといって、日銀の政策を動かせるわけでもありませんし(笑)、辛辣な文句や日銀批判を書こうが、スジ悪の希望を書こうが、元来関係がございませんな。
スジ悪と考える人はそれ以外の戦術を採用すればいいだけですし、徹底批判を書いてそれを取り入れてくれると信じるのであれば、頑張って続けていただければと思います。
コチラです>はてなブックマーク - 白川総裁発言寸評と「学者肌」説への批判 - Economics Lovers Live
(元記事から一部引用)
それと白川総裁は「学者肌」なので理論から納得すれば大胆な政策転換あるかも、というお勉強好きな人たちのどうしようもないスジ悪の見方があります。本当にどうしてそんな希望観測がもてるのかなあ。白川総裁はかってゼロ金利解除時に、わざわざ国会の答弁で、金利収入の損失を声高く説明したかたですし、この実績だけでも理論よりも組織に殉ずる方なことは十分明らかです。この種の希望観測をもつ人は本当に猛省したほうがいいと思いますけどね。それに本当に「学者肌」だったら参考文献に自分と異なる見解でも代表的なものはリファーしますよ。むしろ自説の貢献を強調するためには自分と違う見解似た見解を積極的に紹介しそれを批判的検討するのが「学者肌」じゃないだろうか?*1 。簡単にいえばサーベイきちんと「学者肌」ならするでしょう。残念ながら白川総裁の『現代の金融政策』にはそんな作業は完全にというほどすっとばされてるので、そもそも本当の「学者肌」なのかさえ僕には疑わしい。
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田中教授のご意見だそうです。まあ、これはこれでいいですけど、とりあえずこれを「学者肌説」と呼ぶこととします。さてこの説の首謀者というのは一体誰なのか、というのが気になるところです。
「~というお勉強好きな人たちのどうしようもないスジ悪の見方があります。」
と述べられておりますので、当方ではないだろうとは思う(お勉強好きな人たち、ではないので、笑)のですが、となると、どこに向けて書かれた言葉なのかなあ、と。
当ブログ記事を振り返ってみますと、いくつかありました。
日銀は何か変わったか
この記事中では、次のように書いています。
白川総裁がこれまでの考え方の全てを変えたとか、何かのポリシーを捨て去った、というような劇的変化があったというものではないでしょうが、ウチみたいな低俗ブログの書いたことの何か一つでもいいので通じてくれれば大変有り難いことです。もっと末端のサポート部隊の人たちの誰かにでもいい。本当にそう思います。
もしも何か「響いたもの」があったとすれば、多分、白川総裁に染み付いた「学者さん」気質なのだろうと思いますね。学者気質であるが故に、それも筋金入りのマニアであるが故に、「曲げない」部分があるのではないかな、と。最も許容できない、受け入れ難いのは……ということなんだろうな、と。ホントのところはどうなのか知らないんですがね(笑)。
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少なくとも、田中教授の主張の如く「理論から納得すれば大胆な政策転換あるかも」、ということを言ったわけではないのですが、深読みしてそうお考えになっているのか、それとも、もっと別の「学者肌」説一派がどこかに存在しているのか、ということですね。ま、ウチごときのようなオメガブログを読んでいるわけでもないでしょうから、きっとどこかに「学者肌説」論者がいて、そちらを批判したのでしょう。
それと、もう少し遡ると、これらの記事がありました。
日銀総裁人事案についての提案・さらに補足
日銀総裁人事案についての提案・補足
たとえ、白川総裁は学者肌ではない、白川総裁は(理論よりも)日銀に殉ずる、みたいな見解であるとしても、それを表明するのは何ら構いません。スジ悪な見方だね、という評価もまあ、アリな意見でしょう。だからといって、希望観測を持つ人は猛省した方がいい、というのは、どういった意図なのでしょう。
日銀総裁の決定権限は、普通の国民にはありはしません。国民には「どうにもできない」ということなのに、反省もヘチマもありません。それとも、猛省でもしたら、日銀総裁の首を挿げ替えられるとでも言うのでしょうか?
選べるわけでもないのに、総裁人事に責任を負うかのごとく、何故反省を求められるのかよく判りません。もし反省を求めるとしても、それはもっと別な人たちなんじゃないでしょうか?それは決めた人たち、決定権限を持っている人たちでしょう。或いは、政策決定に影響力を持つような人々なのではありませんかね。日銀の政策を云々する立場にあるのは、エコノミストだのマスコミだの、そういう方々なのではないでしょうか。
決まってしまった以上、国民にはどうすることもできませんね。福井総裁でさえ、辞任させられなかったですから。残される道は、極めて少ないでしょう。
そこでどのような戦術を選択するのか、ということについては、本来的に個人の勝手ですね。
私が何か記事を書いたからといって、日銀の政策を動かせるわけでもありませんし(笑)、辛辣な文句や日銀批判を書こうが、スジ悪の希望を書こうが、元来関係がございませんな。
スジ悪と考える人はそれ以外の戦術を採用すればいいだけですし、徹底批判を書いてそれを取り入れてくれると信じるのであれば、頑張って続けていただければと思います。