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為替介入しなくても、海外資産は買えるぞ(笑)

2010年09月21日 16時30分52秒 | 経済関連
岩本先生と飯田泰之先生の議論とかがあったそうで、そちらを眺めていたら、出くわした。


この先生は、一体何が言いたいのだろうか。

飯田先生曰く、

『介入より円高を利用して海外資産を買え・・・という意見をたまに聞くけど,それって「介入した後の資産運用」の話だ(海外資産を買うには円売ってドル等を買うしかない)ということに気づいていない人が結構いそうな希ガス』

だそうで。

はあ?
介入した後の資産運用の話とは限らんでしょうよ。

この先生は、円高局面での為替介入ってのが、どんなことをやるのか知ってるのかな?

「円を売ってドルを買う」

なんじゃないの?


だったら、円で海外資産を買えば、自動的に「円を売って海外通貨(例えばドル)を買う」効果を持つということで、同じじゃないですか。これの何が不満だと?

これが何で介入を伴わなければ実行できない、とか思ってんだろうね。


ウチみたいなブログを見ているわけはないと思うけど、当方の主張で「海外の実物資産でも買え」と書いているからって、まさか喧嘩でも売りたいとか?(笑)
それはないか。

ま、いいけど、飯田氏本人が書いている通り、「海外資産を買うには円売ってドル等を買うしかない」わけで、それは円売り介入と同等だ、ということだわな。
これをやることの何が問題なのか、説明してくれるといいだ。


それとも、介入してドルをまず買い、そのドルを持ってないと海外資産を購入できない、とか信じているわけではあるまいね?

為替介入を伴わなくても、外貨建ての海外資産は購入できるでしょうよ。
何が問題なのか、全く分からんな。つーか、素人を舐めてるとしか思えんな。




為替介入とequilibrium

2010年09月21日 13時37分11秒 | 経済関連
昨日の為替の話の続きです。

非常に話を単純化して、簡単な例で考えてみます。よくある2国間モデルとかに倣って、世界には2つしか国がないものとしましょう。

「甲」国と「乙」国があります。甲で生産される財Aが非常に重要なもので、生きる為には乙で必ず輸入しなければならないものとします。現実世界でいえば、小麦とか原油とか、そういったようなものです。この財Aは常に一定量の輸入をしており、その代金は甲の通貨でaとします。乙が甲に払う、ということになります。貿易はこの財の取引だけだとします。すると、甲は常に輸出超過で、乙は貿易赤字が恒常的となります。甲と乙との為替レートは変動し、甲の通貨:乙の通貨の交換比率は、1:kとします。先ほどの財Aの代金がaだったので、乙の現地通貨では代金はakとなります。

 ・甲 財Aを輸出  代金a 受取
     ↓       ↑
 ・乙 財Aを輸入  代金ak 支払

甲と乙で資本移動がないなら、為替変動はこの財Aの支払代金のみしかありません。乙は甲に払う為に自国通貨で甲の通貨を買うことになります。

これが継続してゆくとどうなるか。
甲の通貨はきっと高くなっているだろう、ということです。ずっと甲に代金を払うということによって、通貨買いを継続することになるのですから。ある時点での為替レートがk=ko、これより何期か後の時点でのレートがk=k'だったとすると、
 k'>ko
という関係になっているであろう、ということです。
甲から輸出超過が続く限り、為替レートは上昇を続ける、ということです。

この状態は永続できるのか、ということになりますと、かなり疑問ということになるでしょう。為替レートが上昇を続けると、甲の生産財Aの価格は同じく上昇を続けることになるので、乙での価格はいずれ無限大になってゆくことになってしまいます。今は、生存にどうしても必要だから、ということで一定量の需要として考えていますが、普通はそうはならないでしょう。

輸出超過が止まる(=乙は輸入しなくなる)か、無限大に向かって代金を払い続けるか、ということになるでしょうか。後者の場合には、乙の内需が代金支払いに充てられるくらいに成長していかないと、輸入材Aの価格上昇に追いつけない、ということになるでしょう。


これが現実世界であると、財Aの価格上昇が需給を調整しますし、資本移動があるので為替レート上昇を抑制するでしょう。
つまり、ここから分かることは、輸出が強ければ強いほど、「輸入を増やす」か「海外投資を増やす」ということくらいしかない、ということでしょう。
上記例でいえば、甲の稼いだ代金a分だけ乙に投資すればよい、ということです。そうすれば、為替レートは一定に保たれます。それとも、甲の稼いだ金を国内で使って国民の所得を上げ、その結果として乙からの輸入を増加させる、とかですね。


要するに、昔からある教訓的なものが、ここでも生きている、ということなんですよ。「自分だけ儲けようとするな」みたいなものだ。或いは、「他人に施せ」だ。昔話の訓話みたいなのものだ。
強欲じいさんが自分の為だけに金を懐に入れるとロクなことはなく、儲けた金を人々の為に使うことが、結果的には巡り巡って自分に返ってくる、というようなことだ。



equilibriumという考え方は、経済学では「均衡」と呼ばれるが、化学で言うところの「(化学)平衡」というのと非常に似ているわけである。
偏在があると、必ずそれを是正するかのような動きを生じ、例えば為替レートの変動に顕れる、ということになるわけである。それとも価格に反映される、ということになるのだ。もっといえば、「より安定的な状態」に近づくような動き方をするのが、経済の中に存在する「神の見えざる手」ということの意味だ。それは、「価格(交換レート)」、「取引」、「市場」といった”仕組み”(システム?)によってそれが達成されるだろう、ということである。それは、人為的にそれと同じことを実現しようと思うと、大変難しいことであるのに、自由にさせておくと自然と達成できる、というものなのだ。これは、化学平衡と同じである。


水溶液中の塩であれば、

 NaCl ⇔ Na+ + Cl-

となっていて、温度、水の量や塩の量によって、自動的に各状態が決まるわけだ。各分子に識別番号を割り当てたとして、それぞれの状態が変化する中で各分子に「2067番のClは結晶化しろ」「11099番のNaは陽イオンになれ」とか、刻々と変化している中で人為的に正しく調節するのはとても大変で難しい、ということだ。そのコストは膨大になってしまう。ところが、水溶液中で自由にさせておけば、きちんとある濃度や平衡定数の通りに「勝手に」正しく分布しているよ、ということなのである。

しかも条件は一定ではないので、水の量は増減するし、様々な理由で塩の量が増やされたり減らされたりすることもあるのだ。そのような状況下であっても、正しく人為的に分子の状態を調節しなければならないとなると、これはもう大変なわけである。容器を完全に不透過の膜で二分して、右と左では塩の濃度が違う時、両方の結晶とイオンの割合を同じにするように調節するのは結構難しい。
だが、右と左の仕切りを移動制限のある不透過膜ではなく、完全に移動制限を撤廃する(不透過膜を取り除く)か、そこまで完全自由化できないとしても、半透膜に変えることで容易に左右の濃度調節が達成されるわけである。

そう、この「勝手に濃度が同じになる」というのが、まさしく「神の見えざる手」ということの意味だ。それを意図したものが、市場とか取引の仕組みなのだ。人為的に完璧に調節することは難しいが、こうした仕組みを利用すればもっと簡単に達成できるはずだ、ということだ。それが、equilibriumという言葉が充てられた意味ではないだろうか。


二分された容器とは、2国間モデルとほぼ同じであり、左右のNaイオンとClイオンの存在量や濃度に違い(当然水の量も)があっても、移動制限がなくなれば、ある平衡状態に落ち着くはずだろう、ということだ。財、資本、通貨というのが、これらの溶質や水(溶液)の関係と似ているのである。
経済活動というのは、甲と乙の平衡状態を生み出すような動き方をするのであろう、という予測が立つわけである。これまでの円高という現象は、こうした「平衡状態へ近づこうとする過程」を見ているのだとすれば、人為的操作が好ましいものではないかもしれない、ということである。非常に短期的に見れば、時には投機筋のまさしく「人為的操作」というものが加えられた結果であるかもしれない。それには人為的操作を是正させるという為替介入の意義は存在するだろうが、それが明確ではない時或いは部分についてまで介入しようというのは、かえって難しいかもしれない。


喩えて言えば、投機的通貨取引というのは、こっそり誰かが容器の底をバーナーで炙って水温を上昇させ平衡定数を変動させた、というようなものだな。このような場合であっても、バーナーで加熱したことで水温が何度上昇したのかが正確に判らないと、イオン濃度の変化の理由というものが正しく判るわけではない、ということである。いくらイオン濃度の観察をしていても、Naイオンが増加したのは「バーナーで加熱したせいで平衡定数の条件が変わったためだ」という説明が、本当に正しいかどうかは判らないということである。バーナーの加熱による影響よりも、単純に新たに投入された塩の量が多かったから、ということだってあり得る、ということである。すなわち、どこまでがバーナーのせいで、どこからが新たに投入された塩の影響なのか、といったことを正確に調べない限りは判断するのが難しい、ということである。
現実世界では、これが中々難しいわけである。全ての観察データを正確に知ることが出来難いからだ。しかも、容器の状態や仕切りの具合なんかが、完璧に判っているわけではないからだ。


いずれにせよ、自由貿易とか自由な資本移動というものは、equilibriumに近づこうとしてくれるので、財や貨幣などの偏在を勝手に解消してくれるのに役立つ、ということは言えるだろう。ただ人類は、完成形態であるところの、平衡状態というものを誰も知らないし、見たこともないのだ。存在するのは、あくまで理念の中、モデルのような想定する世界の中でしかないのである。

それは、現実世界の化学とも近いかもしれない。地球上の酸素分子の移動制限は殆ど存在してないが(中には、気密室や海中の潜水艦の中とかのような特殊な環境は存在するから)、観測場所によって酸素分子の濃度は異なっている。分布の具合は、現実には均一にはなっていない。全く同じ高度であっても、場所が違えば濃度が違うことは珍しくない、ということである。それが現実だ。理論的には同一濃度になる、ということが正しい事実であろうとも、実際の観測結果はその通りにはいかない。きっと経済というのも、そうなんだろう、ということである。