新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

蟹、メロン、香典どころじゃない安倍晋三の犯罪的行為

2019年11月11日 11時37分18秒 | 安倍晋三

いつもの週末の世論調査結果がでたが、調査期間が11月9日から10日ということからみても、内閣支持率「横ばい」の理由は、おそらく「テレビは天皇陛下一色」のためなのか、2人の不良閣僚の辞任がなければ「テレビの天皇陛下一色」で数パーセント支持率上がっていた可能性もあったかもしれない。


今週のテレビが「桜の会」を取り上げれば、週末の世論調査はまた違った展開になる可能性が高いのだが、日曜日には、先週の8日の共産党の田村智子議員の「桜を見る会」の疑惑追及質問がきっかけで。テレビ朝日ではこんな現象になっていた。

   

そして、その質問後の田村議員のコメントがな生々しい。 

さらには、こんな内容も暴露されていた。
ところで、一昨夜の前夜祭(?)と昨日の祝賀パレードという胸糞が悪くなるようなテレビ中継などは見ずに好天気に誘われて近くの緑地を散策していた。

そして夕方のニュース番組を見たら、案の定、祝賀パレード一色の内容が垂れ流されていた。

そして沿道で嬉々として日の丸の小旗を振る善良なのであろう人々の顔を見ていると、みんな消費税10%になったことを忘れているようで、まさに安倍晋三の目論み通りとなったようである。

安倍政権が即位パレードのコースを変更させたのはこれが目的? 天皇皇后が前を通った自民党本部に巨大垂れ幕!

<安倍政権が即位パレードのコースを変更させたのはこれが目的? 天皇皇后が前を通った自民党本部に巨大垂れ幕!>
 2019.11.10  リテラ

   
            【自民党本部には垂れ幕が!】
 本日、天皇の即位を披露するパレード「祝賀御列の儀」がおこなわれ、日の丸の小旗が振られる沿道とともにオープンカーに乗った天皇・皇后の姿をテレビが大々的に生中継。お祝いムード一色に染め上げられた。
 だが、このパレードが3分の1を過ぎたあたり、落ち着いた公共建築物がつづくコース沿いに、屋上から〈天皇陛下のご即位をお祝い申し上げます〉という垂れ幕をデカデカと吊り下げていた建物があった。
 ほかでもない、自民党本部だ。今回、あらたにパレードのコースが変更され自民党本部前を通過したのだが、天皇・皇后が通り過ぎる目の前に、安倍自民党はこの巨大なメッセージを掲げたのだ。ちなみに、沿道の観覧ブースでは横断幕の持ち込みが禁止され、沿道住民にはベランダに植木鉢や洗濯物を置かないように呼びかけられていたのだが……。
 そもそも、今回の自民党本部前を通るルートは、安倍首相が変更させたものだ。
 平成の代替わりの際は、皇居前広場から国会議事堂前を通り、赤坂見附、青山一丁目を通過して赤坂御所に着くという約4.7キロのコースだった。しかし、安倍首相は今年5月、国会正門前を右折し、前回は三宅坂交差点に出て青山通りに出ていたところを、今回は憲政記念館前の交差点を左折し国会図書館前を通って青山通りの平河町交差点に抜ける新ルートに決定。つまり、新ルートに変更したことで、自民党本部前をがっつり通るコースになったのだ。
 ルート変更の理由については「首都高速道路の高架沿いを通る距離を短くした」だの「より開放的な空間をパレードできる」だのと説明しているが、カットされる高架下の距離はわずか約500メートル。しかも、パレードの距離は前回より100メートルほど短くなっている。なのにわざわざこのルートを選択したのである。
 じつは、このパレードのルート変更は官邸の意向が強く反映されている。たしかに「高架沿いを避けた」新しい即位パレードのルートは昨年の秋の段階で提案されていた。だが、それは桜田通りを南下して虎ノ門の交差点を右折した後、外堀通りを進む、自民党本部前を通る今回のルートからは大きく離れたものだった。そして、この案は警備上の問題などで反対され、年明け、平成の代替わりと同じコースを踏襲することに内定。マスコミもそのことを報じていた。
 ところが、そのあと、官邸が自民党本部の前を通るルートに変更するよう強い働きかけをはじめたのだという。宮内庁や政府内には「政治利用と批判を受ける」という反対意見があったが、最終的にこのルートがごり押しされたという。
 普通なら、天皇および皇室が特定の政治色を帯びることのないように、いかなる政党や政治団体の関連施設の前も避ける配慮をするものだが、安倍政権は逆にそれを強行したのである。
 その結果、〈天皇陛下のご即位をお祝い申し上げます〉という垂れ幕を掲げた自民党本部前で多くの人が沿道で日の丸の小旗を振り、そこを天皇・皇后が通ることになった。
 しかも、即位パレードでは、天皇・皇后のオープンカーの車列の先頭を走る警視庁の白バイのすぐ後ろにつけたのは官房長官と副長官を乗せた車、そして安倍首相を乗せた車だったが、前回は官房副長官が2人で1台だったのを、今回は3人で3台に変更。そのため、官邸関係者の車列がのび、存在感がより強くなるかたちとなったのだ。
即位を祝う国民祭典には日本会議、櫻井よしこ、百田尚樹、高須克弥ら極右人脈が大集合
 新天皇の即位をどこまでも安倍政権のPRに利用しようとする、底知らずの貪欲さ……。しかし、この露骨な天皇の政治利用はパレードだけではない。安倍首相やその取り巻きの極右勢力は今回の一連の即位関連イベントを、完全に戦前回帰、国民に対するナショナリズム・全体主義の強化に利用している。
 その典型が、昨日、皇居前広場でおこなわれた「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」だ。
 メディアでは、嵐が奉祝曲を熱唱したことや、芦田愛菜が祝辞を述べたことなどが大きく報道されているが、国民はこのイベントの主体がどういう団体なのか本当にわかっているのだろうか。
「国民祭典」の主催は「天皇陛下御即位奉祝委員会」となっているが、この奉祝委員会の設立を主導し奉祝事業を実施している組織は経団連と日本商工会議所、そして日本会議なのだ。現に、奉祝委員会の設立発起人には櫻井よしこが「言論界・女性」の代表として名を連ね、百田尚樹高須克弥門田隆将といったネトウヨ文化人もこぞって出席。安倍応援団による「極右」集会という様相を呈していた。
 このイベントが極右集会であることは、式典の最後でもなった。天皇の「おことば」のあと、「天皇陛下御即位奉祝国会議員連盟」会長の伊吹文明・元衆院議長が万歳三唱をおこなったのだが、司会が「ありがとうございました」と締めても、伊吹氏とは違う人物が「天皇陛下、万歳」と発声。そのあとも天皇・皇后がその場を離れるあいだ、「天皇陛下、万歳」「皇后陛下、万歳」「天皇皇后両陛下、万歳」などと万歳三唱が延々と繰り返されたのだ。
 しかも、恐ろしいのは、そうした極右によるナショナリズム・全体主義の強化イベントに、有名芸能人たちが全面協力し、国民にその戦前的な価値観を刷り込む役割を果たしていることだ。
「国民祭典」では、司会を俳優の谷原章介とフリーアナウンサーの有働由美子が務め、各界代表の祝辞には前述したように、「次世代を担う女優」として芦田愛菜が立ち、「新元号『令和』は万葉集からの出典だったということを知り、昔の日本の書物から新しい時代の元号がつくられるということは、なんて素敵なことなんだろうと深く感動しております。古くからわが国に伝わる文化を大切にしつつ、新しい日本へと躍進していく、そんな時代になっていくことを切に願っております」とスピーチ。ネット上では「15歳とは思えない」「さすが芦田プロ」などと称賛の声があふれた。
嵐が「君が笑えば世界は輝く」と歌った奉祝曲はJ-POP風「君が代」もどきの代物
 さらに、あざとさを感じたのは嵐が歌った奉祝曲「Ray of Water」の第3楽章「Journey to Harmony」だろう。脚本家の岡田惠和氏が作詞を担当したものだが、その歌詞は、このようなものだった。
が 笑えば 世界は 輝く
誰かの 幸せが 今を 照らす
僕らの よろこびよ に 届け〉
〈はじめはどこかの 岩かげにしたたり 落ちたひとしずくの 水が平野流れ
やがて研ぎ澄まされ をうるおし 鳥たちをはぐくみ 花たちとたわむれ
あの大河だって はじめはひとしずく 僕らの幸せも 大河にすればいい〉
〈大丈夫 水は 流れている 大丈夫 海は 光っている
大丈夫 と 笑ってゆく 大丈夫 と 歩いてゆこう〉
 なんとなくJ-POP風の歌詞にしているが、これ、完全に「君が代」ではないか。「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」が「君が 笑えば 世界は 輝く」「大丈夫 君と歩いていこう」とゆるくしただけで、君主の永続性を歌っていることには変わりはない
 しかし、こうした有名芸能人の動員とソフト化されたショーアップによって、天皇制の本質や極右勢力の本当の狙いは隠され、「日本の伝統」だの「世界に唯一無二の皇室」だのといったフィクションがどんどん国民に浸透しているのは事実だ。
 実際、「国民祭典」を見に訪れたという女子高生はスポーツニッポンの取材に、「人生で初めての経験なので、どうしても来たかった。万歳三唱の時、“日本人で良かった”と感じた」と答えていた。
 また、ここまでダイレクトな反応ではなくとも、天皇即位にかんするイベントをテレビがこぞって「お祝い」する効果は絶大で、多くの人が無批判に「おめでたいこと」と口を揃えている。
 一方、国民主権や政教分離の問題、イベントに極右が跋扈している事実、新元号選定からつづく安倍首相による政治利用など、この即位に合わせて論じるべき問題はいくつもあるのに、もはや、どこのメディアも、ジャーナリスト・評論家もそんなことを触れようともしない。
 この状況を見ていると、安倍首相と日本会議が目論んでいる戦前回帰と全体主義国家化への道はほとんど達成寸前のところまで来ているのではないか。そんな恐怖さえ覚えてしまうのである。



もう少し肩の凝らないコラムを紹介しておく。

<あなたがつくったんじゃないですか?>長周新聞 「コラム狙撃兵」
 2019年11月9日 
 やっと始まった衆院予算委員会で、またもや安倍晋三が自席から野党議員を指さしながらヤジを飛ばして紛糾し、審議が一時中断するハプニングが起こった。6日に問題になって謝罪したと思ったら、8日にもまたやった。国権の最高機関であるとか、憲政とはいったい何か? 等等を真面目に考えるのもバカらしくなるほど、この7年で国会審議は幼稚さと低俗の度を深めたものである。現役の総理大臣が気に入らない質問をされたり痛いことを指摘されると、挙動不審になりながらムキになって相手を指さしてヤジを飛ばしている光景など、安倍晋三以前には見たことも聞いたこともない。しかし、それが既に慣れっこになってしまい、「痛いとこ突かれると、いつもキョド(挙動不審)ってるよね」などと思ってしまうのである。アワアワと何をいっているのかわからないその後の答弁も含めて、「すっごく動揺してるよね」などと思ってしまうのである。あるいは、「日教組!」「共産党!」などと叫ぶことによって、なにかしら相手をおとしめている心象になる知性の持ち主なのだろう。
 モリカケは忘れ去りたい疑惑のようだが、やましいことがないのであれば、まず落ち着いて事訳をつまびらかに真摯かつ丁寧に説明し、真実を明らかにすることによって疑惑を払拭するほかない。ところが「丁寧に説明する」というだけでなにも丁寧に説明せずに逃げ回ったり、黒塗りの文書ばかり出てきたり、真相解明にさいして財務省職員が自殺したり、首相をかばった財務省の某局長は出世したり、「ちょっと待て」と思うようなことの連続だ。こうしてなにもかもが未解明なまま、闇に葬ろうとする力だけが働き、世間が飽きて忘れてくれるのを待っているかのような雰囲気すら漂っている。「まだモリカケを問題にするのか?」と--。しまりもなく、ケジメのない政治である。
 それこそ世間はモリカケについて、首相が発した野党議員へのヤジをひっくり返して「あなた(安倍晋三や昭恵)がつくったんじゃないんですか?」を問題にしてきた。森友学園の国有地払い下げ問題に関しては、先日5600枚以上にも及ぶ公文書が出てきたものの、ほぼ黒塗りの状態だったという。「ほぼ黒塗り」だったことが物語っているのは、見られては困る文言だらけで、消しているうちに真っ黒になった。つまり、それだけ本件は「真っ黒である」と自己暴露しているようなものである。問題がないのであれば、真っ白な状態にして、世間に納得してもらうことが近道なのに、ますます真っ黒感を出してくるあたりに、やはり「真っ白ではないんだね」と重ね重ね思ってしまうのである。
 逃げ回り、誤魔化し続ける態度から、私たちはいつも黒黒としたオトモダチの私物化を思ってしまう。だって、白い文書も白を証明する説明も何もなく、自殺とか黒の文書とか、「男たちの悪巧み」の写真とか、首相夫人付きの谷査恵子さんの大活躍とか、黒ばかりを思わせるのだから。そしてなにより、首相本人が丁寧な説明をするどころか、ヤジを飛ばしているあたりに人間性であったり不誠実な態度があらわれているのである。

このコラムのタイトル「あなたがつくったんじゃないですか?」を深読みすると、なんとなく有権者に向かって言っているようにも思えてしまう。

「他に適当な人がいないから」とか、「憲法や原発なんて関係ないから」とか、「家には園児なんかいないので無償化なんか関係ないから」などといって消費税10%を認めるかのように、自民党に投票したり、棄権したりした有権者たち。

貴方たちの無関心さが、こんな安倍晋三を独裁者にしたのですよ、とオジサンは思う。
     
【付録】

   


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