これには驚いた。色んな意味で。
1ヶ月間のタイマン勝負となれば、それはもうかなり大変では。
>はてなブックマーク - 私がTwitterで「ストーカーに悩まされている」件について - 岩本康志のブログ - Yahoo!ブログ
双方とも、粘り強いというか、不屈の精神を持つというか、凄いです。岩本先生は、何が達成したいのでしょうね。ただ単に「俺は間違ってない、負けてない」ということを証明したい、ということなのかもしれません。当事者じゃないから分かりかねますが。
事の発端といえば、クルーグマンがどういう意図・意味合いで「~~と言ったのか」という解釈について争っているということのようですので、どちらが正しいかは判りませんが、両者の合意が仮に達成されたとて、真意はクルーグマン自身に確かめない限りは判定できないのではないでしょうか。どっちにしろ正解が分からないものであるなら、双方とも妥協点が見いだせないのであれば、諦めるしかないと思うのですが。両者ともそれはイヤだ、ということなのでしょう。あと、審判というか、判定者が存在していなことが、事態をより悪化させているように思えます。
当方はついったーはやってませんし、完全なる部外者の拙ブログで議論を引き取るというのもできませんから、そもそも無理な話なのですが、とりあえず整理してみようかな、と思います。
①「デフレの原因は日銀」という言説には幅がある
端的に言えば、非常に曖昧な言い分、ということでしょう。岩本教授は、そういうことを「もうちょっと厳密に区別せよ」と意図している、というのが問題意識でしょう。拙ブログでも、そういったことは書いたことがあるので、分かります。「サムナーは~と言っている」とか「クルーグマンは~と言っている」というのは、ある種の解釈論ですから、受け手側の見解にいくつか相違があることはあり得るでしょう。中には単なる誤訳とか都合のよい切り取りでしかないもの(代表例:ノビー)もあるので、そういうのは是正されるべきでしょう。
ですが、話者(今回でいえばクルーグマンやサムナーなど)の見解や意図について、より理解をしようとするのが当然なので、受け手側である「岩本教授の見解が正しいかどうか」ということは、それほど重要とも思えません。文芸評論の正誤について争うようなもので、行き着くところは「お前はオカシイ」くらいになってしまうだけなのでは(笑)。要するに、正解なんて、はっきり出ているものではない、ということでは。
②サムナーの「日銀に原因がある」ということの意味
原文に当たったわけではありませんし、(サムナーの)全ての論文や発表に目を通しているわけではありませんので、正確なことは言えません。が、今回のことについていうと、「日銀に原因」ということの意味とは、言い換えると「日銀はデフレをターゲットとして政策を実行してきたのではないか」ということであり、日銀が意図的にそういう数値目標を”意識して”政策運営を行ってきたのではないか、という疑いを持つに至った、ということでしょう。
それは、どうしてか?
過去の日銀の言い分や行動なんかを見ると、そのように見えてしまうから、ということです。例えば、コアCPIやコアコアCPIでは、依然としてデフレであり一般的に目標とされてきたような2%前後の数値を示さないのに、利上げする等の金融引き締め策を実行してきた、ということがあります。貨幣供給量の急激な絞り込みについても、そうです。
他には、やや論点を外れますが、CPIの上方バイアスについて「ボスキンバイアス」として知られるレポートは日本では適用できず、もっと低い(0.5%程度)かひょっとしてゼロ近辺で上方バイアスそのものが存在してないんじゃないか、というような日銀研の見解を出す、というようなことがあります。これもどうしてかといえば、非常に抽象的な議論になってしまいますけれども、総裁発言なんかで「理論的には物価変動はゼロであるべき」というような金科玉条を述べたりするから、ということになります。
つまり、ゼロをターゲットとしているのではないか、と疑わせる言動はこれまでにも「そこかしこに存在してきた」ということがあるわけです。このような日銀の「前科(笑)」をよく知る人間にとっては、サムナーのような疑念を持つのは不自然ではないわけです。
③「ゼロ・ターゲット」というのは?
物価変動をゼロとするのは、インフレでもなくデフレでもない、究極の理想世界、といったような目標ということになります。ある種の教条主義的な態度ということになるでしょうか。理想が高ければ高い人間ほど、陥りやすいということかもしれません。完璧を目指し過ぎている、ということでもありますね。そこには悪気はない、というのが、また恐ろしいんですけれど。
ヘンな喩えですがご容赦を。
今、天秤が目の前にあるとします。天秤皿の片側は暗幕で隠されて見えません。もう一方の皿には塩が載せられていて、秤の中央にはゼロを中心とする針と目盛りがあります。さて、この秤のバランスを調整する係をあなたが任されているとします。
暗幕に隠れた皿の方では、刻々と重さが変化し天秤はバランスを崩して揺れるわけです。隠れた皿の方が重くなって傾けば、塩の量を追加しなければならないし、逆に向こうが軽くなれば、皿の上の塩を微妙に取り除いて軽くしなければなりません。このような操作を行う時、何を基準にして行うか?、ということなのですよ。
普通の人であれば、バランスをとる為に中央の針が真ん中に来るようにするのではありませんか、ということなのです。塩のある側の皿は、プラスでもなくマイナスでもない、ゼロを目指すということです。これこそが、日銀の金融政策の姿勢と同じではないのかな、ということです。
しかも、過去にインフレで悩まされてきたことやバブルとその崩壊という失敗のトラウマがあるわけですから、暗幕に隠れた側の皿が「プラスになるのはよくない」みたいな発想がしみ込んでいるのです。そうすると、ついつい「(秤の針が)真ん中か、それを超えないように」と思って、塩の量を調節(=金融調節)してしまいがちになる、ということが「デフレ傾向」を呼び込んでいるのではないか、ということの意味です。
秤の誤差(例えばCPIの上方バイアス)があって、正しく表示されていないかもしれず、だけどそれを見て塩の粒を微妙に調節するとなれば、誤差の存在する分だけ傾いていることになるはずです。日銀は、そういうことを「認めたがらない」ということなのです。まさしく今の岩本教授の姿勢と同じで、絶対に「自説を曲げない」という態度そのものなのだ、ということです(笑)。
要するに、日銀のやり方を見ていると、ゼロを基準点にしているのではないかと疑うだけの根拠がある、ということです。「日銀がデフレにしているんじゃないか」という意見は、そういう意味だろう、と思います。秤の塩を調整する人間の考え方を変えれば、解決が可能な問題である、ということでもあります。バランスをとる際には、針がゼロじゃなく、2目盛りだけプラス側にしてね、と変更すればいいだけだから、ということです。
日銀に原因がある、というか、別な言い方をすれば「秤を操作する人に責任がある」というようなことですね。
④クルーグマンの言う「日銀擁護」とは
日銀が「デフレを好ましい(正しい)」と考えて、ワザとそのように運営した、ということについてのみ、「いや、そうじゃないと思うよ」と否定した、ということでしょう。これが日銀擁護というニュアンスをもたらした、と。
どうしてかというと、
・「デフレが正しい」と日銀は考えていたようには見えない
=90年代後半~今世紀前半には、デフレ脱却について深く悩んでいたから
・「ワザと」というよりは、よい手(案)が見つけられなかったのでは
=世界中の経済学者も考えたけど正しい答えは決まらなかったし、今回の危機後にかつての日銀と同様に悩んだが、正解の決定版は見つかってないみたいだから
ということかな、と。
だからといって、日銀の責任については厳しく追及しているわけで、別に「日銀が正しい」というような全肯定をしているわけではない。
⑤クルーグマンは日銀の何を責めているのか
平たく言えば、「まだまだやれることはある」、ということに尽きるのではないか。
「やるべきこと、やれること」は残っているのではないか、それをやらないのはどういうことだ、何故全力で取り組まないんだ、ということを言っているものと思う。
少なくとも、政策担当者であるなら、「正確に分からないなら、やりたくありません、自信ないから、できません」というような言い訳なんか通用しないよ、ということだ。
「できません、やりたくありません」というような泣き事しか言わないような総裁ならば退場させろ、big gunが必要だよ、というようなことでしょう。たとえ正確に分からなくたって、「列車は走り続けている」(経済社会は止まらず動き続けている)ということなのだから。運転するのは自分しかいないんだ、という覚悟が足りない、ということです。
(参考までに、ガンダムパイロットのアムロだって、よく分からない中でも操縦していたではありませんか。笑。生き(延び)る、というのはそういうことではないかな、と。)
⑥原因が確実に判明することと治療手段は違う
原因を突き止めて、これにアプローチするのは正しい。それは望ましいわけである。だが、物事の全てについて原因を正確に突き止めるのは容易ではない。原因の除去ができないかもしれないが、対症療法的に治療することはよくある話である。
喩えばかりで申し訳ないが、いま、敗血症性ショックに陥っているとしよう。原因菌は、判っていないとする。ショックなので、循環虚脱が起こり、血圧が低下していくと死亡してしまう。原因が判らなくたって、治療するしかないのだ。
原因に対しては、原因菌を特定し、これに有効な抗生物質を投与するなりして、原因菌を死滅させることだ。エンドトキシンに対しては、抗体なんかを投与することだ。大雑把にいえば、これが原因に対するアプローチ、ということになる。
けれども、高熱だとか、血圧低下、アシドーシスなんかは、原因菌が不明であっても治療可能である。症状に合わせて治療手段を用いることは、何ら問題ない。というより、むしろ、積極的に治療せよ、ということだ。原因菌の検索は、時間がかかるし、後から判明したっていい、ということを言っているのである。それよりも、病状を悪化させないように治療手段を尽くすべきだ、ってことを言っているのである。
ここで、「輸液なんかしても、原因菌を殺す効果はないから無効」といった主張は、無知無能の発言だね、ということをこれまでに書いてきたわけである。
何故か経済学分野ということになると、これに類することを言う経済学者といった連中がいるのである。
そういう連中に必要なのは、そもそも論として、「薬剤Xは解熱作用がある」のかどうか、「薬剤Yは昇圧作用がある」のかどうか、まず、そうした基本的な部分から確かめてゆくべきなのではないか、ということを言っているのだ。いくら「細菌には抗生物質が有効だ」という主張をしていても、範囲が漠然とし過ぎて具体性がないのだ。もっと、「○○菌には、抗生物質Aは効果を有する」「抗生物質Aを投与すると○○菌は減少するが、××菌が繁殖することがある」といった基本的な研究を積み上げろ、ということを言っているのである。
⑦経済学者という肩書にどれほどの信頼性があるか
因みに、岩本先生の基準で言えば、原因菌には抗生物質を投与せよ、以外の治療法選択はペテン師という扱いを受けるらしい(笑)。
拙ブログで言ってるのは、そういうことじゃない。経済学者という肩書で、
「薬剤Xを投与したから血圧が上昇した」
という見解を述べている人がいるが、実際に観察してみると「本当にそうなんですか?」という疑問はあるでしょ、ということを言っているのだ。確かに見掛け上、薬剤Xを投与した後に血圧上昇が観察されている例はいくつもあるけれども、それは必ずしも薬理効果ではなくて、病気が治ったものと思って患者が飛び跳ねた結果生じたものなんじゃないのか、といった疑問、ということである。
経済学者の多くは、そういうことを考えたことがないらしい、ということも分かったのだ。「薬剤Xの投与」という部分にだけ目が行き、これをクローズアップすることによって、何でもかんでも説明しようとする態度が窺えるのである。本当にそうなんですか?
専門家を自認するのであれば、素人ですら考えつくような疑問点なんかは、「事前に潰しておくのが当然」なんじゃないですか、そういうのを排除した結果として、「やっぱり薬剤Xには昇圧作用があるので、この患者の場合においてもやはりそれを理由として血圧上昇が見られたものと考える」とかの結論を得るということになるはずなんじゃありませんか、ということです。
⑧まとめ
サムナーもクルーグマンも、日銀に責任の一端があるということを肯定しているものと思われるが、「日銀のどの部分に原因を求めるのか」という点については、若干の相違は存在しているものと思われる。それは、岩本教授の披露している見解には関係がない。
岩本教授の解釈論をこれ以上掘り下げても、普通の人々にとっては何ら得られるものはないだろう。
ついったー上での彼の説明がどんなに正しかろうとも、岩本氏の自分の頭の中で生み出された意見というものが、何一つ存在していないだろうから、である。「~は○○と言ったんじゃない、××と言ったのだ」とかいう解釈論をいくら並べても、物事の正しさの判定にはほぼ役に立たないとしか思えないからである。
不毛なり。
1ヶ月間のタイマン勝負となれば、それはもうかなり大変では。
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双方とも、粘り強いというか、不屈の精神を持つというか、凄いです。岩本先生は、何が達成したいのでしょうね。ただ単に「俺は間違ってない、負けてない」ということを証明したい、ということなのかもしれません。当事者じゃないから分かりかねますが。
事の発端といえば、クルーグマンがどういう意図・意味合いで「~~と言ったのか」という解釈について争っているということのようですので、どちらが正しいかは判りませんが、両者の合意が仮に達成されたとて、真意はクルーグマン自身に確かめない限りは判定できないのではないでしょうか。どっちにしろ正解が分からないものであるなら、双方とも妥協点が見いだせないのであれば、諦めるしかないと思うのですが。両者ともそれはイヤだ、ということなのでしょう。あと、審判というか、判定者が存在していなことが、事態をより悪化させているように思えます。
当方はついったーはやってませんし、完全なる部外者の拙ブログで議論を引き取るというのもできませんから、そもそも無理な話なのですが、とりあえず整理してみようかな、と思います。
①「デフレの原因は日銀」という言説には幅がある
端的に言えば、非常に曖昧な言い分、ということでしょう。岩本教授は、そういうことを「もうちょっと厳密に区別せよ」と意図している、というのが問題意識でしょう。拙ブログでも、そういったことは書いたことがあるので、分かります。「サムナーは~と言っている」とか「クルーグマンは~と言っている」というのは、ある種の解釈論ですから、受け手側の見解にいくつか相違があることはあり得るでしょう。中には単なる誤訳とか都合のよい切り取りでしかないもの(代表例:ノビー)もあるので、そういうのは是正されるべきでしょう。
ですが、話者(今回でいえばクルーグマンやサムナーなど)の見解や意図について、より理解をしようとするのが当然なので、受け手側である「岩本教授の見解が正しいかどうか」ということは、それほど重要とも思えません。文芸評論の正誤について争うようなもので、行き着くところは「お前はオカシイ」くらいになってしまうだけなのでは(笑)。要するに、正解なんて、はっきり出ているものではない、ということでは。
②サムナーの「日銀に原因がある」ということの意味
原文に当たったわけではありませんし、(サムナーの)全ての論文や発表に目を通しているわけではありませんので、正確なことは言えません。が、今回のことについていうと、「日銀に原因」ということの意味とは、言い換えると「日銀はデフレをターゲットとして政策を実行してきたのではないか」ということであり、日銀が意図的にそういう数値目標を”意識して”政策運営を行ってきたのではないか、という疑いを持つに至った、ということでしょう。
それは、どうしてか?
過去の日銀の言い分や行動なんかを見ると、そのように見えてしまうから、ということです。例えば、コアCPIやコアコアCPIでは、依然としてデフレであり一般的に目標とされてきたような2%前後の数値を示さないのに、利上げする等の金融引き締め策を実行してきた、ということがあります。貨幣供給量の急激な絞り込みについても、そうです。
他には、やや論点を外れますが、CPIの上方バイアスについて「ボスキンバイアス」として知られるレポートは日本では適用できず、もっと低い(0.5%程度)かひょっとしてゼロ近辺で上方バイアスそのものが存在してないんじゃないか、というような日銀研の見解を出す、というようなことがあります。これもどうしてかといえば、非常に抽象的な議論になってしまいますけれども、総裁発言なんかで「理論的には物価変動はゼロであるべき」というような金科玉条を述べたりするから、ということになります。
つまり、ゼロをターゲットとしているのではないか、と疑わせる言動はこれまでにも「そこかしこに存在してきた」ということがあるわけです。このような日銀の「前科(笑)」をよく知る人間にとっては、サムナーのような疑念を持つのは不自然ではないわけです。
③「ゼロ・ターゲット」というのは?
物価変動をゼロとするのは、インフレでもなくデフレでもない、究極の理想世界、といったような目標ということになります。ある種の教条主義的な態度ということになるでしょうか。理想が高ければ高い人間ほど、陥りやすいということかもしれません。完璧を目指し過ぎている、ということでもありますね。そこには悪気はない、というのが、また恐ろしいんですけれど。
ヘンな喩えですがご容赦を。
今、天秤が目の前にあるとします。天秤皿の片側は暗幕で隠されて見えません。もう一方の皿には塩が載せられていて、秤の中央にはゼロを中心とする針と目盛りがあります。さて、この秤のバランスを調整する係をあなたが任されているとします。
暗幕に隠れた皿の方では、刻々と重さが変化し天秤はバランスを崩して揺れるわけです。隠れた皿の方が重くなって傾けば、塩の量を追加しなければならないし、逆に向こうが軽くなれば、皿の上の塩を微妙に取り除いて軽くしなければなりません。このような操作を行う時、何を基準にして行うか?、ということなのですよ。
普通の人であれば、バランスをとる為に中央の針が真ん中に来るようにするのではありませんか、ということなのです。塩のある側の皿は、プラスでもなくマイナスでもない、ゼロを目指すということです。これこそが、日銀の金融政策の姿勢と同じではないのかな、ということです。
しかも、過去にインフレで悩まされてきたことやバブルとその崩壊という失敗のトラウマがあるわけですから、暗幕に隠れた側の皿が「プラスになるのはよくない」みたいな発想がしみ込んでいるのです。そうすると、ついつい「(秤の針が)真ん中か、それを超えないように」と思って、塩の量を調節(=金融調節)してしまいがちになる、ということが「デフレ傾向」を呼び込んでいるのではないか、ということの意味です。
秤の誤差(例えばCPIの上方バイアス)があって、正しく表示されていないかもしれず、だけどそれを見て塩の粒を微妙に調節するとなれば、誤差の存在する分だけ傾いていることになるはずです。日銀は、そういうことを「認めたがらない」ということなのです。まさしく今の岩本教授の姿勢と同じで、絶対に「自説を曲げない」という態度そのものなのだ、ということです(笑)。
要するに、日銀のやり方を見ていると、ゼロを基準点にしているのではないかと疑うだけの根拠がある、ということです。「日銀がデフレにしているんじゃないか」という意見は、そういう意味だろう、と思います。秤の塩を調整する人間の考え方を変えれば、解決が可能な問題である、ということでもあります。バランスをとる際には、針がゼロじゃなく、2目盛りだけプラス側にしてね、と変更すればいいだけだから、ということです。
日銀に原因がある、というか、別な言い方をすれば「秤を操作する人に責任がある」というようなことですね。
④クルーグマンの言う「日銀擁護」とは
日銀が「デフレを好ましい(正しい)」と考えて、ワザとそのように運営した、ということについてのみ、「いや、そうじゃないと思うよ」と否定した、ということでしょう。これが日銀擁護というニュアンスをもたらした、と。
どうしてかというと、
・「デフレが正しい」と日銀は考えていたようには見えない
=90年代後半~今世紀前半には、デフレ脱却について深く悩んでいたから
・「ワザと」というよりは、よい手(案)が見つけられなかったのでは
=世界中の経済学者も考えたけど正しい答えは決まらなかったし、今回の危機後にかつての日銀と同様に悩んだが、正解の決定版は見つかってないみたいだから
ということかな、と。
だからといって、日銀の責任については厳しく追及しているわけで、別に「日銀が正しい」というような全肯定をしているわけではない。
⑤クルーグマンは日銀の何を責めているのか
平たく言えば、「まだまだやれることはある」、ということに尽きるのではないか。
「やるべきこと、やれること」は残っているのではないか、それをやらないのはどういうことだ、何故全力で取り組まないんだ、ということを言っているものと思う。
少なくとも、政策担当者であるなら、「正確に分からないなら、やりたくありません、自信ないから、できません」というような言い訳なんか通用しないよ、ということだ。
「できません、やりたくありません」というような泣き事しか言わないような総裁ならば退場させろ、big gunが必要だよ、というようなことでしょう。たとえ正確に分からなくたって、「列車は走り続けている」(経済社会は止まらず動き続けている)ということなのだから。運転するのは自分しかいないんだ、という覚悟が足りない、ということです。
(参考までに、ガンダムパイロットのアムロだって、よく分からない中でも操縦していたではありませんか。笑。生き(延び)る、というのはそういうことではないかな、と。)
⑥原因が確実に判明することと治療手段は違う
原因を突き止めて、これにアプローチするのは正しい。それは望ましいわけである。だが、物事の全てについて原因を正確に突き止めるのは容易ではない。原因の除去ができないかもしれないが、対症療法的に治療することはよくある話である。
喩えばかりで申し訳ないが、いま、敗血症性ショックに陥っているとしよう。原因菌は、判っていないとする。ショックなので、循環虚脱が起こり、血圧が低下していくと死亡してしまう。原因が判らなくたって、治療するしかないのだ。
原因に対しては、原因菌を特定し、これに有効な抗生物質を投与するなりして、原因菌を死滅させることだ。エンドトキシンに対しては、抗体なんかを投与することだ。大雑把にいえば、これが原因に対するアプローチ、ということになる。
けれども、高熱だとか、血圧低下、アシドーシスなんかは、原因菌が不明であっても治療可能である。症状に合わせて治療手段を用いることは、何ら問題ない。というより、むしろ、積極的に治療せよ、ということだ。原因菌の検索は、時間がかかるし、後から判明したっていい、ということを言っているのである。それよりも、病状を悪化させないように治療手段を尽くすべきだ、ってことを言っているのである。
ここで、「輸液なんかしても、原因菌を殺す効果はないから無効」といった主張は、無知無能の発言だね、ということをこれまでに書いてきたわけである。
何故か経済学分野ということになると、これに類することを言う経済学者といった連中がいるのである。
そういう連中に必要なのは、そもそも論として、「薬剤Xは解熱作用がある」のかどうか、「薬剤Yは昇圧作用がある」のかどうか、まず、そうした基本的な部分から確かめてゆくべきなのではないか、ということを言っているのだ。いくら「細菌には抗生物質が有効だ」という主張をしていても、範囲が漠然とし過ぎて具体性がないのだ。もっと、「○○菌には、抗生物質Aは効果を有する」「抗生物質Aを投与すると○○菌は減少するが、××菌が繁殖することがある」といった基本的な研究を積み上げろ、ということを言っているのである。
⑦経済学者という肩書にどれほどの信頼性があるか
因みに、岩本先生の基準で言えば、原因菌には抗生物質を投与せよ、以外の治療法選択はペテン師という扱いを受けるらしい(笑)。
拙ブログで言ってるのは、そういうことじゃない。経済学者という肩書で、
「薬剤Xを投与したから血圧が上昇した」
という見解を述べている人がいるが、実際に観察してみると「本当にそうなんですか?」という疑問はあるでしょ、ということを言っているのだ。確かに見掛け上、薬剤Xを投与した後に血圧上昇が観察されている例はいくつもあるけれども、それは必ずしも薬理効果ではなくて、病気が治ったものと思って患者が飛び跳ねた結果生じたものなんじゃないのか、といった疑問、ということである。
経済学者の多くは、そういうことを考えたことがないらしい、ということも分かったのだ。「薬剤Xの投与」という部分にだけ目が行き、これをクローズアップすることによって、何でもかんでも説明しようとする態度が窺えるのである。本当にそうなんですか?
専門家を自認するのであれば、素人ですら考えつくような疑問点なんかは、「事前に潰しておくのが当然」なんじゃないですか、そういうのを排除した結果として、「やっぱり薬剤Xには昇圧作用があるので、この患者の場合においてもやはりそれを理由として血圧上昇が見られたものと考える」とかの結論を得るということになるはずなんじゃありませんか、ということです。
⑧まとめ
サムナーもクルーグマンも、日銀に責任の一端があるということを肯定しているものと思われるが、「日銀のどの部分に原因を求めるのか」という点については、若干の相違は存在しているものと思われる。それは、岩本教授の披露している見解には関係がない。
岩本教授の解釈論をこれ以上掘り下げても、普通の人々にとっては何ら得られるものはないだろう。
ついったー上での彼の説明がどんなに正しかろうとも、岩本氏の自分の頭の中で生み出された意見というものが、何一つ存在していないだろうから、である。「~は○○と言ったんじゃない、××と言ったのだ」とかいう解釈論をいくら並べても、物事の正しさの判定にはほぼ役に立たないとしか思えないからである。
不毛なり。