ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

韓国の作家パク・ソンウォンとその作品、中村文則との対談のこと等 

2012-11-26 20:09:39 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 11月20日と21日「読売新聞」に、「日韓作家リレー書簡」というタイトルで朴晟源(パク・ソンウォン.박성원)中村文則がやりとりした書簡が載っていました。(なぜか読売のサイト内を検索しても何も載っていませんが・・・。)

 中村文則は2005年「土の中の子供」で芥川賞、2010年には「掏摸<スリ>」大江健三郎賞を受賞したりしているので、それなりには知られているのではないでしょうか? ウィキの説明では1977年生まれで35歳。
 私ヌルボは「何もかも憂鬱な夜に」という小説を読んだことがあります。一応死刑関係の作品には目を通しておこうと思って・・・。感想は、文字通り「何もかも憂鬱な」作品でした。じめっとした、というか、ぬるっとした、というか・・・。

 朴晟源は中村文則の8歳上の1969年生まれ。日本での知名度はヒジョーに低いと思います。第一、韓国作家の名を1人でもあげられる人からして少ない現状ですから・・・。
 しかし、こうした感じで全国紙が取り上げてくれると多少なりとも韓国作家の認知度が高まるというものです。

 このリレー書簡の企画は、クオンという出版社が「新しい韓国の文学」というシリーズの第5巻で、朴晟源の「都市は何によってできいるのか」をこの9月に刊行したことと、続いて11月9日池袋のジュンク堂書店で、以前から(2008年~)知り合い同士の中村文則と、刊行記念としてトークイベントが開催されたことが前提となっています。

 そのトークイベントの動画がYouTubeにあって、2作家のやりとりを視聴することができます。(→コチラ!)
 韓国語学習者にとっても勉強にはなるのですが、約1時間30分にも及ぶ長尺なので、ちょっとかったるいかも・・・。そこをがんばって最後まで見てみると、中村文則氏は小説よりも語りがずっとおもしろく(あの小説を思えば当然)、朴晟源氏は雰囲気も実際の話もユーモアが漂っています。翻訳者の吉川凪さんと、通訳としてきむ・ふなさんが登壇しています。
 朴晟源氏が写真を見ながら自身の経歴等を語っていますが、トルチャンチ(満1歳のお祝いの宴席)の時、トルチャビで鉛筆を取ったというエピソードはできすぎてますね。

 さて、「読売新聞」のリレー書簡の内容は、朴晟源氏がトークイベントの前に吉川凪さんとサンシャイン60や雑司ヶ谷霊園を歩いたりして、過去と現在が共存するものだと改めて思ったこと、翌日は東京駅→三越本店→銀座を歩いて、font color="maroon">を歩くのと似ているので「見慣れた感じがした」ことを記していました。(これも当たり前。) また彼の小説は主に都市での生活を描いているけれども、「東京もソウルも、妙に似ていてなじみがあるようであり、またよそよそしかったです」とも。(よくわかります。)
 一方、中村氏はトークで語っていたように、映像メディアがその国の人々を「外面」から映し出すのに対し、文学は「内面」を深く描くもので、「そのようにお互いの国がお互いの国を「内面」からとらえ続ける限り、世界はよくなっていく」ことを強調しています。

 その朴晟源の作品でこれまで翻訳されているのは、少し前に「あの鄭泳文さんが文学賞三冠王」と題した記事で紹介した鄭泳文の短編が収められている安宇植編・訳「いま、私たちの隣りに誰がいるのか」(作品社)に、「デラウェイの窓」という短編が1つあるだけです。
 この作品については、上記のトークショーの中で中村氏が「なんとも言えない喪失感みたいなものがあって・・・、とてもいい短編」と評しているのは、本人を前にしての社交辞令ではないと思います。
 私ヌルボもこの短編は以前読み、印象に残っています。「デラウェイ」というのは作品内で語られる写真家の名前です。静物画や人物画のようなありきたりの写真を撮っていて、無名のまま世を去った写真作家。ところが彼の死の直前に、弱視のためいつも拡大鏡で写真を観察していたあるアマチュア写真家が、デラウェイの写真に対して最初の発見をしたというのです。のどかな農家のジャガイモやスープが並ぶ食卓をそのまま撮ったような写真。しかし食卓に置かれたスプーンには何かがぼんやりと写っている。それを拡大すると、一人の兵士が農夫を射殺している光景が浮かび上がってくる。ユーゴ内戦当時の政府軍による民間人虐殺の場面を、「デラウェイは反射した物体を通して映し出したのだった」。その後一見平凡そうな写真と、その中の眼鏡やガラスのような反射物に隠されている「真実」を人々は探し求めるのですが・・・。作品冒頭には、そのデラウェイの言葉が掲げられています。「窓というのは、真実をうかがうことができるチャンスだ。もしも窓がなかったら、四角い壁の中に閉じこめられている真実をどのようにして救い出せるというのだろうか。」
 しかし、本当にそれは真実なのか? それとも・・・、というのがこの短編のキモ。

 で、肝心の彼の新作「都市は何によってできているのか」ですが、私ヌルボ、さっそく読んでみようと思ったものの、横浜市立図書館では目下のところ貸出し中なので読むのはしばらく先ですね。
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あの鄭泳文さんが文学賞三冠王 ②唯一翻訳されている短編を読んでみる

2012-11-07 23:53:54 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 私ヌルボ、高2の頃授業中の半分は寝ていました。聞いていた授業は倫理社会だけ。残りの起きていた時間に「カラマーゾフの兄弟」を読破しました。さすがに受験を前にした高3では居眠りはやめましたが、授業はやはり現代国語しか聞かず。中村光夫の「風俗小説論」や平野謙の評論等をネタ本に私小説論を展開してくれたのがおもしろくて・・・。他の授業中は必死で内職。そして読んだ小説がサルトルの「嘔吐」
 ボリュームでいえば「カラマーゾフの兄弟」>「嘔吐」ですが、難解さでいえば「嘔吐」>「カラマーゾフの兄弟」です。
 あ、難解さと、つまらなさと、名作度はそれぞれ別の尺度ですね。「カラマーゾフの兄弟」は難解でも、おもしろかった。そして名作、いや傑作、大傑作。
 一方「嘔吐」は難解で、しかもタイクツでした。(でも授業よりはるかにマシ。) この作品を読み終えたことは、私ヌルボにとって青春の勲章というか若気の至りというか・・・。その頃に比べると、脳力・体力・忍耐力の衰えは無残なものです。

 そして大学に進学した頃は、実存主義に加えて、さらにワケのわからんヌーヴォー・ロマンとかアンチ・ロマンとかいう文学が話題になったりしていました。
 「「私は」や「彼は」じゃなくて、「あなたは」なんて二人称で語られているんだぜ」とか、「物語性が排除されているんだ」のような「???」といった刺戟的な(?)ウワサを聞いて、学生ヌルボもビュトールだかロブ・グリエの本を書店でちょいとめくってみました。で、感想は、「自分には、合わない」。同じ頃ベケットの「ゴドーを待ちながら」は「ベケット戯曲全集」だったかでフツーに読みましたが、やはり拒否感まではいかないもののピンと来ず。
 概してジャンルを問わず雑多な本を読むヌルボではありますが、上記のようなヌーヴォー・ロマンっぽい雰囲気のあるもの(金井美恵子とか・・・)は以後もずっと敬遠してきました。

 ところが、鄭泳文さんにとってはベケットは特別な存在のようですね。
 「朝鮮日報」のインタビューで、「あなたに世界を眺める新たなレンズを与えた最初の作家は?」と問われて次のように答えています。

 ベケット。ふつうは彼の代表作の戯曲「ゴドーを待ちながら」を思い浮かべるが、彼の核心であり本領は小説である。 언어를 통해 사유의 극단까지 밀어붙인 글쓰기.言語を通じて事由の極限までつきつめた書き方。特に彼の末期の作品は無数の単語と文章で構成されているが、何の意味も発生しない。その作品を通じてベケットが語ろうとしたのは生の究極的な無意味だった。"

 ソウル大卒業後フランスに留学に行った鄭泳文さんは、「適性に合わないような勉強は喜んで断念」して1年近く図書館で小説を読んで時間を過ごしましたが、前衛的な小説家たちの作品をたくさん読んだ中で最も魅了された作家がやはりベケットだったそうです。「彼の文体をまねて文章を書き始めたし、彼からユーモアを学んだ」と語っています。

 毎度の長すぎる前置きはここまでにして、彼の作品を読んでみます。・・・といっても、日本語に訳されているのは安宇植(編訳)「いま、私たちの隣に誰がいるのか」(作品社)という韓国作家の短編集に納められている「微笑」「蝸牛」の短編2作のみです。(タイトル中の「唯一」は誤りですね。)

 まず、「微笑」について。この作品紹介は簡単に書けそう。
 刑務所を出所した男が歩き、バスに乗り、市場に行き、猿を使いながら薬を売る商人の商売にたまたま関わり、自殺を企てて夜の道に寝そべってトラックに轢かれる直前までを淡々とした一人称で叙述した作品。

 このテの小説の主人公は、概して無気力なんだな。三島賞作家の中原昌也もそうなの? 読んでないけど・・・。わざわざ轢かれやすそうな路上に横になるんだねー・・・。車に轢かれる短編だったら、筒井康隆の「お助け」が圧倒的におもしろいし、ヌルボには合ってます。

 2つ目の「蝸牛」は、雨の日の午後、男がうたた寝をして、木の幹を這い上がってゆく蝸牛の夢を見る、その男の独白です。
 本文を少し紹介します。

 なおも蝸牛は、木とぼくの意識の木目に沿って移動していた。ぼくはやつがいることになる場所、いやいまはまだ不在だがそれが存在することになる場所、すなわちやつ自身の存在に、その不可能なパラドックスに近づきつつあるということを、それからやつの存在が一個の消失の場をなしているこということを、労せずして知ることができた。自分が出発したそれが自分に迫っていこうとするけれど、飽くまでも到達することのできない、その間隔の無限の隣接性の困惑から、ぼくはぼくたちの同一の苦痛を感じた。

 目覚めた彼は、窓の外に木の幹を這い上がってゆく蝸牛を見る。・・・ふーむ、ちょっとあの「胡蝶の夢」を連想しました。のろい蝸牛の動きをさらに微分的に叙述した、わずか日本語で4000字ほどの短編ながら、密度の濃い作品です。われながら、意外に好感を持って読み終えました。しかし、この文体で長編となると、到底無理。

 ところで、韓国で今なんでこの種の小説が書かれ、また文学賞を受賞するほど注目されるのでしょうね?
 日本ではこの数十年(?)忘れられているようなタイプの文学ではないでしょうか? 他の文化ジャンル(音楽・映画等)と同様に、90年代以降一度に「なんでもあり!」状況になった中でひょいと出てきたのか・・・。
 ・・・などと考えつつ、いくつか関係ありそうなブログを見ていたら、<哲学するサラリーマン>というブログの「ヌーヴォー・ロマン、ベストテン」という記事の中に次のような記述がありました。

 誕生から半世紀以上が経過して、時代はようやくヌーヴォー・ロマンの描いた世界に追いついたと言えるだろう。以前のような単なる知的流行としてではなく、現代を先取りした作品として、ヌーヴォー・ロマンはもっと注目されるべきだ。

 なるほどねー。以前本ブログで、柴崎友香とか江國香織とかの作品が「ストーリー性が排除されていておもしろくない」と書きました(→コチラ)が、そういうこととも関係があるんでしょうかねー・・・。

 しかし、ヌルボ思うに、韓国でもそのうち「物語の復権」なんてことが言われるようになるのでは?
もしかして、すでに言われているかも、と思ってハングルで検索してみたら、「復権」が「福券(宝くじ)」と同じ(복권)だもんで、わけがわからなくなってしまった(笑)。

 元に戻って、鄭泳文さんの文学賞3賞受賞作「ある作為」の内容も少し紹介するつもりでしたが、出版元の<文学と知性社>のサイト中の紹介記事(→コチラ)及びその自動翻訳(→コチラ)とリンクを張るにとどめておきます。もう十分アタマを使いすぎたので。

 と言いつつ、ついでにもう1つ。
 <innolife>の通販の本(韓国書)のリスト中に、彼の小説「月に魅せられた役者(クァンデ.広大)」がありました。その内容紹介文をそのまま載せます。

 チョン・ヨンムンの「月に魅せられた役者」は我々に錬金術の恍惚の境を経験させる小説だ。「月に魅せられた役者」はただ、絶え間無く、つぶやく。そうやってつぶやくだけなのに、このつぶやきを聞いたら、ある一瞬にして現存在の担った真理は非本来的な価値として転換し、現存在の真理に向けた実践は騷音と騷乱に伝導される。そして代わりに'月に魅せられた役者'のような現存在から捨てられたものなどと沈黙を強要されたものなどが、刹那的に事由の中心に浮び上がる。
 しかしその光と光のもたらす驚異はただちに消え、その驚異の去った場所は不安と倦怠と冷笑に満たされる。「月に魅せられた役者」はこのように何ら化学的変化もなしに光が闇で、闇が光で転化する魔法でいっぱいの小説だが、こういう部分から我々は真の意味の解体小説に出会うこととなった。


 この文章だけでも疲れるなー・・・、ふー。
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あの鄭泳文さんが文学賞三冠王 ①ストーリー性を拒絶する作家

2012-11-05 19:17:46 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 「あの」鄭泳文さん、と書きましたが、私ヌルボがたまたま知っている人なので、決して日本人の間での知名度が高い人ではありません。全国で数百人くらい? 千人はいるかな? 

 先日「朝鮮日報」のサイトをなんとなく見ていたら、10月31日のコラム「萬物相」の「文学賞三冠王(문학상 3관왕)」というタイトルに目がとまりました。読んでみると、チョン・ヨンムン(정영문)という作家が「ある作為の世界(어떤 작위의 세계)」という作品で今年1月に韓戊淑(한무숙.ハン・ムスク)文学賞、9月に東仁(동인.トンイン)文学賞、そして10月には大山(대산.テサン)文学賞と、1年に3つの文学賞を受賞したとのこと。
 (たぶん)日本では注目されそうにない記事だから、「朝鮮日報日本語版」にはこの記事は載ってないですね、やっぱり。

 私ヌルボ、すぐにはわからなかったものの、この名前はなんか覚えがあるぞ、とぼんやりした記憶をたどると、そういえば本ブログの昨年10月の記事「下北沢で申京淑さんの話を聞く(1)」で彼すなわち鄭泳文さんのことを書いてましたね~(笑)。申京淑さんの前に、むつかしげな自らの小説論(メタ小説論?)を話された作家ではないですか。まー、[慶]この度はおめでとうございます![祝]
 先の記事でも記したように、その時は冒頭から起承転結をもった物語を強く否定し、「何も起こらない」ことや「メッセージの不在」を強調。メッセージの有無よりも「小説の形式そのものについての実験に関心があり、行為そのものよりも意識の動き、内面を重要視している」と語っていました。
 いろんな場で「ベケットから強い影響を受けた」と明かしていますが、この時も「彼の最後の頃の三幕劇から大きな示唆を得た」と言ってましたね。

 過去記事を読み直すと、講演後、個人的に「80年代までの韓国文学の伝統を意識しないのか、それとも意識的に否定しようとしているのか」と質問して、「後者」とのお答えをいただいてました。(うーむ、自分のこととは思えん・・・。)

        
   【実は質問の後、いつものなぐり書きメモノートにサインをいただいたのです。만나게 되어 반갑고 늘 건강하세요 정영문(お目にかかってうれしいです。ずっとお元気で 鄭泳文)←もっと破格の方が彼らしいんだけどな。】

 昨年10月19日の下北沢で開かれたその「韓国作家と集う夕べ」の翌日には、彼は韓国文化院でやはり申京淑さんとともに「韓国文学への誘い」と題した催しでステージに立ちました。
 「東洋経済日報」に、その時の詳しい報告記事があります。(→コチラ。) 写真付き。身長185㎝で体重62㎏と、韓国人作家中きっての長身で、痩躯です。

 さて、この文学賞三冠王の記事は「ハンギョレ」にも載っていました。それによると3賞の賞金を合わせると1億1千万ウォンとか。「萬物相」の記事には「13年前東西文学賞を受賞した後、今まで小説12冊を出したが合わせて2万部が売れただけ」だったそうで、それが今回一挙に「テ~バク(대박)!」と相成ったわけで、めでたいはずなのに、写真を見るとあんまりうれしそうでもないのが彼らしいところか? 
 「朝鮮日報」10月17日のインタビュー記事(→コチラ)
によると、借金の返済や家賃の足しにするほかは、好きな先輩後輩作家たちにご馳走と酒をおごってあげて、今まで必死に文を書いてきたので、一息ついて、どこかへ行ってちょっと休んで、健康を回復するつもりとのことです。

 そんな下世話なことはおいといて、難解といえども彼の小説世界にほんの少しでも触れてみよう、という私ヌルボのほとんど無謀ともいうべき試みは続きの記事で・・・。(って、ホントかなー?)
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こういう事典を待っていました! 「韓国近現代文学事典」 =基本的な作家・作品・用語等を網羅

2012-11-01 22:40:54 | 韓国の小説・詩・エッセイ
            

 9月「読売新聞」でこの事典が紹介されていました。8月に刊行された権寧(クォン・ヨンミン)編著・田尻浩幸訳『韓国近現代文学事典』(明石書店)です。

 最近横浜市立図書館にも入ったので、直接見てみました。
 「(19世紀後期~現代の)韓国近現代文学史上、主要な作家、小説・詩・戯曲等の作品、用語、485項目を取り上げた、日本初となる韓国文学事典」と明石書店のサイトの紹介記事にあるように、これまで類書がなかっただけに、韓国文学に興味を持っている人や、研究者及びそのタマゴの人たちにとっては大変役に立つ事典だと思います。

 <事典編>では①人物(239項目)②作品(213項目)③文芸雑誌・新聞等(25項目)④文学関係団体・文学用語(8項目)の計485項目について詳しく説明されています。
 また<事典編>に続く<概説編>では、韓国の近現代文学史が各時期ごとに叙述されています。
 原著は1600頁にもなる『韓国現代文学大事典』で、本書はその抄訳ですが、それでも527ページと重量感のある本です。写真等も適宜掲載されていて見やすく工夫されていますが、とくに便利なのは、翻訳書が出ている作品についてはその書名が翻訳者名・出版社・刊行年付きで紹介されていること。
 つまり、訳された田尻浩幸さんは、原著の訳出だけでなく、たとえば上記のように、いろいろと日本の読者の便宜を図って下さったようで、この事典の完成に注いだ多大な労力がしのばれます。

      
     【<事典編>の目次の最初の部分(右)と、<概説編>の目次(左)。およその詳しさがわかります。】

    
         【内容例。雑誌や小説家の説明、作品の内容等がかなり詳しく記されています。】

 ・・・ということで、私ヌルボとしては手許に備えておきたい事典です。が、本体8000円+税400円というお値段が、ちょっとねー。(実はそれなりの手立てはなくもないようですけど・・・。) ま、とりあえずは公共図書館でちゃんと置いてもらうことですね。

[付記]「訳者あとがき」に、「韓国詩の日本語訳がインターネット上でも読める」例として、ヌルボが愛読している「晴読雨読ときどき韓国語」「佐川亜紀のホームページ」が紹介されています。
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「景福宮の秘密コード」はおもしろかった、が、歴史としては疑問も・・・ [2]

2012-10-04 20:31:59 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 前の記事では、主に「景福宮の秘密コード」を読んで勉強になったことを記しました。
 今回は、疑問に思ったことを書きます。これが実は本論です。

 私ヌルボ、ドラマ化された「根の深い木」は見ていません。そこで内容が詳しく書かれている関係ブログを読んでみたところ、なんかぜ~んぜん違うじゃん! ラストなんか、「えっ、この人たちがこうなっちゃうの!?」なんて驚いてしまいましたがな。

 ま、そっちはこの際おいとくとして、このミステリーでは、わりと早くから事件を取り巻く背景が説明されています。
 それで読者は、細部はわからなくても「善い方」「悪い方」が明確に書かれているので、事件の「黒幕」はおよそ見当をつけることができます。

 「善い方」は、まず世宗。彼が悪く描かれることは考えられません。
 そしてチョン・インジ(鄭麟趾)を中心とする一派。
 これに対して「悪い方」チェ・マンリ(崔萬理)シム・ジョンス(沈種樹)の一派。

 この両派がどう違うか、対比してみます。
   [善い方]                             [悪い方]
チョン・インジの一派                       チェ・マンリの一派
革新派                              保守派
実学(農学・地理・数学・天文学)の重視           実学を否定し、観念的・抽象的な儒学を尊重
商業の自由化、商業の振興を図る              商業の統制
 (市廛(してん。公認の商人)の特権の否定・貨幣の普及) (市廛との癒着・乱廛(らんてん。非公認の商人)の排除)
ハングル創製に情熱的に取り組む              漢字を尊重し、ハングルに反対
中国からの自立を内に秘める                 事大主義(中国を尊奉) 


 これを見て思うのは、この「善い⇔悪い」を分けるモノサシ(価値観)は、現代韓国ならではのバイアスがずいぶんかかっているなあということ。

 たとえば、ハングルに対する偏愛。(といったら失礼かな?)
 ウィキペディアの<ハングル優越主義>の項目、あるいは私ヌルボが愛読するアンサイクロペディアの<ハングル>の項目等でいろいろ揶揄されていますが、2009年韓国の世宗文化会館(!)で開かれた第1回世界文字オリンピック大会などというのはまさにその表れ。もちろんハングルが優勝しました。※関連記事は→コチラコチラ

 しかし、「訓民正音」(東洋文庫)の趙義成先生の解説によると、訓民正音の作成には朝鮮語をありのまま表記するという実用上の必要性だけでなく、それ以上に漢字音を正しくあらしめて理想的な王道政治を敷くという儒学的な理念を具現させる意図があった、とのことです。
 野間秀樹「ハングルの誕生」(平凡社新書)にも、「当時申淑舟が何度か遼東に派遣されているのは、正確な漢字音の発音を得るためだった」とあります。
 つまり、ハングルは決して漢字に相反するものではなく、むしろそれを補うものだったというわけです。

 また朴永濬等「ハングルの歴史」(白水社)では、今は「悪役」を割り振られている崔萬理に対して、「崔萬理を理解するために」と題して多くのページを割いて彼の弁護(?)を展開しています。
 「朝鮮王朝実録」には、1442年(世宗24年)中国の皇后冊封を祝う使臣を北京に送ったことやその祝いの言葉等が記録されているが、そこからは「中国に対する事大と慕華が一般的だったことがあますところなく読み取れる」とのことです。
 礼と名分を重視する性理学という儒学の政治的理念が政治的安定を支えていた当時の朝鮮で、新しい文字の創製が中華制度の遵行に逆行すると信じたのが崔萬理たちです。
 その彼がなぜ反論を提起したかというと、彼は世宗とは格別な間柄で、その政策に諫言できる立場にあり、かつ原則を重んじる一本気な人物だったのでは? ・・・というのが「ハングルの歴史」の推測するところです。
 契丹・女真・日本等の文字にも通じていた崔萬理は諺文(おんもん.ハングル)についても綿密に検討したと思われ、それが漢字よりはるかに習得しやすいこともわかっていました。彼が憂慮したのは、むしろそのことにより漢字の習得が疎かになり、文化が浅薄化するのではないか、というものでした。
 「ハングルの誕生」で野間秀樹先生は、「崔萬理たちはある意味では、世宗たち以上に<正音>のラディカルさを読み取っていた。ハングル・エクリチュールの圧倒的な制圧という今日的事態をも、見据えていたことになる」と評しています。

ハングルについて長々と書いてしまいましたが、要は今の韓国のハングルに対するイメージが「景福宮の秘密コード」にはそのまま投影されていて、それは史実とはズレがあるということです。

 また、保守派の重視する観念的な儒学に対し、実学を高く買っている見方も多分に現代的な評価でしょう。後世の正祖の時代の丁若等もドラマの主人公として扱われていますが、小川晴久先生の著作等によると、彼ら実学者が注目されるようになったのは日本の植民地時代ということです。

 さて、これらにもまして「これは違うぞ」と思ったのは、当時の商業のこと。本書に登場する市廛(シジョン.시전.してん)というのは公認の商人で、日本史でいえば座の商人に相当します。本書では、「悪い方」が非公認の商人=乱廛(ナンジョン.난전)を排除することで市廛から裏金を受け取っていたのに対し、「善い方」は規制を撤廃して自由な商業の発展をめざしていたように描かれています。

 ところが、日本で戦国大名により楽市・楽座が行われたのは16世紀半ば以降。本書にあるように世宗時代には1425年に朝鮮通宝が鋳造されたもののさほど用いられませんでした。
 一方当時の日本は、4年後の1429年に来日した朝鮮通信使朴瑞生がその報告書の中で「銭が盛んに用いられ、布や米による支払いを凌駕している。だから千里の旅をするものであってもただ銭貨を帯びるだけでよく、穀物を携帯しなくてよい」(「李朝世宗実録」)と記しているほど貨幣経済が発達していました。しかし、そのように貨幣の流通が先行していた日本でも楽市・楽座が政策として打ち出されるのは上記のように1世紀以上後のことです。

 つまり、世宗の時代には、本書で描かれたような乱廛の排除撤廃=商業の自由化という政策はありえないでしょう。むしろ、この点ではドラマ「イ・サン」の方が史実に近いのではないでしょうか。
 →コチラのブログ記事に、イ・サン(正祖)の時代に行われた禁乱廛権(クムナンジョングォン.금난전권)すなわち市廛以外の商行為禁止を廃止する、3度にわたる通共(トンゴン.통공)についてわかりやすく説明しています。それが18世紀後半、世宗の時代から300年以上も後のことです。

 ドラマの時代考証が相当にいい加減なのは日本の時代劇でも素人目にもわかりますが、おおよそは見る側にとっても「お約束」の範囲内でしょう。ただ、本書のとくに商業に関する点は歴史の大枠に関わるように思われ、ついついこだわってしまいました。
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「景福宮の秘密コード」はおもしろかった、が、歴史としては疑問も・・・ [1]

2012-09-28 15:52:44 | 韓国の小説・詩・エッセイ
          

 イ・ジョンミョン作の時代劇ミステリー小説景福宮の秘密コード(上・下)をイッキに読了しました。
 昨年10~12月放映された韓国SBSのドラマ根の深い木(뿌리 깊은 나무)の原作本です。
 ドラマは日本でも今年(2012年)3月からKNTVで放映され、なかなかの好評だったようで、7月24日〜9月17日再放送されました。
 当然原作本の注目度も高まる中、私ヌルボも読んでみるかなと思ったものの、上下巻で約4千円! 吉野家の牛鍋丼14杯分にもなるではないかと考え、やむなく市立図書館で借りようと思っても予約件数が20件くらいという状況がずっと続き、最近になってようやく借りられるようになった次第です。

 さて、読み終えた感想は、「おもしろかった」。
 イッキに読めたのは、まず展開が早いから、です。
 連続殺人物でありながらも、被害者がいきなり登場の人ばかりなので、たとえばA.クリスティ「そして誰もいなくなった」横溝正史「獄門島」のような、次は誰が殺されるんだろ?というゾクゾク感がなく、ゲーム感覚で気楽に読める。
 また、たとえば歴史物でもU.エーコ「薔薇の名前」みたいに難しいことが書かれてなくて、軽く読める。
 まあ逆に言えば、これらの点が上に挙げた3作品に及ばない点ではあるんですけど・・・。いかにもドラマ化には適した読み物ですね。

 本書を読んだ方々のブログ記事を見てみると、ミステリーもさることながら「歴史の勉強になった」という感想が多くありました。

 それはたしかにそうで、けっこう史実にのっとって書かれています。
 物語の時代設定は1443年(世宗25年)と特定できます。この年12月に訓民正音が完成しました。
 主な登場人物にしても、世宗はもちろんとして、以下の人物は実在の人物で、日本(or韓国)ウィキ等にいろいろな記事があります。

チェ・マンリ[崔萬理.최만리](1388(?)~1445)・・・本書では職名が「大提学」となっていますが、「副提学」が正しいようです。「訓民正音」に反対したのは事実で、「訓民正音」(平凡社.東洋文庫)にはチェ・マンリ等が異議を唱えて提出した「崔万理等諺文反対上疏文」が併載されています。ドラマ「大王世宗」にも登場します。(←チェ・マルリと表記)

チョン・インジ[鄭麟趾.정인지](1396~1478)・・・本書では「副提学」となっていますが、ドラマの方ではコチラが「大提学」。野間秀樹「ハングルの誕生」等によると「副提学」が正しいようです。「大王世宗」「王と妃」「韓明澮」「死六臣」等のドラマにも登場してます。「訓民正音」末尾に「鄭麟趾序」を書いています。その中で、彼は共に解説・凡例を作った人物として以下の3人を含む7人の名を記しています。

シン・スクチュ[申叔舟.신숙주](1417~75)・・・韓国ウィキによると、彼も集賢殿の一員として、「吏読(りとう)はもちろん中国語・日本語・モンゴル語・女真語にあまねく通じていて、これらを比較・分析して「訓民正音」創製に重要な役割を果した」とのことです。
 しかし本書では、通信使の書状官として日本に行っていたため、名前が少し出てくるだけで、登場人物とするには無理がありますね。
 ところが、通信使一向が朝鮮から出発したのが2月21日、4月に日本に着いたものの、入京拒否の知らせを受け兵庫津で足止めされ、6月11日に誤解が解けて入京し、6月19日に新将軍足利義勝と会見して前将軍義教への弔意を伝えた、とのこと。
 でもねー、この本の連続殺人は10月だから、もう帰国してたんじゃないの? (・・・って、こんな重箱の隅をつついて何の意味があるんだ?)
 シン・スクチュはドラマ「王女の男」「死六臣」「韓明澮」にも登場します。

ソン・サンムン[成三問.성삼문](1418~56)パク・ペンニョン[朴彭年.박팽년](1417~56)・・・この2人は、後年の<死六臣>として有名。韓国版・忠臣蔵というふれ込みのドラマ「死六臣」にもちろん登場します。ソン・サンムンが主役。この時シン・スクチェは対立する首陽大君(世祖)の側。かつての仲間が敵同士になり、運命の明暗が分かれてしまいます。(<朝鮮新報>のサイト中の関係記事→コチラ。)

 しかし、「歴史の勉強」という観点でこの小説を読むとなると、留意しなければならないのが史実とフィクションの見きわめ。
 とくに作者のイ・ジョンミョン氏は、ドラマ「風の絵師」の原作本でも「絵師申潤福(シン・ユンボク)は実は女性だった!」というトンデモ設定で書いたりしてるので、「大胆な」歴史解釈がなされているのではないかということは本作を読む際にも念頭に置く必要はあります。

 とりあえず、役所・役職関係のいろいろは勉強になりましたということで、それ以外でいくつかつあげると、まず魔方陣のこと。これが古代中国の<河図洛書>にすでにあったことは私ヌルボ、知りませんでした。読みやすい記事→コチラ。(ただし「魔陣」は誤りで「魔陣」が正しい表記。)

 また、本作ではパスパ文字がハングル創製のモデルとなったように記されていますが、ウィキのハングルの項目には「起―成文図起源説、パスパ文字起源説など諸説がある」とのことです。

 勉強になったこともう1つは、原作のタイトル「根の深い木(뿌리 깊은 나무)」の意味
 この言葉で、最初私ヌルボが思い起こしたのは、以前出版社の社名&雑誌名でこの言葉を見たこと。根の深い木社では、後に「泉が深い水(샘이 깊은 물)」という雑誌を刊行しました。
 今調べたら、前者は1976年創刊で80年に新軍部により廃刊。後者は1984~2001年に発行されていました。
 私ヌルボ、韓国人青年に「「水が深い泉(물이 깊은 샘)」じゃなくて、なんで「泉が深い水(샘이 깊은 물)」なの?」と訊いたことがありました。(今もよくわからず。)
 ところがこれらの言葉はハングルで書かれた最初(1447年)の詩集龍飛御天歌(용비어천가)の一節だったんですね。

 現代韓国語にすると、
 뿌리 깊은 나무는 바람에 흔들리지 아니하고, 꽃이 화려하게 피고 열매가 많습니다.
 샘(泉)이 깊은 물은 가뭄에도 마르지 않고, 내(川)를 이루어 바다로 흘러갑니다.
 
  (根の深い木は風にも動かず、花を咲かせ、実がたわわになり
   深い所から湧く泉は日照りにも涸れないので溢れて川となり海へと流れる)


 ・・・ということで、タイトルの「龍」とは朝鮮の歴代の王を指し、朝鮮を讃えるという内容の詩とのことです。→コチラの記事によると、最初は「불휘 기픈 남간 바라매 아니 뮐쌔 곶 됴코 여름 하나니・・・」というように記されていたそうでか。

※参考:「中央日報」のコラム<噴水台>「龍飛御天歌」・・・「龍飛御天歌」を引き合いにして盧武鉉次期大統領(当時)を揶揄しています。

 次に金属活字のことについてもちょっと調べてみるかな、とも思ったのですが、これはウィキの「活字」の項目の関連部分をちょっとコピペするだけに止めます。
 高麗末の14世紀後半に印刷された直指心体要節が現存する世界最古の金属活字本であるといわれている。1403年には青銅製の活字が作られ(銅活字とよばれる)、実用化したといわれている。高麗に於いては発達を見せず、李氏朝鮮に至ってはじめて本格化した。永楽元年(1403年)に李成桂の命により活字鋳造がはじめられた。
 ・・・つまり、この本の記述は虚構ではないということですね、たぶん。

 はてさてところでそれよりも何よりも、このブログ記事の本論は、「景福宮の秘密コード」におけるかなり重大な史実の誤りと歴史認識の問題点だったのですが、例によって本論にたどりつくまでに延々とあれこれ細々と書いてしまいましたので、本論は続きで、というにします。ふー。

 続きは→コチラです。
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信川虐殺事件の真実に迫る = 黄晳暎(ファン・ソギョン)の小説「客人(ソンニム)」

2012-07-08 21:31:28 | 韓国の小説・詩・エッセイ
        

 黄晳暎(ファン・ソギョン)の小説客人(ソンニム)を一気に読了しました。

 この小説で描かれた信川(シンチョン)虐殺事件については、すでに6月18日のピカソの「朝鮮の虐殺」に関する記事で取り上げたので、その分衝撃度は減殺されたとはいえ、十分読み応えのある作品でした。

 以下、私ヌルボなりの感想をまとめてみました。

①多角的視点から真実に迫る。

 この小説は、現北朝鮮領内の黄海南道・信川で朝鮮戦争中の1950年10~12月繰り広げられた信川虐殺事件がどのようなものであったかを、主にニューヨーク在住の柳尭燮(ユ・ヨセフ)牧師の視点から描いています。彼は実在の人物で、作者・黄晳暎も直接話を聞いています。

 現在、北朝鮮では信川博物館の展示や、体験者の証言を通じてその虐殺は「米帝による残虐な所業」としていますが、史実はそうではありません。
 虐殺の主な加害者となったのは、終戦直後から人民委員会・共産党側に抑圧されてきたキリスト教勢力。
 小説では、柳尭燮牧師が北朝鮮を訪れる3日前に病死した、やはりアメリカで長く牧師を続けてきた年の離れた兄の柳尭翰(ユ・ヨハン)長老もその中心人物でした。
 事件当時、柳尭燮牧師は14歳(数え年)。彼自身は虐殺に手を染めてはいませんが、さまざまな惨劇を目撃している上、何よりも虐殺の張本人の弟です。
 そんな彼が、40年ぶりに信川を訪れ、事件後も現地に住む親族にも会って話もし、信川博物館等も見学する・・・。
 この小説が事件の深みに迫る力を持っているのは、被害者の側からの一方的な描写ではなく、このように加害者寄りの視点を軸に書いていること。
 また、「夢」とか「亡霊」が次々に出てきて、殺された者たちや加害者ヨハンも各々の体験や思いを語ります。
 巻末の「作者のことば」で、黄晳暎自身が紹介しているこの作品の創作ノートから抜粋します。
 
 「主観と客観は別々のものとして分離されるのではなく、多くの語り手にしてもそれぞれ特定の人物に縛られることなく、また一人称ないし三人称の立場に固定されずに、その時々に登場する異なった人物の視点に基づいて発言させることにより、より真実に近い物語を描くことができるのではあるまいか。一人の人物と彼が関わった事件についても、別々の立場にあった人たちが見せる多様性を同時に提示する手法を通じて、より多彩な絵を描くことが可能になるのではないのか。」

 なるほど、まさにこの意図のままに書かれていることがよくわかり、またそれが功を奏していると思います。
 また、同じクリスチャンの中でも、共産勢力を「サタン」とみなしてためらいなく殺してしまう者もいれば、人民委員会の方針となんとか折り合いをつけていこうという者もいます。40年経った今も、北朝鮮内で自分自身の信仰のようなものを維持している人もいます。
 共産勢力の側には、たとえば火田民出身で布団の中で寝たこともなく、村の子どもたちもパンマル(ため口)を使っていたような作男が登場します。解放前から夜学で文字を教えつつ「無産者の世の中」「人間の平等」「資本家と地主」等々も教えていた村のインテリ先生から彼も解放後ハングルを教わり、やがて里の党委員長になって言葉遣いも人間も変わりますが、彼も結局・・・。

②「北」のキリスト教勢力の歴史的背景が(少し)わかる。

 現北朝鮮領内の黄海側に位置する黄海道とその北の平安道は通称西北(ソブク)」と呼ばれています。
 私ヌルボがこの言葉を知ったのは金石範の大作「火山島」からです。済州島の四・三事件で、残酷な住民虐殺を行った中心勢力が西北青年団でした。その時は、ただ理解不能なヤクザ集団といった印象でした。
 しかし「客人」及びその訳者(鄭敬謨)あとがきによると、次のような歴史的背景があるそうです。

・1880年代、朝鮮で最初にキリスト教(プロテスタント=改新教)の教会が建てられ、布教が進められた地が黄海道である。 
・西北のクリスチャンたちは、勤勉と質素という「プロテスタンティズムの倫理」によって、小地主に成長していった。彼らは当然親米的であり、植民地時代には強い反日感情を持ち、強制的な神社参拝を拒否したりした。
・解放後の社会主義体制で小地主的クリスチャンたちは土地を失うことになり、社会主義勢力と激烈な対立関係に入る。


 ・・・ということで、ヌルボ、ここに至って四・三事件の背景(の一端)を知ることとなりました。(「火山島」にも何か書いてあったのかなあ?)
 また、解放後の「北」の代表的政治指導者で「朝鮮のガンジー」といわれたキリスト者・曺晩植(チョ・マンシク)の出自等についても知ることができました。

※鄭敬謨氏は、かつての「親米反日」から解放後「親米反共」へと変異を起こした越南クリスチャンたちが「アメリカの強力な支援を得て経済的にも政治的にも隠然たる勢力と化し、世界最大のプロテスタントの教会を建立したり、反共色濃厚な大学を建設したりするのは当然の成り行きであっただろう」と記しているのは興味深い。今につながっている、ということか。(※「世界最大のプロテスタントの教会」とは、信徒数78万人の汝矣島(ヨイド)純福音教会のこと。李明博大統領が長老として所属しているソマン教会も大きな教会。)

③北朝鮮の社会を、冷静に観察・描写している。

 実は、黄晳暎自身も戸籍上の原籍は「信川郡温泉面温井里一〇三番地」なんですね。小説では「寒井里」となっていますが、まさに虐殺事件の現地。しかし彼自身の生地ではなく、彼の父親が少年期を過ごした所とか。
 とはいえ、黄晳暎は1989年韓国政府の許可なく「北側の人に案内されて」訪北し、信川を訪れたのも、彼自身の縁故の地だったからです。その時、記念館に案内されながらも、「別の真相」があるのでは、という疑いを持ち続け、後日アメリカで柳ヨセフをはじめ事件を知る人から話を聞いたとのことです。

 ヌルボは、政府の許可なく北朝鮮に行ったというからには、彼も文益煥牧師や林秀卿のように(?)北朝鮮に幻想を抱いていた人かな、と以前思っていたのですが、この作品ではきっちり見たままを的確に書いています。常に監視を怠らない案内員のこと、バスの窓越しに見える「稚拙な文字で書かれた煽動スローガン」の数々。案内されたサーカスは「さまざまな芸を披露してくれたが何の感興も起こらなかった」等々。

 また、信川博物館の目撃者の感想については、次のように記されています。
 「ヨセフは当時その惨劇の場に居合わせたのだから、彼らの証言が決してウソではないのを知っていた。にもかかわらず彼らの訴えがあらかじめ企画されたものだということも感じていた。悪夢は事実だけれども、夢から覚めたあとその生々しさを失った言葉は、またどれほど軽いものか。・・・彼らが描写する虐殺行為の主語は全て「米帝」に置き替えられていたが、しかし当時信川郡に米軍が駐屯していたという事実はない。・・・」
 これらは、作家自身の感想なのでしょう。

④史実の捏造や、我田引水的解釈はよくない!

 あ、これは黄晳暎氏に対する非難ではなくて、事実をわかっていながら米軍による虐殺であると宣伝している北朝鮮のことです。
 作中で、惨劇の目撃者という信川博物館の館長が「自分たちどうしのあの殺し合い!」と言っています。この叙述が根拠のあるものだとすると、そのレベルでは知られている事実ということでしょう。しかし、同民族間の和解と民衆に対する反米プロパガンダの一挙両得をねらうにしても、史実の捏造はダメだよー。

※去る6月9日の「朝鮮中央通信」は、朝鮮少年団創立66周年慶祝行事に参加した信川郡シヌン中学校の女生徒の代表の言葉を載せています。
 「私は祖国解放戦争(朝鮮戦争)の時期、私の故郷で働いた米帝殺人鬼の蛮行について多く聴きながら育った、ところが今またそれを見るとなると、米帝侵略者に必ず復讐するという誓いがいっそう固まります。」
 ・・・これじゃあ悲劇はいつまでも続きますよ。

 「客人(ソンニム)」というタイトルは、かつて西から渡ってきた天然痘(「西病」)を、朝鮮民衆は一刻も早く帰ってもらうべき「客人」と呼んだように、解放後大きな傷あとを残したキリスト教徒・マルクス主義もいわば西から入った「客人」だという意味が込められているのですが、作者のことばには「しかしここに至り改めて痛感するのは、真に怖るべき「客人媽媽(ソンニムマーマ)」は依然としてアメリカ帝国ということだ」と書かれています。
 前述のように、北朝鮮に対しても否定的な記述が多いにもかかわらず、朝鮮総聯の機関紙「朝鮮新報」が2004年5月のこの本を好意的に紹介しているのは、まさに作者のその言葉にとびついたということでしょうか。しかし、意識的か否かわかりませんが、我田引水的な読み方の上、「今も世界を支配する「米=客人」の横暴。そのグロテスクで醜悪な本質を撃つ衝撃的な作品」と締めくくるとは、いやあ、さすがに「朝鮮新報」! 口あんぐり。

⑤殺し殺された亡霊同士の確執は解消するのか?

 最後に、やや食い足りない思いが残った点を書きます。キリスト教とマルクス主義のそれぞれの理念が真向から対立する中でむごたらしく殺し合った者たちは、亡霊同士となってもそう簡単に和解に至るものではないでしょう。自らのことを語るだけでなく、互いをもっと厳しく批判し合うのではないでしょうか? 同様の感想はアマゾンの読者レビューで「あるばむ」さんが書いているし、教保文庫のレビューにもありました。
 ドストエフスキーがすごいのは、そこを徹底的に掘り下げているからだと思います。
 (ドストエフスキーを基準にしたら、ほとんどが食い足りなくなっちゃいますが・・・。)
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=金一男「韓国詩歌春秋」= 古代~現代の、漢詩・民謡・時調・歌曲・近代詩の各分野を鳥瞰

2012-05-14 23:55:53 | 韓国の小説・詩・エッセイ
        

 最近読んだ、買い得・読み得の本です。

 昨年(2011年)11月発行。帯には次のように記されています。

 韓国の詩歌を「古代中世歌謡」「漢詩」「民謡と歌曲」「近代自由詩」「時調(シジョ)」の5項目に分類し、代表的作品を紹介。韓国詩史を鳥瞰する待望のアンソロジー。

 これまで、韓国(朝鮮)近代詩については金素雲「朝鮮詩集」(岩波文庫)をはじめいろいろ刊行されています。
 その他ののジャンルについては、民謡や歌曲については音楽関係の本やウェブサイトで見たり、動画サイトで聴けるものもたくさんあります。

 時調についての本は非常に少ないですが、「朝鮮の詩ごころ―「時調」の世界」(講談社学術文庫)という本があります。
 また旧朝鮮で生まれ育ち、そこで小学校の教師をしていた瀬尾文子さんという方がいらっしゃいます。彼女は日本に引揚げてから27年後の45歳からハングルを学び始め、1997年70歳の時に「時調四四三選」を上梓、続いて2003年には韓国の漢詩を日本に(たぶん)初めて紹介した日韓対訳詩集「春恨秋思」を、そして昨2011年には愛をテーマにした時調169首を収録した「愛の時調」を84歳というご高齢で刊行されています。関係記事は→コチラ。標記の本の著者金一男さんが「時調会」同人として寄稿しています。

 このように、個別ジャンルごとには、その気になればそれなりの知識を得ることは可能ですが、この本は、なんと上記の全ジャンルにわたって、古代から現代に及ぶ主だった作品を、この決して部厚くもない(というより薄い)1冊に盛り込んでしまってるのですから、オドロキです。

 各ジャンルの作品数は、
  古代中世歌謡=6編
  漢詩=16編
  民謡=11編
  歌曲=15編
  近代詩=69編
  時調=28編
 ・・・で、計145編。

 一方、本文のページ数は実質152ページ。ということは、原則1ページ1作品。しかし、全作品が原文(ハングルor漢文)と日本語訳、そして作家や作品の説明が4~6行ついている、ということは、作品の多くは部分的にしか載せられていないということです。
 これがこの本の最大の欠点。しかし、著者の金一男さんはそれを承知の上で、やむなくこうした形にしたということは理解できます。もし全作品を完全な形で収録したら、おそらく倍以上のボリュームになったでしょうし、定価も4000円くらいにはなったかもしれません。発行が日本文学館ということは自費出版らしい(?)し、できるだけ多くの読者に「韓国詩史を鳥瞰する」本を提供するとなると、この形にして1000円で売ることを優先したということでしょう。

 ・・・ということで、この本の利点をあげると、
①古代からのさまざまな形の詩文学の概略がわかる。
 私ヌルボ、日本の文学史を深く理解するには、和歌もさることながら、漢詩をまず知る必要があるとかねがね思っているのですが、朝鮮の場合も同様ですね。本書にも新羅時代の崔致遠以下、鄭汝昌、申師任堂(5万ウォン札の肖像)、柳成龍(リュ・シウォンの先祖の宰相)、丁若、金笠(キム・サッカ)等々、昔の知識階級の主だった人たちの作品が載っています。

②原文を載せている。
 上記の金素雲「朝鮮詩集」などは日本語訳しかないですからねー。(刊行当時の時代を考えると、原文(ハングル)併記はありえなかったでしょうが・・・。)
 ただ、各作品の題に限ってハングル標記がないのは残念。

③民謡のような「俗」な歌謡の歌詞も載せている。
 歌曲には、ヌルボの好きな金栄一作詞・金大賢の「子守唄(자장가)」が入っています。知らない曲ももちろんあって、YouTubeでいくつか聴いてみました。

④各作品の説明が簡潔にして要を得ている。

      

⑤(個人的には)今までほとんど知らなかった時調の形式や内容について、およそこういうものか、ということがわかった。
 13~14世紀の禹倬(ウタク)という人の作品から、現代の作品まで紹介されています。有名な黄真伊や李舜臣作の時調もあります。

⑥日本語訳は、原文の韻律や雰囲気をよく伝えている(ように思える)。
 ・・・と思ったのは、金素月の詩。
 たとえば「山有花(산유화)」。

  산에는 꽃 피네 꽃이 피네   山には花咲く 花が咲く
  갈 봄 여름 없이 꽃이 피네   秋、春、夏なく 花が咲く
  산에 산에 피는 꽃은      山に 山に 咲く花は
  저만치 혼자서 피어 있네    ぽつんと独りで 咲いている
    (中略)
  산에는 꽃 지네 꽃이 지네   山には花散る 花が散る
  갈 봄 여름 없이 꽃이 지네   秋、春、夏なく 花が散る

     (※「갈」を「行く」と誤解して訳している人もいますが、「가을(秋)」の意。)

 あるいは、崔南善「海から少年へ(해에게서 소년에게)」の冒頭の2行。

  처얼썩 처얼썩 척 쏴아아   ザブーン ザブーン ザン ザザーン
  떄린다 부순다 무너버린다   たたく くだく ぶちこわす


 この本の著者の金一男さんは、ネットで検索すると、川崎市にお住まいの在日の方で、以前から「在日の時調の会」の代表として活動され、韓国の大学で文学賞も受賞されています。
 文学には関係ありませんが、→コチラの姜尚中氏批判の文も書いていらっしゃるようで・・・。(関係ないけど、ヌルボも姜尚中さんの反論をぜひ聞きたい。)
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韓国の人気書・朴慶哲「田舎医者の美しい同行」は迫真の感動実話集だった!

2012-02-19 18:21:28 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 前の記事に続き、川崎図書館で借りてきた韓国書紹介の2冊目です。

 せっかく韓国書がたくさんある図書館に来たからには、1冊だけではもったいない、「宝の山に入って手ぶらで帰るなどとは・・・」という「今昔物語集」に出てくる受領・藤原陳忠のように貪欲な気持ちが起こって、さらに物色してみつけたのが田舎医者の美しい同行(시골의사의 아름다운 동행)

          

 著者と書名については以前から知ってはいました。
本ブログの昨年(2011年)4月27日の記事<韓国人が一番会いたい作家は、国内=孔枝泳、国外=ウェルベル>の中で、
「小説家以外で、朴慶哲(パク・キョンチョル)は、<田舎医者>でありながら「田舎医師の金持ち経済学」やエッセイ集を書いてベストセラーに。経済番組も担当しているとか。」
と記しました。
 また今年1月2日の記事にあるように、YES24の<第9回ネチズン選定、今年の本2011>で「田舎医者朴慶哲の自己革命」が総合4位にあげられています。

 しかしながら私ヌルボ、これまで彼の本を実際に読んだことはありませんでした。
 で、たまたま川崎図書館の書架でこの本を見つけ、読んでみるかなと思ったのです。
 実は、あまり読む前は気乗りがしなかったのですが・・・。

 大体「田舎医者」というと、私ヌルボとしては、井伏鱒二原作の「本日休診」とか、新しいところでは西川美和監督・笑福亭鶴瓶主演の「ディア・ドクター」といった映画のイメージが頭にあって、のんびりした田舎でたまに急患とかはあるものの、やはりのんびりと過ごしている村の老医師を思い起こすのです。それが気乗りのしなかった大きな理由です。

 ところがところが、読み始めてみると全然そんなお気楽なものではないのです。

 いくつもの実体験が載せられていますが、床が血の海のようになっている中で、比喩ではなく生きるか死ぬかの瀬戸際で何時間にも及ぶ手術のようす、事故や病気のため救急車で担ぎ込まれてきた子ども、そして子の生存を願う親の心情・・・。そんな緊張感に満ちた状況と、その中での家族愛や、人と人の心の交流がとても濃密に書き込まれているのです。

 たとえば・・・
 大手術も及ばず、死を迎えることになった老女性が、筆談を求めます。「私(朴慶哲)」は遺言を書くのだろうと思い、家族たちを病室に呼び入れます。ところが人工呼吸器を付けたまま彼女が苦心して書いた4文字は「시신기증(屍身寄贈)」。つまり献体の希望だったのです。

 登山中に、イノシシと間違われて猟師に撃たれ、全身に散弾を受けた男を救急車で大学病院に運んでいる途中、「私」は同乗の女性インターン生に輸血パックの交換を指示します。ところが病院に電話を掛けた後後ろを見ると、なんとインターン生は輸血パックの交換をせず、リンゲル液だけ取り換えていた・・・。「私」は大声で怒鳴るがインターン生は涙を流しつつも指示に従わない。「私」は車を止めて、自ら輸血パックを交換し、ことなきをえるのですが・・・。後になって「私」が知ったのは、そのインターン生は、輸血を否定している宗教の信徒でした。
 その後、交通事故に遭った7歳の子どもが応急室に運び込まれてきたことがありました。輸血しなければ命が危ない状態なのに、その宗教の信者である両親は決して輸血はしないでくれと頼みます。そこで「私」はどう判断したか・・・?
 ヌルボが朴慶哲氏はたいした人だなーと思ったのは、怒りながらも当のインターン生と徹底的に議論し、その宗教と彼女の思いにも理解を深めていっていること。そして結局は、彼女もその宗教的信念により人を死に追いやるような可能性のない場に医者としての道を求めることになります。

※韓国にはまだインターン制度があるのか? ・・・と疑問に思ってちょっと調べてみたら、「医学部卒業後、医師免許を取得した医師は、1年間インターン、4年間レジデントとして研修を積まなければならない」ということです。

 その他にも、「私」の友人の医師の話ですが、自分の子が急に川崎病になって大変な思いをした直後、後進車に挟まれて運び込まれた小学生の手術をすることになったその医師が、その子の父親の心境に相通じるものを感じて涙をポロポロ流したという話、そして数年後に、中学生になったというその子から声をかけられた、という後日談。

 どれをとっても、外科医とはこんなにも強靭な体力・知力・精神力を要するものなのかと驚くエピソードばかりです。
 のんびりした田舎医者というイメージがいかにいい加減なものだったかを反省しました。
 何を隠そう私ヌルボ、高校時代医学部進学を何となく考えていたこともあって、3年の時は理系クラスに在籍していたのですが、物理等の成績が抜群(下の方に、です)だったこともあって、文系に進路変更したのです。思えばそれは正解だったようです。理系ができないからといって文系に優れているということでもないですが、少なくとも不注意や知力不足で助かる命を死なせてしまうことはないですから・・・。

 このようなハラハラドキドキ&感動の、or考えさせるラストのエピソードが35編。1つ1つが4~17ページなので、どんどん読み進むことができます。
 ・・・といっても、この本も実はまだ半分も読んでませんが・・・。やっぱり韓国書を2冊同時併行で読むというのは無謀でしたね、ははは。一度返却してから、継続して借りるしかないですね。

 この本は2005年4月発行して以来版を重ね、続刊も刊行され、電子書籍としても出ています。
上掲の昨年の注目本「田舎医者朴慶哲の自己革命」については、自身のブログを載せているのを見つけました。
 また、先に記したように、彼は「田舎医師の金持ち経済学」という本も出していて、経済番組も担当しているとのことで、なんとパワフルなことか、驚くしかありません。

 さらにまた驚いたことには、最近は政治がらみのニュースにも彼の名前が出てくるのです。
 近づきつつある大統領選に向けての進歩陣営側のキーマン、安哲秀(アン・チョルス)氏の強力な支援者になっているのですね。

 昨年2月にはツイッターで「所得の10%を毎年安哲秀財団に寄付することを約定」したと公表したり、9月にはソウル市長選不出馬を宣言したアン・チョルス氏を抱擁して涙を流す写真が報じられたり、5月以降彼ら2人が中心となって展開している「青春コンサート2.0」に韓国の代表的MCキム・ジェドンが講師として参加することが伝えられたり、またテレビにも出演したりして、一体この人のバイタリティはどこから湧き出てくるのか見当もつかないレベルです。

 昨年暮れの「東亜日報」の記事によると、COEXで開幕した2011ソウル人形展示会では、有名人をモデルにしたクレイ人形中に潘基文国連事務総長、朴槿恵ハンナラ党非常対策委員長、李健煕サムスン電子会長、李明博大統領、安哲秀ソウル大融合科学技術大学院長とともに、なんとこの「田舎医師」こと朴慶哲氏の人形もあるんですねー! 知名度が高いどころか、ビッグネームの域に達しているようです。

 しかし、前の記事で紹介した「タサンの父に」の著者安素玲さんと同様に、文化関係のネタもちょっと背景等を探っていくと、またも、という感じで政治関係の、それもあいかわらずの左右両翼の対立の構図につながってきたりで、記事の書き始めはそんなつもりでもなかったのに、やれやれでございます。
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萩原朔太郎の詩と韓国(2) 韓国での文学研究の現況 =民族主義的文学史からの脱却

2011-10-26 23:52:42 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 先の記事で、「現代詩手帖」10月号の林容澤教授の書いた韓国における萩原朔太郎について記しました。今回はその続きです。

 今日は天気も好く時間もあったので、初めて世田谷文学館に行ってきました。
 菅野昭正先生が館長で、かねてから行こうとは思っていたのですが、今ちょうど企画展で「生誕125年 萩原朔太郎展」をやっているので、この機会をとらえて行ってきたというわけです。

    

 朔太郎の自筆資料では、有名な「竹」の「光る地面に竹が生え」以下の「竹が生え」は下書きでは「竹が立ち」、「蛙の死」中の「かわゆらしい」は「かわいらしい」だったこととか、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に、「世界第一の書物はこれである」「この書物をよんだ人は一晩の中で急に賢人になることができる」等の書き込みをしていたり等々に注目しました。
 しかし、少年~青年時代の朔太郎の写真を見ると、いいとこの坊ちゃんにありがちな軽佻浮薄な感じですねー。実際いくつもの学校で中退を繰り返してまともに卒業したためしはないし・・・。雰囲気的に堀口大學の若い頃と似ているような・・・。
※工藤美代子「黄昏の詩人―堀口大学とその父のこと」の感想を書いてないことに気づきました。堀口大學の父九萬一は閔妃暗殺に深く関わった外交官です。

 この特別展に行ってよかったのは、朔太郎もさることながら、私ヌルボの好きな司修のとても印象的なリトグラフ作品を観ることができたこと、そしてムットーニのからくり劇場「猫町」その他を初めて鑑賞できたことです。

     
       【「猫町」朗読の音声が流れ、箱の中の人形などが動くのです。】

 ただ、予測はしていましたが、韓国・朝鮮に関わるネタはとくにありませんでした。

 ここから本論です。
 林容澤教授の「韓国における萩原朔太郎」を読んで勉強になった2つ目の点は、朔太郎の詩が当時の朝鮮人詩人たちに及ぼした影響と、それについての韓国での研究の現況についてです。

 林教授は、韓国詩壇で最初に朔太郎を紹介したのは、象徴主義系列の詩人・黄錫禹(ファン・ソグ)が1920年「廃墟」創刊号中の「日本詩壇の二大傾向」」という一文で「萩原朔太郎は三木露風氏の攻撃者で、一時日本詩壇において有名を振るっており・・・当時の野口米次郎、室生犀星にいわせると、日本の大天才とのこと。しかし・・・」等々と記しているのが嚆矢とのこと。
 そして、「当時の(韓国の)詩人たちに少なからぬ知的興味を呼び起こしたものと察せられる」として、その代表格という感覚派抒情詩人・李章熙(イ・ジャンヒ.1900~29)の猫の詩を例としてあげています。

   봄은 고양이로다                  春は猫ならし  (金素雲訳「朝鮮詩集」(1940))

 꽃가루와 같이 부드러운 고양이의 털에    花粉のやうな軟らかい猫の毛並に
 고운 봄의 향기(香氣)가 어리우도다.       仄かな春の香気はこもり、

 금방울과 같이 호동그란 고양이의 눈에    鈴のやうに見開いた猫の瞳に
 미친 봄의 불길이 흐르도다.           狂ほしい春の光は閃(きらめ)く。

 고요히 다물은 고양이의 입술에         しづかに結ばれた猫の口辺に
 포근한 봄 졸음이 떠돌아라.            のどかな春の睡(まどろ)みは宿り、

 날카롭게 쭉 뻗은 고양이의 수염에       突き延びた猫の鋭い髯に
 푸른 봄의 생기(生氣)가 뛰놀아라.         あたらしい春の生気は動く。 



 この作品について林教授は「・・・なかでも、春の気だるさに誘い出された“狂ほしい春の光(原詩では炎)”は読者を情炎と官能の世界に導き、『月に吠える』での「猫」を思い浮かばせるものがある」とコメントしています。
 この他にも、同じ李章熙の「猫の夢」という詩も朔太郎との接点が見受けられる作品として紹介されています。

 大正~昭和前期に日本に渡ってきた多くの韓国人の中で、文学を志した人々が当時の日本の作家や詩人の影響を受けただろうことは至極当然のことで、上記の朔太郎の例もとくに意外なものでもありません。

 ただ、昨年11月8日の記事でも書きましたが、韓国・北朝鮮では、長く<比較文学という学問がありえなかった>ということです。
 強い民族主義、ナショナリズムが学問の世界をも包み込む中で、「われわれの民族を代表する○○の作品が外国の(とくに日本の)影響を受けたなどということはありえない」というわけです。「影響を受ける」は剽窃と等価で、独創性・主体性を否定するものと受けとめられたのでしょう。
  しかし、その記事の末尾で私ヌルボも記したように、近年韓国内でも変化が目立ってきているようです。文学研究の分野でも、話題となった「解放前後史の再認識」の編集に参画した金哲延世大教授をはじめ、ナショナリズムを脱した研究者が増えてきているように思われます。
 この林容澤教授の論考では、「日本文学についての研究自体が一九九〇年代に入ってから本格的に始まった」とあり、朔太郎研究も、「質と量ともにまだ不備な点が多い」としながらも、何人もの朔太郎研究者の名をあげています。
 ・・・ということは、朔太郎だけでなく、北原白秋等々、他の日本詩人と韓国人詩人との人間関係や影響などについても研究が進められている、あるいは今後進められていくと見ていいのでしょうか? 
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萩原朔太郎の詩と韓国(1) 韓国語の特性と、韓国詩翻訳のむずかしさ

2011-10-22 23:56:36 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 1960年代、全国の多くの高校には文芸部があって、たぶんその部員たちの大半は萩原朔太郎にかぶれていたのではないでしょうか? 少なくとも私ヌルボの出身校ではそうでしたね。なんでこんなに不健康な詩を彼らは好き好んで書くのか、健全な少年ヌルボは理解できなかったです。
 その後、朔太郎にも、「こころ」(こころをばなににたとへん こころはあぢさゐの花・・・)等のような不健康でもない作品があることを知り、とくに「陽春」(ああ、春は遠くからけぶつて来る・・・)はホントに好きな詩になりましたが、それでも朔太郎はヌルボの好きな詩人の中には入りません。

 さて、書店でたまたま見た「現代詩手帖」10月号の特集が<萩原朔太郎 2011>でした。内容とは関係ないけど、1400円とは高いです。かなりぜいたくな夕食が食べられる値段だなー、と思いつつも意を決して買ったのは、冒頭に菅野昭正先生と、詩人&作家の松浦寿輝さんの対談があったから。そして「金素雲『朝鮮詩集』の世界―祖国喪失者の詩心((中公新書)」の著者・林容澤(イム・ヨンテク)仁荷大教授韓国における萩原朔太郎という一文を寄せていたからです。

 その林容澤教授の記事がなかなか興味深い内容で、勉強になりました。その要点や考えたこと等を整理してみます。
 ポイントは、大きく分けて次の2点です。

A.日本の(or萩原朔太郎の)詩を韓国語に訳す際のむずかしさについて。 
B.『月に吠える』に代表される萩原朔太郎の詩が当時の朝鮮人詩人たちに及ぼした影響と、それについての韓国での研究の現況について。


 少し長くなりそうなので、今回はAに限定して書くことにします。

 林容澤教授は、民音社が1998年刊行した「世界詩人選」中に日本詩人4人を選定した際、その1人の萩原朔太郎の巻として彼の作品35篇を選んで翻訳したとのことです。
※萩原朔太郎以外の3人は松尾芭蕉、石川啄木、北原白秋です。芭蕉がどう訳されているか興味深いところですが、それはまたいずれ。

 日本の詩を外国語に訳したり、逆に外国の詩を日本語に訳す場合、ヌルボのような門外漢でも「ここらへんがむずかしそうだな」とふつうに察せられるのは、たとえば次のような点です。

②ある言葉の語感(ニュアンス)、イメージといったものがどれほど正確に伝えることができるのか? 
③原詩の韻律(リズムや母音の配列等)や音声の効果(軟らかさや、ざらざらした感じ等)をどれだけ他言語で表現できるのか?


 ここで②、③と番号をつけたのは、それ以外に林容澤教授の記述の中で、とくにあげられていた点に盲点をつかれたような感じがしたからです。それは、

日本語と韓国語それぞれの特性の違いによって、たとえば文法的・語法的に同じような表現をとり得ないことがある
・・・ということです。

 ここに掲げられていた具体例は「蛙の死」。『月に吠える』中の短い詩です。

 蛙が殺された、 
 子供がまるくなつて手をあげた、
 みんないつしよに、
 かわゆらしい、
 血だらけの手をあげた、
 月が出た、
 丘の上に人が立つてゐる。
 帽子の下に顔がある。


 これを韓国語に移す過程で露呈した問題点というのが次のようなこと。
 「蛙が殺された」について、「韓国語には受身の表現が発達しておらず、しかも動物には普通使わない」ので、「結局“死んだ”としか言いようがないわけだが、“死んだ”では蛙の死が他意による不可抗力のものという状況がうまく表現できない」と林教授は記しています。

 それから「かはゆらしい」にしても、「辞典的な意味の韓国語を探し当てるだけでは、・・・蛙の死に些かの罪意識も感じない子どもたちの無邪気な行動の不気味さと、その裏に身を隠した、人間の残虐さへの詩人の冷笑的な視線は伝えきれない」と指摘しています。こちらの問題は上記②に分類されるでしょう。

「韓国語は日本語に比べ、口語と文語の使い分けが曖昧」なので、「「氷島」のような漢語脈の文語詩と、他の口語詩との差別化に最新の配慮が要求される」という点も①の問題に属するでしょう。

 ・・・なるほど。では林先生、そこのところを実際どのように乗り越えて韓国語に訳したのかな、と韓国語学習者としては当然知りたくなりますね。この論考にはそれは載ってないので、韓国サイトを検索して見つけましたよ。次の通りです。原詩と並べてみます。
   
  蛙の死                  개구리의 죽음        
 蛙が殺された、            개구리가 살해되었다,
 子供がまるくなつて手をあげた、  아이들이 둘러서서 손을 들었다,
 みんないつしよに、          모두 함께,
 かわゆらしい、              앙증스러운,
 血だらけの手をあげた、        피범벅이 된 손을 들었다,
 月が出た、                달이 떴다,
 丘の上に人が立つてゐる。     언덕 위로 사람이 서 있다.
 帽子の下に顔がある。        모자 아래 얼굴이 있다.


 「개구리가 살해되었다, (蛙が殺害された)」ですか。ふーむ・・・。
 また林教授は、「猫」(『月に吠える』所収)でのオノマトペアの再現には、「詩の移植の難儀さを改めて実感させられた」と述懐しています。猫が、「ニャー」とか「にゃあ」ではなく、「おわあ」「おぎやあ」などと異様な鳴き方をしている詩で、ご存知の人も多いと思います。

 これも韓国サイトで探してみました。

     猫                      고양이 
 まつくろけの猫が二疋、           새까만 고양이가 두 마리,
 なやましいよるの家根のうへで、      나른한 밤 지붕 위에,
 ぴんとたてた尻尾のさきから、        쪽 세운 꼬리 끝으로,
 糸のやうなみかづきがかすんでゐる。   실 같은 초.승.달.이 희미하다.
 『おわあ、こんばんは』             [야옹, 안녕하시오]
 『おわあ、こんばんは』             [야옹, 안녕하시오]
 『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』      [야아오, 야아오, 야오오]
 『おわああ、ここの家の主人は病気です』 [야아오옹, 이 집 주인은 병이 났어요] 


 ・・・야옹(ヤオン)だと、ふつうの猫の鳴き声ではないですか? 야아오(ヤアオ)とか야아오옹(ヤアオン)になると、ニュアンスがどう変わってくるのか、ヌルボにはよくわかりません。
 これは上記の分類だと②と③両方に関わる問題になりますかね。
 
 萩原朔太郎ではないですが、以前からこれは韓国語に訳しようがあるのかとかねがね思っている詩があります。
 それは谷川俊太郎の『ことばあそびうた』中の諸作品。

 たとえば「かっぱ」

 かっぱかっぱらった  
 かっぱらっぱかっぱらった
 とってちってた

  (以下略)

 あるいは「いるか」

 いるかいないか
 いないかいるか
 いないいないいるか
 いつならいるか
 よるならいるか
 またきてみるか


  (以下略)

 これらは上記の分類③。
 このおもしろさを韓国の人(や世界の人)にも知ってほしいんですけどねー。
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下北沢で申京淑さんの話を聞く (1)

2011-10-20 23:29:42 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 年を取ると2年間はあっという間です。しかし、その2年という間には実にいろんなことがあって、自分を直接取り巻く状況もさまざまに変わるということを実感しました。

 2年前、たまたま読んで感動した「母(オンマ)をお願い」の感想に「翻訳本刊行を期待!」とタイトルをつけて本ブログ開設の最初の記事にしました。
 その後この本は世界31ヵ国で刊行される大ベストセラーになり、日本でも翻訳書が文庫本で発売され、そして来日した作者の申京淑さんが目の前にいて、私ヌルボと話をしている・・・。2年前にはとても想像もつかなかったことです。

 9月17日の記事で<10月の申京淑さん関係の催し at東京&名古屋>についての情報を流した張本人が行かない法はありません。20日の韓国文化院の方が本番のような感じですが、20日は都合がつかず、昨日19日の夜下北沢のギャラリーKYOに行ってきました。

 広くはない(はっきり言って狭い)会場に椅子が30数脚。予約しないで来た人もいて(実は私ヌルボもその1人)、20人近くは立ち見でした。

     
          【私ヌルボも立ち見だったもので・・・】

 申京淑さんの話については、数日後に記事にします。

 小ぢんまりとした会場でラッキーだったのは、ごく近くで話が聞けた上、その後にサインしていただいたり、一緒に写真を撮らせていただいたりできたこと。そして直接話もできたこと。「어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고(どこかで私をよぶ電話の音が鳴って)」にあった(「母をお願い」にもちょっと出てくる)冬葵(아욱.アウク)のこととか・・・。

         
    【話しぶりもお召し物も、思っていた通りの穏やかな雰囲気の方でした。】

 「母をお願い」の原書は手許になかったので、その「어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고」にサインをいただきました。

        
   【8色のサインペンセットを出して「お好きな色で書いて下さい」と言ったら紫色を選びましたね。】

 申京淑さんの前に「私の作品世界」というテーマで話された鄭泳文さんは、1965年生まれで、申京淑さんの2歳年下。しかし「物語」の意味を広く捉え、現代の中で積極的にその役割・意義を見出していこうという申京淑さんとは対照的に、鄭泳文さんは冒頭から「小説といえばほとんどの人は起承転結をもった物語が展開すると思うでしょうが、そうでなければならないものではない」と話を切り出しました。さらに「何も起こらない」ことや「メッセージの不在」を強調。伝えるメッセージの有無よりも「小説の形式そのものについての実験に関心がある」とのことです。10年ほど前にベケットから強い影響を受けた、とも・・・。「東京及び名古屋フォーラム資料集」によると、「多くの評論家が鄭泳文の小説を「メタ小説」と解釈する」等々と書かれていますが、むべなるかな。
 講演の後、個人的に質問しました。80年代までの韓国文学の伝統を意識しないのか、それとも意識的に否定しようとしているのか、どちらですかと・・・。お答えは後者でした。
 他の分野でも同様ですが、文学の面でも、韓国は日本等の先進国が4~50年かけて歩んできた道をこの20年の間に2倍速の早送りのように駆け足で辿ってきているようです。鄭泳文さんの話を聞いてとくにそのことを痛感しました。

 この日司会を担当された集英社の岩本さんとも少し話をする機会が持てました。ヌルボが「「母をお願い」も同じ集英社文庫の「風の影」のようなステディ・セラーになるといいですね」というと、「あの本も私が担当しました」とのこと。あー、そーなんだ(笑) はからずもうれしいこと言っちゃったネ。あと、「離れ部屋」も文庫本にしてほしい旨、要望しておきました。

 なお、上記「資料集」の他に、韓国文学翻訳院が出している「list Books ffrom Korea」(英文)という韓国書の紹介冊子を2冊いただきました。これがなかなか充実した内容のもので、個人的にも今後の本選びの指針ともなりそうですごく得した気分。さらには「スッカラ」の12月号\\790もタダでいただいちゃってラッキー!でした。 この日に行って、ホントによかった!
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10月の申京淑さん関係の催し at東京&名古屋

2011-09-17 17:56:06 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 昨日16日の発売日に申京淑「母をお願い」(集英社文庫)を購入し、一気に読了しました。一昨年韓国語で読んだ時には、記念すべき(?)本ブログ最初の記事で記したように約1ヵ月かかって読んだのが、今回は日本語で約6時間。ま、そんなもの?

 感想はいろいろありますが、とりあえず「母をお願い」というタイトルについて。
 4月28日の記事、「「母をお願い」だと、「オンマ」という語に込められた子→母の情が感じられないので、ヌルボとしては納得できません」と、私ヌルボとしてはめずらしく断定的に書きました。

 しかし、今この安宇植先生の翻訳を見てみると、冒頭が「母さん(オンマ)の行方がわからなくなって一週間目だ」です。※(オンマ)は実際はルビ。
 次行以下の本文はずっと「オンマ」。
 また数ページ後には、母を探すビラの文句についての兄妹のやり取りの中で、韓国語を知らない読者にも、オモニとオンマの差異について自然にわかるようになっています。
 そして最後の一文が、「オンマのこと、母(オンマ)をお願い」

 ・・・やっぱり安宇植先生、ヌルボが案ずるまでもなく、韓国語のオンマという言葉を知らない読者にも、その語感が自然に理解されていくような訳し方をされています。ヌルボとしてはすべてナットクしました。ついでながら、「離れ部屋」ではオムマだったのが今回はオンマになっているし、やっぱりそれが自然ですね。

 その他モロモロについてはまたいずれ。

 さて、のんきさんから問い合わせがあった申京淑さん関係の10月の催しについて、やっと具体的内容が諸サイトの記事等が出てきて明らかになってきました。
 以下の通りです。


東京での催し ※①、②とも韓国文化院のHP参照→コチラ

①10月19日(水)18:00~:21:00 「韓国作家と集う夕べ」 場所=ギャラリーKYO (下北沢駅南出口徒歩5分)
 申京淑、鄭泳文(韓国の文学賞「東西文学賞」受賞作家)
 内容:朗読、質疑応答、簡単な食事など

②10月20日(木)14時~ 「韓国文学への誘い」 場所=韓国文化院2Fハンマダンホール
 入場無料
 内容:1部 対談。テーマ「変化する文学」 出演:鄭泳文、 野村喜和夫
    2部 対談。テーマ「文学に見る家族」 出演:申京淑、津島佑子

名古屋での催し

①10月19日(水)13:30~14:30(13:00開場) コリアプラザ文化講演「小説に見るオンマ(お母さん)の味」
  会場:コリアプラザ名古屋
  出演:申京淑先生、兼若逸之先生
  定員:50名(先着申込順
  参加費:無料
  主催:集英社、韓国観光公社
   ※詳細は→コチラ※申込みが必要

②10月22日(土)15:00~17:00 韓国文学翻訳院名古屋フォーラム「お互いに見た隣国の文学」
 会場:CBCホール(名古屋市中区新栄1-2-8)
 会費:入場無料
 問合せ先:CBC事業部(℡052・241・8118、名古屋)、韓国文化院(℡03・3357・6072、東京)。
 主催:韓国文学翻訳院
  ※詳細は→コチラ

 19日は名古屋から東京への強行軍ですか。大変ですねー。
 
 ※集英社の担当の方がご多忙だったのは、→コチラのブログ記事等とも関係あったのかな?
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9月16日韓国の大ベストセラー小説・申京淑「母をお願い」(集英社文庫)発売

2011-09-05 23:27:10 | 韓国の小説・詩・エッセイ
      

 いよいよ申京淑の大ベストセラー小説엄마를 부탁해が9月16日集英社文庫から発売されます。表紙の配色が爽やかで、明るくて、広がりが感じられて、少し寂しいようで、良い雰囲気です。
 
 単行本で出るものと思い込んでいましたが、いきなり文庫で出るとはねー。

 実のところはもっと早く刊行してほしかったのですが、翻訳の安宇植先生(昨年12月逝去)の御事情もあって遅れたのかもしれません。私ヌルボも、本格的な韓国小説を初めて原書で読んだのがこの作品だったということもあって、何はともあれうれしいです。

 実はちょっとひっかかっていることがひとつ。
 今年4月28日の記事でこの英訳本がアメリカで刊行されたことを書きましたが、その中で、タイトルの訳し方について、「「母をお願い」だと、「オンマ」という語に込められた子→母の情が感じられないので、ヌルボとしては納得できません」とめずらしくハッキリと書いちゃってるんですよ、ははは。
 今自分の記事を読み返してみると、その時点できむ ふなさんはたぶん「母をお願い」と訳されていることをご存知だったから「毎日新聞」にそう書いたと読めますね。
 まあ、安宇植先生としては、「オンマ」という言葉は一般の日本人読者にとってはなじみがないだろう、と判断されたということでしょうね。

 ついでに言えば、「부탁해」の訳の「お願い」、これも関係ブログ等を見ると人によっては「頼むわ」等と訳していました。「お母さんを頼むわ」とか・・・。
 ヌルボが最初にナルホドと思った「お願い」という訳し方は、映画「子猫をお願い」。日本語タイトルを最初に見て、原題は何だろうと思ったら「고양이를 부탁해」だったというわけです。

 この「母をお願い」は、アメリカの他にもヨーロッパ各国等、現在では29ヵ国で翻訳されているそうです。(英語もそうですが、人称代名詞の訳し方が言語によってはむずかしいでしょうね。)
「聯合通信」の8月15日の記事によると、申京淑さんはアメリカの7都市と、ヨーロッパ8都市を巡回してブック・ツアー行事を展開しているとか。また最近本が出刊されたイスラエルでも8月初め現地サイン会を開いたりしたそうです。(イスラエルではベストセラー第2位になったとも・・・。台湾では第3位。)
 そしてこの本の刊行に合わせて9月14~17日日本を訪れる予定だそうです。<日韓ビジネスは宝の山!>というブログの記事には、申京淑の知人である作家・津島佑子氏も参加して「10月22日には名古屋で出版記念会を行うそうです」という情報が記されていました。

 「韓国経済」紙は、この作品の日本刊行を伝える記事の中で、次のようにも記しています。

 日本で出刊される韓国文学は1年に10余作品にしかすぎない。このような状況で「母をお願い」日本語版の出刊が日本国内の韓国文学ブームをよびおこすのに寄与することを出版会は期待している。
※続けて、「去る6月に出刊されたハン・ガンの連作小説「菜食主義者」も最近出版し1刷5000部が売り切れて、すぐ2刷に入る等、好評を得ている」ともあります。「菜食主義者」は、今年の<韓国文学読書感想文コンテスト>の課題図書にもなっています。詳細は→コチラ

 私ヌルボとしましても、この名作の刊行を機に、日本でも韓国文学に目を向ける人が増えるといいと思います。
 集英社さんには、この際すでに単行本で出ている申京淑「離れ部屋」もぜひ文庫化してほしいところです。
 もちろん、他の出版社も、申京淑のみならず他の作家・作品にも目を向けて、翻訳書の発行数を増やしてください。1年に10余作品とは少なすぎです。「最初から韓国小説は売れないものだ」との先入観を打破してくださいな~。
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孔枝泳(コン・ジヨン)の李箱文学賞受賞作を読む(2) 日本の記者に拉致の謝罪を求められた? 誤解?

2011-08-08 22:56:09 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 1つ前の記事のつづきです。

 作家孔枝泳が一人称の話者になっている孔枝泳の小説裸足で文章の路地を廻るは、どこまで事実そのままなのか、読んでいて首を傾げた箇所がいくつかありました。

 この小説の最初の方で、2007年の訪日時、羽田空港で初めてH(こと蓮池薫さん)と会った時のことが記されています。
 蓮池さんの著作半島へ、ふたたび」(新潮社)にも、彼女を空港に迎えに行ったことが書かれていました。細かなことですが、その日付は「五月九日」となってします。しかし「裸足で・・・」の方はなぜか四月になっています。
 蓮池さんの記述によれば、その日は「生まれて初めての雑誌の対談、生まれて初めての本格的な通訳の仕事、さらに生まれて初めての国際空港への客人のお出迎え」という新しいことずくめの日で、前月から耳を慣らす等々、準備が大変だったようです。
 当日の空港。声をかけた相手が間違いなく孔枝泳さんで、「それまでのいろいろな不安が一挙に払拭された」という蓮池さん、タクシーで都心に向かい、その日の午後は新潮社で延々と対談。そして夜は東京ミッドタウン内のイタリア料理店で歓迎晩餐会。
 蓮池さんの本では「本来明るい性格」の孔枝泳さんは「飲むとさらに陽気に、そして闊達に」さまざま能弁に語り、一人で通訳する蓮池さんは「息をつく間もなかった」そうです。

 この時のインタビューや日本人たちとの会話について小説「裸足で・・・」に戻ると、「あれれ!?」という記述が・・・。
 打ち続くインタビューで、記者たちの関心は作家・孔枝泳よりも翻訳者のHに向けられるんですねー・・・。
 ※当時の「朝日新聞」の関係記事でも、見出しは孔枝泳さんでなく、蓮池さんになっています。

 中でも、私ヌルボも「これはひどい!」と思ったのは3人目のインタビュアー。M新聞社の年配の部長だそうですが、Hへの質問だけで予定時間は残り5分。その間放っておかれた孔枝泳と映画「私たちの幸せな時間」の宋海星(ソン・ヘソン)監督が退屈して小声で話をしてしまうほど。

 その小声のやりとりの中身に、私ヌルボ、少し(以上)引っかかりました。
 Hの拉致についての宋監督の簡潔な感想です。
 북한 애들・・・・쎄다!(北韓の連中・・・・強い!)」。
 「쎄다!」をどう訳すのが正確かよくわかりませんが、「ようやるなあ!」というニュアンスでしょうか?
 さらに宋監督。
 「그런데 지네들은 몇 백만을 끌고 갔었잖아(ところで、おまえたちは何百万人も引っぱっていったじゃないか」。
 作家も控えめな表現ながら「頭の中で従軍慰安婦のことを思い浮かべていた。慰安婦たちの証言や涙のことを考えなかったなら嘘になる」とのことです。また「そこに憤りがなかったといえば嘘になる」とも・・・。
 (このあたりで、相当数の日本人はカチンとくるかも・・・。とりあえずここは抑えて、次。)

 その後ようやく孔枝泳に質問が向けられます。その最初の質問がHのことをどう思いますか?」。(あーあ、あきれるほどの無神経!)
 その言葉を訳すHは目で「すみません」という信号を送っていたそうです。ギラギラした目(부리부리한 눈)でじろじろ見る部長は「おまえ韓国人だろ? おまえたちは朝鮮人と兄弟だろ? だからおまえも結局・・・・だからすすんで悪いと認めるか?(자복(自服)을 하지?)」と言おうとしているようだった、と受け取った作家は、大きく息をついて落ち着け、と自らを鎮めながら用意した答えを言います。
 「胸が痛いことだと思います(가슴 아픈 일이라고 생각합니다)」。
 すると部長の目が異様に(야릇하게)輝いて、「・・・さらにつけ加えることはないですか?(・・・더 할 말이 없습니까?)」。
 「ずっと胸が痛いです(계속 가슴이 아픕니다)」。

 部長は首を傾げると、今度は宋監督にたずねます。
 「こんなあきれた腹立たしいことを映画化する考えはありませんか?」
 室内にしばしギクシャクした(어색한)沈黙が漂い、皆が宋監督を見守る中で、監督は少しためらいつつも泰然と答えます。
 「すごくあきれたことは 映画化するものではありません。それは記事化することでしょう」。
 息を殺していた人たちの間からクスクス笑い声がおこります。このあきれた雰囲気に対する憂慮が安堵に変わる笑いだった、というわけです。ただ1人笑わなかった部長は「あまりに豪快な宋監督の返答に困惑した表情を浮かべ」ると、「ソウデスカ?」と渋い顔で聞きます。
 その程度の日本語はわかる宋監督が答えます。
 「当然でしょう」。
 作家は心の中で思います。宋監督、強い(セダ. 쎄다)!」

 ・・・長々と紹介しましたが、このあたりのくだり、事実なら問題だし、作家の創作ならそれも問題です。
 「事実なら問題」というのは、メイン・ゲストに対してあまりに失礼だから。
 部長自身は「誤解だ!」と言うかもしれませんが、誤解されてしまったのはインタビューの仕方がなってなかったからであることはいうまでもありません。
 「作家の創作」だとすると日本人一般に対する韓国人の誤解を招くから。
 私ヌルボが想像するに、どうも部長の<失礼>を土台に、拉致問題についての彼我の認識の差が、双方の感情を一層逆撫でする結果になってしまったのではないでしょうか?

※「M新聞」は「毎日新聞?」とも思いましたが、「コチコチの保守新聞」とあるので別の某紙のようでもあります。実は少しネット検索してみたのですが、「不明」としておきましょう。

       
   【右から宋監督・孔枝泳さん・蓮池薫さん。(2007年5月)】

 その夜の晩餐会のあと、孔枝泳自身の希望で向かった馬刺しの店で、出版社の人たちも一緒に4人で楽しく酒を飲み文学を語っていると、また1人が訊ねます。
 「Hが拉致されたことに対して、韓国人としてどう思いますか?」。
 孔枝泳は通訳のHの方を見ながら答えます。
 「人間が人間の生を暴力で変えてしまうことを私はいちばん憎悪しています」。
 彼らがゆっくりとうなずいて作家に乾杯を願ったことを「理解してくれてありがとう」と解し、日本酒の盃を口に運ぶ瞬間、彼女は数年前京義道広州のナヌムの家を訪ねた時の慰安婦のおばあさんたちの顔を思い浮かべます・・・。

 その店を出て、ホテルへの帰途、彼女は歩みを止めてHに言います。
 「ミアネヨ(ごめんなさい)、H」。
 あきれたと云うにHは遠くを見て笑います。
 「ただ(그냥)、ごめんなさい。私が韓国人で」。
 Hは手で顔を一度撫でて力なく笑って・・・、
 なぜあなたが私にすまないんですか? ほんとにおかしいですよ。韓国の人たちは私に会うと皆そんな話をよくしますよ。心やさしい人ほどそうみたいですね。私は答えます。何がすまないのですか? あなた方が私を拉致したのでもないのに」。
 翌日もインタビューの連続。記者たちの質問はあい変わらず。「Hを知っていらっしゃいますか? どんな感じがしますか?」。

 作家は動じることなくゆっくり答えます。
 「運命というものについて考えました。なぜ心やさしい人たちにだけ起こるのか、私はそれが知りたいと思いました。ところで、今Hと会って、私はぼんやりとわかるようになりました。心やさしい人たちにだけそんなことが起こる理由は、彼らだけが、善意を持った彼らだけが自身に対する真の矜持として運命を解析できるためだということです」。
 記者たちは首を傾げます・・・。

 ここまでで全体の3分の1程度ですが、韓国人・日本人双方の「歴史認識のズレ」といったものが随所に見てとれます。
 さらには、日韓両国民の、国に対する、あるいは民族に対するアイデンティティの強弱の違いも関係していると思われます。自分と直接関係ない日本人の「悪事」について語られても、多くの日本人は「私に関係ないでしょ」と思うでしょうが、韓国人は「自分が責められている」と受けとめる人が多いのではないでしょうか? 
 このような「認識のズレ」に、に多くの(孔枝泳さんも含めて)韓国人と日本人が気づいてないまま感情的対立を生んでいるように思えます。(あ、神戸大の木村幹先生のような語り方になってきたなー・・・。)

 先に書いたように、孔枝泳さんが、拉致というHの個人的な事例から、より普遍的な正義を追求しているのが見てとれるだけに、それ以前の認識のミゾがそれを阻んでしまっている(と思われる)のが残念、というのが私ヌルボの感想です。

※この本の後ろの方に文芸評論家アン・ソヒョン氏が「文学、人間に対する責任の別名」と題して作家・孔枝泳を解説しています。読みやすく理解しやすい内容ですが、今回の記事も長くなりすぎたので、今後機会があれば紹介するということで・・・。

※なんと! この作品を全文掲せているサイトを発見してしまいました。あえてリンクは張りません。興味のある人はご自分で探してみてください。
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