ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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チョン・ユジョンのホラー小説「28」の感想  疫病のため封鎖された都市・華陽は1980年の光州と重なる

2013-10-16 19:06:04 | 韓国の小説・詩・エッセイ
            

 9月27日(金)鄭裕静(정유정.チョン・ユジョン)のホラー小説「28」を読了! (´∀`)ノ ヤター

 ・・・と、小説「28」の感想を書き始めたものの、記事をアップしないままもう20日も経ってしまいました。
 やっとネタバレにならないように余分な内容を削ってどうにか完成。

 <やっとチョン・ユジョンの新作「28」に取りかかるゾ!>という記事を書いたのが7月19日だから、70日かかったんですね。それでも、昨年同じ作者の「7年の夜」はほぼ同じページ数(約500ページ)で3ヵ月以上かかったのに比べれば進歩というべきかも。
 1日平均7ページといっても、1ページも読まない日もあれば、ラストの100ページなどはは3、4日でイッキ読みしたりで(イッキ読みに値する速さだろうか?)、ペースはまちまち。

 しかし「7年の夜」同様、速読にはもってこいの本です。
①文章が短く、わずらわしい心理描写や情景描写がなく、ストーリー展開がスピーディである。
②主な登場人物に危機が迫っていたり、謎が提示されていたり等、内容的にも先が読みたくなる。
③辞書を引かなければわからないような言葉は比較的少なく、テキトーに飛ばし読みしても大体はわかる。
 ・・・ということです。

 では、この小説の内容紹介。

 小説の舞台は、ソウルの北に隣接する人口29万のファヤン市(華陽市)[←架空の町]。そこで正体不明の人畜共通伝染病が蔓延する。犬と人間の間で相互に伝染し、発症すると真っ赤な目になり(白目の部分)、全身から血を流して3、4日の間に死んでしまう。疫病の正体がわからないまま犠牲者は増え続け、病院は患者を収容しきれず体育館へ、また遺体は地下スケートリンクに並べるという状態になり、生活必需品の不足、治安の悪化等都市の機能も正常を保てなくなる。政府はソウルへの疫病の拡散を阻止するため軍隊を投入して町全体を厳重に封鎖し、脱出を試みる者は容赦なく射殺する。

 小説は、5人の人物と1匹の犬(!)という6つの視点を通して描かれます。

 男性は、①消防署の救助隊チーム長・②救助隊の公益要員・③以前韓国人として最初にアラスカの犬ぞりレース<アイディタロッド>に参加するも「痛い経験」を味わった動物病院を運営する獣医師。
 女性は、④新聞記者・⑤医療センターの看護師。
 そして、犬は⑥巨大なティンバーウルフ。

 本書のタイトル「28」は、最初の感染者が発見された2014年1月24日から2月20日までの28日間の物語だからです。

 先の記事で私ヌルボ、「怖ろしい伝染病蔓延パニックの話なんですね」と書きました。読み終えてみると、はたしてそう言えるのか、少し疑問も感じます。

 つまり、「人間と疫病との闘い」がテーマではなく、この人畜共通感染症の蔓延した都市というのは怖ろしい極限状況ではあってもひとつの場面設定とみた方がよさそうです。
 そこを舞台に登場人物たちが使命感や愛や憎悪の心をもって徐々に絡み合ってくるという展開。
 また大状況としては、この都市の封鎖の徹底をはかる政府・軍に対し、市民たちはどんな行動をとるか、ということが描かれます。

 この小説について、作者鄭裕静のインタビュー記事がありました。(→コチラ。)

 その中で彼女はこの小説を書いた動機として2011年の口蹄疫報道をあげています。牛や豚が生きたまま埋められる映像に大きな衝撃を受けたと語っています。
 この小説で犬の視点を入れているのもそのためで、オオカミの感情や行動を知るためにマーク・ローランズの「動物の逆襲」等の本を読破したそうです。

 その他獣医師の人に取材したり、またこの小説では消防隊員や看護師が活躍しますが、鄭裕静自身以前看護師だったそうで、また弟も夫も消防署で仕事をしていて、いろいろ教えてもらったとか・・・。

 また、彼女の生まれは全羅南道咸平ですが、14歳の時から光州に住んでいるという点もこの作品につながります。
 彼女はこう語っています。
 15歳の時に5.18光州抗争が起きた時、市場で働くおばさんがおにぎりを作って運び、看護師、医師らが総出で傷を負った人々を必死で徹夜して治療しました。このような光景を見たので、市民の力になるのは彼ら自身で、政府やいわゆる権力を持っている人ではないのです。

 国家権力によって封鎖された町という点で、華陽は光州と重なります。

 架空の都市華陽は、読み進むと位置的に議政府市にあたることがわかってきます。南側でソウルと隣接する内陸部の都市です。議政府市は人口が40数万なので少し大きいですが。作家は事前に議政府に足を運んでいろんな所をスケッチし、作品用に地図も作ったそうです。

 ソウルを東京に置き換えて考えてみると、華陽に相当するのは草加市(人口約25万人)あたりです。もしそこで恐怖の伝染病が発生したらどんな方策がとられるのか、ということをちょっと考えたりしました。

 さて、この小説の全体的な感想・評価ですが、「夜遅くこの本を読み始めると、否応なく夜明けを迎えることになるだろう」という新聞書評は偽りではないでしょう。朝鏡の前に立って、睡眠不足のため真っ赤な目になっているのを見て驚愕した人もいるかも・・・。(笑)
 ただ、前に読んだ「7年の夜」と比べると物語の焦点がやや定まっていない点は明らかにマイナス。そもそも主人公が誰なのか?とか、疫病との闘いなのか、権力との闘いなのか、復讐の物語なのか?等々。
・・・ということで、どちらか選べということならやっぱり「7年の夜」ですね。韓国のブログ等をいくつか目を通した結果も同様でした。

          
     【先月の韓国旅行で「28」のショッピングバッグを持って歩いている人を見かけました。】
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人気作家・崔仁浩(チェ・イノ)が昨夜逝去 ・・・・映画「鯨とり」等の原作者 

2013-09-27 23:56:14 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 人の訃報に接すると寂しい気持ちになります。とくに自分と年齢的にあまり離れていない人の場合はなおさらです。
 日本では「逝去」と書くところを、韓国では「별세(別世)」という言葉を用います。

 昨9月25日夜、作家・崔仁浩(최인호.チェ・イノ)が亡くなりました。
 そのことは、→コチラの記事への今朝の「ソウル一市民」さんのコメントで知りました。
 今日の「朝鮮日報(日本語版)」にそのニュースが載っています。

 私ヌルボが崔仁浩のことを初めて知ったのは、やはり映画の原作者としてです。
 過去記事の<150本の中から選んだ・・・ ★韓国映画ベスト20★>で個人的に「不動の1位」に挙げた「神様こんにちは」は、私ヌルボを韓国映画ファン&アン・ソンギファンに導いてくれた(個人的に)決定的な作品ですが、その原作・脚本が崔仁浩でした。

 今、<輝国山人の韓国映画>等をたよりに崔仁浩原作の映画を探ってみた結果を年代順に並べてみました。

①李長鎬監督「星たちの故郷(별들의 고향)」(1974)
②河吉鍾監督「馬鹿たちの行進(바보들의 행진)」(1975)
③河吉鍾監督「ピョンテとヨンジャ(병태와 영자)」(1979)
④裵昶浩監督「赤道の花(적도의 꽃)」(1983)
⑤裵昶浩監督「鯨とり -コレサニャン-(고래사냥)」(1984)
⑥裵昶浩監督「ディープ・ブルー・ナイト(깊고 푸른 밤)」(1985)
※第6回(1982年)李箱文学賞受賞作
⑦郭志均監督「冬の旅人(겨울 나그네)」(1986)
⑧裵昶浩監督「黄真伊(황진이.ファンジニ)」(1986)
⑨裵昶浩監督「神様こんにちは(안녕하세요 하나님)」

 ※①以外は原作だけでなく脚本も担当しています。また<シネマコリア>の記事によると、⑨は「昶浩監督が気に入っていた崔仁浩の小説「神様こんにちは」のタイトルを借り、身体障害者の慶州への旅行を題材にしたテレビ番組をヒントにした監督のアイディアを崔仁浩が新たに脚本として書き下ろした」とのことです。

 ・・・この9本の中で、私ヌルボが観たことがあるのは②③⑤⑥⑨の5本です。どれも当時の韓国の困難な状況の中で懸命に生きる若者の姿を、心情的にも寄り添うような形で描いた作品でした。
 これらの映画について、韓国映画同好会(←今実体あるの??)の植田真弘さんが10年以上前?に「チェ・イノと韓国映画」という記事で彼の小説世界と関連づけて詳しく記しています。(→コチラ。)
 そこで冒頭に掲げられているのが「軽妙・軽快」「通俗的」というキーワード。「なるほど、やっぱりなー」といったところです。

 たとえば、最近の芥川賞作品は大半が映画化しにくいものだし、映画化に際しても「苦役列車」とか「共喰い」とか、いろいろ大変だったのではないでしょうか? 映画ファンも「一人の若者が抱える心の闇と・・・云々」という惹句にどれほど興味をそそられるのか・・・?
 そこへいくと、崔仁浩原作の映画は、ストーリー展開自体が観る者を引きつける力があります。

 彼の作品は90年代以降「商道(상도)」「海神(해신)」のようにドラマでもヒットした歴史物を書いています。
 つまり、そのまま映画やドラマにしやすい作品を次々と生み出すストーリーテリングの才能を40年以上にわたって発揮し続け、多くの人々に親しまれた作家といえるでしょう。
 「朝鮮日報」の記事に対する読者のコメント中にも「われわれの時代最高のイヤギクン(우리 세대 최고의 이야기꾼)」という言葉がありました。

 彼は若い頃から世に認められた作家でした。
 「朝鮮日報」の記事には、1967年22歳で延世大在学中に書いた短編小説「見習い患者」が朝鮮日報新春文芸に当選して文壇デビュー(韓国では「登壇」)したとありますが、すでにソウル高校1年生在学中の1961年青少年雑誌「学園」に「休息」という詩を投稿して優秀賞を受け、高2だった1963年には韓国日報新春文芸で短編「壁の穴に」により佳作に入っています。
 彼が広く知られるようになったのは、1972年「朝鮮日報」に連載された「星たちの故郷」から。<小説100万部時代>を開いた人気作家となり、70年代青年文化の代表者となりました。
 以後今まで数多くの作品を出し続けたその旺盛な創作意欲は驚くばかりです。

 最近韓国では朴景利(パク・キョンニ.1926~2008)李清俊(イ・チョンジュン.1939~2008)朴婉緒(パク・ワンソ.1931~2011)といった著名な作家が相次いで亡くなりました。
 これらの作家と比べると、文学的な深みといった点では譲るかもしれませんが、多くの読者(や映画ファン)に愛されたということでいえば、崔仁浩が一番でしょう。

 映画ではなく、私ヌルボが読んだ彼の唯一の小説は「머저리 크럽(阿呆クラブ)」(2008)です。2009年の過去記事<崔仁浩の小説「阿呆クラブ」 懐かしく描かれた70年代の高校生群像>でその感想を書きました。1970年代の男子高校生の成長小説ですが、内容も文章も読みやすく、とくにヌルボ自身の(60年代の)高校時代とも重なるところが多くて親近感を覚えました。わずか1作だけで作家を論ずるのは軽率ですが、多くの韓国の読者の「彼の小説を読んで読書の楽しさを知った」という気持ちがわかるような気がします。
 報道によると、彼が唾液腺がんの宣告を受けたのが2008年5月。この明るく懐かしい作品はその前に書きあげたものでしょうか?

 その後、がん宣告の2ヵ月後に書き始められたという2011年刊行の長編小説「見慣れた他人の都市(낯익은 타인들의 도시)」は、80年代半ばから歴史物の大作を主に発表してきた彼の現代への回帰として注目され(→関連記事)、また今年3月に刊行した「人生(인생)」はカトリックの「ソウル週報」に連載した闘病生活の中でも思いをエッセイ風連作小説(?)としてまとめたもののようです。
 <'星の故郷'を探しに行った六十八の年作家>と題した「朝鮮日報」の追悼記事によると、彼は最後まで新しい本に書く序文を考えていたとか。作家自身が「환자가 아닌 작가로 죽겠다(患者ではなく作家として死ぬんだ)」という言葉通りの人生の終わり方でした。
 崔仁浩作家の冥福を祈ります。

          

     <小説家・崔仁浩の文学トンネ(町内)>というブログには、彼の訃報がいち早く載っていました。
    
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韓国のロングセラー 全分野・児童書まで

2013-08-23 23:03:18 | 韓国の小説・詩・エッセイ
横浜市立図書館3Fにある新聞閲覧台では数日遅れの「朝鮮日報」を読むことができます。一昨日(21日)は17日の新聞。土曜なので読書を開くと10년이 지나도 펄떡이는 녀석들(10年経ってもピンピンしているヤツら)という見出しの大きな記事がありました。
 出版社30社を対象に、2003年までに発行された本の中で、刊行後10年以上続けて毎年1万部以上売れた本にはどんな本があるかを調査した記事です。
 その結果、当該の「10年1万部クラブ」に入った本は合計160。
 以下、その記事に載っている本を全部私ヌルボのコメントも交えて紹介します。

※「朝鮮日報」(韓国版)のサイト中のこの記事は→コチラです。 
※最初に、ちょっと気になったのが「ステディセラー(스테디셀러)」という言葉。日本ではふつう「ロングセラー(롱셀러)」ですが、韓国ではなぜかこの「스테디셀러」がよく出てきます。もしかして韓国製英語? 私ヌルボ、英語は苦手なもんでよくわかりませんが・・・。以下ではとりあえず「定番」としておきました。

     

 では、どんどんあげていきます。

 刊行年の古いものを見ると・・・。
・崔仁勲「広場(광장)」(1960年)・・・累計65万部が販売された。
・趙世熙「小人が打ち上げた小さなボール(난장이가 쏘아올린 작은 공)」(1978年)・・・この長いタイトルはふつう'난쏘공(ナンソゴン)'と略して呼ばれています。都市貧困層や工場労働者、撤去民の家族を描いた韓国初の小説で、文学史的にも社会史的にも重要な作品なのに日本語訳がなぜ刊行されていないのか? もしかして、「난장이(小人)」という言葉や、その「小人」の描き方が日本では障碍者差別に関わるということかな、と思ったりもするのですが、よくわかりません。
・李文烈「三国志(삼국지)」(1988年)・・・1800万部売れたとか。この数字は日本の尺度でみてもすごい。
・趙廷来「太白山脈(태백 산맥)」(1986年)・・・韓国の定番の小説には朴景利「土地」、黄皙暎「張吉山」等々長大な作品が多いです。これは原書・日本語訳とも全10巻。私ヌルボ、映画は観たんだけどな。
 歴史小説では、
・金薫「孤将(칼의 노래.刀の歌)」(2001年)・・・孤独な将軍とは李舜臣。蓮池薫さんの訳本が新潮文庫にあります。

 外国人作家の作品では、
・パウロ・コエーリョ「錬金術師(연금술사)」(2001年)・・・日本でも読まれていますが、韓国ではそれ以上。
・ハーパー・リー「アラバマ物語(앵무새 죽이기.オウムを殺すこと)」(2001年)・・・原題は「To Kill a Mockingbird」なのですが・・・。グレゴリー・ペック主演の映画は半世紀前か。しかしなぜ韓国でこれが読み継がれているのか?
・ベルナール・ウェルベル「木(나무)」(2003年)・・・「蟻」をはじめ、韓国ではなぜか大人気の作家。この作品は日本では未訳。
・アラン・ド・ボトン「小説 恋愛をめぐる24の省察(왜 나는 너를 사랑하는가)」(2002年)・・・これも韓国ではブームに。日本でも訳されてはいますが・・・。
・村上春樹「ノルウェイの森(喪失の時代.상실의 시대)」(1989年)・・・韓国でも根強い人気。

 詩集はごく少数。その中で最強の定番は、
・リュシファ「今知っていることをその時も知っていたなら(지금 알고 있는 걸 그때도 알았더라면)」(1998年)・・・詩集で累計123万部とは、日本では考えられないのでは・・・。彼の詩集は「君がそばにいても僕は君が恋しい」(訳:蓮池薫)等2冊が訳されていますが、これは未訳。この詩人の名前、柳(劉?)時和とでも書くのかと思ったら、本名はアン・チェチャンだそうです。
・金龍澤(キム・ヨンテク)「詩が私のところに来た(시가 내게로 왔다)」(2003年)・・・累計 60万部。副題に「金龍澤が愛する詩(김용택이 사랑하는 시)とあるように、彼自身の詩ではなく、徐廷柱・金洙暎・高銀等々の、彼の好きな詩を集めた本。実はヌルボも持っています。
・奇亨度(キ・ヒョンド)「口の中の黒い葉(입 속의 검은 잎)」(1989年)・・・累計26万部。90年代の若者たちのアイコンになってしまった夭折詩人キ・ヒョンド(1960~89)のただ1冊の詩集だそうです。(→コチラの記事参照。)

 文学以外の外国書です。
・リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」(1993年)  
 ・ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄(총, 균, 쇠)」(1998年)
・・・これら2冊は日本でも話題になりました。
・スティーブン・R・コヴィー「7つの習慣―成功には原則があった!(」(1994年) 
 ・ケン・ブランチャード「シャチのシャムー、人づきあいを教える(칭찬은 고래도 춤추게 한다.賞賛はクジラも踊らせる)」(2003年)
・・・自己啓発本の分野は私ヌルボ、語る資格なし。この2冊、日本でも評価は高いようです。
・塩野七生「ローマ人の物語(로마인 이야기)」・・・韓国でも定番の本。

 人文関係の韓国人著作の定番。
・イ・ユンギ「ギリシア・ローマ神話」(2000年)
・チン・ジュングォン「美学オデッセイ」(1994)
 ・ユ・ホンジュン「私の文化遺産踏査記(나의 문화유산답사기)」(1993年)
・・・上掲の「小人が打ち上げた小さなボール」とともに、他の出版社社長が欲しがる本の1位に上がった本。最初の全羅南道編に始まったシリーズ7巻まで、韓国各地を踏査した後、今年7月には日本編として「1 九州」「2 奈良・飛鳥」の2冊も発行されました。
・オ・ジュソク「オ・ジュソクの韓国の美 特講(오주석의 한국의 미 특강)」(2003年)・・・あやうく「韓国の米」と訳すところでした。もちろん美術史の本です。

 最近20年ぶりに再刊された注目書。
・チョン・モンガク「ユンミの家(윤미네 집)」(2010年)・・・土木技術者として京釜高速道路を建設し、大学教授として弟子を育てた著者(1931~2006)は生涯カメラを離さなかったアマチュア写真家でもあった。その彼が、娘が生まれてから嫁に行くまでの26年間(1964~89年)の成長の記録を写真集として刊行したのが1990年。その時はわずか1000部の発行だったが、その評判は衰えることなく、近年20年ぶりに再刊された。家族の歴史だけでなく、その間の韓国社会の変貌も見て取れる。この本のことは私ヌルボ、知りませんでした。見てみたいです。

 <10年1万部クラブ>に入っている160冊の本の3分の1は子どもの本です。多くは日本でも翻訳されています。
 韓国の絵本では、
・権正生「こいぬのうんち」(1996年)・・・2011年に100万部を突破。この原書は韓国語の初級学習者の皆さんにもオススメ。
・チェ・スッキ「十二支の動物のいないいないばあ(열두 띠 동물 까꿍놀이)」(1998年)・・・「檀君 朝鮮半島の建国神話」が神谷丹路さんの訳で出ているだけです。
・クォン・ユンドク「マンヒのいえ(만희네 집)」(1995年)・・・日本でも1998年に刊行されましたが、今は品切(or絶版)。この絵本も私ヌルボのオススメです。

 日本の絵本の韓国語版がいかに多いかについては過去記事(→コチラ)でも書きました。
・多田ヒロシ「りんごがドスーン(커다란 커어다란 사과가 쿵!)」(1996年)

 欧米の作家の名作絵本の多くは日韓両国でも人気。
・ヴェルナー・ホルツヴァルト「うんちしたのはだれよ(누가 내 머리에 똥 쌌어)」(1993年)・・・「うんち」に子どもが興味を示すのは国や民族を問わず(?)のようですが、韓国はさらに一段上のような・・・。(→関連過去記事。)
・マイケル・ローゼン「きょうはみんなでクマがりだ(곰 사냥을 떠나자)」(1994年)
・アンソニー・ブラウン「ウィリーの絵(美術館に行ったウィリー.미술관에 간 윌리)」(2000年)
 ・アンソニー・ブラウン「おんぶはこりごり(돼지책.ブタの本)」(2001年)
・・・韓国題と日本題の差はどこにあるかと原題を見ると「PIGGY BOOK」。つまりPIGGY BACK(おんぶ)との掛け言葉になっている。
・ジョン・バーニンガム「いつもちこくのおとこのこ-ジョン・パトリック・ノーマン・マクへネシー(遅刻大将ジョン.지각대장 존)」(1996年)・・・日本語版は谷川俊太郎訳。韓国語ではこの長い名前をどう表記しているのか、ちょっと見てみたら「존 패트릭 노먼 맥헤너시」で、カタカナ書きより見やすいかも。
・フランツィスカ・ビアマン「本を食べる狐(책 먹는 여우)」(2001年)・・・日本未訳。

 子ども向きの読み物では、
・ファン・ソンミ「庭を出ためんどり(마당을 나온 암탉)」(2002年)・・・日本語訳あり。2011年に作られたアニメについては、本ブログでも記事にしました。(→コチラ。)
・ミヒャエル・エンデ「モモ(모모)(1999年)・・・原著は1973年発行。岩波から翻訳が出たのは1976年。他の多くの「定番」同様、韓国では20年余の年差があります。

     

 上のリスト(左)は教保文庫での定番の本(ステディセラー)の販売順位(今年1〜8月)です。
①ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄(총, 균, 쇠)」(1998年)
 ②「その男ゾルバ(그리스인 조르바.ギリシャ人ゾルバ)」(2000年)
・・・この小説の人気も日韓で大きな差があります。
③村上春樹「ノルウェイの森(喪失の時代.상실의 시대)」(1989年)
④パウロ・コエーリョ「錬金術師(연금술사)」(2001年)
⑤リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」(1993年)
⑥リュシファ「今知っていることをその時も知っていたなら(지금 알고 있는 걸 그때도 알았더라면)」(1998年)
 ⑦ロバート・B・チャルディーニ「影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか(説得の心理学. 설득의 심리학)」
・・・日本でも注目された本。
⑧趙世熙「小人が打ち上げた小さなボール(난장이가 쏘아올린 작은 공)」(1978年)
 ⑨チョン・ジェスン「科学コンサート(과학 콘서트)」(2003年)
・・・「第1楽章Vivace molto」から「第4楽章Poco a poco Allegro」の構成で、ソテジだのポロックだのいろんな例を出してヌルボもおなじみのマーフィーの法則等々をわかりやすく書いた科学の本のようです。
⑩金薫「孤将(刀の歌.칼의 노래)」(2001年)

 リスト(右)は子どもの本の定番の販売順位(今年1〜8月)です。
①E・B・ホワイト「シャーロットのおくりもの(샬롯의 거미줄.シャーロットのクモの糸)」(2000年)
②権正生「こいぬのうんち」(1996年)
 ③シェル・シルヴァスタイン「大きな木(아낌없이 주는 나무.惜しみなく与える木)」(2000年)
・・・韓国の書名はあまりに直接的なのでいかがなものかと思いますが、原書は「The giving tree」なのですね。知らなかった。
④マックス・ルケード「たいせつなきみ(너는 특별하단다.おまえは特別だと言う)」(2002年)・・・日本でも刊行されましたが、絶版(or品切れ)のようです。
⑤「小学生のためのタルムード111(초등 학생을 위한 탈무드 111가지)」(2002年)・・・韓国本。個人ではなく出版社編集部による本。
⑥ムン・ソニ「양파의 왕따일기(タマネギのいじめ日記)」(2001年)・・・書名の意味が気になって<YES24>で見てみたら、人気者の女の子ヤン・ミヒに群がる一派をヤン派(ヤンパ)=タマネギと言ってるんですね。女の子たちの人間関係の中でのいじめ問題を扱った作品、かな?
⑦ファン・ソンミ「庭を出ためんどり(마당을 나온 암탉)」(2002年)
 ⑧朴婉緒「自転車泥棒(자전거 도둑)」(1999年)
・・・副題が「朴婉緒童話集」。これは読んでみようかな。
⑨トリーナ・ポーラス「クローラーズ ぼくらの未来―花たちに希望を(꽃들에게 희망을)」(1999年)・・・さまざまな冒険を通して蝶々が成長していく物語。これも日本では現在絶版(or品切れ)のようです。
⑩モーリス・センダック「かいじゅうたちのいるところ(괴물들이 사는 나라.怪物たちが暮らす国)」(2002年)・・・神宮輝夫の訳本(冨山房)刊行は1975年。

※韓国での発行年は、現在刊行されているものなので、もしかしたら新版・改訂版が出る以前に発行された古い版がある本もある可能性があります。

 さて、以上いろんな本についてざっと見て、「日韓の違いは?」と見ると、そんなに大きな差はないように思います。とくに最近の世界的なベストセラーについては共通。
 文学関係では、たまに「韓国だけでなぜ人気?」とか、たぶんその逆もあって、そこらへんを探ってみるのもおもしろそうかも・・・。

 韓国での詩集人気は韓国ウォッチャーにはよく知られているところ。
 あと、韓国では「成功するための~」のような実利を求める生き方の本がけっこう読まれているのでは、というのがヌルボの見方。

 この記事の基本的な点で言えば、「10年以上、1万部以上」というハードルは、日本基準で見るとかなり低いのではないでしょうか?
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ネチズンが選んだ「韓国の代表作家」は詩人・高銀(コ・ウン)、「若手作家」は鄭裕静(チョン・ユジョン)

2013-07-28 23:46:01 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 韓国の代表的なネット書店・YES24は、2004年から毎年ネチズンの投票によって<韓国の代表作家>と<韓国の若手作家>、そしてその年の<必読書>を選定しています。

 <代表作家>と<若手作家>部門は各24人の作家を、また<必読書>については<小説>部門と<詩・エッセイ>部門に分けて各24冊の候補が予め設定されていて、その中から「YES24」のサイト(→コチラ)を通じて投票をするという方式のものです。

 この催しについては、本ブログでも過去2009年8月と、2011年4月の記事で書きました。
 しかし、実施時期直後に記事にしたのは今回が初めてです。
 第10回の今年は7月8~26日が投票期間でした。全投票者数は42,631人。私ヌルボも22日22,006番目に投票しました。てへへ。

 その投票結果はすでに出ています。→コチラ
 <代表作家>は高銀(コ・ウン)、<若手作家>が鄭裕静(チョン・ユジョン)です。
 <必読書・小説>は金辰明(キム・ジンミョン)「高句麗」、<必読書・詩・エッセイ>はカン・セヒョン「私はただ少し遅いだけ」が1位でした。

 作家部門の上位得票数は次の通りです。翻訳書名及び簡単な説明をつけておきました。

<代表作家>
1位=高銀(コ・ウン)16.5%[12,788票]・・・・韓国では2002年ごろからノーベル文学賞候補として報道されている韓国の代表的詩人。「いま、君に詩が来たのか―高銀詩選集」。(→ウィキペディア)
2位=李文烈(イ・ムニョル)15.3%[11,897票]・・・・「我らの歪んだ英雄」は映画も評価が高い。80年代以来の代表作家というべき彼については、本ブログでも過去3回記事にしました。(→その1その2その3)。(→ウィキペディア)
3位=朴範信(パク・ボムシン)7.2%[5,619票]・・・・「掟」
4位=崔仁浩(チェ・イノ)7.2%[5,602票]・・・・「商道」(ドラマ化され日本でも放映)。 映画「鯨とり」「ディープ・ブルー・ナイト」等の名作映画の原作小説も書いている。(ともに未訳) 本ブログの関係過去記事は→コチラ。(→ウィキペディア)
5位=申庚林(シン・ギョンニム)6.8%[5,264票]・・・・第一詩集「農舞」(1973年)で注目されて以来創作を続ける民族詩人。「ラクダに乗って 申庚林詩選集」

<若手作家>
1位=鄭裕静(チョン・ユジョン)11.3%[8,358票]・・・・エンタメ系、といっていいかな?2011年のベストセラー「7年の夜」で一気にブレイク。最新作「28」も注目! 関連過去記事は→コチラ
2位=金愛爛(キム・エラン)13.5%[9,995票]・・・・今年の第37回李箱文学賞受賞者。同賞の最年少受賞者(といっても33歳ですが・・・。) 本ブログの関係記事は→コチラ「どきどき僕の人生」(今月の新刊書)
3位=チョン・ミョングァン11.3%[ 8,358票]・・・「高齢化家族」(未訳)は映画化され今年5月公開。続く「僕のおじさんブルース・リー」(未訳)の映画版も近いうちに公開されるようです。(愛読しているブログ「たままま生活」の関連記事→コチラ。)
4位=キム・ビョラ6.9%[5,090票]・・・・「ミシル-新羅後宮秘録」はドラマ「善徳女王」でコ・ヒョンジョンが演じた敵役の女性を主人公にした官能歴史ロマン(!?)。
5位=チョン・キョンニン6.2%[4,552票]・・・・第31回(2007年)李箱文学賞受賞を受賞した女性作家。今50歳で作品も多いのに<若手作家>というのもねー・・・。

 さて、ここに名前があがった作家たちをみると、なんかバラバラという印象を受けてしまいます。小説家と詩人が混じり、小説家もずっと以前から活躍している大家から、最近のベストセラー作家、ジャンルも純文学からエンタメ系、YA文学等々。候補として用意されている各24人(後掲)のリストを見ると、とくにそんな傾向が強く感じられます。
 私ヌルボが考えるに、その理由の1つはこのYES24の催しのコンセプトと歴史の浅さにあります。
 ちなみに、第1回から現在まで1位に選ばれた作家は次の通りです。

     [代表作家]             [代表的若手作家]
第1回(2004)朴景利(パク・キョンニ)       金薫(キム・フン)
第2回(2005)趙廷来(チョ・ジョンネ)     孔枝泳(コン・ジヨン)
第3回(2006)朴婉緒(パク・ワンソ)      申京淑(シン・ギョンスク)
第4回(2007)黄皙暎(ファン・ソギョン)    殷熙耕(ウン・ヒギョン)
第5回(2008)趙世煕(チョ・セヒ)       鄭梨賢(チョン・イヒョン)
第6回(2009)孔枝泳(コン・ジヨン)      朴賢旭(パク・ヒョヌク)
第7回(2010)李外秀(イ・ウェス)       金英夏(キム・ヨンハ)
第8回(2011)申京淑(シン・ギョンスク)    朴玟奎(パク・ミンギュ)
第9回(2012)金薫(キム・フン)        金衍洙(キム・ヨンス)
第10回(2013)高銀(コ・ウン)         鄭裕静(チョン・ユジョン)

 [代表作家]の候補リスト中には、1960年代「広場」等で注目された崔仁勲(チェ・インフン)、60~70年代の人気作家金承鈺(キム・スンオク)、上述の80年代の代表作家李文烈(イ・ムニョル)等々文学史上のビッグネームもありますが、この投票では過去の業績だけではなく、今も現役作家として読者たちの関心を集めているという要素が大きいようです。その中で、この20年くらい本を出していない(と思われる)趙世煕が選ばれているのは、それだけ「小人が打ち上げた小さなボール」の影響力が大きく、今に及んでいるということでしょうか。2005年には200刷を越え、07年には累計100万部に達したとか。彼が選ばれた2008年には、この作品の「発刊30周年記念式」も開かれたそうだし・・・。(→「ハンギョレ」の関連記事。)

 過去のこの催しを少し細かく振り返ってみると、毎年候補者リストの名前が大きく変わることもないので、前年の2位(今回は3位)の作家が次の年の1位に繰り上がっていく、ということになります。
 したがって、来年の1位はやっと李文烈でほとんど間違いなし<若手作家>部門の来年の1位は今回2位の金愛爛か3位チョン・ミョングァンのどちらかですね。

 この選定結果、あるいは候補者リストが「バラバラな印象を受ける」2つ目の理由は、韓国ではエンタメ系の読書の歴史が浅いということ。
 朝鮮王朝時代と日本の統治時代は庶民の識字率は高くなく(特に女性)、読書が大衆文化の一分野として十分に発達したものとはなっていませんでした。(日本では明治後期の「金色夜叉」(1897)、「不如帰」(1898)あたりがベストセラーの初め。) 逆にいえば、読書は上流階級・知識人の趣味であり、作家や詩人は尊敬の対象でした。
 そんな韓国の読書文化が大きく変わってきたのも民主化以後の90年代以降ではないでしょうか? 読書を「楽しむ」人たちが増えたものの、国内でそれに応える作家は少なく、需要を満たすために日本をはじめ外国からミステリー、SF等々の作品が多数輸入されるようになり、それらは「ジャンル文学(장르문학)」と分類されるようになります。しかし私ヌルボの韓国人の知人の言によると、「韓国の読者はまだこのタイプの小説になれていない」とか。
 ※ずっと以前からの韓国の推理作家といえば金聖鐘(キム・ソンジョン)しか知らんしなー。日本推理作家協会が(前身はさておき)社団法人に改組し現名となったのが1963年。一方韓国推理作家協会の成立は1983年。やはりこの差は大きい。(→関連記事。)
 ※韓国の大衆小説については全然知りません。私ヌルボが無知なだけか?と思わないでもないですけど。ちなみに「韓国近現代文学事典」を見てみても、大衆小説とかベストセラーについては何も書かれていません。李光洙の「無情」なんてインテリ青年以外に読者がいたのだろうか?

 鄭裕静「7年の夜」についての書評をいくつかの韓国語サイトで見てみると、「純文学とジャンル文学の境界を破った」とか「ジャンル文学の色彩が強い」等々書かれているものの、YES24等々では「純文学」に分類されています。私ヌルボのみるところ、宮部みゆきのような感じ、かな? 要するに、日本ほど小説の種別の細分化が進んでいない、ということ。韓国でも、「純粋な」純文学関係の作家等からは「あんなジャンル文学っぽい作家とウチらを一緒くたにするな」との声も出ているそうですが・・・。まあ、李箱文学賞受賞の可能性はないと思いますが・・・。

 あー、しかし韓国小説の翻訳書が数多く刊行されるわけでもなく、私ヌルボが1年間に読破できる韓国書も2ケタにはとどかないし、それで韓国の文学状況を概観するなんてことは相当にムリがあるなー、ふー・・・。(溜め息)

 あ、投票した人の中から抽選でもらえるという電子書籍端末のCremaが当たらないかな!? 10万ウォンの商品券でもいいけど。希望すれば当たる可能性がある、趙廷来鄭裕静が来るという文学キャンプも参加希望を出しておくべきだったかもなー、とこれはいつもの後悔先に立たず。

★[代表作家]と[若手作家]各24人のリスト *印は詩人。
[代表作家]
金周栄(キム・ジュヨン)、崔仁勲(チェ・インフン)、孔善玉(コン・ソノク)、*鄭浩承(チョン・ホスン)、*黄東奎(ファン・ドンギュ)、朴範信(パク・ボムシン)、呉貞姫(オ・ジョンヒ)、崔仁浩(チェ・イノ)、韓勝源(ハン・スンウォン)、成碩済(ソン・ソクチェ)、申庚林(シン・ギョンニム)、*金龍澤(キムヨンテク)、*李晟馥(イ・ソンボク)、朴常隆(パク・サンニュン)、殷熙耕(ウン・ヒギョン)、*都鍾煥(ト・ジョンファン)、*金芝河(キム・ジハ)、李承雨(イ・スンウ)、李文烈(イ・ムニョル)、金承鈺(キム・スンオク)、*咸敏復(ハム・ミンボク)、*高銀(コ・ウン)、*安度眩(アン・ドヒョン)、黄芝雨(ファン・ジウ)
[若手作家]
権汝宣(クォン・ヨソン)、ペ・ミョンフン、ペク・ヨンオク、李起昊(イ・ギホ)、尹成姬(ユン・ソンヒ)、キム・ギョンジュ、チョン・ウニョン、イ・ウンジュン、鄭裕静(チョン・ユジョン)、シム・ユンギョン、金宣祐(キム・ソヌ)、金愛爛(キム・エラン)、キム・ビョラ、金呂鈴(キム・リョリョン)、チョン・キョンニン、ハン・ユジュ、金重赫(キム・ジュンヒョク)、黄炳承(ファン・ビョンスン)、ペ・スア、チョン・ミョングァン、片恵英(ピョン・ヘヨン)、韓江(ハン・ガン)、趙京蘭(チョ・ギョンナン)、河成蘭(ハ・ソンナン)
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やっとチョン・ユジョンの新作「28」に取りかかるゾ! 伝染病でパニック状態に陥った町が舞台

2013-07-19 20:04:13 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 先月の韓国旅行の往路、6月17日のアシアナの機内で日頃読む機会の少ない「毎日経済」を読んでいたら、次のような記事が目にはいりました。

     

 “링위에 서는게 난 두렵지 않다(私はリングの上に立つのは恐くない)”という見出しはそれだけでは意味不明ですが、その上に<올 한국문학의 기대작 ‘28’출간한 정유정(今年韓国文学の期待作「28」を出刊したチョン・ユジョン)>とあるではないですか!
\t
 チョン・ユジョンといえば、何ヵ月もかかって読んだ前作の「7년의 밤(7年の夜)」はすご~くおもしろかった! 私ヌルボ、この本については<2012年に読んだ「圧倒的!」な本5冊>と題した過去記事(→コチラ)で紹介しました。

         
  【「7年の夜」の表紙。約500ページ。読み通した自分をほめてやりたい、ウルウル・・・というより、内容に読み通させるだけの力があったということか。】

 ・・・というわけで「毎日経済」の記事を読んでみると、要するに彼女の「28」という新刊が出たとのこと。
 「夜遅くこの本を読み始めると、否応なく夜明けを迎えることになるだろう」というその内容はおよそ次のようなものとのことです。

 小説の主舞台はソウルと隣接する人口29万のファヤン市(華陽市)[←架空の町]。そこで正体不明の人畜共通伝染病が蔓延する。犬と人間の間で相互に伝染し、発症すると真っ赤な目になり全身から血を流して死んでしまう。都市は手に負えない混乱に陥る。政府と軍は感染した人間と犬を殺す。理性を失った都市は、マイナス18度の寒さにも「ファヤン(火陽)」という名前のように地獄になる。略奪・銃撃・強姦・殺人・放火・・・。互いに殺し合い、絶望して恐怖に震えて共倒れしていく。
 作者チョン・ユジョンは、5人の人物と1匹の犬の視点(!)を通してこの地獄図を描写する。その6つの声が出会って作り出す、生存に向けた渇望と熱い救いの物語だ。


 ・・・つまり、怖ろしい伝染病蔓延パニックの話なんですね。このジャンルではカミュの「ペスト」とかポーの「赤死病の仮面」、小松左京「復活の日」等いろいろありましたね。クライトン「アンドロメダ病原体」は未読ですが・・・。で、このチョン・ユジョンの新作はたぶんどれとも違う感じ、って当たり前か。

 この小説「28」について帰ってから調べてみたら、「東亜日報」(日本語版)にも紹介記事がありました。(→コチラ。)
 またなぜかリンクできませんが、「毎日経済」のサイト内検索をすると、この新聞記事を読むことができます。

さて、はからずもこの記事を読んだからにはぜひこの本を買って帰ろうと心に決め、帰途ロッテモール金浦空港店内の永豊文庫に行って小説のコーナーに行ってみたら無い! あきらめて別の本を買って行くとするかと思ってレジ方面に向かうと、なんとドカッと平積みにされているのが目に入りました。やれやれ。(あ、写真撮ってなかった・・・。)

 ところが、買っては来たものの、まだ読み終えていなかったハングル本(前書いたハン・ビヤの本)の方を優先したため1ヵ月近くそのままの状態だったのが、ようやくケリがついたので昨日から読み始めました。

          
  【帯には「“28日、生き残るため極限のドラマが繰り広げられる!” 読者と言論が選んだ今年韓国文学最高の期待作」とあります。】

 アラ、冒頭はいきなりアラスカだぞ。世界最長の犬ぞりレース<アイディタロッド>だって!? これがどう韓国での話につながっていくのかな?

 なんせこの本も「7年の夜」とほぼ同じ約500ページのボリュームなので、がんばっても2~3ヵ月はかかりそうです。
 「毎日経済」の記事によると、チョン・ユジョンは毎日1~2時間ボクシングで身体を鍛え(「リングの上云々はそういう意味)、また高麗人参等を食べて体力をつけたりしてあのパワーに満ちた文章を書いているそうです。
 前作同様、読む側にも体力が必要のようです。ふー、シンドイな。でも楽しみ!
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「親日派」小説、読まずに排斥すべからず!④ 金聖珉「緑旗聯盟」を読む(下)

2013-05-22 19:10:16 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 5月16日の記事の続きです。

 軍人になるのをやめんと仕送りはしないぞ、という父の脅しを契機に、小松原保子に求婚の手紙を出した南明哲と、それを拒絶しながらも今ひとつはっきりしない保子。2人がもたもたしている間に、脇役的な存在の南明姫と小松原保雅が「できちゃった事実婚」でアパート生活。
 そして「緑旗聯盟」の前半「玄海を越ゆ」のラストは、陸軍士官学校を卒業して京城の聯隊に赴任すべく東京駅を発つ場面。保雅とともに見送りに来ていた保子が渡した封筒は、十円紙幣だけが入っていた「御餞別」だけで、手紙はナシ・・・。なんとも微妙な距離感です。

 さて、後半「亞細亞の民」の初めの部分は、明哲の長兄・明燁(めいよう.ミョンヨプ)の懶惰な生活ぶりが描かれます。
 明燁の妻は富豪の娘。女専で当時ではまれな高い教育を受けた女性ですが、夫婦仲は険悪で、明燁は情婦の妓生(読みがなは「キーサン」)のところに入り浸っています。
 明燁が家に帰ると、「あなたの子どもよ」という赤子を負ぶった女が来ていて、300円を要求しますが、200円をやるということでケリをつけます。字が書けない女は拇印を捺します。

 ・・・このあたり、明がいかにもグータラでダメな男のようですが、読み進むと、そんな世を拗ねた生き方が彼のとり得る最もマシな選択なのかも、とも思えてきます。

 父親はいまだに頭に髷(まげ)を残したままの旧時代の人間で、時代の変化を全然理解していません。
 色服の奨励をはじめた総督府の悪口ばかりいっているとも・・・。
 彼の屋敷は桂洞町(現・桂洞←安国駅の北の方)にあり、「一つの大門と五つの中門」をくぐって入るような大邸宅で、使用人も大勢いるようです。
 そんな大富豪なので、長男・明燁も京城大学(略して城大)を出てもこれといった仕事にも就かずノンベンダラリと暮らせるのです。
 父は父で、明燁の3歳年下という「妓生あがり」の妾・蘭紅を同居させているのですから、明燁のことを厳しく叱れたものではありません。

 この明燁が、日本から戻った明哲、そしてその後1人で帰ってきた明洙と父親とのパイプ役になります。
 彼は、聯隊に明哲を訪ねます。その場面の抜粋です。ちょっと長いです。

 明哲は、兄の押しつけてくるような朝鮮語に、すこし当惑した顔をして、
 「兄さん、すみませんが一つ、内地語で話してくれませんか。」
と言った。
 明燁は、不思議な顔をして、
 「お前は、朝鮮語がわからないのか。」
 「ですが、ここは聯隊の中ですから。──」
 「聯隊のなかでは、朝鮮語を話してはいかんのか。」
 明哲は、兄の顔をちょっとみて、黙った。
 「お前の方で、朝鮮語を話すのが礼儀だと俺は思うんだが。──それに、俺はどうも、日本語はうまく話せんよ。」
 「・・・・・・・・」
 「しかし、お前ももう、朝鮮語はわからなくなってきたろうから、誰か通訳するものでも、そういって来ようじゃないか。」
 扉口の方をかえり見た。明哲はうつむきながら、「僕が朝鮮語で話しましょう。」と言った。
 「お前も朝鮮語を忘れるようになったのでは、そろそろ一人前にちかいよ。その上、内地人の妻君でも貰えば、もう立派なもんだ。」
 明哲はいく分反抗的に、そうしようと考えています、と言った。
 「そうしたがいい、そうしたがいい。」
 明燁は笑いながら、
 「そうしたら、今度は、名前もついでにかえるのだな。部下を指揮するのにも、その方が張合があるだろう。南明哲が指揮をするのでは、指揮される方が、かえってまごつくというもんだ。」


 ・・・朝鮮語や内鮮結婚に対するこの明燁の「言いぐさ」はいったいなんなのでしょうか? こうした皮肉まじりの「言いたい放題」を書くのは、作家としてどういう考え、どういう気持ちだったのか?

 明燁は明哲を家に連れて行って父に会わせますが、明哲は出て行けと一喝され、明燁は父から、伯父がこの件を親族会議にかけるという1ヵ月の間にやめさせろと命じられます。

 明燁は、明哲に自宅からの通勤を勧めます。その理由がまたふるっています。

 「やってみたらどうだ。こういう朝鮮家屋の中から、カーキ色の軍服がりゅうと出てくるのも、ちょっと異色のあるもんだぜ。」  
 明燁はにやりとした。
 「兄さんは、僕をからかっているのですか。」
 いや、真面目だよ。ただ、これは俺の調子だな。-そこでお前がりゅうと出てくれば、附近に立っていた朦朧曖昧のもの共が、まずびっくりするにちがいない。お前はそれに一瞥をもくれず、通りへ出てバスに乗り、車掌に内地語で切符を切ってもらう。背景はやがて、ゴミゴミした朝鮮街から、コマゴマした日本街になり、ビルディングのそびえている文化街へと目まぐるしく移動する。お前自身もいくらか呆然としているあいだに、聯隊へつくだろう。そこで、お前は自分の職責に目覚め、抜剣して、部下に号令をかける。」
 「夕方、勤務が終れば、今度はその反対ですね。」
 「そうだよ。この目覚ましい両極端へ、お前は毎日二回ずつ飛躍する光栄をもつことができるのだ。」
 明は真剣な顔をし、身ぶりを入れながら、
 「お前が起きて聯隊へ行くまでのあいだ、お前の内部において、相闘い豹変する人格の数は、おそらく十を下らないだろう。」


 ・・・この、「内部において、相闘い豹変する人格の数は、おそらく十を下らないだろう」というのは、もしかして作家自身のことかもしれません。

 一方、東京の明姫は男児を産み、保雅の父が結婚を認めたことを、明哲は明洙から知らされます。京城に返った明洙から明哲が聞いた話では、入籍に至った3つの原因は①保彦の帰国②保雅の社内でのうわさ。当初不審に思われたが、保雅のアパートを同僚たちが訪問して明姫への評価が変わった。「ちっとも変わらないよ」、ピアノが上手い、和服がよく似合う、内地語がうまい、きれい等々。
 ・・・このあたりも、文字にこそなっていないものの、批判の意がこめられています。

 帰郷した明洙は、明燁を本町(現・明洞)の喫茶店ルネッサンスに誘います。明燁は朝鮮服の少女の給仕にレモンティを注文します。そして明姫のことを打ち明けます。
 ところがおかしなことに、この喫茶店内で常連らしい小説家が自作を声をあげて朗読するのです。その内容は・・・。以下抜粋。

 それは、小説というよりも決闘状に近かった。あらゆる日本的なものへ対する断乎とした否定で、作中に現れる内地人はことごとくが悪者であり、その反対に半島人は、泥棒でさえが善人であった。・・・・(半島人の男と美人の日本人女性の恋愛は、彼女の自殺で終わる。) 
 作者はなお、この一作は激烈な思想性ゆえに、発表は許されないが、もとより自分は衆愚を相手とせず、これを理解するわずかの良友があれば、それだけで充分、こと足りると説明して結んだ。
 そして、小説家は着席した。


 ・・・いやー、これはなんだ!? 「この一作は激烈な思想性ゆえに、発表は許されないが、もとより自分は衆愚を相手とせず、これを理解するわずかの良友があれば、それだけで充分、こと足りる」という「小説」を、こんな形で小説に盛り込んでしまうとは!

 この「小説」を引き合いに、明洙は明姫のことを明に話します。
 しかしその後明燁は動かず、明洙もまた明哲のことで頑なになっている父に明姫の話を切り出せないまま時が過ぎます。

 軍人をやめない明哲のことで、伯父の家で親族会議が開かれます。会議は、明にいい案がなければ明哲は南家と絶縁ということに内定していました。
 そこで明は、明哲を結婚させることを提案。「一時も早く純朝鮮式な家庭のなかに生活させることです」と。
 (伯父)「それならば、嫁はなるべく学問のない女がよいのう。」  
 (明燁)「全然、無学な女でなければなりません。」

 伯父は、嫁の人選を(開明的な)明倫町の叔父に委ねます。伯父は「容貌だけは綺麗でなければならぬ」と笑いながらつけ加えます。

 明哲は、最初から断るつもりで明倫町の叔父が探した18歳になる娘の家を母と訪ねます。貧しい家の娘ですが・・・。以下はそのまま引用。
 明哲は娘が入ってきた刹那に、閃光のごとく、自分がいままで忘れていた一つのことを思い出した。それは、朝鮮の女の美しさに対する新しい発見であった。しかし、これだけの女が文盲であり無智であるということを、どうして想像することができ得よう。・・・ ・・・はっきりした結婚の確約を得ようとする娘の父に、明哲は「ただ、周囲の事情に強いられて、見合に来ただけなんです」と断ります。
 その帰途、電車内で男に声をかけられた明哲が次の停留所のパコタ公園前で下車すると、公園内でさらに二人の男が現れます。民族主義者たちで、「制裁だ」と言って明哲を殴る蹴る・・・。反撃に出た明哲が見ると、彼らのうち一人は娘の兄でした。
 明哲が見合いで相手を拒絶したことを父は当然と受けとめ、伯父にも謝らず、絶縁を言い渡されます。

 秋深くなって、サーカスが見たいから案内しろと父に言われた明に代わって、明洙が父と妾の蘭紅を連れて行った先は鍾路2丁目の映画館・朝鮮劇場。父はアメリカ映画よりも、戦線からのニュース映画に興味を示します。明洙は京城への空爆のおそれを語り、献金を勧めます。その後、明洙は父と共に本町の内地系の常設館へも案内します。明洙は、明哲もあの強い日本兵のように勇名を轟かし、南家の名誉を天下に馳せるでしょうと・・・。
 数日後、父の献金の記事が新聞に写真つきで掲載されます。ところが四五日後に伯父の献金の記事が。献金高は父より五十円多い。

 先の親族会議の数日前に盧橋溝事件が起こり、会議の場でも話題になっていました。
 そして中国での事態が広がる中、明哲が家にやってきて告げます。「動員令だよ。・・・明晩発つんだ。──」
 兄弟三人で送別会を開きます。妓生たちは長鼓の伴奏で古の歌謡を歌います。明哲は軍服のままです。
 翌日夜、京城駅からの軍用列車で明哲は出征します。見送る白衣の一団は南家の人々です。
 明が音頭をとって「南明哲君万歳」と声高々に三唱します。
 「皆の眼に涙が輝いた。」

 ・・・と、これがこの小説の最後の場面。
 結局、明哲と保子の間はペンディングのままです。また父は明姫の結婚と出産も知らないままです。

 総括。この「緑旗聯盟」で書かれていることは、
①日本人と韓国人の結婚や就職の際にみられる差別。
②日本語や日本風の名前の強制に対する疑問。
③そして、少しではありますが、朝鮮人による日本に対する抵抗。
④また、朝鮮人の旧態依然のようすに対する作家のはがゆさのようなものも感じられます。
⑤思想等と直接は関係なさそうですが、東京や京城の街の景物。特に飲食店関係。
⑥書かれなかったことで重要なことは、主人公の明哲がどういう意図で早稲田ではなく陸軍士官学校に入ったのか? ということ。彼が大日本帝国に忠誠を尽くすというような言葉や行為も全然書かれていません。

 日本のいわゆる「転向」についても、いろんな類型があったことが論じられています。今、非転向の宮本顕治の方が、転向した中野重治より上だなんてトンチンカンなことを言う人は少ないのではないでしょうか?
 ※転向論についての詳しい記事→コチラ
 共産主義者についても、表面だけ赤いリンゴ、中まで赤いトマト、中だけ赤いスイカといろいろあります。
 作者金聖がどこまで「親日」作家と言えるのか、この小説が「親日」小説として否定されるべきなのか、韓国の人たちには「もっときちんと読んでください」と言いたいです。そこに当時生きた韓国人作家の苦悩と苦心が込められている可能性は十分にあるのですから・・・。
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「親日派」小説、読まずに排斥すべからず!③ 金聖珉「緑旗聯盟」を読む(中)

2013-05-16 17:18:57 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 前の記事では、金聖珉「緑旗聯盟」について外ワク部分だけ紹介しました。
 今回は、この小説の核心部分をとりあげます。

 早稲田に行くと言って、実は陸軍士官学校に通っていたことが京城の父にばれ、仕送り停止のピンチに陥った主人公の朝鮮人青年南明哲(なんめいてつ)。弟明洙の助言を容れ、親友小松原保重の妹保子に手紙で求婚するも、拒絶の返信。
 保子も彼に好意はあるが、体面を重んずる父の反対を押し切ってまで結婚する気持ちはない、とのことでした。

 兄の明哲の力になろうと、妹明姫は銀座資生堂で保子と会います。すぐ上の兄明洙も一緒です。
 (以下、現代表記に直しました。)

 (明洙)「兄はよく、士官学校の中においての南明哲の存在価値と、一般社会においてのそれとを、混同することがあるのです。」  
 (保子)「わたしは、南さんがそれを混同なさっても、少しもいけないことはないのだと思いますわ。」
 (明洙)「いけないことは、もちろんないでしょう。要は、世間がそれを通してくれるかくれないかにあるのです。」


 ・・・士官学校内では南明哲の能力・人物は高く評価されても、一般社会での朝鮮人の偏見が歴然としてある、というのが明洙の言葉の意味するところでしょう。
 それに対し、保子は、自分が一般社会でも認められると明哲が思っても決して間違ってはいない、と彼を擁護しています。
 このように「もってまわった表現」をしているのは、朝鮮人差別のことを具体的に書くのは差し障りがあるからでしょうね、きっと。

 この後、物語はあれよあれよの急転回&急展開。
 翌々日、明姫は保子に会おうと電話するが、受話器を取ったのは保雅(保子&保重の兄)。明姫が小松原宅を訪れると保子は帰宅してなくて、保雅と応接室、そして保子の部屋で歓談したりピアノを弾いたり・・・。ところが帰り際に手を握られ、さらに・・・。
 「今日の思いがけない仕打ちに対しても、屈辱を感ずるより愛情を感じた。けれども・・・情けないほどに、自分の軽率な情熱が悔いられてくるのである。」
 ・・・アカラサマな描写はありませんが、つまり、保雅がけしからんことに<不始末>を仕出かしてしまうんですよ。(<不始末>は、今は死語? ベンリな言葉だなー。(笑))

 その1週間近く後、明姫は保雅から情熱のこもった求婚の手紙を受け取ります。明姫はきらいではないと答えつつも、環境の相違等を理由に結婚は拒絶します。次に来た保雅の手紙は開封せず返送してしまいます。
 保雅は、父に傲然と眉をあげて「僕は、とにかく明姫と結婚しようと考えています。」と宣言します。その場面を保子は偶然見てしまいます。
 (父)「朝鮮総督府の柴田さんが、いつかわしに、内鮮結婚をすすめてくれたことがあったが、もし、いまのわしの立場に、自分が立たされたらどんなもんだろう。」

 そしてなんと、その1度のアヤマチで明姫は妊娠してしまいます。それを察した明洙は、相手が保雅であることを妹に確認し、保雅を新宿の高野に呼んで明姫と一緒に会い、妊娠の事実を打ち明けます。帰宅した保雅は父と口論の末家を出て明姫の家へ転がり込みます。2人は明洙の勧めで箱根温泉に旅立ちます。
 旅行から戻った2人は、明洙が探しておいたアパートで新生活を始めます。しかし父の手が回っていて保雅は就職できない状態。明姫も苦心の職探しの末、やっと銀座の洋品店から面接の通知が・・・。
 ここからが今回の記事のキモです。

 その洋品店の「見るからに物柔らかそうな」マダムが、いろいろ話を聞いた後で言うことには・・・、
 (マダム)「もし、わたくしの店で働いていただくのでしたら、お名前をかえてみてはいかがでしょう。」  
 (明姫)「どういふ風にでございましょうか。──」
 (マダム)「たとえば、みなみさんと、呼ぶやうにいたしましても、──」
 明姫のすこし当惑している顔に、マダムは気づかいながら笑って、
 (マダム)「これはただ、ちょっとわたくしの意見を申しあげただけですのよ。お客様のあいだでお名前を呼ぶときでも、南(なん)さんというよりは、みなみさんと呼んだ方が親しみがあるでしょうから。」
 (明姫)「そうですわね。──では何分よろしく。」


 ・・・と、姫は受け容れますが、しかし「それは、よろこばしいことにちがいはなかったけれども、何故か、明姫は気が晴れなかった」のです。

 帰る途中でも、明姫はマダムの言葉が気に懸っています。物語の最初の方で、明姫は日本語で手紙を書く時には「明姫」でなく「明子」と書いて「気取ってみせる」のが「いつものくせ」なのですが・・・。
 以下、長文をそのまま引用します。

 明姫は自分の姓名をかえるということについては、みずから進んで日常自分がしているように、一つの便宜のためであろうて考えていた。もし、それがそうでないとするならば、──何であろう。  
 名状し難い混乱のなかにたたずんで、明姫は自分の立場の空虚さをはじめて知った。幾通りもの履歴書を送っても、送り返されてきた理由が、いま初めて首肯されるのである。それでは、あのマダムのやさしい微笑には皮肉の色が、親切な眼の色には、冷たさが含まれていたのであろうか。真心こめて、自分が慕っている東京! 母親のような愛情をもっていたわられていると信じていた東京! それらのものと自分とのあいだに相隔たっているすべてのものを明姫はにわかに了解した。それらの愛情のなかにある庇護には、やはりまた同じく軽蔑があったのであろう。──
 明姫は蒼ざめたまま、数寄屋橋を渡り、日比谷公園へ入っていった。池の畔のベンチに手をついて、ぼんやりと、いつまでも物思いに沈んでいた。


 ・・・この部分、正面切って「創氏改名」を批判した文言ではありませんが、日本風の姓名への変更に対する、相当に強い批判と言えるのではないでしょうか?
 私ヌルボが当時の特高だったら、「もし、それがそう(便宜のため)でないとするならば、──何であろう」の「何であろう」とはいったい何のつもりなんだ!? ・・・と厳しく追及したかもしれません。
 前の記事で書いたタイトルの「緑旗聯盟」、主人公を陸軍士官学校の生徒に設定していること等はいかにも「親日」小説ですが、このあたりを読むと単純にレッテルを貼って終わりとするのは早計に過ぎるというものです。

 さてこのように、明哲と保子の関係が停滞している間に、明姫と保雅はあれよあれよの出来ちゃった事実婚にまで進んでしまいました。。
 そうこうする間に、明哲は陸士を卒業して京城の聯隊へと発ちます。

 ここまでが本作品の前半「玄海を越ゆ」です。
 しかし、難題を抱えた南家と小松原家はこの後彼らにどう対応するのかな? ・・・という所で、後半の「亞細亞の民」へ。そして舞台は京城に変わります。
 後半にも、「親日」小説としてオドロキの場面があります。
 続きはやっと完結編。

 続きは→コチラ
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「親日派」小説、読まずに排斥すべからず!② 金聖珉「緑旗聯盟」を読む(上)

2013-05-12 23:44:38 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 5月6日の記事<日本植民地文学精選集>(ゆまに書房)の紹介をしました。

 その中の[朝鮮編]10・金聖珉「緑旗聯盟」を読んでみました。意外とおもしろく、ためになったので、自分自身の備忘録もかねて内容紹介+関連で調べたこと+感想等を記事にします。

          
  【先の記事でも書いたように、この本は約400ページで1万6千円。今まで読んだ高価な小説の第1位です。】

 奥付によると、1940(昭和15)年6月20日、東京の羽田書店発行です。
 作者の金聖珉(김성민.キム・ソンミン)は、韓国文学史上さほど特筆されるほどの作家ではないようで、「韓国近現代文学事典」に彼の名はありません。しかし韓国ウィキには彼の経歴等がかなり詳しく記されています。その概略は次の通りです。

 金聖珉(1915年5月15日〜69年11月9日)日本名:宮原聡一は 植民地時代の小説家であり、脚本家兼映画監督。  
 平壌高等普通学校を卒業した後しばらくの間映画制作に従事した後、寧辺郡の満浦線の乗務員として勤務。 1936年8月に日本の"サンデー毎日"が主催した懸賞金1000万ウォンの大衆文芸小説に日本語の小説「半島の芸術家たち(반도의 예술가들)」に当選して作家としてデビューした。
 この「半島の芸術家たち」は、1941年李炳逸(イ・ビョンイル)監督により「半島の春」のタイトルで映画化された。
 以後、終戦まで彼は「緑旗聯盟」の他、「天上物語」「恵蓮物語」等<内鮮一体>を宣伝する内容の小説を発表。このため、民族問題研究所の「親日人名辞典収録者名簿」の文化/芸術部門に彼の名が含まれている。
 光復後の1948年には、映画「愛の教室」の監督と製作・脚本を担当。その後も「運命の手」(ハン•ヒョンモ監督.1954年)等々のシナリオを担当し、また1950年代韓国の代表的な映画監督として指折り数えられる等、1969年11月9日台湾で脳溢血で死亡かるまで、映画界で活躍した。


 そうか、映画「半島の春」の原作者だったのか! (映画の方がよく知られているかも・・・。)
 この映画については、→関連記事①、→関連記事②、→関連記事③等に説明がありました。つまり、この「半島の春」は、2004年発見の「家なき天使」「志願兵」に続いて翌年中国電影資料館の倉庫から「朝鮮海峡」とともに発見された日本統治時代に作られた劇映画で、「朝鮮映画史の空白を埋める貴重な映像資料」として報道されたということです。
 ※YouTubeにこの映画の一部がupされています。→コチラ

 さて、この「緑旗聯盟」、扉に「横光利一師にささぐ」という献辞が掲げられています。
 金聖と横光との関係はよくわかりません。(もしかしたら、上記懸賞小説の選者?)

 内容&感想・考察の前に、この書名<緑旗聯盟>について。(私ヌルボ、この聯盟については知りませんでした。)
 本書巻頭の<作者のことば>に、下記のような作家自身の説明があります。

 「緑旗聯盟」とは現下の朝鮮に於ける内鮮一体化運動の標語であります。現に京城に於ける「緑旗聯盟」本部では半島人の皇民化運動に盡すところ多く、作者もそれに多大の共感を覚えましたので、同じ思想のもとに描かれた自分の小説にも、右の題名を冠した次第です。  
 「尚「緑旗」の象徴とするところは、朝鮮の赭山に、総督政治によつて緑なす若木が植えられた。つまり日本文化と日本精神が半島の大地に根をおろしたのです。この樹々の緑に因んで緑旗聯盟の命名がなされたのだと思ひます。

 ※『岩波講座 近代日本と植民地6 抵抗と屈従』に、高崎宗司「朝鮮の親日派-緑旗連盟で活動した朝鮮人たち-」という論考がありますが、未読。
 また、ネット上では、この聯盟について詳述されている山本博昭「緑旗連盟と戦時下「国語」普及・常用運動」(佛教大学大学院紀要)という論文をリンク先で読むことができます。

 ・・・というところで、ようやく小説の内容。
 主人公の青年南明哲(なん・めいてつ.ナム・ヨンチョル)は京城市の桂洞町(現・桂洞)の屋敷に住む資産家の次男坊。当時座間にあった陸軍士官学校の最終学年。父には早稲田に行くと嘘をついて陸士に内緒で入っているのです。
 学友の小松原保重と親しいが、彼は実業家の三男。
 南明哲も小松原保重も、上3人が男で末っ子が女という4兄妹、と必然的に恋愛物語が生まれる都合のいい設定(!)になっています。
 小説は、陸士に通っていることが父親にばれ、落胆し激怒する父から「仕送りを止めるぞ」と明哲が脅されてピンチ!というあたりから始まります。
 ここで小才の利く弟明洙が登場。やはり日本留学中で、妹明姫と同居してともに音楽を学んでいます。彼は兄の明哲に「結婚して朝鮮に帰れば問題は解決」入れ知恵します。相手はもちろん以前から憎からず思っていた保重の妹保子。(どっちの兄妹も名前が実にわかりやすい!)
 よし、とばかりに手紙で保子に手紙で求婚します。しかし保子は、体面を重んずる父の反対を押し切ってまで結婚する気持ちはなく、また誰とも結婚したくないとも・・・。そして「まだ友情のままの期間をつづけましょう」と返書。

 ・・・この間、そしてその後、保子は保雅(次男?)に相談したり、明哲の側では明姫&明洙が保子と会ったり・・・と周辺の人物たちがせわしなく立ち回ります。
 ここでヌルボが物語の展開と直接は関係ない点で気づいたのは、彼らの会う場所が主に銀座の有名店ということ。保雅と保子兄妹は市ヶ谷から車を拾って尾張町で降り、エスキモーで昼食をとり、帝劇2階でアメリカ映画「地の果てを行く」を観たりしてます。
 事態がさらに展開してからですが、明哲が保重の誘いで行ったのも銀座で、2人は梅林に入ってカツを食べ、そして資生堂へ。そこに2丁目の富士アイスの前の公衆電話から保重がこっそり呼び出した保子が現れます。
 あ、もっと後の方では明姫が保雅に電話して、その時は新宿の高野で待ち合わせしてます。
 さらに後、明哲が卒業して東京駅から京城に向かう日は、明洙と2人で銀座7丁目の松喜に行くと、2階の座敷には保重が来ています。
 当時の銀座のようすに疎い私ヌルボ、ちょいとネット検索してしまいました。すると主要店舗も入った地図つきの記事がバッチリ見つかりました。(→コチラ。)

 しかし、本筋はずいぶん深刻な話なのに、このノーテンキな有名飲食店めぐりはなんなんだ!?
 ・・・と思いましたが、考えてみればどちらの兄妹たちも資産家のドラ息子&ドラ娘で、また当時の街では今のようにコーヒーのチェーン店が林立しているわけでもなく、外に出てじっくり話をするとなるとこのような店に落ち着くのは自然な流れなのかもしれません。

 ・・・というところで本筋に戻ってその後の展開をたどると、果たしてこれが今の韓国人の視点から見ても全否定されるような「親日」小説なのかどうか、という記述もあったりして・・・。

 アラ、もう2500字を超えてしまいました。以下は続きで、ということにします。

 続きは→コチラ
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「親日派」小説、読まずに排斥すべからず!① 「日本植民地文学精選集」に注目

2013-05-06 23:48:05 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 わりと最近知ったのですが、ゆまに書房という出版社から「日本植民地文学精選集」というすごい全集が出ています。
 2000年9月刊行の第1期分が全20巻で定価262,500円、2001年9月刊行の第2期分が全27巻で定価340,200円です。
 「満洲・朝鮮・台湾・南洋群島・樺太―植民地とその周辺の文学の基礎文献を集成」したというもので、計47冊の内訳は、満洲編=12巻、朝鮮編=13巻、台湾編=14巻、・南洋群島編=4巻・樺太編=4巻 となっています。

 その収録作品は、第1期分は→コチラ、第2期分は→コチラのリストを参照のこと。

 「すごい全集」と書いたのは、1冊平均約1万3千円というそのお値段! 中には約1万9千円というのもあります。(汗笑)
 そしてもうひとつは、読んでみたくなる収録作品の数々!
 ゆまに書房の宣伝文によると、
 日本「内地」中心の文学史から抜け落ちた植民地の文学、待望の復刻。歴史的価値が高く、研究者から復刻を強く望まれていた作品を厳選。日本人以外の作家によって書かれた日本語文学作品も多数収録。図書館などにもほとんど所蔵されていない、閲覧困難な幻の稀覯本です。・・・ということです。

 私ヌルボ、リストに目を通してみると、たとえば・・・
・[台湾編13]に『船中の殺人』(1943年)・『龍山寺の曹老人』(1945年)という林熊生(りん・ゆうせい)こと、実は人類学者の碩学金関丈夫の探偵小説がある! これはおもしろそう。
・佐藤春夫が『霧社』(1936年)という作品を書いてたのか。([台湾編6])
 この他にも、台湾編には興味をそそられる作品がとくに多いです。
・[満洲編8]には、日本名で日本語の小説を書いた在満朝鮮人作家の今村栄治の作品を収録、って、この作家は知りませんでしたが興味を覚えます。ちょっと検索してみたら「「臣民」と「不逞鮮人」:今村栄治「同行者」に見る民族・移民・帝国」と題した論文がありましたが・・・。
 「翌朝までにコプラを十トン集めなければ、島の若者五人が貿易船に徴用される―。酋長の苦悩を描く」なんて、そんな事実があったのか、・・・というのは[南洋群島編4]の大久保康雄『孤独の海』(1948年)。あの『風と共に去りぬ』の翻訳家がこういう本も書いていたんですね。
 「おもしろそう」というより、なるほど、資料として貴重な作品をそろえています。 

 ・・・で、本ブログの主旨に沿って[朝鮮編]の中身を見てみると・・・、
 湯浅克衛・田中英光・李光洙・張赫宙・兪鎭午等のヌルボ既読の作家と、鄭人沢のような名前だけ知っている作家を合わせたよりも、名前も知らなかった作家がはるかに多い・・・。まあしかたないでしょ。日本でも忘れ去られ、韓国でも日本語で書いた「親日」作家とその作品に関心を示すのは、日韓ともにごく一握りの研究者(orヌルボのようなオタク)くらいのものでしょうから。

 さて、その[朝鮮編]13巻の中で私ヌルボがさっそく読んでみようと思ったのは次の2冊。

 [朝鮮編2]青木洪『耕す人々の群』(1941年)
 父の過ちによって没落し、言語を絶する困苦の放浪生活を送る農民一家。朝鮮半島の土の香りを、生々しい現実感とたくましい生活感をもって描き上げた自伝長篇小説。
 ・・・ということですが、著者の紹介に心ひかれました。
 本名・洪鐘羽(1908~?)。朝鮮黄海道黄州に農家の長男として生れる。十歳で父を失い、小学校を二年で中退、極貧の農民生活を送る。その後間島に移住し、子守、商店の小僧、領事館の給仕などの職を転々とする。やがて渡日し、左官業の傍ら、文学修業を行う。自己の体験に根ざしたリアリズムの作風で、自伝的長篇『耕す人々の群』(農民文学懇話会有馬賞)のほか、『ミインメヌリ』などの作品がある。

 そしてもう1冊は[朝鮮編10] 金聖『緑旗聯盟』(1940年) 
 東京と京城を舞台に、日本人と朝鮮人の二組の兄妹の恋愛模様を描く青春風俗小説。その清新なストーリーの一方で、朝鮮社会における反日感情についても透徹した目で見据えた傑作。
 ・・・この青春風俗小説という内容自体がなんとなくおもしろそうではないですか。
 幸いなことに、高価なこの全集を横浜市立図書館はヌルボのため(であるかのように)そろえてくれていました。ラッキー!! さっそく『緑旗聯盟』を借りて読んでみました。
 そして2日間でイッキ読み。いやー、これは正解だったですねー。1937年当時の「内地人」と「半島人」の生活や物の考え方、あるいは両者間のもろもろについていろいろ知識を得ました。そして東京(とくに銀座)や京城の街のようす等についても。
 この小説については、少し後に記事にします。

         
   【約400ページで1万6千円。ということは、1ページが40円、1行が3円か。うーむ・・・。】

 続きは→コチラ
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ハン・ビヤさん、旅立ちに際して「ピナイダ、ピナイダ」と祈る

2013-04-29 23:51:34 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 1つ前の記事で、「風の娘、わが地に立つ」という本を紹介しました。
 韓国の著名な「奥地旅行家」のハン・ビヤさんが世界旅行を終えた後の1999年3~4月韓国縦断徒歩旅行をした際の旅行記です。

 3月3日に全羅南道のタンクッ村(マウル)をスタートするのですが、旅行記のその日の記事はいきなり次のような文章(?)で始まっています。

 비나이다 비나이다  
 꺼질세라 바위틈에
 향불을 피워놓고
 ・・・・


 このような、短い詩句のようなものが、全8連で計53行連なっているのです。

 ところが、1行目の비나이다 비나이다(ピナイダ ピナイダ)からして意味わからず。
 第2連に천지신명님 전에 비나이다(天地神明様の 御前に ピナイダ)とか바다신께 비나이다(海の神に ピナイダ)とあるので、ピナイダが「お祈りします」の意味ということは見当がつくし、つまりはこれからの旅の無事を神々に祈る言葉なのだなとはわかるのですが・・・。
 とは思うものの、辞書でいろいろ引いてみても見つからず。結局ハングルサークルの先生に教わりました。
 すると「~나이다」というのは文語体の上称の平叙形終結語尾ということで、비나이다は빌다(祈る)+나이다。あたらめて「朝鮮語辞典」を見てみたら、ちゃんとありました。말씀 올리나이다(申し上げます)という用例付き。プライム韓日辞典にはもっと詳しく説明が書かれていました。
 うーむ、いかんなー。一応上級のハシクレなのに初めて知ったとはハズカシイ。文字通りハシクレです。しかしこの表現が載ってるテキスト、あるのかな?

 さて、この53行の告祀(고사.コサ)=神への祈願の儀式の文言ですが、あらかじめハン・ビヤさんが用意してきたというもので、音読するとなかなかリズムがあっておもしろい上、内容的にも興味深いので、この記事の末尾に訳文付きで全部載せておきます。(彼女が「リッパ」と見られる理由も垣間見られます。)

 この告祀文に続けて、状況説明が記されています。海岸に下りた彼女は風を受けない岩の陰でローソクを立てて火を点け、香を焚いて海に向かい3回、陸に向かい3回拝礼、次に東西南北にも各々3回拝礼。恭しく四方に酒を供え、用意してきた上記の「비나리(ピナリ)」を読んだとのことです。
 彼女はカトリック(天主教)の信者ですが、「郷に入れば郷に従え」で、この韓国で昔からやってきた風習なので、前からこの儀式をやることに決めていたとか。山人が高い山に登る時や漁師が遠くに船出する時には山祭(산제)海祭(바닷제)を執り行うように、私は昔から旅人が遠い旅に出る際に祠や辻でやってきたように、自分なりの「道祭(길제)」をやるのだ、というわけです。

 さて、告祀といえば思い浮かぶのがブタの頭。韓国映画やドラマによくその場面が出てくるのでご存知の方も多いと思います。祈願する人がその前で拝む時に、万ウォン札をブタの口に挟むんですね。(ハン・ビヤさんはそこまではしなかった。)

 「ピナイダ」とか」「告祀」で検索すると、いろいろヒットしました。
 今の韓国社会でよくやるのはTV番組等のヒット祈願です。
 たとえば、→コチラの記事は「私の娘ソヨン」の告祀のようすを紹介しつつ告祀を説明。
 また→コチラはドラマ「学校2013」の告祀現場の動画です。

 <UTRAVEL>の記事(→コチラ)では、告祀の作法を写真入りで説明しています。
 
 そして→コチラは豊漁祈願の告祀。(済州島の霊登歓迎祭)の動画。

 新しく開店した店の開業式でもやったりしているのは、以前ドラマで見ました。
 しかし、プロ野球でもやっていたとは今回検索してみるまで知りませんでした。それも球場で、ですよ。
 →コチラは今年3月釜山の社稷(サジク)野球場で催されたロッテ・ジャイアンツの優勝祈願の動画。「비나이다~ V3!」と表題がつけられています。

 ブタの頭を最初に見た時にはずいぶんとグロテスクだなと思いましたが、何度も見ていると全然抵抗感がなくなってしまうものですね。

 ハン・ビヤさんの本に戻ります。
 告祀を終えて、海岸からタンクッ塔の所まで上った彼女。右手の方を臨み見ると、海に突き出た岬の形が翼の形に見えたとか。海に入ろうとするカメの姿にも見えるとも・・・。で、ハン・ビヤさん、神様が告祀に応えてくれた!と受けとめて喜んでいます。
 その挿絵が下の画像。
 Google Earthで机上の旅をしてみると、ほぼこの場所&アングルだなというポイントが見つかったので並べておきます。

       
         【右上が北の方角。Google Earthの画像右下がタンクッの集落。】

 私ヌルボ、この旅行記はまだやっと全羅北道に入ったあたりを読んでいるので、いずれもっと読み進んだ時点でおもしろそうなネタがあったら記事にします。

[ハン・ビヤさんの告祀文] 
비나이다 비나이다.(お祈りします お祈りします。)
꺼질세라 바위틈에(消えないように 岩の間に)
향불을 피워놓고(お香を 焚いて)
꺼질세라 바위틈에(消えないように 岩の間に)
촛불을 밝혀놓고(ロウソクを 灯して)
동서남북 사방에다(東西南北 四方に)
각각 삼배 정히 하고(各々参拝 たしかに行い)

천지신명님 전에 비나이다.(天地神明の 御前に お祈りします。)
일월성신님 전에 비나이다.(日月星辰の 御前に お祈りします。)
바다신께 비나이다.(海の神に お祈りします。)
땅신께 비나이다.(地の神に お祈りします。)
산신께 비나이다.(山の神に お祈りします。)
강신께 비나이다.(川の神に お祈りします。)

이제부터 지나가는(今から 通って行く)
고을고을 터줏대감,(郡郡の 土地の主様、)
마을신께 비나이다.(村の神に お祈りします。)
모두에게 비나이다.(皆に お祈りします。)
간절하게 비나이다.(切に お祈りします。)

58년 무술녕 생(58年 戊戌の年 生まれ)
청주 한씨 집안의 딸(清州韓氏の 家の娘)
한남희, 홍복란의 세째 딸이(ハン・ナミ、ホン・ボンナンの3番目の娘が)
6년간 세계일주(6年間 世界一周)
무사히 끝마치고(無事に 終わって)
마지막 마무리고(最後の 仕上げに)
우리땅을 제 두 발로(わが地を わが両足で)
땅 끝에서 땅 끝까지(地の果てから 地の果てまで)
걸어가려 하옵나니(歩いて行こうと しております)

부디 예뻐 봐주시어(どうぞかわいく 見守り下さり)
기특하다 봐주시어(奇特であると 見守り下さり)
가는 길을 흔쾌하게(行く道を 気持ちよく)
허락하여주시기를(許されることを)
비나이다 비나이다.(お祈りします お祈りします。)
정성 다해 비나이다.(心を込めて お祈りします。)

마음병도 나지 않고(心の病も 罹らずに)
가지각색 인연 만나(種々様々な 縁を結び)
가지각색 일을 겪어(種々様々なことにふれ)
보고 듣고 배우면서(見て聞いて 学びつつ)
그렇게 느낀 것을(そうして感じた 物事を)
마음속에 고이 담아(心にきちんと 取り込んで)

알릴 것은 잘 알리고(知らせることは よく知らせ)
실천할 건 살천하여(実践することは 実践し)
저에게도 득이 되고(自分にも 得になり)
남에게도 득이 되고(他人にとっても 得になり)
세상에도 득이 되게(世間にも 得になるように)
굽어 살펴주옵소서.(ご照覧 あらんことを。)

비나이다 비나이다. (お祈りします お祈りします。)
이 땅의 모든 신께(この地のすべての神に)
위에서 아뢴 갓을(上で申し上げたことを)
간절하게 비나이다. (お祈りします お祈りします。)
정성 다해 비나이다. (お祈りします お祈りします。)
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<風の娘>ハン・ビヤさんの韓国縦断徒歩旅行(1999年)のスタート地点はタンクッ(地の果て)村

2013-04-28 23:53:35 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 日本での知名度は高くありませんが、韓国では女性旅行家ハン・ビヤさんはよく知られています。それも多くの人の尊敬の対象です。
 1958年生まれの彼女は、子どもの頃からの夢だった世界一周を実現すべく、3年の間せっせと貯めたお金2500万ウォンを資金とし、仕事も棄てて1993年7月出発しました。
 出かけるに際して彼女が自ら課した原則は、①飛行機に乗らない。②1つの国に1ヵ月以上滞在する。③奥地の村を中心に廻り、現地の人とまったく同様に食べて寝て生活する、でした。
 結局98年6月まで約5年間、その原則にしたがい、30㎏の荷物を持って世界65ヵ国を徒歩で旅行しました。(この重量その他について疑問を呈する人もいないではないですが・・・。)
 その旅行記「風の娘、歩いて地球3周半(바람의 딸, 걸어서 지구 세 바퀴 반)」(1996〜98)が評判をよび、メディアにも登場するようになりました。
 そして韓国YWCA選定若いリーダー賞受賞(2004年)、「大学生が最も尊敬する人物」で1位となる(2009年)等々、現在の韓国の若者が最も尊敬する人物の1人に数えられています。
 ヌルボが韓国の人相手にハン・ビヤの名前を出したら、「リッパな方です」という言葉が返ってきた、ということは2例ありました。

 その彼女が、世界一周を終えた後の1999年3月2日~4月26日の56日間、韓国をやはり徒歩で縦断しました。
 その時の旅行記が「風の娘、わが地に立つ(바람의 딸, 우리 땅에 서다)」(1999年)です。

            
     【ハン・ビヤさんももう50代半ば。「風の娘」の愛称は気恥ずかしいのでは?】

 本書によると、世界一周の最後の頃チベットで会ったアメリカ人旅行者から聞いた話が国内旅行を思い立ったきっかけとのこと。彼は、自分の親戚が韓国のイムシルという所で働いていたと言ったのに、ハン・ビヤさんはそれがどこだかよくわからず、「灯台下暗し」だったと悟って、韓国縦断で世界旅行をしめくくろうと決意したというわけです。

 この本は最初1999年に刊行されましたが、私ヌルボが昨年12月にソウルで買ったのは2006年に改訂された版です。2007年頃買って読み始めたものの、5分の1ほど読んだあたりで本が行方不明になったのでしかたなく買い直しました。とほほ。

 さて、その縦断ルートは、韓国の南西端から北東端までをほぼ直線で結んだものです。

 本書の巻末に、56日間の毎日の行程や歩いた距離、宿泊場所等の記録が付いています。そこに全行程を示す図と、それを4つに分けて詳しく経由地を書き込んだ地図も載せられています。(下図)

            
     【韓国の単位では全長約2000里。※韓国の1里は日本の1里の10分の1です。】

 およそ800km。56日間だと1日平均14 km強とは、1日30~40kmは歩いた江戸時代の旅人と比べるとずいぶんスローペースだな、との感もありますが、読んでみると途中で山に登ったり、TVに出たりもしているので、必ずしものんびり旅行というわけでもなさそうです。

 彼女がこの徒歩旅行の起点としたのが、その名もタンクッ(땅끝)という所。タン(땅)は地クッ(끝)は果て。文字通り<地の果て>という地名。島は除いて、朝鮮半島の最南端の地です。

    
   【下の方の➊の場所がタンクッ。(コネストの地図は日本語なので便利です。) 】

 全羅南道海南郡松旨面松湖里のタンクッ村(해남군 송지면 송호리. 땅끝마을)です。
 私ヌルボ、何年か前にある在日の方と知り合い、故郷をお尋ねしたら「タンクッです」とのこと。その時初めて、漢字語ではないその地名を初めて知りました。
 韓国縦断の出発点にぴったりの所ですね。

 そしてゴール地点が日本海側の北端、つまり北朝鮮との軍事分界線の手前にある高城(コソン)統一展望台。これまたぴったんこ。

 ハン・ビヤさんも書いていますが、韓国という国の大きさは徒歩で縦断するにはちょうどよい路程で、山も適度な高さです。

 ・・・ということでハン・ビヤさん、1999年3月2日にソウルからバスで光州を経て8時間かかってタンクッに到着。その日の晩は当地のモーテルに泊まって翌3日にいよいよ歩き始めます、というか、いやその前にちょっとした「儀式」があったのですが、それは続きで・・・。
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漫画家カンプルの初の絵本も、作家申京淑の新刊短編集も、ネコがいっぱい!

2013-04-21 23:54:15 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 先週の日曜(14日)の夜遅く、久しぶりに教保文庫の通販で本を10冊注文したら水曜に届きました。毎度のことながら、便利な世の中になったものです。

 その10冊中、お目当てその1の本は、当ブログでは頻出のネット漫画家カンプルが今年1月に初めて出した絵本「アンニョン、チングよ(안녕,친구야)」です。今年生まれた女の子のために絵本を描いたのだそうです。

    
       【「2013DIARY」がオマケでついているとは知りませんでした。ラッキー!】

 「アンニョン、チングよ」は、ふつうに訳すと「こんにちは、友よ」ですが、読んでみたらそうじゃなかったです。
 雪の降る夜に目が覚めた男の子(女の子に見えないでもない)、敷居につまづいて泣いていたら、窓の外から話しかけてきたのはにゃんと子ネコでした。迷子の子ネコのために、子どもはこっそり窓から外に抜け出し、路地に出て親ネコのいる所を一緒に探しに行きます。そして・・・、この後の展開は、「統一日報」のよしはらいくこさんの連載記事<原書で読む 韓国の本>で詳しく紹介されているので、ソチラを参照されたし。

 で、最後の方で子どもと子ネコが別れる場面が下のページ。

        
   【この絵柄、絵本というより、いつものカンプルの漫画をちょっとていねいに描いたかな、という感じです。】

 2人、いや1人と1匹が「アンニョン」と言って手を振ってます。つまり、「こんにちは」ではなくて「さよなら」だったのですね。「アンニョンを訳す時には要注意」です。(あ、五七五になってるゾ!)

 それから、「チング(ともだち)」が人間でなく子ネコだっということも、本を注文した時点では知りませんでした。

 さて、お目当ての本その2は、これも当ブログでしばしば記事にしてきた現在韓国で最も読まれている作家申京淑(シン・ギョンスク)の新刊です。(感動作「母をお願い」(集英社文庫)、読んでくださいねっ!)
 3月に出たばかりのその本は「月に聞かせてあげたい物語(달에게 들려주고 싶은 이야기)」と題した短編集です。

          
   【帯には「月の光のように染み入り あなたをきらめかせてくれる物語!」とあります。】

 5~8ページくらいの短編が26編収められています。(掌編と言った方がいいかも・・・。)
 コチラは絵本とは違って10分で読了とはいかず、今日スタートして3つ読み終えたところ。

 それよりも何よりも、この本の表紙を見てすぐに気づいたのが上述のカンプルの絵本との共通点。
 そーですよ、そーですがな!
 <ネコ>ですよ!!

 アラ、と思ってページをめくると、挿絵にもネコがここかしこに描かれているではないですか。

   
         【1ページまるごとネコたちが描かれているページもあります。】

 お話の方はとくに全部がネコ関係というわけではありませんが、2つ目の「겨울나기(冬越し)」は庭に来るノラネコ(母ネコ&子ネコ×3)のために出してやったエサをカチの群れが横取りする話だし、他に「고양이 남자(ネコ男)」とそのものずばりの題のついた作品もあります。

 いやー、最近韓国ではホントにネコ人気がヒートアップしているしているようですね。
 昨年暮れにロッテモール金浦空港にある永豊文庫に行った時に、下の写真のような平台がありました。

       
          【よく見るとネコ以外の本もあることはあるのですが・・・。】

 動物関係の絵本ということですが、ほとんどはネコの本です。

 韓国では、少し前まではネコはちょっと気味が悪いと見られたりして、あまり好まれる動物ではなかったのですが、ここにきて大きく変わってきました。
 今や「カンプルも、シン・ギョンスクもネコまみれ」です。(あ、これも五七五になってるな!!)

 当ブログでも、昨年(2012年)1月11日に<ネコはコヤンイ。ではニャンコのことはニャンというのかニャ?>と題した、現代の社会の変化等も絡めた関係記事を書きました。
 大家族や町内会、農村共同体のような伝統的な人間関係組織が解体していって、都市のマンション等で暮らす核家族や単身生活者が増えるにつれ、個人の自由を象徴するネコに共感を寄せる人が増えてきた、ということでしょう。・・・いかにも社会科教師が考えつきそうな解釈だなー、・・・って私ヌルボ自身のことですけど。(1つ前の記事でカミングアウト、ははは。)

 一方、イヌの方はというと、コチラはのらくろのように伝統的序列社会を象徴する動物ですが、韓国ではペット化が進行してるみたいで、人気が凋落しているということはないようですけどね。(「食材」から「ペット」へ、です。犬食文化がすたれるわけでもないですけど・・・。)

 しかし、暮れにソウルで買い込んだ本をまだ読み終えていないのに、また買っちゃったなー・・・。あーあ・・・。

            
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ハンセン病と韓国文学② 高銀・韓何雲・徐廷柱・・・、韓国の著名詩人とハンセン病のこと

2013-04-03 23:52:43 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 3月20日の記事の続きです。
 ハンセン病と韓国をめぐるシリーズの7本目。ようやく最終回にたどりつきました。

 近年、ノーベル文学賞の選定の時期になると、韓国のメディアで話題になるのが詩人・高銀(コウン.1933~)です。(受賞の可能性がどれほどあるのか、私ヌルボは見当がつきませんが・・・。)
 彼の初の邦訳詩選集「高銀詩選集 いま、君に詩が来たのか」(藤原書店)が刊行されたのが2007年5月。「朝日新聞」の紹介記事中に、次のように書かれていました。
 「植民地時代に強要された日本名は高林虎助。中学生の時にハンセン病患者の詩集を拾い、詩人を志した。」
 もしかしたら、と思って、市立図書館でその本を読んでみると、高銀は自身の文学的回顧をかなり詳しく綴っています。で、該当箇所を見てみると・・・。

 「十里の新作路を通学する一人の中学生は夕暮れの路傍に落ちている詩集を拾い上げて家に帰り、夜が更けるまで読んでいると全身が泣き声で満ちあふれ、詩人になりたくなった。幼い蛾がクモの巣にかかったのである。」

 ・・・というわけで、その詩人や詩集は具体的には記されていませんでした。

 しかし今回、このブログ記事を書くにあたり少しムキになって韓国サイトを探したら、案外すぐ見つかりました。
 つ目は「朝鮮日報」のコラム<萬物相>。 2011年5月の「読書履歴制」と題したコラムの冒頭で次のようなことが書かれていました。

 「詩人高銀は1949年中学校2年生の時、ハンセン病詩人韓何雲(한하운.ハン・ハウン)の詩集を道で拾った。"行けども行けども赤い黄土の道・・・."と小鹿島に行く道を詠んだ詩を読みながら、ぽろぽろ涙を流して泣いた少年は、詩人になることにした。その翌日から彼は"物事をわきまえた大人"になったという。」

 また、KBS1TVでは2012年1月<韓国現代史の証言 永遠の青年、詩人高銀 1部>という番組が放映されました。KBSの番組紹介ページを見ると、上記のエピソードも盛り込まれています。そして1989年に高銀が書いた詩も載っています。

 1940年代の末、 
 2年生の時
 (中略)
 暗い道の真ん中
 目に輝く何かがあった
 どきっとして
 胸をときめかせて拾った
 本だった
 詩集だった
 韓何雲の詩集だった
 家に帰って
 一晩中読み、また読んだ
 (中略)
 その日以来、私は韓何雲だった
 その日以来、私はらい病人(문둥이.ムンドゥンイ)としてさすらった
 その日以来、私にとって全世界が黄土の道だった
 その日以来、私は詩人だった 悲しい悲しい詩人だった


  ※このKBSの記事ではハンセン病を나병と表記しています。「萬物相」の方は한센병。

 やっぱり韓何雲((1919∼1975)だったか、というのは、彼については7~8年前(?)に「中学生が必ず読むべき詩(중학생이 꼭 읽어야 할 시)」という本を読んで知っていたので・・・。この本はタイトル通りに崔南善以降1世紀の、韓国でよく知られた現代詩を集めた中で、とくに印象に残った詩が彼の代表作「麦笛(보리피리)」でした。

  보리피리 한하운\t      麦笛  韓何雲 (金素雲:訳)
 보리피리 불며       麦笛 吹き吹き
 봄 언덕            春の丘
 고향 그리워       ふるさと恋し
 피-ㄹ 닐니리.        ぴい ひょろろ

 보리피리 불며        麦笛 吹き吹き
 꽃 청산          花の山
 어린 때 그리워       幼な夢さえ
 피-ㄹ 닐니리.        ぴい ひょろろ

 보리피리 불며       麦笛 吹き吹き
 인환의 거리         往き交いの
 인간사 그리워       人の世恋し
 피-ㄹ 닐니리.        ぴい ひょろろ

 보리피리 불며      さすらう雲の
 바랑의 기산하      幾山河
 눙물의 언덕을 지나     涙の丘越え
 피-ㄹ 닐니리.       ぴい ひょろろ


 愁いを含んだ清澄な抒情と、懐かしさを感じさせる韻律が気に入りました。
 その後、韓国のハンセン病関係の資料を集めた日本語サイト<恨生(ハンセン)>に、この韓何雲の略歴(という以上に詳しい)や詩の紹介記事があることを知りました。(→コチラ。)
 そこには、上掲の「行けども 行けども 赤茶けた黄土の道」で始まる「全羅道の道―小鹿島へ行く道―」も訳出されています。
 そして、その作品も収められている「韓何雲詩抄」が刊行されたのが1949年5月だったとのこと。高銀少年が拾った詩集です。(※第2詩集「麦笛」の発行は1955年。)

      
  【この「韓何雲詩抄」を高銀少年が拾わなかったらどうなってたかな?】

 この<恨生(ハンセン)>の記事中に、彼が「1939年まで東京の成蹊高等学校で学んだ」と記されています。また「北原白秋や石川啄木らの影響も受け詩作活動にはいったようだ」とも。とすると、私ヌルボが感じた「懐かしさを感じさせる韻律」もそこらへんに由来するものかもしれません。

※小鹿島は1916年以来ハンセン病療養所があった島。今も小鹿島病院・生活資料館があります。そこの中央公園には、「麦笛」の詩を刻んだ韓何雲の詩碑があります。(→コチラコチラ参照。)

※→コチラのサイトでも韓何雲の詩が紹介されています。

 さて、ここでもう1人、1930年代から韓国を代表する詩人として旺盛な創作活動を続けてきた徐廷柱(ソ・ジョンジュ.1915~2000)がハンセン病者を素材とした作品を紹介します。
 国語の教科書にも「菊花の横で」が掲載されてきた誰でも知っている詩人です。(2000年代に入って「親日派」だった過去が問題視されて消えましたが・・・。→参考。) そういえば、後藤明生が1984年戦後初めて訪韓した時に彼と行動を共にしていますが、もう2人とも故人となってしまったんですね・・・。

 さて、その徐廷柱の詩なんですが、題からして「ムンドゥンイ(문둥이)」とそのものずばりで、その詩句がまたなんとも訳しにくいというか、紹介するみと自体がためらわれるというか・・・。

  문둥이             ムンドゥンイ(らい病者)
해와 하늘빛이            太陽と空の光が
문둥이는 서러워             ムンドゥンイはうらめしくて

보리밭에 달 뜨면            麦畑に月が浮かぶと
애기 하나 먹고            赤子ひとつ食べて

꽃처럼 붉은 울음을 밤새 울었다.    花のように赤く 夜どおし泣いた


 この詩については、文学教育関係の韓国サイトで説明・鑑賞が詳述されています。「この詩は天刑の呪われた運命を持ったらい病人の姿を借りて人間の本性を形象化した作品である。ここで"らい病人"は、実際のらい病人ではなく、詩人がとらえた人間の本性のいくつかの側面、暗くすさまじい運命の苦悩を象徴するものといえる」等々と説明されているのですが、私ヌルボとしては説明文中の「天刑」という言葉は不適切だし、それ以前に「赤子・・・」という詩句が大問題。前の記事で紹介した児童書でもこうした記述がありましたが・・・。私ヌルボとしては、この作品を、たとえば中学・高校の国語の授業で取り扱うことには大きな抵抗感があります。
 この詩は歌曲にもなって、YouTubeにもupされています。(→コチラ。)
 この歌は全然おどろおどろしくない、落ち着いた雰囲気なんですが・・・。
 韓国では私ヌルボが感じたような(たぶん多くの日本人も感じるような)抵抗感はないのでしょうか?

 差別に関わるような事柄と、文学や芸能・芸術等の表現活動との相克は、このシリーズでもタルチュム(仮面舞)のこと等でふれてきましたが、ホントにむずかしい問題です。・・・とヌルボの能力では紋切り型で終わるしかありません。

[韓国とハンセン病関連記事]

 → <ハンセン病の元患者、歌人・金夏日さんと、舌読と、ハングル点字のこと>

 → <2005年毎日新聞・萩尾信也記者が連載記事「人の証し」で金夏日さんの軌跡を記す>

 → <ハングル点字のしくみを見て思ったこと>

 → <韓国の「ピョンシンチュム(病身舞)」のこと等>

 → <韓国のタルチュム(仮面舞)とハンセン病者のこと>

 → <ハンセン病と韓国文学①>
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若手女性作家キム・エランが受賞した李箱文学賞は、日本の芥川賞みたいなもの・・・かな?

2013-03-04 23:16:52 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 さあ、ゆっくり風呂場読書だ。話題の芥川賞作を読んでみるかなと「文藝春秋」2月号を開きかけたところで、1月号の読み残しを思い出しました。まずそちらからと、読み始めたのが沢木耕太郎「キャパの十字架」。2月3日(日)NHKスペシャルでも同内容のものを放映したそうですが、いやー、おもしろかったですねー。で湯舟に浸かったままイッキ読み。(昨日横浜美術館の「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展も行ってきちゃいましたよ。※3月24日まで。)

 で、日を改めて芥川賞作に再挑戦・・・と思ったけど、ただでさえ気合いを入れないと読み始められない作品ぞろいの過去の受賞作と比べても、今回の「abさんご」は視覚的にも抵抗感があって結局再度延期することに・・・。

 芥川賞については、<芥川賞のすべて・のようなもの>という、歴代の受賞作・候補作と、各選考委員の審査評まで網羅したすごいサイトがあって、これだけで十分おもしろいのですが(とくに審査評)、肝心の受賞作自体は私ヌルボにとって「たいていはおもしろくない」のです。
 個人的に振り返ってみても、少年時代に最初に読んだ宇野鴻一郎「鯨神」(1961年上半期)ほどおもしろく読んだのは以後半世紀ないし、リアルタイムで読んで「うーむ、これは深いなー」と純文学の魅力に感じ入った作品も古井由吉「杳子」(1970年)だけだったかもしれません。
 (「杳子」は、「文藝」に掲載されたものを読んだ時点で友人との間で話題になりました。小説としての評価だけでなく、ひとつの時代の変化を示すものと受けとめた、ということです。)
 その他では宮本輝「螢川」(1977年下半期)・高樹のぶ子「光抱く友よ」(1983年下半期)・辺見庸「自動起床装置」(1991年上半期)・奥泉光「石の来歴」(1993年下半期)・阿部和重「グランド・フィナーレ」(2004年下半期)等は読み応えもあってその後の作品も読んだりしてきましたが・・・。

 で、芥川賞はおいといて・・・、という時にアタマにひらめいたのが韓国の李箱(イサン)文学賞のこと。
 日本の統治期の先鋭的な詩人・小説家だった李箱(이상.1910~37)の名を冠した、韓国で最も権威がある文学賞です。(ウィキの説明は→コチラ。)
 ※どーでもいいけど、賞金が3500万ウォンというのは芥川賞(100万円)よりずっと高額!

 本ブログでも、第34回(2010年)のパク・ミンギュ「아침의 문(朝の門)」、第35回(2011年)の孔枝泳「맨발로 글목을 돌다(裸足で文章の路地を廻る)」については、なんとか原文で読んで、感想等を記事にしました。→コチラ「朝の門」)
(・・・とリンクを張ったところで、「朝の門」の感想が書かずじまいになってることに気づきました。) そして→コチラ「裸足で文章の路地を廻る」

 この李箱文学賞のこれまでの受賞者を見ると、芥川賞作家と比べて、すでに他の文学賞を受賞しているとか、あるいは著作がよく読まれていて知名度が高い作家が多いようですね。上記の孔枝泳など、「え、まだもらってなかったの!?」という感じ。
 昨年第36回(2012年)「옥수수와 나(とうもろこしと私)」で受賞した金英夏(キム・ヨンハ)も、「阿娘(アラン)はなぜ」(韓国2006年→日本08年)、「光の帝国」 (韓国2006年→日本09年)と、めずらしく日本でも発表後ほどなく翻訳書が刊行されている注目作家で、李箱文学賞の方が後追いになっています。(→本ブログの関連過去記事。)
 ※金英夏はそれまで現代文学賞(1999年「あなたの木」、東仁文学賞(2004年「黒い花」)、黄順元文学賞(2004年「宝船」)、万海文学賞(2007年「光の帝国」)と韓国の文学賞をいろいろ受賞した末の李箱文学賞。黒田夏子さんとは対照的ですね。(何度も候補になっている覆面作家・舞城王太郎のような有名作家もいますが・・・。)

 そして今年の第37回李箱文学賞はといううと、1月のニュース(→コチラ)で、を若手女性作家・金愛爛(キム・エラン)「침묵의 미래(沈黙の未来)」で受賞したとのこと。
 「若手」といっても1980年生まれですから33歳。しかしこの賞受賞者の最年少記録だそうです。
 彼女については、2011年4月「毎日新聞」連載の<新世紀 世界文学ナビ [韓国編]>きむふなさんが初回に紹介していました。(→関連記事。) ←10人中、チョン・イヒョンを除く9人が李箱文学賞受賞者です。
 また、本ブログでも<2011年の韓国を代表する本は?>と題した記事の中で彼女のことを少し書きました。
 ヌルボ自身、今までに原文で読んだのは短編の「달려라, 아비(走れ、父ちゃん)」、翻訳で読んだのは「新潮 2010年6月号」掲載の「水の中のゴライアス」だけなので、コメントするにはまだまだ不十分。
 (後者に関係のあるこのブログの過去記事→コチラ、また関係ブログ記事→コチラ
 私ヌルボの信頼度が高いコチラのブログでは「韓国作品はまとめて書くけど、どちらも退屈。ナイフと水を象徴的に扱ったいかにも純文学な退屈さ。長く感じた」と書かれています。

 ところで、先日たまたまNHKラジオ「レベルアップ ハングル講座」3月号のテキストを見ると、そのきむふなさんが申京淑「母をお願い」韓江「菜食主義者」に続いて3月から教材としてとりあげているのが金愛爛「だれが海辺で気ままに花火をあげるのか(누가 해변에서 함부로 불꽃놀이를 하는가)」ではないですか。
 なんとタイミングのいいことで・・・。囲み記事で彼女やその作品のこと等がいろいろ説明されています。李箱文学賞受賞についても書かれています。きむふなさん、いつの時点でこの作品に決めたのでしょうか?

 ・・・とそんなわけで私ヌルボ、昨年末読み終えたチョン・ユジョン「7年の夜(7년의 밤)」の次に読む韓国書は李箱文学賞作品にしよう、と思った次第です。
 ところが今回の受賞作品集は1月後半に出たばかりなので横浜市立図書館にあるわけないし、では金英夏の前回受賞作「とうもろこしと私」でも読むか、と探したら韓国書の書架にナシ。
 結局、未読で最新の作品集で図書館にあったのは第33回(2009年)のもの。その回の受賞作のキム・ヨンス(金衍洙)「산책하는 이들의 다섯 가지 즐거움(散歩する者の5つの楽しみ)」を読むことにしました。

 ・・・ここまで書いたのが数日前。「散歩する者の5つの楽しみ」は20ページ余の短い作品なので、巻末の評論家による作品論等も含め2、3日で読み終えました。
 実はその感想がこの記事の本論だったはずですが・・・。またまた「続きは今度」ですね。

 ★その後「abさんご」も読み終えました。「週刊文春」の阿川佐和子と黒田夏子との対談を読んで「ストーリー性の全然ない話なのか」と思いましたが、読み進むとそうではありませんでした。一応。
 しかし、李箱文学賞作品と芥川賞作品と「どちらが読みやすいか?」、そして「どちらがおもしろいか?」。この難問にどう立ち向かうか、むずかしいなー、うーむ(笑)・・・。
 ※「どちらが読みづらいか?」、「どちらが意味不明か?」、「どちらがよりおもしろくないか?」などと書けないところがヌルボの弱気なところです。(あ、書いちゃった!)
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2012年に読んだ「圧倒的!」な本5冊  ※うち4冊は韓国関係

2013-01-14 21:50:50 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 1つ前の記事<ソウルで買い込んだ本[その2 なぞなぞのポケット版]>の前に書いた<ソウルで買い込んだ本[その1 韓国語学習書]>をアップしたつもりでいたら下書きのままでした。未読の方は目を通していただければ幸いです。

 さて、昨年(2012年)の私ヌルボの読んだ本の中で、「これは圧倒的!」というレベルだったのが次の5冊です。

①イ・ヨンスク「「国語」という思想―近代日本の言語認識」(岩波現代文庫)  
②チョン・ユジョン「7年の夜」(韓国書)
③バチガルピ「ねじまき少女」(早川文庫SF)
④チュ・ホミン「神と一緒に」(韓国書.ネット漫画)
⑤李恢成「地上生活者」(講談社)
 ※既刊1~4部
 
①イ・ヨンスク「「国語」という思想」は、もっと早く読むべきでした。近現代の日本語という「国語」の歴史が見通せる、この分野のまさに定番の書でしょう、「一般書」というにはページ数も多く読むのも一苦労以上ですが、国語学史を通して、近代日本の国家意識や、イデオロギー政策の推移、植民地での「国語」政策のありよう等々、いろんなことが見えてきます。
 韓国人研究者だからこそ、「国語」としての日本語をより客体視して考察できたのかな、というのはたぶん誰しも思うことでしょう。

②チョン・ユジョン「7年の夜」は2011年韓国のベストセラー小説。
 500ページを超えるボリュームで、何ヵ月もかかってやっと完読。こんなに長い韓国小説を原書でなんとか読み通せたのもこの作品のパワーゆえ。
 村を水没させて造ったダム湖の畔で「事件」が起こるのですが、その真実を追う側ではなく、「犯人」の側からの描写が多く、読んでいる自分自身が追いつめられていくような気分に・・・。しかし物語のメインはその真相の究明ではなく、事件の7年後に・・・という複雑かつ緻密な構成の小説で、文章に力があり、読み応え満点。主な登場人物数人の過去が詳しく書き込まれたりしていることもページ数が多い理由の1つですが、それにより現代の韓国社会の問題も垣間見えてきます。印象としては、宮部みゆきとか桐野夏生のような感じかな? 近年これらの作家の作品は韓国でも多く訳されているので、その影響もあるかも。しかし、だいぶ前に読んだので詳しくは頭に残っていませんが、桐野夏生「OUT」よりも構成が重層的で、最後まで展開が予測しにくく、厚みがあると感じました。
 近く映画化されるとか・・・。ダムの描写が詳しいので、小説の舞台はどこかと探したら、全羅南道順天市の住岩ダムだそうです。このダムの関係者の皆さん、こんな恐い事件の舞台なのに現地ロケを認めるのかな?

③バチガルピ「ねじまき少女」だけが5冊中韓国と関係がない本です。また、5冊どれもボリュームがあり、読み通すのが大変でしたが、その中では「ねじまき少女」は早川文庫上下2冊ながら、他の4冊と比べるとまだ早く読めました。
 このSF作家の想像力はすごいです。21世紀に入ってからのSF界の代表的作品の1つという評価を何かで見ましたが、読んでみてナットク。しかしネット内の感想・評価を見ると必ずしも高評価ばかりでもなく、その逆の方が目につくほど。そんなもんですかねー?
 アメリカの作家がタイを舞台に書いたこのSFは、アイディアが一見奇抜に見えながらも、戦略物資としての食糧問題、種子の管理統制問題、エネルギー問題等々、現実の世界的課題がそのまま投影されています。ちょっと前に知り合いの人が「ネパールでサフランを云々」と話をしていたそのサフランのことがこの小説にも少し書かれていて、あららと思いました。
 他のSF作品では、韓国でも翻訳されて(それなりに?)人気のダグラス・アダムス「銀河ヒッチハイク・ガイド」(河出文庫)も読みましたが、これは以前読んだジェローム・K・ジェローム「ボートの三人男」(中公文庫)のような味わいで、SFというよりイギリスらしいユーモア小説といった趣きでしたね。SFといえば、これも昨年読んだチャイナ・ミエヴィル「都市と都市」(早川文庫)。これについては昨年3月31日の記事でも書きましたが、設定はSFでも中身はミステリーで「週刊文春ミステリーベスト10」でも7位にランクインしていました。私ヌルボと同じく、このSFから「板門店」を思い起こした人はそれなりにいるみたいです。

④チュ・ホミン「神と一緒に」(韓国書.ネット漫画)は、韓国の人気漫画の多くと同様、もとはウェブトゥーン(ネット漫画)です。
 この作品については、昨年11月4日の記事<韓国のベストセラー漫画(20教保文庫の1~20位>でかなり詳しく紹介しました。
 本の方も「あの世編(全3巻)」「この世編(全2巻)」「神話編(全3巻)」に分かれ、最近完結しました。
 「あの世編」は、若くして亡くなってしまった会社員が主人公。彼は閻魔大王(韓国では閻羅大王.염라대왕)の使いの日直差使と月直差使に従い冥界に向けて旅立つのですが、日韓の「仏教的あの世観」が共通していることを知るとともに、この作家の創造的イマジネーションにびっくり! またあの世に行く手段として深夜の地下鉄に乗ったり、49日の裁判を受ける過程で、最初から彼の担当の新米弁護士が有能ぶりを発揮したり等々、あの世もつまりは現代の反映、という描き方もおもしろかったです。
※「あの世編」は現在「ヤングガンガン」で三輪ヨシユキ:画による日本語版が連載中です。7月には単行本第1巻が刊行されました。
 「この世編」にも日直差使と月直差使は登場しますが、舞台はタイトル通りこの世。それも都市再開発のため生活を脅かされる地域住民の問題が描かれます。
 昨年5月17日の記事<[韓国語の新語]<ヨンヨク(用役)>とは? その社会背景>でもこの漫画のコマを引用しました。
 「神話編」には、昔から伝わる伝承神話・伝説が盛り込まれていますが、それらを読むとやはり東アジア圏に共通する要素が多いことがよくわかります。
 この「神と一緒に」は<NAVER漫画>で、予告編から読むことができます。→コチラ
 また最近知ったところでは、チュ・ホミンはこのWebtoonで大統領賞までもらったとか・・・。そして、映画化されて2013年公開される予定らしいです。
※先の「7年の夜」も映画化されるし「トガニ(るつぼ)」、「ワンドゥギ」、そして「26年」や「拝啓、愛しています」等、私ヌルボが原書で読み、このブログで紹介した本が次々に映画化されていくことに、自分自身でも驚いています。(ま、「日本人が読むくらい注目度が高い→映画化してヒットが見込める」というだけのことかもしれませんが・・・。)

⑤李恢成「地上生活者」(講談社)は、2000年1月号から「群像」で連載が始まり、今も書き継がれていますが、このタラタラした(!?)自伝的大河小説を毎月きちんと読んでいる人が全国でどれくらいいるのでしょうか?(数百人?)
 私ヌルボはその数少ない(?)1人、ではありません。たまたま60年代頃の在日社会、とくに朝鮮総聯関係のことを少し調べていてゆきあたったのがこの小説。しかし、作家の記憶力はすごいものです。樺太での少年時代のこと、あるいは北海道での中・高校時代のこと、友人との会話やいろんなエピソードが実に具体的に書かれています。文学作品としてよりも、とくに在日の人たちの暮らしや、半島の南北分断が彼等にどのように影を落としたかが興味深く描かれています。
 有名な、あるいは名前だけは知っていた人々が見れば見当がつく仮名で多数登場。たとえば金達寿→金達鎮とか。在日作家の間の人間関係がいろいろわかってきました。たがいに親しいとかその逆とか・・・。李恢成が在日作家仲間で(たぶん今も?)不信を買っているのは、光州事件の翌年の1981年金達寿、姜在彦、李進煕の訪韓に反対した彼が、それ以前にこっそり訪韓したことがばれてしまったからだ、とか、それには事情があったんだ等々・・・。
※あらためて思うのは、金石範の気骨ある思想的文学的生き方はかつても今も、一貫しているなあ、ということ。李恢成は「北であれ南であれわが祖国」という立場を長くとっていますが、金石範は南北両政権に対して批判的な目を持ち続けていると思います。ヌルボが思うに、金石範にとっての一番の大敵は「時代の流れ」というヤツではないでしょうか?

 上記以外にも、その何倍かの本を読みましたが、読んでためになった本はいろいろあっても、心にずしんとくる圧倒的な本といえばこの5冊だけでした。
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