本屋で何気なく手に取る。
宮沢賢治の生き様について、何も知らなかったから、ということはあるかも。
で、驚いたことに、宮沢賢治が原稿料として手にできたお金というのは、1回しかなかった。今でこそ多くの人々に名前を知られているのに、物書きとしては成功できたわけではなかったのだな、と思うと、少し可哀想に思えてきた。死後に評価が高まったとしても、これはこれで哀しいな、と。生前にその評価を当人が知らなかったのだから、失意の中にあっただけなのではないだろうか、と。
サラリーマン生活がそれなりにあって、現実社会の荒波に揉まれて、理想だけでは生きていけないということを知ることと引き換えに、物書きとしては書けなくなっていったのではないかと思うと、これもまた残念という感じはする。
今の時代だと、パナソニックやトヨタが幹部に自社製品を買えとか、富士通も出来れば買ってくれとか、そういう甘いことを言っているのだが、宮沢賢治の場合には「現物支給」だった、ということに驚いた。いくら高額な報酬とか言っても、「じゃあ、君には車2台で年俸を払いますから」とか言われたら、これはかなり困るんだろうな、とか思うけど、案外その方がたくさん売れるような気がする。
パナソニックをはじめ、その他電機メーカーも自社製品を現物支給でボーナスとし、「できるだけたくさん、高く」売れた社員はそれだけ多くの報酬を手にできる、ということにしたらいいんじゃないか?ソニー社員だって、自社製品を使い込んでいるという感じじゃないでしょ。そもそも、自社製品と他社製品を使い比べてみたりとか、そういうことをやってる社員なんて、殆どいないでしょうね。自分の会社の製品を信じることができないのに、消費者に買って下さい、なんてのは、超甘いんじゃないかと思ったりするけど。自分が「嫌だな」と思うような、或いは信頼できないような商品を消費者に買えって求めるのって、かなり違和感があるもの。
つまりは、そういう時代ではなくなってしまった、ということなのでは。
だからこそ、売れない、買ってもらえない、ということなんでは。逆の言い方をすると、「社員すら買いたくない」からこそ、売れないんじゃないですか?もし売れるというのなら、自社製品を現物支給し、副業OKにしてたくさん売った人には多くのボーナスにすればいい(笑)。
話がそれたが、意外な発見のある1冊。
宮沢賢治の生き様について、何も知らなかったから、ということはあるかも。
で、驚いたことに、宮沢賢治が原稿料として手にできたお金というのは、1回しかなかった。今でこそ多くの人々に名前を知られているのに、物書きとしては成功できたわけではなかったのだな、と思うと、少し可哀想に思えてきた。死後に評価が高まったとしても、これはこれで哀しいな、と。生前にその評価を当人が知らなかったのだから、失意の中にあっただけなのではないだろうか、と。
サラリーマン生活がそれなりにあって、現実社会の荒波に揉まれて、理想だけでは生きていけないということを知ることと引き換えに、物書きとしては書けなくなっていったのではないかと思うと、これもまた残念という感じはする。
今の時代だと、パナソニックやトヨタが幹部に自社製品を買えとか、富士通も出来れば買ってくれとか、そういう甘いことを言っているのだが、宮沢賢治の場合には「現物支給」だった、ということに驚いた。いくら高額な報酬とか言っても、「じゃあ、君には車2台で年俸を払いますから」とか言われたら、これはかなり困るんだろうな、とか思うけど、案外その方がたくさん売れるような気がする。
パナソニックをはじめ、その他電機メーカーも自社製品を現物支給でボーナスとし、「できるだけたくさん、高く」売れた社員はそれだけ多くの報酬を手にできる、ということにしたらいいんじゃないか?ソニー社員だって、自社製品を使い込んでいるという感じじゃないでしょ。そもそも、自社製品と他社製品を使い比べてみたりとか、そういうことをやってる社員なんて、殆どいないでしょうね。自分の会社の製品を信じることができないのに、消費者に買って下さい、なんてのは、超甘いんじゃないかと思ったりするけど。自分が「嫌だな」と思うような、或いは信頼できないような商品を消費者に買えって求めるのって、かなり違和感があるもの。
つまりは、そういう時代ではなくなってしまった、ということなのでは。
だからこそ、売れない、買ってもらえない、ということなんでは。逆の言い方をすると、「社員すら買いたくない」からこそ、売れないんじゃないですか?もし売れるというのなら、自社製品を現物支給し、副業OKにしてたくさん売った人には多くのボーナスにすればいい(笑)。
話がそれたが、意外な発見のある1冊。