昨年の年始は「やはり今年もコロナで明けました」というタイトルでつぶやいた記憶があったのだが、もう4年目となるにもかかわらず、1年前のタイトルのような感染状況になっている。
「日本、年末年始もコロナ世界最多 中国4位、感染実態反映は不正確」
【ジュネーブ共同】世界保健機関(WHO)の新型コロナウイルス感染症の集計で、昨年12月26日から今月1日までの週間感染者数は、日本が94万6130人で世界最多だった。一方、感染拡大が懸念されている中国は韓国、米国に次いで4番目に多い21万人超にとどまっており、WHOは実態を正確に反映していないとみている。 同期間の週間死者数は、2501人の米国が最多で、日本は2番目に多い1941人。中国は5番目に多い648人だが、新型コロナ感染者が死亡した際、呼吸器系不全が原因でない場合は死者数に含めていないため、WHOは死者数も過少報告されているとの見方を示している。 |
感染者数というのは実際にPCR検査をして陽性になった感染者情報を保健所に届け集約して発表していたのが日本の従来の対応であったはずである。
したがってこの方法を変えれば感染者数の完璧な実態はなかなか正確には把握できない。
ましてや中国のようにトップの「鶴の一言」で感染対策が「ゼロコロナ」から「ウィズコロナ」に一夜で変更された国の実態は世界から遠く離れていくのは当然なことである。
【速報 JUST IN 】新型コロナ 全国の死者数456人 一日の発表としては過去最多 #nhk_news https://t.co/kt6wRE7KzR
— NHKニュース (@nhk_news) January 6, 2023
日本の「世界最多」という表現に対して冷静な見方が主流であった。
◆門倉貴史 エコノミスト/経済評論家 新型コロナウイルスの感染者数の数字を単純に国際比較しても、そこから有益な情報を引き出すことは難しいだろう。 というのも、そもそも検査体制が国によって異なるし、最近になって検査数を大幅に減らす国が増えているからだ。検査数を減らせば、報告される感染者数も当然減ることになる。日本は他国との比較で検査数をそれほど減らしていないため、感染者数が多いように見えている可能性が高い。 「日本が世界で感染者数が最も多い」という情報を額面通りに受け取ると、それが人々の消費マインドを必要以上に萎縮させてしまい、消費活動や景気にも悪影響を及ぼす可能性がある。 ◆白鳥浩 法政大学大学院教授/現代政治分析 これでは、中国からの旅行客に対する一方的な制限に対して、理由がたたないのではないだろうか。 感染者数世界最多の日本やそれに次ぐ欧米などが、それよりも感染者数が少なく、しかも人口規模もはるかに大きい中国からの旅行客に対して、制限を加えるというのは必ずしも、統計上でも科学的にも理由がたたない。 なるほど、統計上の感染実態の反映が不正確であるという事は言われる可能性はある。が、そこまで全くずさんな統計を国際社会に示すものではないのではないだろうか。むしろ、カウントの仕方がそれぞれの国で異なることはあるだろう。無用な誤解は避ける必要がある。 ことは国際的にそれぞれの国の国民感情を害し、外交問題に発展する可能性もある。冷静に対応することが望ましい。国際的な地域の安定と、各国における防疫対策の成果は、表裏一体かもしれない。 地域の安定を考えるのであれば、国際的な数値基準を合わせる必要がある。 ◆岡秀昭 埼玉医科大学教授/感染症専門医 もはや欧米諸国は感染者数を把握していない国も多いようだ。まだ死亡者数や死亡率を比較する方が状況を反映しやすいのかもしれないが、それでもカウントの方法、医療事情、年齢構成、ワクチン接種率など異なり単純な国際比較は困難だ。ただ医療現場の最前線を1波から指揮してきた立場から言えば、日本の過去の波に比べ感染者数は最大規模だということは間違いない。ワクチンの効果とオミクロン変異、そして治療の進歩により確実に死亡率は下がっているが、あまりに感染者数が多く、死亡者数も最多を計上し、インフルエンザも同時流行が始まっており、医療へのアクセスはかなり厳しい状況であることは事実である。 ◆この世界最多とか、過小報告とか、感染者数にどんな意味をなすのだろうか? ある程度しっかり集計していそうな日本でも、保健所や医療機関が把握できていない感染者も相当いるだろうし、感染爆発してほぼカウントできていないお近くの国もあれば、コロナを気にしてさえいないお国柄もある。 「WHOは実態を正確に反映していないとみている」という通り、感染者の数で評価するフェーズではもはやないわけだから、各国の生活様式やコロナ対応に対する感染状況を伝えた方が、有意義な情報になり得ると思う。 もう3年も経つのだから、英知を結集した各国際機関には、別のベクトルで今とこれからの見解を示してもらいたいと思う。 |
突如、PCR検査を中止してしまった中国はまさにカオス状態になりつつある。
「中国からの入国者400人以上がコロナ陽性 水際強化後1週間の空港検疫で」
「中国からの渡航者 ヨーロッパでも入国規制広がる」
中国当局が各国の中国からの渡航者に対する水際対策を「政治的な差別主義」といくら批判したところで、あまり説得力はない。
もっとも、日本はコロナ感染者の増加よりもほかの理由から危うい状況になりつつあると、指摘する人が多い。
「【政界地獄耳】「時代の分岐点」国民は向き合うべき 英知を絞る時に楽な方ばかり見てはいけない」
「戦後70年あまり続いた〈平和〉の歌声は、いま次第に時代の背景に退こうとしている。平和を守る時代から、戦争に備える時代へと、世界は音もなく転じつつあるのだ。その時代にどう向き合うかは、個人の選択だ。大きな渦に捲きこまれるのも、流れに抗して泳ぎ抜くのも、それぞれの生き方だろう。とりあえず『楯』から『矛』へと流れが変ったことだけは、はっきりと自覚すべき時がきた」とは五木寛之の日刊ゲンダイ年頭特別寄稿の一節だ。首相・岸田文雄の言う「時代の分岐点」は全く別の変化を及ぼすことに多くの知識人が警鐘を鳴らすが国民の反応は芳しくない。 |
「在野のアナリスト」
■岸田政権の『異次元』 最近、岸田氏の決め言葉が『異次元』ですが、残念ながら何か特別なことをしてくれそう、という期待は皆無です。むしろ大失敗をして、日本が『異次元』にでも飛ばされたかのように凋落していく、という未来しか見えない。それは、統一教会の問題や、各種の業界団体とのつながりをそのままにして、何か新しいことをはじめたからといって、必ず財源不足や、同じ轍を踏むだけ、となることが誰の目にも明らかだからです。 『異次元』に変えなければいけないのは、自民党そのものです。未だに統一教会の香り漂う政治家を要職に据えている時点で、岸田氏の本気度はまったく感じない。ただ、自分の政権の延命を考えて、言葉が躍った安倍政権と同じことをしようと『異次元』を採用した、としか思えない。上記した通りに、今は地に足をつけて一つずつ物事をすすめていかなければいけないのに、浮ついている感じしかありません。急に少子化対策を訴えだしたのもそう。これこそ地道に、子育て世帯の生活の安定を長期にわたって図る方がよく、異次元にする必要がありません。そもそも、経済政策をはじめ、少子化対策でもこれまでの有識者は役に立たなかったのですから、そこと決別する勇気が必要で、そこにこそ異次元の決断をすることが大切です。 ■政治改革 個人的には、与党がころころと変わった方が、より日本の独立性が高まると考えています。それは安倍政権が誕生したとき、長期の安定政権が日本のためによい、とされた理屈と真逆ですが、そもそもこの理屈は日本ハンドラー、米軍や米CIAの息のかかった人間にとって、とても都合よい理屈でもあったのです。自民党とだけ付き合っておけば、日本はコントロールできる。日本を都合よく、ろくに成長もしないし、米国を脅かす国にもならない。そんな国にしておくには、その体制の方がやり易かったのです。一時、NOと言える日本、という言葉がブームになり、すぐに下火になったのも彼らにとって不都合だったから潰したのです。 言葉は悪いですが、自民党政権でいる限り、日本は『生かさぬよう、殺さぬよう』米国にとって都合よい国でありつづけることになります。鳩山元首相が、普天間の辺野古移転を白紙にもどそうとして虎の尾を踏み、民主党政権を短命に終わらせたように、今は行政、メディア、財界、それぞれに日本ハンドラーと、その息のかかった者たちがいて、政治だけの力でそれを変えることも難しい。でも、少しずつでも変えていかないと、少子化でさえ『異次元』どころか、無策のまま人口減少という問題で日本は少しずつその力を削られていくでしょう。残念ながら、国民の力で変えられるのは『政治』だけです。どうせ一票を投じても何も変わらない…と考える人もいますが、逆からみれば国民が変えられるのはそこだけ、でもあるのです。 |
今年も明るい材料はなかなかありそうもない1年になりそうなのだが、積極的な国内の「ゴミ処理能力を上げなければならないと唱える人もいる。
「バカも積もれば山となる『ゴミ処理能力』を上げなければ、社会は荒み滅びる」
私が中学生の頃の話。紙くずを教室の床に放り投げた生徒に対し、教師が「ゴミはゴミ箱に捨てろ。おまえは自分の部屋でも同じことをするのか!」と声を荒らげた。当時の私は「教室と自分の部屋は別だろ」と思ったが、もちろん教師のほうが正しい。要するに公という概念がまだ身にしみていなかったのだ。誰もが教室の床にゴミを捨てれば、教室はゴミであふれかえる。これは国や社会に置き換えても同じだ。 たとえば昨年、自称国際政治学者の三浦瑠麗が統一教会(現・世界平和統一家庭連合)による霊感商法の被害について「あるいはそれを競馬でスったって同じじゃないですか」と言い放った。「1匹の瑠麗を見つけたら100匹の瑠麗がいると思え」という格言をつくったほうがいい。これに同調するゴミが社会に紛れ込んでいるのである。バカも積もれば山となる。腐臭を放つので社会は荒んでいく。 近代大衆社会が末期症状を見せるわが国では、ゴミの処理能力が追いつかなくなっている。だからわれわれ一人一人が、他人に任せるのではなく、身近なところにあるゴミを片付けていかなければならない。 岸田文雄は年頭所感を発表。戦後日本が積み残してきた「先送りできない問題」に、正面から立ち向かうという。 〈昨年決定した国家安全保障戦略も踏まえ、わが国自身の外交的努力をさらに強化し、さらには、その裏付けとなる防衛力の強化などにも全力で取り組みます〉 〈歴史上、日本は何度も国難とも呼ぶべき大きな困難に直面してきましたが、その都度、国民が一致団結し、自らの国を変化させることで、あらゆるピンチを乗り越えてきました〉 〈今、わが国が直面する困難も皆が力を合わせることで必ず乗り越えられると確信しています〉 正月早々、悪い冗談だ。統一教会とのつながりを含め一連の安倍晋三事件の解明など「先送りできない問題」を先送りにしてきたのが岸田政権ではないか。 岸田は2027年度に防衛費と関連経費を国内総生産(GDP)比2%とするよう指示したが、これはもともとトランプ政権が安倍に押し付けたもの。敵基地攻撃能力を「反撃能力」とごまかし、軍拡のための増税を行うことが「国難」なのだ。これを我が事のように考えることができなければ国は滅びる。 |
10年ほど前に、「人生の終わりについて考える活動」を略した造語として「終活」という言葉が注目を集め、2012年の「ユーキャン新語・流行語大賞」でのトップテン選出などを経て、社会現象を巻き起こしたことがあった。
これはあくまでも「個人」が行う活動なので、「身近なところにある悪臭を放つゴミを片付けていく」ということが可能となる。
しかし国民の多くが「先送りしないで解決せよ」と要求していた問題をいとも簡単に先送りする国のトップリーダーが「異次元ゴッコ」をしていれば、そして国民がなにも行動を起こさなければ、まさにこの国の「終活」が始まってしまうのではないだろうか、とオジサンは思う。