色々と情報が出てきたり、因果関係がどうなのか判然としない状況で、厚生労働省としても困っているようです。
タミフル、異常行動128例・死者8人…厚労省調査 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
(記事より一部引用)
副作用情報は、輸入販売元の中外製薬が厚労省に報告したもの。これまで約1800件とされていたが、だぶりを除き、先月20日現在で集計・分析したところ、1079人分に上り、うち死者は55人だった。1079人の事例のうち、タミフル服用との関連が最も注目されている「異常行動」については、建物からの飛び降りだけでなく、「ウサギ跳びをする」「興奮して走り出す」「ベッド上で跳びはねる」など、様々な事例が128例あった。このうち、10代が57人(44・5%)、10歳未満が43人(33・6%)で、あわせて8割近くを占めていた。異常行動による死者は8人で、うち10代が5人だった。服用後、就寝中に死亡するなどの「突然死」も9例あった。
一方、今回の集計対象には入らなかったが、先月21日以降今月3日までに、死者12人を含む185人分の副作用情報が中外製薬から厚労省に報告されていたことも明らかにされた。短期間に死亡事例が多く報告されていることについて、厚労省では、「社会問題化し、情報が増えた」とみている。追加報告分も含めると、タミフル服用後の転落・飛び降り事故は10代で19人(死亡4人)、20歳以上で4人(死亡2人)となる。
タミフルを巡り、厚労省は当初、服用と異常行動との因果関係は「否定的」との見解を示していたが、先月、服用後に異常行動をとって、建物から転落し、けがをした事例を精査していなかったことが判明。「否定的」との見解を撤回するとともに、副作用の疑われる事例すべてを検証しなおすことになっていた。タミフルは05年までに、国内で約3500万人が使用したと推定され、全世界での使用量の8割近くに上るとされている。
数字や中身については、後で見て行きたいと思いますが、まず基本的なところから考えてみようと思います。
1)どんな薬物にも危険性はある
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参考記事1
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参考記事2
根本的な認識の問題なのですが、どのような薬物を用いても、何らかの重篤な障害をもたらす可能性はある、ということをまず受け入れてもらうべきではないかと思います。アスピリンや抗生物質の発見によって、人類が手にした利益は大きかったと思いますが、それら薬物においても最悪の場合、死亡リスクは「必ずある」のです。しかし、これらを全て規制して用いないとすることはほぼ考え難いのではないかと思えます。メディアの攻撃がこうした普通の薬物に向けられているようにも見えません。
<寄り道:
タミフル報道に関しては、当初の煽情的な印象がないでもなかったのですが、段々と沈静化してきたかのようです。少し良くなってきました。厚生労働省の発表を受けて、かつてならば「○○の事例が~もあった。製薬会社や厚生労働省は情報を集めるのを怠ってきた。情報があるのを知りながら対策を行ってこなかった」みたいな感じで、大雑把に言うと「責任追及キャンペーン」のようなモードに入るのですが、昨日今日の記事を各社見てみると、判明している事柄はその通りに数字をきちんと並べていて、前みたいに余計な「形容詞」が付けられていないようです(笑)。記者の方々の「主観・印象・感情」を織り込まないで書けている、ということです。これは格段に良くなった部分だろうと思います。後は、識者コメントとして、あまりに同一人物ばかりに偏らないように配慮するべきであると思われます。個人的意見だけがフォーカスされてしまって、あたかもそれが「絶対的に正しい、学術的に正当である」という印象を大衆に与える危険性があるからです。でも、製薬会社・厚生労働省バッシングに徹することが問題解決にはならないので、メディア全部がその方向に押し流されずに踏み止まったことは、以前に比べれば向上したと思います。>
まず最低限必要なのは、「どのような薬物でも死亡することは起こりえる」ということを知ってもらう、ということなのです。今回のタミフルの異常行動と死亡数の問題ですが、(表現に問題がありますがご容赦下さい)比較的少ないように思われます。単一商品同士の比較では少なくない可能性はありますが、例えば「H2-ブロッカー」服用者における死亡者数は恐らくもっと多いと思います(調べてないので不正確かもしれません。代表的胃薬の一種で、商品は複数種類あります)。しかし、こういう薬物に関しては、社会全体で騒ぎになったりはしていませんね。規制緩和の恩恵を受けて、市販薬として薬局で手に入るようにさえなりました。でも、最悪の場合を考えると、死亡リスクは必ずあるのです。タミフルみたいに騒ぎにならなければ、みんな何とも思わずに飲んでいるのです。「タミフルの方が死亡リスクは低い」場合、マスメディアとかは何と思っているのか伺いたいとは思いますね(実際には死亡リスクを統計的に調べないと分らないと思うので、「タミフルよりも危険な薬物」と銘打って誰か調査してみて欲しいです。恐らく結構出てくると思いますけれどね)。
何度も持ち出すオヤジギャグで申し訳ないのですが、「クスリはリスク」ということを全員が認識しておくべきです。アナフィラキシーもあれば、スティーブンス・ジョンソン症候群もあれば、肝炎もあれば、その他モロモロがあったりするのです。
以前にも書いたが、際限なき説明義務が課され、事後的に「納得できない」ということを言われてしまえば、全員を医者と同じ知識レベルにしない限り無理です。「死ぬかもしれないと判っていたら、薬を飲まなかった」ということであれば、そもそも病院なんかには行かずに、ありとあらゆる薬を服用することを自ら止めるべきです。
2)なぜ日本でタミフルの使用量が多いのか
簡潔に言ってしまえば、儲かるからでしょう。タミフルに限らず、日本の医療の特徴として「薬漬け」などと称されますが、どちらかといえば日本では医師の知識や技量に対する評価が低く、検査や投薬に報酬が設定されている為に、必要性があまり高くなくても投薬してしまうということになりがちなのではないかと推測しています。診療報酬の「歪み」がそのまま治療に反映されている、ということでもあります。
別な側面では、患者側の要望や姿勢ということがあると思います。普通、風邪で熱があって、頭痛が酷く、咳が続いて睡眠も妨げられる、といった症状であると、病院へ行ってしまう国民は多い、ということでしょう。基本的には余程のことがない限り、風邪くらいなら家で寝ていれば治るものだろうと思いますが、そうではあっても病院へ行きたい人は少なくない、ということなのです。で、わざわざ病院へ行って長い時間待たされた挙句に、「ハイ、家で寝ていれば治ります」とか言われて、手ぶらで帰されてしまうと、多くの人たちが大変不満に思うわけです。熱を何とかしてくれ、頭痛をとってくれ、咳を止めてくれ、…色々と要求があるわけです。これを「自然に治る可能性が最も高いですね」とそのまま帰す訳にもいかない、という事情なんかがあるのではなかろうか、と。すると、抗生剤だの、解熱剤だの、咳止めだの、去痰剤だの、イソジンだの、あれこれと持たされるということになるのです。胃薬も付いてくるかもしれません。そうして比較的軽度の疾患であっても、医療費を消費してしまい、薬剤費が伸びることになるかもしれませんね。
タミフルにしても、この流れに沿って大量に使用されるようになっていると思います。何とかしてくれ、という要望、医療側の経営的な面、そういったものが影響していると思われます。
3)タミフルはこれほど必要なのか
色々なご意見もあるでしょうし、特に専門家の意見の方が重要であると思いますので、あくまで個人的な見解を述べておきたいと思います。
日本のような使用状況は、適切とは思われません。そもそも感染症の多くは、「医者や薬物が治してくれるわけではない」、ということを頭の片隅におくべきではなかろうかと思っています。薬物の効果は勿論ありますし、「ないよりあった方がよい」のは当然です。昔は退治ができなかったような感染症にしても、かなり撲滅してきたという歴史的経緯があったりしますので。ただ、治療効果のある薬物が登場したから感染症が大幅に減ったのかどうかは、不明な部分があるかもしれません。上下水道の整備(感染機会や媒介の繁殖抑制効果とか)、貧困による低栄養状態の解消や過酷な労働環境の改善(体力低下が軽減され免疫力低下を防ぐことで感染防御力が増す)等による効果の方が大きい可能性もあるかもしれません。それでも効果的な薬物があることのメリットは十分大きいと考えられます。
こうした利益は享受されていいのですが、医者や薬物の役割というのは、「自分の体が自分で治そうとする働きを手助けする」というものであって、細菌やウイルスに対する最も効果があるのは「元々持っている自分の免疫能力」であるということです。高齢者や慢性疾患を有していたりして免疫力低下となっている人だと、この防衛力が低下していたりするので、うまく退治できない場合が出てくるのです。それを援護するのが薬物である、ということです。薬物という援軍がなければ、細菌やウイルスなどをやっつけるまでの時間がちょっとかかってしまうかもしれませんが、それでも自分の防衛力だけで鎮圧可能であることが多いのです。
変な喩えで申し訳ないですが、また例で考えてみましょう。
ある町(=臓器や体のどこか)に時々犯罪者(=細菌やウイルスなど)たちがやってきて悪さ(=感染)をするとします。この町には保安官(=免疫担当細胞など)がいつも巡回していて、犯罪者を見つけると直ちにやっつけてくれます。平常時には犯罪者の数は凄く少なく、保安官の能力だけで退治できるのです。でも、流れ者みたいな犯罪者集団が大量にやってきて暴れまわると、いつも巡回していた保安官だけでは対処できなくなるのです。そういう場合、町は破壊されたり損害を蒙るわけですが、保安官は増援を呼ぶので、大規模な警察部隊(=抗体やリンパ球など)が投入されることになります。
増援が到着するまでの間に被害を蒙るのが、感染のよって生じる様々な症状―たとえば発熱、頭痛、下痢、等々―として出てくるのです。保安官は増援部隊が到着するまでの間は、多勢に無勢で苦戦を強いられるのですね。そういう時に、一気に局面を変える為に薬物は使用されるのです。まあ、言ってみれば攻撃ヘリが突如現れて、保安官に加勢してくれるのです。強力な効果を持つ薬物であったりすれば、大量に襲い掛かかてくる犯罪者集団に向けて「バルカン砲で斉射」とか、破壊力抜群の「ロケット弾で吹き飛ばす」とか、そういう威力を発揮してくれるのです。で、その後、増援部隊(抗体とか)が到着して、犯罪者たちの殲滅作戦が行われ、完全制圧されます。攻撃ヘリは地上部隊ではありませんので、完全制圧は地上部隊が行う必要があります。薬物を使用しない場合だと、増援部隊が到着するまで保安官が持ちこたえられなければ町は完全に犯罪者集団のものとなり、隣町などが次々と襲われていくことになります。最悪の場合には、どの町でも犯罪者たちが勝利するので、敗血症や敗血性ショックなどに陥り、多臓器不全なんかで死亡することも考えられます。
高齢者とか免疫力低下のある患者などでは、元々の保安官が弱かったり、持ってる装備がリボルバー1丁しかない(他のみんなはショットガンを持っているのに)ので反撃力が弱い、などというような状況でしょうか。エイズウイルスの場合であれば、この保安官にとりついて保安官の機能を奪うので、他の犯罪者たちがやりたい放題になるのです。これが免疫不全、ということです。いつもなら保安官にビビッて何もできないような、ただのチンピラ風情(=日和見感染みたいなもの)でさえも暴れまわることができ、これに勝てなくなってしまうのです。
元々持ってる保安官や警察部隊の能力がどの程度なのか医師が判断して、攻撃ヘリすなわち薬物投与を行うかどうか決めるということになると思います。で、普通の人たちであれば、そんなに弱くはないので攻撃ヘリは要らないはずだよ、ということになりますが、大勢の人々が「もっと楽に勝たせて欲しい」という要求をするので、攻撃ヘリを頻繁に使ってしまう、ということですね。
4)タミフル使用の決定責任は誰が負うべきか
現状でも問題になるのは、主に患者(需要)側が決定するべきか、それとも投与する医師(供給)側が決定するべきか、ということですね。需要側は「医師と同じように判断するのは難しい(=だから医師という専門職がありそれを利用する)から、医師が決めてくれ」という意見はあっても不思議ではないですよね。しかし、異常行動が起こるかもしれないんだったら、飲まない方が良かったのではないか、全てのリスクを十分聞いていなかったから納得できない、という意見が(特に事後的に)あるかもしれず、供給側は「患者側で判断してもらうしかない」という意見を取らざるを得ないように思えます。
医療裁判などで患者側の決定権限が重視され、リスク判定についても「正確に説明しないとダメだ」ということになっているので、完璧なリスク評価は理解を得るのが難しいのですけれども、患者側に決定させる以外にはないように思えます。供給側がそれだけの決定責任を負えないと思えますね。
上に挙げた読売の記事の数字から、少し考えてみます。
推定される投与人数ですが、3500万人ということで、国民の4人に1人くらいの割合になっていて、さすがにこれは多すぎではないかと思えますが、実際は判りません。本当に、これくらい飲んでいるのかもしれません(重複があるのかもしれません)が、一応計算上分りやすくする為に、1280万人の2倍で2560万人が使用したものとして計算します。すると、2560万人中、異常行動は128人で、死亡が8人、報告数は1079人だった、と。これを前提とすれば、異常行動の発生は20万分の1の0.0005%、死亡は32万分の1の0.0003125%、報告数でも0.004215%です。これを聞かされたとして、需要側はうまく判断できるでしょうか。まあ、大雑把な数字で言うとしても、「過去には、1万人に1人か2人くらいの確率で死亡が確認されています」(最大の55人で見て)、「異常行動では30万人から40万人に1人くらいの死亡が確認され、異常行動自体は20万人に1人くらいです」、とか聞かされた需要側が適切に自分で判断できるものなのでしょうか?裁判所の判決からみると、「こうした説明義務を果たさないので、義務違反」とか認定されるので、止むを得ないでしょう。
更に、「服用しなかった場合の死亡リスク」というものが、これより多いのか少ないのか正確には判りません。万が一、飲まずに過ぎて死亡した場合には、「薬を服用しやすい環境を整えていなかったので義務違反」とか、「有効な薬物が存在していたにも関わらず提供しなかったので治療に落ち度があった」とか、裁判所が認定するわけです。これでどうしますか?どうしたらいいんでしょうか?
自分の9歳の子どもがインフルエンザであるとします。医師は言いました。
「タミフルを服用するかしないかはあなたが決めて下さい。飲んだ場合には、異常行動で死亡するのがざっと30~40万人に1人ですが大半は10代くらいの若年者です。飛び降りなどの危険性はあると思っていた方がいいでしょう。他のアレルギーショックなど死亡原因はいくつもあるので、飲む場合は一応覚悟しておいて下さい。また、飲まずにもっと重篤な肺炎や脳症となることもあり、この確率は定かではありませんが、毎年出ていると思われます。死亡に至たるのは数人規模であると思われますが、死亡せずとも一生涯脳に障害が残り、脳性麻痺となってしまうこともあります。さて、服用をどうしますか?」
これを全患者でやっていく、ということなんですよね。もしも医者が決めたとすると、その決定には問題があった、という解釈で飲んでも飲まなくても事後的に追及されるので、あとは「需要側の自己責任でやって下さい」ということに行き着くしかないのですよね。これを聞かされた側は、「どうやって考えたらよいのか分らない」というのが大半ではないかと思いますが。おまけに「自己責任ということで片付けていいのか」などと追及されるなら、もうどうしていいか判りませんね。誰が決めますか?それとも使用するかしないかを、機械的に決めておきますか?法規制などで?(笑)
生体反応は機械的になんて決定できんのですよ。患者をよく診て、医師の人生全部の知識と技量と注意力を傾けて、そういう中から「何かを決める」ということくらいしかないわけですよ。それをマスメディアの責任追及とか医療裁判なんかで否定されれば、後は、正しく考えられるか、適切に判断できるか全く判りませんけれども、当てになってもならなくても「個々の需要側の判断・決定」という曖昧で脆弱な決定機構を利用するしかなく、そこでの意志を尊重するしかないのです。これまで「そういう難しいこと」は、医師が判断してきたのですよ、需要側の代わりに。需要側に判断を委ねるとはどういうことか、司法界だけじゃなく、全国民がよく考えてみた方がよいのではないかと思います。
長くなったので、とりあえず。
続きはまた。