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米中連携ということ~3

2010年09月23日 17時45分39秒 | 外交問題
ここに至っては、赤子同然の菅政権では、問題に対処する能力が低いであろう、という判断があると思う。いや、民主党政権全体の能力に問題がある、ということだろう。前鳩山総理時代の日米共同宣言で、それがよく判ったはずだ。


ここまで中国は事態をうまく利用しようとしていることは見てとれるわけである。だが、逆にやりすぎた、ということでもある。過剰演出なのだ。あまりに賭け金を釣り上げてしまうと、引っ込みがつかなくなるだろう。いずれそのブラフ戦術は破綻を来たす。

これと似た事態は、今年目にしたであろう?
そうだ、韓国と米国の無様な姿のことである。
韓国哨戒艦沈没事件に端を発した北朝鮮への非難は、悉く失敗に終わった。G8サミット、安保理、ARFと舞台を変えて、失敗が明白になってしまった、ということである。韓国は国内政治にも混乱を来たし、外相は引きずり降ろされた(外見上は外相(長女)の「縁故採用問題」ということだったが、あまりに電撃的な辞任で幕切れとなった。長女の契約社員歴は08年以降からあったのであり、それは外相に就任する前からのもので、そうした勤務経験からすると特別に疑問というほどでもなかったのではないか。むしろ2+2後に失敗引責で切られたと見ることができる。米韓外交の失敗、これの責任を問われた可能性がある。)。

参考までに、過日韓国が中国漁船を拿捕した、という事件があったが、これはもし日本の外務省が頼んでやってもらったのなら、まずまずの手ではあった。日本の尖閣沖事件の少し後であったことから、韓国の同調というメッセージにはなったであろうから、ということがある。韓国にとっては、哨戒艦事件以降の中国に対しては「面白くない」ということであったので、拿捕には一定の意味があった。


話を戻そう。
あまりに賭け金を張り続けると、手痛いしっぺ返しを覚悟する必要があるだろう。
過ぎたるは猶及ばざるが如し、である。
今の中国は、既に「やり過ぎ」に足を踏み込んでいるだろう。


で、当方の推測通りに、ゲーツ招請ということが報じられた(中国:温首相がゲーツ米国防長官の訪中招請 - 毎日jp(毎日新聞))わけである。


言った通りだったでしょう?

存在感を誇示する中国~尖閣沖衝突事件で異例抗議の謎

この中で次のように書いた。
『双方にとって突っ慳貪な対応の夏を過ごしたが、この修復を考えたいというのが根底にあるだろう。6月にゲーツ訪中を断って以降、南シナ海を巡る発言や演習、黄海での演習など、米国の海の権益を守ろうとする動きが中国との衝突を生んできた。その修復を図りたい、という姿勢が最近の中国側からは窺える、ということである。例えば、ゲーツの年内訪中の可能性を探る、というのがその一例である。』


従って中国としては、対米関係を改善し、対日強硬姿勢をとりつつ日本を出し抜きたい、ということであろう。それは、商売などの上でも、ということである。勿論為替も含まれる。

この中国の態度に歩調を合わせるが如く、米国からも要求が出された。
要は、「金よこせ」というものである。
思いやり予算、普天間移転の大幅遅延、等々で、日本はもっと金を出せ、と。そのような要求を飲ませるのには、「中国様」の脅しを使うのが効果的、という前鳩山政権時代にも使った手口を再び用いたということ。


米中連携ということ~2


Obama\\\'s 10 Days ~鳩山政権の逸機

特にこの記事中の記述を再掲しておく。

『中国側の対応としては、たとえばイラン制裁問題への協力、貿易統計で貿易赤字計上、人民元は緩徐な切り上げ同意、沖縄近海の艦隊通過、などである。常識的には、イランの核問題と人民元が焦点となろうが、最後の艦隊通過というのは、中国側の意図とメリットというものが殆どない中で行われており、そういう点でも潜水艦の浮上航行というのが何を意味するか、という点では注目に値する行動だった。
その「何故」こそが、米中連携という視点からみれば、明瞭なメッセージが窺われるわけである。米国にとっての沖縄(基地)、これを正当化するのに最大限の効果を持たせるのが、「中国海軍(艦隊)の脅威」だからである。』



昨日あたりに、改めてオバマ大統領が「人民元問題」に言及したのは、日本が為替介入を実施してしまったからさ。このタイミングでなら、中国の為替操作というのは目立たないから、ということ。日本の為替介入のお陰で、中国の罪が少し軽くなった、というようなものだ。ここのお供えを盗み食いしたのは誰だ、という時、「チャイナ君が犯人です」というだけだとチャイナ君に非難轟々となって風当たりが強いものだが、「ジャパン君もやったみたいです」ということなら風当たりが弱まろうというものだからだ。

こうして中国への非難を匂わせておけば、米中連携の隠れ蓑にできる、ということがあるわけである。双方にとって必要な相手、という認識が米中間では出来上がっているものと思われる。

なので、加州の鉄道事業入札なんかにしても、地元にしてみれば中国系や韓国系が多いのだから、その両者のいずれかの企業になってもらうのが必然ということになるので、新幹線なんかに需要はない上に勝ち目も当然ないわけだよ。だから、米国側としては中国企業か韓国企業に「資金」と名乗りを上げてもらいたい、ということである。


そういうわけで、日本はどちらからも利用されて、いいようにあしらわれるだけ、ということに気付くべきなのだ。それなのに、菅政権ときたら、従米姿勢をとことん貫きたい、ということらしい。
今年5月の日米合意なんて有名無実であり、米国防総省が移転計画は「まあ無理だな、のんびり時間をじっくりかけてやる」という、ヤクザ並みの”居座りゴネ得大作戦”展開中なのに、菅総理はバカみたいに「アメリカの言うことを聞きます」と宣言するしか能がない。その上、明け渡しもしないのに、もっと金出せ、とせびられる始末。愚かとしか言いようがない。


こうやって、米中にいいように搾取される日本、ということになっているわけである。まさしく、愚か。
しかも、そういうのを応援する売国の親米派やマスコミ連中なんかが、日本ではなく相手側を全力で支援するときているから、救いようのない本物の愚かな国なのである。



輸出企業の呪い

2010年09月23日 13時16分42秒 | 経済関連
90年代後半の日本では、大きな変革が訪れた。
それは、日本の経済を支えてきたと自負する、輸出企業の苦境であった。主に電機、自動車などの世界に名の知られた企業群は、円高に苦しむばかりではなく、過去の投資負担や海外勢との競争で窮地に立たされていったのだ。そこで、大規模なリストラの実施、資産売却、系列解体、等々が実行されていったのである。


輸出企業の対GDP比のウェイトは年々低下していたし、輸出総額の比率そのものも低下していたので、本来的には日本経済を壊滅させるほどの影響があったとは思われなかった。しかし、当時の風潮というものが、影響力を大きくしていったものと思う。そもそも、80年代以降、東南アジアを中心に海外展開を着実に進めてきていた(*)こと、国内工場の整理と人件費の安い海外へと生産拠点を移していっていたこと、そういったことも相まって、GDP比の輸出比率が低下するのは当然であった。にもかかわらず、「日本を代表する企業」という自負が、日本国内での影響力を強めていたものと思う。

(*):多分、この対応は間違っていなかったであろう、と思う。戦争の爪痕、という贖罪的な思いというものが、かつての日本人の中に根強く残っていたことも影響していたかもしれない。ODAなんかも役立っていたことはあるかもしれない。色んな理由はあるだろうけど、アジア地域に投資をしていったことが、まさに今花開いてきたのではないかと思える。過去の投資が、産業育成・購買力となって返ってきたのではないか、ということである。


経済界のお偉いさんたちの中で、輸出の多い製造業の影響力がそれなりに大きかった、ということがあるだろう。特に自動車や電機といった業界の発言力は、日本では強かった、ということである。
彼らは、常に海外企業との競争に晒され、生産性向上や経費節減に血の滲むような努力を強いられているのに、国内勢の連中といえばロクに努力もせず弛んでいる、と思っており、それを強要したようなものだった。

例えば、バブル期に銀行、不動産、建設業界の連中がたんまりと積み上げた不良債権のせいで日本全体が大打撃を受けたとか、内需関連の企業群が製造業ほどのリストラをしていないとか、そういった怨嗟の念が内包されていたのではないか。よくある「公務員は民間ほどの努力をしていない(=だからもっとリストラや給与引き下げをせよ)」という非難とよく似たものではないだろうか。

結果的には、電機業界のリストラ策は台湾、韓国、香港、中国などの躍進を支える原動力の一部となったかもしれない。日本の技術や何かを含めて、「やり方」というものを持ってゆくことができた。これがその後の日本の電機業界のライバルたちとなって帰ってきたようなものである。

いずれにせよ、輸出の多い製造業を中心に、「国内の連中は努力が足りない、合理化不足だ、競争に晒されていない」というような声が強まったのではないか、ということである。これが間違いのもとだった、ということだ。


どうして良くなかったか、ということを考える前に、おなじみの喩え話で書いてみたいと思う。
簡単に言えば、勘違い亭主のようなもの、かな。
亭主は外に働きに出て、会社で出世競争(笑)とか成果主義の評価とかノルマ評価なんかで、厳しい競争に晒されているわけだ。そうすると、亭主は辛い、と思うわけである。ところが、専業主婦の家内ときたら、いつものんびり過ごしているように思えるから、ついつい文句を言ってしまう、と。
「お前は、競争に晒されず、努力もしてない、だからダメなんだ。オレがどれほど厳しい思いをしているか、判ってないんだ。お前も、もっと同じくらいに苦しめ」

確かに、亭主の稼ぎが増えたからといって、家内の生産性が向上しているとか激しい合理化の結果であるとか、そういうことではないだろう。夫の給料が増えるのは、妻の大幅な能力向上の成果なのか、と。亭主から見れば、妻は何か特別の努力をしているようにも思えないし、ヨソの女との厳しい競争に晒されているようにも見えない(笑)。浮気する男の場合には、競争が生じている、とも考えられなくはないかもしれないが。だけど、女同士で妻の座を争う、というのが一般的だと言うほどの競争があるとも思えない。

極端に言うと、亭主の給料が減ったのなら、妻にも何かの苦しみを味わってもらう、というようなことを亭主が言い出す、というようなことである。

日本を代表する輸出企業の多くは、それに類することを言ったんだ、ということである。これを日本全国で実施すると、どうなると思うか?全部の家庭で、夫が苦しいんだから妻も苦しめ、というのをやると、一体どうなると思うか?

全員が委縮していった、ということである。
それに伴って、経済も委縮した。消費も低迷した。
一部の拝金主義者たちや、海外コネクションでうまくやった人間たちだけが、うまみにありついていたかもしれないが、殆ど多くの日本人は委縮したのだ。デフレは強化され、世界経済の好調に支えられて輸出で儲けた大企業だけが恩恵を受けることができたのだ、ということである。その結果として、製造業のGDP比は上昇してきたが、世界経済の大幅な減速や円高によって苦境に陥っているわけである。


そもそも、製造業が苦しいんだから、他の内需産業も一緒に苦しめ、的な発想が根本的な間違いである。それは、医療や教育なんかがもっと苦しめ、みたいな発想そのものが、日本経済をこれほど強固な低迷をもたらしたのだ。輸出で苦しい大企業の連中に、足を引っ張り込まれたようなものだ、ということ。
亭主の給料が下がったのは、家内の能力のせいではない。家内が努力不足だったので、亭主の賃金が削られるわけじゃない、ってことだ。それでも、亭主のピンチを見た家内は、どうにか家庭内のやりくりをして節約に努めたわけだ。亭主(=輸出企業)は自分の能力には関係ないところで、たまたま会社の業績好調(=世界経済の成長)の恩恵を受けて、少し給料が上がったのに家内には「お前らは使うな」といって家庭内に金を入れてこなかった、ということさ。そうすると、使うお金が増えてるわけじゃないから、前の節約生活のまんまというのが続くだけなので、家庭内で努力した分だけデフレ圧力となってしまう、ということだな。


こういう亭主の恨み節が、日本の経済委縮を招いた一因ではないか、というのが、私の感想である。
日本には、自動車会社がこれほど残っているのだが、他にそんな国はない。トヨタ、ホンダ、日産、マツダ、スバル、スズキ、ダイハツ、…、「ものづくり」日本だからこそ残れた、という見方もあるかもしれない。だが、苦境に陥るたびに円高介入をやったり、特別な補助金を出したり、そういうことをやってきたけれども、無駄に延命させただけかもしれない。電機企業だってそうだ。昨今、よく言われるのが、サムスン1社にも及ばない、というのがあるが、これほど多く電機企業が存在しているのは何故なのだろうか?

こうした輸出系製造業の大企業を救う為に、多額の資金を投入し、補助金や税制なんかでも優遇したり、雇用政策なんかでも彼らの主張が通ってきたりしたかもしれないが、そういう結果が今なんじゃないのか。


亭主は、「オレがこんなに頑張って稼いだ金なんだから、オレのものだ、お前らには使わせないぜ」といって、自分の懐に金を入れたままにしたのさ。家内は亭主の両親の介護なんかで頑張っているけれど、亭主は認めないのだな。毎年歳をとってゆく亭主の両親には、だんだんと医療費や介護費がかかるようになってきているのに、亭主はそれでも金を渡そうとはせず、「お前らの効率化が足らんのだ」と言うわけだ。金を渡して使わせると、需要不足なんて解消されるのに。


普通の消費者から見れば、円高で輸入価格が低下すると原油等の値下がりの恩恵があるはずなので、その余裕分は他の何かに消費されてもよいわけである。そうすると、その恩恵を受ける企業というのが現れてくるからその企業の業績がよくなる。別に、日本の企業は輸出企業だけじゃないんだから、他の企業が良くなってくれれば、日本全体で見ればあまり変わらないとも言えるわけだ。
輸出企業の低迷が続くと、獲得外貨が減るから円買い資金は縮小するので、放っておくと(その他要因が変化がないなら)円安方向に行くに決まっているんだよ。そうすると、前の水準に戻ってゆくから、いずれ輸出企業にも好調な局面というのが訪れるであろう。


輸出系製造業の大企業は、日本経済への影響度というのが結構あるので、それの好不調というのが社会的にも大きかったのだけれども、今後はその割合を縮小させてゆくべき、ということになるだろう。「エースで4番」みたいな発想そのものが、間違いだった、ということ。
要するに、たった一人の選手の成績がチーム全体を大きく左右するということになれば、それは弱いチーム、ということだ。もっと層を厚くしなければならない。エースで勝てない時だってある、だからこそ、2番手、3番手の選手の能力を向上させておかねばならない、ということだ。4番打者が三振しても、他の誰かがヒットでつなぐよ、ということだっていいのだ。4番だからって、毎回毎回ホームランなわけないじゃん。
誰かはエースの称号を受けるし、誰かは4番に座るのだから、それが例えば自動車だとか電機だとかであったとしてもいいけど、それに頼る構造がダメなんだ、ということ。調子が悪いなら、4番を降りてもらうことだってあるよ、ということでしかないのだ。
例えば苦手な左投手が対戦相手の時だって、試合はせねばならんのだよ。左投手が苦手だからって、逃げていては戦えないんじゃないのか?「オレは4番を打ちたいから、苦手な左投手の時には相手のピッチャーを替えさせろ」とか言うつもりか?円高を介入によってどうにかしてもらう、というのは、そういうことなのだろ。


もっと根本的に、長期的な対応としてデフレをどうにかせねばならんのだよ。
為替レートは、短期的な投機とかは別として、貨幣供給のバランスによって成り立っているということであれば、日本国内の貨幣供給を増加させるよりないわけで、そちらをまず優先的に考えるべき。

即ち、「デフレ脱却」こそが、円高不安払拭への近道である、ということだ。