ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

①韓国文学②韓国漫画③韓国のメディア観察④韓国語いろいろ⑤韓国映画⑥韓国の歴史・社会⑦韓国・朝鮮関係の本⑧韓国旅行の記録

孔枝泳(コン・ジヨン)の李箱文学賞受賞作を読む(1)  ・・・・蓮池薫さんとの出会いが重要なモチーフに

2011-08-08 20:38:56 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 韓国の代表的な女性作家の1人孔枝泳の小説裸足で文章の路地を廻る(맨발로 글목을 돌다)」を読みました。
 実はこの記事、昨日アップするつもりだったのが、彼女がゲスト出演しているTV番組(後述)の動画を延々と見ていたら、いつの間にか時間が経ってしまっていて、1日遅れになってしまいました。ははは。

       

 さて、この小説(正確には小説集)ですが、1、2ヵ月ほど前、職安通りのコリアプラザにあったのを見つけて買ってきました。

 以前から読もうと思っていた理由は次の3つです。

①今年(2011年)の李箱(イサン.이상)文学賞を受賞した作品である。 李箱文学賞は東仁文学賞とともに韓国で最も権威ある文学賞ですが、昨年(2010年)受賞の朴玟奎(パク・ミンギュ)よりも5歳年上で、作家としての経歴・実績も積んでいる孔枝泳がこれまで受賞していなかったのは意外でした。(社会正義のために闘う作家ということも関係しているのかも・・・。)

②私ヌルボが一昨年(2009年)読んだ彼女の小説「るつぼ(도가니)」がとても読み応えがあったから。
 この作品の反響は大きく、コン・ユとチョン・ユミの主演で映画化が進められて、すでにクランクアップ。年内に公開されます。(→関連記事)
 彼女は1988年のデビュー以来作品以外のことでも注目されてきました。今年2月9日韓国MBCテレビの人気番組「黄金漁場」中の<膝打ち導師>にもゲストに招かれ、いろんなことを語っています。(→動画) この番組の冒頭に入るテロップで、「小説より、もっと小説のような劇的な人生の主人公」と彼女を紹介しているのは言い得ていますね。

③そして何よりも、この小説の内容。話者=主人公は作家孔枝泳(!)であり、2007年に、カン・ドンウォンイ・ナヨンの主演の映画「私たちの幸せな時間」の公開に先がけて、その原作者としてプロモーションのため来日し、その際に翻訳者のHと出会っていろいろ話をしたことが作品の主要なモチーフになっています。Hとは、北朝鮮に拉致されて24年ぶりに帰ってきた人です。言うまでもなく、蓮池薫さんのことですが、この小説ではHとだけ記されています。
 孔枝泳がはたして蓮池さんや拉致問題等についてどのように書いているか、興味があった、というわけです。

 読んでみると、最初の方で訪日時の羽田空港でのHとの出会いについて記され、彼との話と、それに触発されて拉致被害者、従軍慰安婦、アウシュビッツ等々、「繰り返される人間に対する暴力とそれに耐えねばならない個人の苦痛」についての彼女の省察が展開されていきます。

 自分のことを(たぶん)そのまま書いたもののような作品で、形としては私小説のようでありながら、思弁的な内容ということもあって私小説的な臭みはなく、読者の興味を引くようなストーリー展開でもなく、ひたすら作家のイマジネーションによって普遍性を追求していく、という点に主眼がおかれているようです。

 日本語のブログの中からこの作品についての記事を探したら、ヒットしたのはわずか1つだけ。大学等で韓国語の講師をなさっている韓国人女性金京子さんの<パランセ 파랑새>というブログです。この小説を読んで、金京子さんは次のように記されています。

 小説の中に登場する多くの人々の声と不条理で苦しい事柄の前で「文学が私たちを育て救うだろう」という彼女のつぶやきが聞こえてくるようだった。かすめていく風のように、名もない野の花のように、なじみのなかった一つの文章が疲れた私の魂に恵みの雨ともなる。本当に「一人の人間が成長していくのは運命」であろう。

 なるほどなあ、と思います。
 私ヌルボも、作者が書きたかったことは自分なりにアタマでは理解したつもりですが、ただ作品の主題とは直接関わらない部分で(たぶん)フツーの日本人として引っかかってしまった部分が若干あったために、作品の世界に没入し感動するには至りませんでした。

 その点について書くと長くなりそうなので、今回はここでいったん切って、以下は<つづく>としておきます。

※[参考]ウィキペディアで李箱文学賞の項目を見ると、第1回の金承鈺(キム・スンオク)以下、李清俊(イ・チョンジュン)朴婉緒(パク・ワンソ)崔仁浩(チェ・イノ)李文烈(イ・ムニョル)梁貴子(ヤン・クィジャ)金薫(キム・フン)申京淑(シン・キョンスク)など、過去の受賞者を見るとこれまで本ブログでも紹介した作家が相当数含まれています。(各々リンク先参照) 
 ウィキにはまだ載っていませんが、2009年は金衍洙(キム・ヨンス)「散歩する者たちの5つの楽しみ」で、また2010年は朴玟奎(パク・ミンギュ)「朝の門」で受賞しました。
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文芸誌「新潮」の日韓中小説競作プロジェクトを読む(下) 日本を追っておもしろくなくなる? 韓国の純文学

2011-06-17 20:17:47 | 韓国の小説・詩・エッセイ
1つ前の記事の続きです。)

 韓国作品は、中国に比べ心理描写が繊細で、よくも悪くも文学っぽい。<文学は面白いのか(仮題)>というサイトの評に私ヌルボも同感したのは、キム・ヨンスのレトリックには、(作家紹介にあるカフカというよりも)村上春樹の影響がうかがわれるということ。
 チョウ・ヒョンは、2008年「東亜日報」の新春文芸に当選したということは、純文学の王道で登壇したわけですが、この「ゴッホとの一夜」は、時は22世紀(?)、体外離脱した実験者の意識がプルキネ次元を通じて連結された世界は、実は並行宇宙で、以後タイムトラベルの技術が発達、イエスが十字架に架けられる場面を見たり、モーツァルトの音楽会に参席もできる等々・・・、日本だとこの作品はレッキとしたSFですね。
 この韓国ではこの10年くらいの間で急速に多様な小説ジャンルが登場してきたので、まだSFやミステリー等々各ジャンルの受け皿が整ってないのかな?
 パク・ミンギュの作品も、(今は懐かし)サイバーパンクというやつじゃないの? この作品も読みづらさでは「ニューロマンサー」レベルか。昨年の李箱文学賞受賞作「朝の門」はSFではありませんが、どうも今までの韓国文学の概念を打ち破るぞ、という意識過剰で(?)、力が入りすぎてる感じを受けますが・・・。

 日本の作品がおもしろくないのは、90年代以降の芥川賞作が念頭にあるので予測通り。ミニマリズムがさらに先鋭的(?)になってるようで、たとえば柴崎友香の作家紹介(佐々木敦)にはこう書かれています。

 劇的な展開が殆ど無く、作者と同世代の人々の「日常」をおおらかな筆致で描く柴崎友香の作品は、ともすればストーリーテリングへの配慮をやり過ごし、社会的な問題意識とも懸け離れた、とりわけ二〇〇〇年代に入ってから頻出してきた、呑気で安穏な「何も起こらない」小説(と思われているもの)の代表格として遇されてきた。しかし・・・・ネガティヴな感情の滲出を・・・意識的無意識的に退けて、・・・「今、ここ」の微かな幸福を捉えようとする、・・・このささやかで毅然とした「日常」に対する戦闘意欲こそが、柴崎友香を、凡百の他の若い小説家から決定的に違えているのだと思う。

 柴崎の原作と知らずに観た映画「きょうのできごと」はそれなりに好印象をもちました。しかし、この芥川賞候補作(!)「ハルツームにわたしはいない」はどーもなー・・・。上掲の<文学は面白いのか(仮題)>でも指摘されてましたが、駅構内で新幹線の領収書を失くしたと友人が言った矢先、一男性が落とした領収書を偶然「わたし」が見つけて指さすと、拾った友人「おおっ、ビンゴや」と二人して喜び、って、そらよくないよなー。
 「わたしが見ているものを、目の前にある世界を、ここに、そこにある世界を、あるように書きたい」という柴崎さんの言葉があるブログで紹介されてましたが、目の前だけでなく、その向こう側の人間も「風景」の構成物じゃなくて生身の人間なんだからちゃんと想像力を働かしてくださいねー、と言いたくなります。
 この作品が昨年第143回芥川賞の候補作になったんですからねー。

 ストーリー性がないといえば江國香織「犬とハモニカ」も同様。成田空港にそれぞれいろんな事情を持った人々が下りたって来たところでおしまい。芝居だったら主な登場人物がそろって、さあこれからどんな物語が始まるのかな、と期待を持たせたところで幕が下りるという感じで、たぶん中国だったら、お客さんたち「金返せー!」と騒ぐんじゃないかな。
※大分前の豊崎由美との対談で大森望は次のようなことを語っていました。

大森:江國さんの短篇って、だいたい30枚くらいなんですよ。だからなかなか枚数がたまらなくて、担当編集者は困ってるみたいだけど。「どうしても30枚で終わっちゃうんだよねえ」って。まあ、ストーリーを排除して書けるのが、そのくらいの枚数ってことなんだろうけど。


※音楽でいえば、ストーリーにあたるのがメロディーラインでしょう。最初にミニマル・ミュージックの代表というべきライヒの作品(→YouTube)を聴いた時は、メロデイーなしの単調なリズムの繰り返しの微妙な変化に、新鮮な驚きを感じましたが・・・。

 今日本でたとえばチョン・イヒョンを知ってる人は1000人中でも何人もいないと思いますが、逆に韓国の読書を趣味とする人の間で江國香織を知らない人はないでしょう。長い間約20年遅れで日本の後を追ってきた韓国の社会が、近年かなり日本に接近してきているということでしょうか。

 日本の作家の中で1人だけ抜群におもしろかったのが町田康「先生との旅」。「日本中世におけるポン引きと寺社権門」なんてテキトーな題で「即位式」の講演を引き受けた「私」、推挽してくれた初対面の先生と名古屋駅で落ち合ってタクシーで会場に向かうのですが・・・。
 この作家特有の文体とディーテイルの可笑しさ、最後にオチまでついて笑えます。
 しかし、町田康の次のような文章は韓国語では一体どう訳すんでしょうねー?

・その瞬間、私は、なんかしてけつかんのじゃど阿呆、と思った。
そんなポコペンな、と怒り狂おうかな、と一瞬は思ったがよくよく考えれば向こうはお旦でこっちは芸人、家と言われれば言わなくちゃしょうがないので向鉢巻きで熟考した。
・人々が様々な方向に向かいて交錯、互いに譲り合わなければ激突することが必定なれど、そのような意識を持たぬ者の多い構内を、うわうわうわ。あ。痛て。わっぴゃぴゃん
一度「子音と母音」で確認したいと思います。(よくわかりませんが、中国語への翻訳も大変そう・・・。
 主人公の名前の間穵田考も何と読むんだか。マアツダコウ? ホントに翻訳者泣かせ。いや、これを訳しきるのが翻訳者の醍醐味?

 これまで長々と書いたように、(主にストーリーテリングの)おもしろさの順番では中国→韓国→日本の順ですが、これは作家だけでなく、現代の3国それぞれの社会のダイナミズムの差の反映であり、またそこで生活をしている人々のこれまでの体験の質の違いの反映でしょう。
 たとえば今3ヵ国の60歳の人が自分の半生を語るとして、聞いておもしろそうなのはやはり中国→韓国→日本の順になるのではないでしょうか? 
 今の日本人の多くは、(幸か不幸か)語るに値する人生を生きていないし、社会全体も70年代以降ずっとマッタリ状態。だから、何か物語を背負っていそうな在日の友人に「うらやましい」と言ったりする日本人もいるそうで・・・。ホントにそんな社会になっちゃってるんですかね。

付記。これまでの18作品を読んで気づいたのは、国際結婚だの、海外出張だの、という国境を越えた人物が登場する作品が国を問わず3分の1程度あること。作家たちが「国際」を意識した結果か、フツーにそういう時代になってるのか? たぶん後者、ですか?
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文芸誌「新潮」の日韓中小説競作プロジェクトを読む(上)  断然おもしろいのは中国!

2011-06-17 20:15:07 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 「毎日新聞」で4月4日から毎週木曜日連載してきた<新世紀 世界文学ナビ>。先週「韓国編」が終わり、昨日から「中国編」に。第1回は蘇徳(スードォ)という29歳の女性作家。私ヌルボは初めて知った名前です。記事は→コチラ
 ナビゲーターの桑島先生、彼女の作品「エマーソンの夜」について決定的なネタバレ書いちゃってて、これは作者&翻訳者にメイワクですよ。・・・って、ご自身が訳されてるわけね、なーんだ。
 ・・・ということはおいといて、記事にもあるように、この蘇徳さんも本ブログ先々週の記事でちょっとふれた東アジア文学フォーラム2010と、その前の同2008に連続して参加してるんですね。ということは、次回以降もこれに参加した作家たちが主に取り上げられるのかも・・・。

 さて、日本・韓国・中国の文学交流といえば、私ヌルボ、近年はめったに月刊文芸誌を手に取ることもなくなったのですが、たまたま「新潮」6月号にこの3国の作家たちの小説競作プロジェクトが載っていることを教えられ、読んでみました。
 韓国の文学と人文を扱う季刊誌「子音と母音」(イルム出版社)と、中国の文芸誌「小説界」(上海文芸出版社)との提携の下に文學アジア3×2×4と銘打って始められたプロジェクトで、実は昨年の6月に第1回がスタートしていて、以後第2回が昨年12月号、そして今回の号が第3回なんですね。

      
      【韓国の季刊文芸誌「子音と母音」は1100ページで、この厚さ!(7㎝)】

 3ヵ国の作家が、毎回に割りふられたテーマに沿って各2人ずつ短編を掲載し、それを4回続ける、ということで3×2×4ということです。
 これまでのテーマは、第1回=「都市」、第2回=「性」、第3回=「旅」でした。
 この機会に、ざっと3国の文学の現況を概観してみるかなと思って、第1回と第2回の掲載号は図書館で借りて約1週間で3×2×3の計18編を読んでみました。
 作家・作品は以下の通りです。

第1回 2010年 6月号 テーマ「都市」
日本①島田雅彦「死都東京」 
韓国①イ・スンウ「ナイフ」
中国①蘇童「香草営」
日本②柴崎友香「ハルツームにわたしはいない」
韓国②キム・エラン「水の中のゴライアス」
中国②于暁威「きょうの天気は」

第2回 2010年12月号 テーマ「性」
日本③河野多惠子「緋」
韓国③チョン・イヒョン「午後4時の冗談」(訳:金明順)
中国③葛水平「月明かりは誰の枕辺に」(訳:桑島道夫)
日本④岡田利規「耐えられるフラットさ」
韓国④キム・ヨンス「4月のミ、7月のソ」(訳:崔真碩)
中国④須一瓜「海鮮礼賛」(訳:堀内利恵)

第3回 2011年 6月号 テーマ「旅」
日本⑤江國香織「犬とハモニカ」
韓国⑤チョウ・ヒョン「ゴッホとの一夜」(訳:金明順)
中国⑤叶弥「もう一つの世界で」(訳:垂水千恵)
日本⑥町田康「先生との旅」
韓国⑥パク・ミンギュ「ロードキル――Roadkill」(訳:渡辺直紀)
中国⑥徐則臣「グスト城」(訳:上原かおり)

※韓国作家中、キム・エラン、チョン・イヒョン、キム・ヨンスについては上記の「毎日」のシリーズでも取り上げられ、パク・ミンギュについては本ブログ昨年3月8日の記事で紹介しました。

 さて、全体を通しておおよそいえることは、中国の作品がおもしろくて、日本の作品がおもしろくないこと。
 ただし、これは必ずしも文学としての評価とは一致しませんので、あしからず。
※たとえば長塚節「土」のように感動的なまでに「おもしろくない小説」もあります。この件については昨年11月12日の記事に書きました。

 中国の小説が「おもしろい」理由は、ストーリーが「この先どうなるんだろう?」という興味津々の展開になっていること。于暁威の「きょうの天気は」は、刑務所から仮釈放された男、今一緒に歩いている兄貴分はまた良からぬことを企んでいる。自分は兄貴には逆らえない。しかし今度捕まるとホントにヤバい。どうしよう・・・、という話。
 それから変貌しつつある社会の中で、俗世間の人たちのくり広げる悲喜交々の人間臭い話の魅力ですね。たとえば蘇童の「香草営」。患者たちの評価も高い梁医師は病院の近くに女性薬剤師との密会の場として家を借りたのだが、なんか変な物音が・・・、という話。
 また、精霊とか幽霊等、現代でも「唐代伝奇」「聊斎志異」等の世界がちゃんと受け継がれているようです。以前鄭義の「神樹」や莫言の作品を読んだ時にも思ったのですが・・・。
 それぞれにおもしろかった中国作品中で、とくに1つあげると須一瓜「海鮮礼賛」。主人の留守中にテレビドラマに熱中したり、盗み食いもひどい家政婦の少女がカワイイ。

<(下) 日本を追っておもしろくなくなる? 韓国の純文学>に続く
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「毎日新聞」の <新世紀 世界文学ナビ [韓国編]>の最終回は、今年他界した作家・朴婉緒

2011-06-09 23:58:38 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 「毎日新聞」で4月4日から毎週木曜日連載してきた「新世紀 世界文学ナビ」 韓国編」は、今日の10回目で今年1月22日に世を去った女流作家・朴婉緒(パク・ワンソ)を取り上げたのを最後に<韓国編>を終えることになりました。

 本ブログの1週間前の記事で「私ヌルボ、キリのいいところで10回まで続けるのかな、と何となく思ってましたが、この際もっと続けて、心おきなく大勢の韓国作家を紹介してくれることを期待しましょう」と書いたんですがねー。

 このシリーズに登場した10人の作家を列挙します。

第1回・金愛爛((キム・エラン)、第2回・金英夏(キム・ヨンハ)、第3回・金衍洙(キム・ヨンス)、第4回・申京淑(シン・ギョンスク)、第5回・孔枝泳(コン・ジヨン)、第6回・金薫(キム・フン)、第7回・チョン・イヒョン、第8回・殷熙耕(ウン・ヒギョン)、第9回・林哲佑(イム・チョルウ)、第10回・朴婉緒(パク・ワンソ)

 最終回で朴婉緒さんを取り上げたのはちょっと意外でした。ごく最近亡くなったとはいえ故人ですから・・・。
 彼女については、本ブログでも2月5日の記事<韓国作家・故朴婉緒(パク・ワンソ)さんのこと ※動画はぜひ見て!>で記しました。そこにも書いたように、自伝的小説「그 많던 싱아는 누가 다 먹었을까」は、私ヌルボも「新女性を生きよ」(梨の木舎.1999年)というタイトルになっている翻訳書で読んで大きな感銘を受けました。(「싱아」は正確にはどう訳すのか疑問でしたが、きむふなさんは「オヤマソバ」と訳してますね。この植物名は知りませんでした。) その他、「두부(豆腐)」という随筆集も以前読んだことがあります(韓国書)。

 この「毎日」の記事で、しめくくりの言葉の中できむふなさんは次のように書いています。
 「日流」が言われる韓国では、年間数百の日本文学が翻訳されています。対して、日本に紹介された韓国文学は年に10作ほどです。韓国の人々の深い息遣いが感じられる文学作品が、より多く日本の読者に届くことを願っています。
 ・・・これはヌルボとしてもまったく同感です。この件については、2010年9月12日の記事<諸外国で読まれている日本の絵本-とくに韓国で!>でもふれましたが、そこでヌルボが参考にしたのが舘野さん(日本出版文化国際交流会理事)の記事。戦後の韓国・北朝鮮の文学作品の翻訳状況を具体的に記した<日本における韓国文学書の翻訳出版——刊行状況と課題をめぐって>、そして、現代の両国の出版状況を記した<なぜ韓国で日本の小説はよく読まれるのか――日韓の出版事情を比較する>を読むと、両国間の文学書翻訳の極端な<落差>を痛感せざるを得ません。

 残念ながら10回で終えたこのシリーズですが、それでもこれまでほとんど関心を持たれなかった隣国の文学に興味を向ける役割を果たしたとすればけっこうなことです。

 次は「中国編」。これも日本ではまだまだ知られていないですね。本ブログ関連記事(→コチラ)
を参照されたし。あ、「今アジアでノーベル賞に最も近いといわれる」莫言(モー・イェン)や、女流作家残雪のことを全然書いてなかったなー・・・。
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韓国作家・林哲佑(イム・チョルウ)等と、東アジア文学フォーラムのことなど

2011-06-02 20:00:31 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 「毎日新聞」に連載中の新世紀 世界文学ナビ 韓国編。9回目は林哲佑(임철우.イム・チョルウ)でした。
 記事の内容は→コチラ

 先週の本ブログの掲載作家予想はみごとに外れましたね。男性という点だけ合ってましたが。
 外れた理由その1は、林哲佑氏が1954年生まれという年配であること。その2は、彼が「붉은 방(赤い部屋)」で李箱文学賞を受賞したのも1988年で、もう20年以上も経っていること。その3は、(アトヅケの理由ですが)、記事にあるように、1980年光州事件の時にその真っ只中の全南大学の学生だったということもあって、今は退潮傾向にある政治的なテーマがその作品の基調となっている点もちょっとどうかな、という感じ・・・。

 しかし、逆に言えば、10人orそれ以上選ぶとなると、こういう作風の作家も入れるのがバランス感覚というものかも。

 「年配」と書きましたが、林哲佑さんは国境を越えた交流に積極的で、後輩作家に混じってソウル&春川で開かれた<韓日中・東アジア文学フォーラム2008>、北九州で開かれた<日中韓・東アジア文学フォーラム2010>にも参加しています。(金愛蘭さん、金衍洙さん、殷煕耕さんも。)
 記事中で紹介されている「直線と毒ガス」もその東アジア文学フォーラム日本委員会編の「いまは静かな時 韓国現代文学選集」に収められています。(各作品ごとの分冊も出ています。)

 「毎日新聞」のこのシリーズのナビゲーターきむふな(金壎我.김훈아)さんは、東アジア文学フォーラム以前に、90年代から日韓の文学と作家交流に関わっている方です。韓国の誠信女子大学大学院修了後、島根県に国際交流員として勤務していた時、1995年第3回日韓文学シンポジウムが松江で開かれた際に通訳を担当したことが契機となって上京し、大学院で日本文学を学び直し博士号も取得して、日韓両国の小説の翻訳の他、作家の交流にも継続して関わってこられました。
 ・・・ということで、当然多くの韓国作家と面識がおありなんですね。したがって、このシリーズで誰を取り上げるか、作品「以外」の要素でいろいろ難しい点もあるのかもしれません(?)。
 私ヌルボ、キリのいいところで10回まで続けるのかな、と何となく思ってましたが、この際もっと続けて、心おきなく大勢の韓国作家を紹介してくれることを期待しましょう。

参考①<日中韓・東アジア文学フォーラム2010>を聞きに行った方の感想→コチラ
参考②日韓文学シンポジウム等について記した鈴木雄雅さんの論文→コチラ
参考③2000年青森市で開かれた日韓文学シンポジウムに参加した作家・星野智幸氏の感想→コチラ
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「女性東亜」 申京淑の実家のオンマにアポなし取材記 +[動画]作家・申京淑「私の話の源泉はオンマ」

2011-05-29 18:23:45 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 月刊「女性東亜」、やっぱり重い! 重すぎます!! 夫婦喧嘩でこんなの投げつけられたら、頑健な韓国人男性でも当たり所によっては致命傷となるでしょう。いや、投げる以前に持ち上げられないか?
 横浜市立図書館でその5月号を見ていて目にとまった記事が「‘21年ぶりに出会ったあなた’ ク・チャンモ」と、「‘オンマをお願い’でアメリカを虜にした申京淑作家のオモニ・朴福禮さんに突撃インタビュー」

 ク・チャンモは、80年代の人気グループ・ソンゴルメのリードヴォーカルとして人気を博した実力派歌手で、90年代初めから歌謡界を離れていましたが最近復活し注目されています。
 ・・・が、彼については(得意の)またいずれ、ということにします。

 さて本ブログでは、これまで申京淑さんとその作品については何度もとりあげてきました。一昨年の大ベストセラー「オンマ(お母さん)をお願い」「どこかで私を呼ぶ電話の音が鳴って」の紹介&感想、そして最近では4月28日の記事で「オンマをお願い」の英訳本が出てアメリカで注目されているということを書きました。

 韓国では作家が自分の経験や実生活を素材に小説を書く例が非常に多くあり、申京淑さんも画期的名作「離れ部屋」など明らかに自身の経験をそのままふまえているようです。日本の文学史にも私小説の確固たる伝統はありますが(ありましたが?)、彼女の場合は例の西村賢太氏のような破滅型私小説とは正反対ですが・・・。そして「オンマをお願い」も彼女自身の母や家族の実像とかなり重なっていることがうかがわれます。

 ・・・ということもあって、彼女の愛読者としては「オンマをお願い」に描かれたオンマに実際に会ってみたいと思うのも無理からぬ話ではあるでしょう。

 私ヌルボ、「女性東亜」の記事をコピーして読みましたが、後で「女性東亜」のサイトを見たら、その記事が全文載っているではないですか!
 →コチラ① (→同・日本語自動翻訳)
 →(続き)② (→同・日本語自動翻訳)

 記事にもあるように、申京淑さんの実家は全羅北道井邑(정읍.チョンウプ)市の農家です。(ご両親は数年前に農業をやめて「今はお米を買って食べるというぜいたくをしています」と語っています。)
 私ヌルボが「アレレ!」と思ったのは、記事中の約束もなしに訪れた記者を、「"留守だったらどうするの"と言いながら迎えた」というところ。えっ、事前のアポなしで直接訪問取材してるのか!? ここらへんが日韓の違いなんでしょうね。続けて「内心拒否されるんじゃないかと心配したが、そのように冷たくすることができないのが田舎の人の心だった」と(ヌケヌケと、とは言いませんが)書いてるとこまで含めてね。
 また、「娘が有名になって、家を訪ねてくるお客さんもいると語った。学校から団体でやってきたりもし、数日前にも女性(読者)が訪ねてきたと語った」とのことです。(自動翻訳では「家に持ち帰るお客さん」(!)とか「馬鹿な女性(読者)」とかメチャクチャな訳になってますが・・・。)

 記事によると、小説との大きな違いは、オンマが認知症を患っていないこと。それに小説では5人兄妹ですが実際は6人です。オンマの話では6人全員国民学校の時は皆勤賞とか。ソウルでの夜間高校卒業に際し、家族皆が集まった場で、大学入学を決めたという京淑さんの言葉に怒ったオンマに対して、「自分が学費を稼いで通えばいいじゃない」と京淑さんが反発したというエピソードは彼女のファンにはよく知られていることかも・・・。(自動翻訳の「魂を出した」とか「化を出した」は「怒った」の誤訳。)

 「オンマをお願い」と実際のオンマが同じ点は文字が読めないこと。「残念ではないですか?」と問う記者に簡単に글치(クルチ)と答えています。「글(クル)」=文字と、音痴(음치)などの「痴(치.チ)」の複合語。
 4月30日の記事「韓国の非識字者の問題(2)成人人口の7%がハングルの読み書きできない(?)」にも書いたように、地方の女性高齢者の非識字者は今も決して少なくはないのです。

 取材を終えて帰る記者に、オンマは「途中で飲んでね」と豆乳3個を持たせてくれたというのは、やっぱり伝統的な心やさしいオモニですね。

 ナットクの記事でしたが、ヌルボとしては、この記事を読んだ彼女のファンが同様のアポなし訪問に押しかけるのでは?ということがちょっと心配になりました。それも日本人的感覚? しかし、「あの青い屋根の家」とか、すぐわかるように書いちゃってるしなー・・・。

 さて、たまたまYouTubeで申京淑さん自身がオンマについて語っている動画が見つかりましたのでここに載せておきます。
 早口ではないので、聴き取りやすい方ではありますが・・・、ハハハ(汗笑)。


    【タイトルは「申京淑作家、私の話の源泉はオンマです」】
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韓国の作家殷熙耕(ウン・ヒギョン)、「日本文学の魅力は悲観と虚無のスケール」

2011-05-26 23:49:31 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 「毎日新聞」に連載中の新世紀 世界文学ナビ 韓国編。8回目は殷熙耕(은희경.ウン・ヒギョン)でした。
 記事の内容は→コチラ

 殷熙耕は、まあ予想の範囲内でしたね。私ヌルボも4月28日の記事「申京淑の小説「オンマをお願い」がアメリカで好評」の中で、5回目の予想で本命孔枝泳の対抗としてパク・ヒョヌクとともにあげておいた作家ですからねー。(・・・と一応言っておきたかった。(笑))

 とはいうものの、実はヌルボ、彼女の作品はまだ読んでいません。その大きな理由は翻訳書が少ないこと。「毎日」の記事にある安宇植先生訳の「他人への話しかけ」と短編「妻の箱」の外は短編1つくらいかも(?)。
 「二重奏」で「東亜日報」新春文芸当選と、長編「鳥の贈り物」で文学トンネ小説賞の2つを受賞して注目のデビューを果たしたのが1995年。同じ年に両賞を受賞したのは1979年の李文烈(イ・ムニョル)、1987年の蔣正一(ジャン・ジョンイル)以来だそうです。以後もいくつも作品を刊行して読者も多く、本ブログ4月21日の記事「韓国の「今」の作家たち」で紹介したように、YES24の恒例の企画している「ネチズン推薦 韓国の代表作家・若手作家」では、05年の孔枝泳、06年の申京淑に続いて07年に[代表的若手作家]に選ばれています。
 それだけの実績のある作家なのに、翻訳書の少ないのはなぜなんでしょうね? (ヌルボの推測もないではないですが、それはいずれ・・・。)

 ・・・ということで、私ヌルボの情報としては、雑誌「新東亜」2月号に載っていた「新作「少年を慰めてやって」を著した殷煕耕」という記事をたまたま読んだり、詩人のウォン・ジェフンが書いた「私はひたすら文章を書き本を読んでいる間だけ幸福だった」という本の中にあった殷煕耕のインタビュー記事を読んだ、という間接的なものにとどまっています。
 ・・・ということで、ヌルボとしても気になっていたので、上記の彼女の新作「소년을 위로해줘(少年を慰めてやって)」をちょうど購入して読み始めたところなのです。(下写真)

     

 「毎日新聞」のきむふなさんの記事で紹介されていた鳥の贈り物については、「統一日報」で「原書で読む韓国の本」を連載している翻訳家吉原育子さんのブログ「韓国ブックカフェ」
紹介されています。

 さて、今回の「毎日新聞」の記事でヌルボが注目したのが殷煕耕自身の次の言葉。
 「日本文学や文化を魅力的にするものは何だろう、と時々考えてみる。それはもしかすると悲観と虚無のスケールではないだろうか。人間が有限な存在だという認識は虚無につながり、それは人々を多少なりとも淡泊で温かく繊細に、そしてユーモアを持つリアリストにするのではないだろうか。3月にあった悲劇を心を痛めながら見つめるうち、また同じことを考えた。運命を受け止めることから来る悲しみには、人生を扱うスケールがある。私はそれを日本文学から学ぶ。」

 本ブログ5月19日の記事で、「21世紀の韓国と、1970年代の日本の文学状況と通底するものがある」と書きました。その共通項こそ明るく軽く、そして意外に根の深い虚無感。日本ではすでに常態化したそんな感覚が、韓国ではこの10数年の間の、新しい時代感覚なんですね。

 最近読んだ李禹煥の「時の震え」(みすず書房)の中に「酒の周辺」というエッセイがありました。以下略述。

 「韓国の雑誌編集者で、すごい美人」というJ女史が「韓国文学にはまだリアリティが生きてますよ」と韓国文学の素晴らしさを訴えると、日本の評論家のN氏と小説家のM氏、「だから韓国文学の印象はうっとうしい」「まだテーマ主義が本流で、依然として意味を求めている感じだね」、と否定的な返事。・・・・「だから文学がまだ自惚の段階である証拠で、表現が対自化されてないと思う」 「結局、リアリティなんて幻影なんだ」と話し続けるN氏に、彼女は憮然とした声で「この酒も幻影かしらね」と言って、いきなりグラスを突きつける。「ゲームだか幻影だか知らないけど、さ、これ飲める?」「いや、これは」「これはエイズ菌入りのお酒さ、どうです?」

 ・・・なんて感じでさらにシッチャカメッチャカな展開に。
 このエッセイが書かれたのが何年かは確認していませんが、日韓の文学状況の年代差を象徴する出来事かもなーと思いながら、ヌルボは興味深く読んだのでした。
そして上記の殷煕耕の言葉。韓国はどんどん変わりつつあるということです。

 さて、この「毎日新聞」のシリーズ。8回まできた韓国編、キリのよい10回まで続くとしてあと2、誰を取り上げるのか、ここでまた予想をたてると、今度は男性。朴玟奎(パク・ミンギュ)、朴賢(パク・ヒョヌク)、尹大寧(ユン・デニョン)、成碩済(ソン・ソクチェ)といったあたりか?
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チョン・イヒョン「マイ スウィート ソウル」を読む =孤独な都会の<甘さ>=

2011-05-19 21:40:55 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 「毎日新聞」に連載中の「新世紀 世界文学ナビ 韓国編」の7回目はチョン・イヒョンでしたね。彼女は1972年生まれ。先週の記事で、年齢の若い順から並べているのかな?と思ったのが見当違いでした。記事は→コチラです。
 この記事でも紹介されているマイ スウィート ソウル」(講談社)、私ヌルボも読みましたよ。翻訳本の方ですが・・・。

 読みっぱなしになっていたので、今回はこの本の感想に絞って書きます。

     

 主人公は雑誌の編集者31歳独身女性ウンス。ソウルで一人暮らしをしています。
 ・・・と、こんな設定の小説を韓国一の発行部数を誇る「朝鮮日報」が連載を始めたのも、いろいろ考えての上でしょう。若い層、それも女性の関心を集めるため。あるいは、伝統的な購読者である熟年男性をつなぎとめるため?
 案の定、この小説は若い女性から圧倒的に支持され、ドラマにもなりました。
 そして「韓国」の、「若い」、「女性」という作者や主人公とは全然かけ離れた、「日本」の、「オジサン」の、「男性」である私ヌルボにとっても興味深く、またとても楽しめる本でした。

 新聞連載小説の必須条件は、まず次回への期待感がかきたてられること、でしょう。
 次の条件は、読者が自分に即して感想や意見を語れること。
 さらに次の条件は、時代を半歩先取りしていること。つまりトレンディ、ですね。
 「マイ スウィート ソウル」は、これらの必須条件を十分充たしています。
 次回への期待感。具体的にはまず、主人公ウンスは一体どの男を結婚相手に択ぶんだろう、という興味ですね。
 登場人物を作者がとても巧みに肉付けしているので不自然な印象は受けませんが、候補の男性三人はみごとに図式的です。

 男A=七歳年下で若さと男性的魅力があり、自分を愛してくれている。
 男B=年上の男性で、地位・財産があり安定している。 
 男C=気心の知れた親友で何でも話せる。

 三人については作中でウンス自身分析しているように皆マイナス面もしっかり(?)あります。おそらく多くの女性読者は、自分なら誰を択ぶかを考えもし、朝の職場で話題にもしたでしょう。熟年の男性なら、「Aにいっとき傾いても、どうせBだろう」と予測したり、三人の欠点(「若いのに遊び暮らしている」とか・・・)をあげつらって「ケシカラン」と激したり・・・・。そんな感想・意見をいろいろ語り合って盛り上がれる。二つ目の条件にかなってますね。
 図式的といえば、ウンスの女友だち二人も同様で、

 女友だちA=30代に入っても、職をなげうって夢に挑戦する。
 女友だちB=現実的に考えて結婚の道を択ぶ。

 ウンスは(そして読者も)そのはざまで考え悩むのです。
 しかし、物語の結末は伏せますが、人生そんなに甘くはないのですね。。

 「時代の半歩先」を行っている点も、「流行に後れてはいけない」若い女性だけでなく、「最近のことも知ってるんだぞ」とちょっと自慢したい熟年男性にとっては読まれる要素です。
 小説にあるように、ソウルはホントに「過剰な街」です。古いものから最新のものまで。格安のものから超リッチなものまで。食べ物だけとってみてもメウンタンやビビンバなどの韓国料理のほかに、ハンバーガーはもとより、フェーやマグロのような物まで好んで食べる時代になっています。
 知識・教養も多様かつ重層的になっています。
 学校で教わった詩人柳致環の「岩」から、古典の分類に入ったミケランジェロ・アントニオーニの映画。民主化闘争の残光という感じの「動物園」の歌『道で』や崔勝子(チェ・スンジャ)の詩。そして日本の漫画『20世紀少年』等々・・・・。

 この小説を読んだ日本人女性は、「なんて私たちとこんなに共通点が多いのだろう」とか、「どこの国でも同じなんですね」と驚きの感想をブック・レビューに記していました。
 しかし、若い彼女たちは知らないのでしょうが、決して「どこの国でも同じ」でもないし、韓国も昔から日本と共通点が多かったわけではありません。

 日本は1960年代が学生運動の時代で、「シラケ」という流行語とともに始まった70年代以降は、それまでとうって変わって、文学も音楽も、すべてが明るく、そして軽くなりました。
 韓国の場合は80年代が民主化闘争の時代。それが90年代、文民政権の成立頃から急激に変わってきました。
 その変化は、端的にいえば伝統的なシステムの崩壊が進み、表面的には軽やかで明るく見える中で、個人の孤絶化が進行していったということでしょう。
 日本の純文学は、70年代以降、田中康夫や村上龍、村上春樹等が登場し、吉本隆明から吉本ばななの時代に変わります。都会の若者を描いた小説が主流になりました。
 ところが都会で暮らす人々の自由を保証する「匿名性」は両刃の剣でもあります。

 以前韓国人の先生から「韓国だと、一人で食堂で食事をしているとヘンだと見られる」という話を聞きました。この小説の登場人物の1人も言います。「俺って、映画館とかマンガ喫茶、銭湯やゲーセンだったら、どこでもひとりで行けるんだけど、レストランだけは、ダメなんだ」。レストラン以外はすでにOKになっているというわけです。たぶんレストランも何年か後には「お一人様」をふつうに見かけるようになるでしょう。今の日本のように。
 作品中には、主人公と同じアパートの、やはり一人暮らしの女性が襲われたが、発見されたのは事件の三日後、というたぶん実際にあったらしい出来事が物語られています。
 またワンルームに帰った主人公ウンスは電気をつけた時孤独感に捉われます。

 「社会を構成する最小単位は、家族だと教わった。だが、この世のなか、無数のひとり世帯があることは、教科書に出てこない。彼らにとって、社会の最小単位は自分自身なのだ」とウンスは考えます。
 伝統的世界の中の確固たる位置を占めていたはずの母も、今や決して安定した存在ではないようです。
 一昨年韓国では申京淑のベストセラー「オンマをお願い」をはじめ「オンマ・シンドローム」がまき起こりました。急速な社会の発展変化の中で、ふと思い出した郷愁のような感情のあらわれかな、とヌルボは考えたのですが、伝統的な世界が崩壊していく中で、母をも「個」として認識されるに至ったと見る方が正しいかもしれない、とこの小説を読んで思いました。
 ウンスのお母さんも、携帯の待ち受けにテ・ジナのド演歌を使っている旧世代ですが、悩みながらも自身の人生を生きようと考え、行動するようになっています。

 つまり、このような小説が書かれるようになった21世紀の韓国と、1970年代の日本の文学状況と通底するものがあるということです。

 訳者の清水由希子さんは、主人公と同年代の女性にとって「痛い小説」であると記しています。
 軽い虚無と心地よい軽さ。しかしマジに考えると、「軽い」ではすまされない厳しい生活や将来への不安があり、心地よさを味わうべくもない現実に直面している。ウンスは、そんな数多い都市の若い世代の1人です。
 ・・・とはいうものの、悩みを抱え孤独感や不安感に襲われ、なんのかのと言いながらも、ウンスは、さして離れてもいない親の家に戻ろうとはしないのです。
 ソウルの、今の生活を捨てようとはしません。そこが「私の」、「甘い」、「ソウル」たるゆえんなのでしょう。
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韓国作家・金薫(キム・フン)62歳、第一線で活躍中!

2011-05-12 22:31:50 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 「毎日新聞」で4月4日から木曜日ごとに連載している「新世紀 世界文学ナビ」韓国編、まだ続いてますね。今日の6回目は金薫(김훈.キム・フン)です。
 記事は→コチラ

 今までの6人の年齢の若い順になってるのかなと思って1回目から振り返ってみました。
1回目・金愛爛(キム・エラン)=1980年生。
2回目・金英夏(キム・ヨンハ)=1968年生。
3回目・金衍洙(キム・ヨンス)=1970年生。
4回目・申京淑(シン・ギョンスク)=1963年生。
5回目・孔枝泳(コン・ジヨン)=1963年生。
6回目・金薫(キム・フン)=1948年生。

 ・・・ということで、大体年齢順ですね。
 ただ金薫の場合は、年配の作家といっても、過去の名声で地位を保っているのでは全然なく、現在も、というより、むしろ今次々とベストセラーを生み出している活躍中の作家です。蓮池薫さんが訳して(一部で?)注目された「孤将」(新潮文庫)が今のところ唯一の翻訳書ですが、原作「칼의 노래(刀の歌)」は2001年刊行。以後、長編だけでも「현의 노래(弦の歌)」(2004)・「개(犬)」(2005)・「남한산성(南漢山城)」(2007)・「공무도하(公無渡河)」(2009)とコンスタントに出していて、今も韓国人作家による小説のベストセラー中にこれらの作品があげられています。

 私ヌルボは、彼の小説は「孤将」を翻訳で読んだだけなんですけどね。歴史物を原文で読むのはキツイと思って・・・。(現代物でもキツイですけどね。)

     
【金薫(&朴来富)のロングセラー「文学紀行」。】

 しかし、「毎日新聞」の記事中でも紹介されていた「文学紀行-名作の舞台」は少しだけ読みました。
 原題は「김훈 박래부의 문학기행(金薫、朴来富の文学紀行)」という2巻本。1986年から2004年まで20年間文学の現場を踏査して作品を批評した文を集めたもので、第1巻には朴景利「土地」黄皙暎「張吉山」等々の26編の小説、第2巻には李清俊「あなた方の天国」崔仁浩「広場」趙廷来「太白山脈」等々の25編の小説が取り上げられています。
 ヌルボとしては、金薫の本だからというよりも、韓国のこの数十年の代表的な小説を(読まないにしても)概観しておこうと思ってとりあえず1巻だけ購入したわけです。・・・と言いながらも、目を通したのは実際読んだ作品(全部日本語訳)の金承「霧津紀行」李文烈「皇帝のために」権正生「モンシル姉さん」等について書かれた部分だけなので、全体の2割程度ってとこですね。

 あ、金薫といえば、現在韓国MBCテレビで放映中のドラマキラキラ輝く(반짝반짝 빛나는)」で、キム・ソクフンが演じている主人公の「文学と人生」社編集長ソン・スンジュンという人物が、この金薫をモチーフにしているのだそうです。・・・という情報の出所は今年1月の「朝鮮日報」の<キム・ソクフン、「キラキラ輝く」で2年ぶりにドラマ復帰>という記事。また、この月曜日(9日)のInnolifeの<本格的な三角恋模様に、自己最高視聴率…19.1%>という記事によると視聴率も好調のようで・・・。しかしどこまで金薫と重なってるのかなー?

 さて、「新世紀 世界文学ナビ」韓国編が来週も続くとすると、いよいよ大御所李文烈の登場? 彼も金薫と同じ1948年生まれ。(金薫は5月5日、李文烈は5月18日。)
 ただ、李文烈はこのところ保守派の論客としての政治的な発言はしばしば報道されるものの、文学史的には1990年代までの作家になっちゃってますからねー。
 三枝壽勝先生も<現代文学 読書案内>の中で、
 「普段は本を読まない人でも絶対に読むという本がある。それは「水滸誌(水滸伝)」と「三国志(三国志演義)」である。なぜか韓国でこのニつを読んだことがないという人に出会うのは非常に難しい。男女共にこの二つは愛好されている。おかげで作品の売れ行きが芳しくない作家はこの二つの作品を翻案して出版することで一息つくのが慣例となっている。売れっ子に見える李文烈も例外ではない」
 「ある有名な出版社の売り上げの半分は李文烈の本だという。ところがその本とは「三国志」と「水滸誌」、すなわち「三国志演義」と「水滸伝」の翻案なのである。大衆的な読者が有名作家に求めるのが周知の物語の焼き直しで、作者も名声維持のためそれに応じるなどというわけで、百年以上も変わらぬ伝統の根強さを感じるのである。」

 ・・・と、もろ書いちゃってるくらいですからねー。

 ・・・ということで、来週も注目。

※「毎日新聞」の過去記事は1ヵ月で<毎日jp>から消され、以後は<日経テレコン21>で見出し&記事で計105円で見るくらいしかないようですね。
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孔枝泳の李箱文学賞受賞作のこと、等

2011-05-05 17:23:24 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 ふっふっふ。大本命でも当たればうれしいものです。
 1週間前の記事「申京淑の小説「オンマをお願い」がアメリカで好評」で、「毎日新聞」に連載中の新世紀 世界文学ナビ 韓国編について、「来週も続くとすると、今度は本命=孔枝泳でしょう」と予測しました。
 で、今日の「毎日新聞」を開いたらアタリ!てなわけですよ。ふっふっふ。
 ※記事内容は→コチラ参照。

 先週は「もっと紹介してくれなくっちゃ・・・」と注文をつけた申京淑をちゃんと取り上げてくれたし、この連載、ヌルボの意向と呼応してきましたねー、って単なる偶然か。

 さて、この連載記事ではとくに「私たちの幸せな時間」「楽しい私の家」を詳しく紹介しています。
 そしてその2作品を翻訳した蓮池薫さん。
 本ブログでも「オンマのために」に続くブログ開設2つ目の記事「孔枝泳の最新作「るつぼ」を読む①」の中でもふれましたが、その後刊行された蓮池さんの著書「半島へ、ふたたび」の中で孔枝泳と会った時のことが書かれてましたね。

 「毎日新聞」の記事にもあるように、孔枝泳さんは今年李箱文学賞を受賞しました。。あ、記事では「昨年」とありますが、対象作品は昨年でも受賞年は今年でしょう。韓国ウィキでも「2011年」になってますよ。
 この彼女の李箱文学賞受賞については、本ブログでも今年1月22日の記事で紹介しました。
 ただ、その記事では北朝鮮に拉致され24年ぶりに日本へ帰国した「H」との出会いを振り返りながら、従軍慰安婦やアウシュビッツ収容所のユダヤ人など、歴史や現実のなかで繰り返される人間の暴力について思いを巡らせる」という内容紹介の前半部分は書いてなかったですねー。というか、知りませんでした。
 昨年の李箱文学賞受賞作(朴敃奎(パク・ミンギュ)「朝の門」)はちゃんと読んだんですけどねー、今回は見逃してしまいました。「H」さんとの出会い等が書かれているなら、ぜひ読んでおかなければ・・・。
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韓国書(小説)のアタリのつけ方  「何を読むか?」の道しるべ

2011-05-04 23:55:01 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 4月28日の記事「申京淑の小説「オンマをお願い」がアメリカで好評」に対して、「韓国の小説を読みたいな~と思っているのですが、何を(誰を)読めばいいのか悩んでいて、ヌルボさんのこの記事にあたりました」というコメントをいただきました。

 で、私ヌルボなりに考えてみました。

 まず一般的に、「何か韓国書を読んでみたい」という方には、小説(とくに純文学)という、内容も表現も難しいジャンルの本よりも読みやすく、充実した読後感を味わえる本は他にたくさんあるので、ソチラをまずお薦めしたいと思います。

 たとえば、漫画ではカンプル)(강풀。韓国で映画がヒット中の「あなたを愛しています(그대를 사랑합니다)」の他「馬鹿(바보)」「26年(26년)」等々がおススメ。
 そしてこれも映画化されたホ・ヨンマン(허영만)「食客(식객)」シリーズ全27巻。韓国の食文化だけでなく、各地の方言も出てきます。
 チョン・ヨンシク(정연식)「月色の靴(달빛구두)」は親子の世代にわたる歴史を背景にした恋愛と友情をテーマにした文学的(?)漫画で、心を打たれました。
 ノンフィクションではハン・ビヤ(한비야)の紀行文。ヌルボが読んだのは「風の娘、わが地に立つ(바람의 딸 우리 땅에 서다)」
 読みやすいといえば子ども向きの本。本ブログ4月7日の記事にも書いたように、ことわざ等々韓国語の勉強になる本もあります。
※ことのついでに、韓国語のなぞなぞの例は→コチラ
 小説でも、少年向きのものは読みやすくてネライ目ですね。最初にすごく感動したのは、国民的同様「故郷の春」の作詞者・李元寿(이원수)「星(별)」という朝鮮戦争関連の短編集。その中の「山越え山(산 너머 산)」という作品はぜひ多くの人たちに読んでほしいです! 小説「モンシル姉さん」や絵本「こいぬのうんち」で有名な権正生(권정생)が書いた李元寿の伝記が「私が住んでた故郷は(내가 살던 고향은)」で、これもお薦め。まさに現代の韓国を描いた金呂鈴(김려령)「ワンドゥギ(완득이)」は爽やかな読後感で、映画化されることになって今撮影中?
 李文烈(이문열)のような韓国を代表する作家も「하늘길(天への道)」という読みやすく、しかも深~い作品を書いてます。韓国サイトの読者評にも「쉬운글! 많은 생각!」とありました。

 ・・・ということで、やっと本題の小説について。実は本格的な小説は、一昨年やっと韓能5級合格というヌルボはまだそんなに多くは読んでなくて、そもそも語る資格があるのか、と自分でも疑問がイッパイ。
 その点を承知していただいて、具体的にヌルボ推薦の作家や作品名を挙げるのではなく、小説を中心に良書を見つけるアタリのつけ方をいくつか挙げてみます。

①まず一番の方法は、実際に手にとって見てみること、・・・って当たり前ですか(笑)。
 実はこのヌルボ、話題になる前に申京淑「オンマのために」孔枝泳「るつぼ(도가니)」を購入したのは、書店(職安通りのコリア・プラザ、ソウルの教保文庫)でとくに裏表紙の惹句を読んで興味を持ったからです。上記の「ワンドゥギ」も同様です。

②韓国の新聞の読書欄から情報を得る。
 ごく一例をあげると→こういう記事とか・・・。2009年12月3日の記事で紹介したカン・ジヨン「新文物検疫所」という超オモシロ本を購入したのは「東亜日報」のパク・ソニ記者の記事を読んだのがきっかけでした。新聞の現物が手近になくても、インターネットで見られます、・・・って、ヌルボもそんなにマメにチェックしてるわけではありませんが・・・。

教保文庫YES24アラディン等の韓国の書籍通販のサイトから情報を得る。
 特にベストセラーとか、推薦書とか。まあ純文学のベストセラーを見ても日本作家とか他の外国作家の作品がやたら多いんですけどね。韓国人作家の作品については、本&著者の紹介に加え、レビューがけっこう役に立ちます。

④韓国文学を紹介している日本のサイトを参考にする。
 たとえば、翻訳家よしはらいくこさんのブログ<韓国ブックカフェ>の中の「韓国の小説」「韓国のエッセイ」等。それから新潟大学の波田野節子先生の運営している「新潟で韓国と北朝鮮の現代小説を読む会」のリスト。
 ヌルボが愛読しているブログ「晴読雨読ときどき韓国語」では、多くの韓国書を読んだ感想が載せられています。
 子ども向きの本なら<韓国朝鮮子どもの文学&オリニネット>が絶対!
 残念なのは、1990年代頃までの韓国の文学史を総合的に叙述したサイトはあっても(例えば三枝壽勝先生関係の→コチラや、→コチラ)、21世紀に入ってからの韓国文学を俯瞰するようなサイトがなさそうなことです。

Innolifeのサイト中の書籍の通販は、各書籍に説明が詳しくついている点がいいです。また、同じInnolifeの「出版会だより」も大いに参考になります。

⑥韓国の文学賞受賞作をチェックする。
 李箱文学賞・東仁文学賞・萬海文学賞など。どんな作家のどんな作品が注目されているか、とりあえず名前や作品名は頭に(なんとなく)入ります。

⑦韓国の現代作家たちについて書かれた本を読んで情報を仕入れる。
 もちろんこんな本は和書にはないです。ヌルボが入手したのは、「詩人ウォン・ジェフン(원재훈)が会ったわれわれの時代の作家21人の幸福論」という副題のついた「私はひたすら文章を書き本を読んでいる間だけ幸福だった(나는 오직 글쓰고 책읽는 동안만 행복했다)」という本。作家21人の内訳は→コチラ参照。
 おっと、この本まだ半分くらいしか読んでないということに今気づいた・・・。

⑧4月21日の記事「韓国の「今」の作家たち」で紹介した、2004年からYES24が実施している「ネチズン推薦 韓国の代表作家・若手作家」などから、今韓国の読者たちに人気の作家を知る。

 上記文中で書名を具体的に挙げた本はどれも★5つですが、実際に購入したもののツンドクになったままの本や、読んだけどイマイチだった本はその倍以上はあるかも・・・。そんなもんでしょ。日本の本と同じで・・・。ま、本といい映画といい、試行錯誤を繰り返して目が肥えていくんですね。と最後に逃げを打って終わりにします。

 あ、もうひとつ、
⑨韓国小説の翻訳書から情報を得る。というのがありましたね。たとえば「いま、私たちの隣りに誰がいるのか」には7人の若手作家の短編と、1991年に始まった日韓作家会議のこと等を記した中沢けいさんの一文も寄せられていて興味深いです。
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申京淑の小説「オンマをお願い」がアメリカで好評

2011-04-28 20:38:35 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 1週間前、<韓国の「今」の作家たち>と題した記事で「毎日新聞」に連載中の「新世紀 世界文学ナビ 韓国編」について紹介しました。
 その中で私ヌルボ、「韓国で評価が確立し、今も活躍している作家をもっと紹介してくれなくっちゃ・・・。李文烈(イ・ムニョル)とか申京淑(シン・キョンスク)とか・・・」と注文をつけておきました。
 で、今朝「毎日新聞」を開くと「韓国編」はまだ続いていて、取り上げている作家がまさに申京淑ではないですか! 記事の内容は→コチラ
 ナビゲーターのきむふなさん、このブログを読んでくれたようです。ま、そんなこたあないか。

 連載の最初でなく、4回目の今日申京淑を取り上げたのはどこまで計算していたのかな、とヌルボは考えました。というのも、ごく最近彼女の超ベストセラー「オンマをお願い」の英語版Please Look After Momがアメリカで刊行され注目されるとともに、ベストセラーの上位にも入っているということが、韓国の各メディアで大きく伝えられているからです。
 で、この「毎日」の連載に今日載ってなくても本ブログに書くつもりだったんですよ、じつは。

※中でも詳しいニュース(日本語版)は→コチラ
※「ニューヨークタイムズ」の記事は→コチラ(英文)。
※4月28日付のニューヨークタイムズ電子版によると、Hardcover Fiction部門で14位。
アメリカのAmazonでは、現在30のレビュー中22が★5つ。1

 それら韓国発のニュースを見ると、「オンマをお願い」のアメリカでの出版社が村上春樹の本を出しているクノップ社。その取締役は「(170万部売れた)韓国に負けないくらい米国の読者もこの本を愛すると確信し、初版を10万部に決めた」とか、「春樹より初版部数は多い」とか、相当に興奮気味のようです。一般読者も再注目で、YES24等の書籍通販のサイトではまたベストセラー1位になってます。
※韓国文学翻訳院の支援により米国で出版された韓国文学で、最も大量の初版部数を記録したのは、2006年発売の高銀(コ・ウン)の詩歌集「南と北」の5000部。国庫の支援を受けず民間で出版された本では、2010年9月やはりクノップ社から発売されたキム・ヨンハの小説「光の帝国」の6000部とのことです。

             
   【表紙は原作本(右)とは全然違います。意図的に東洋人らしい写真を用いたのでしょう。】

 「オンマをお願い」は2008年11月刊行以後、韓国に<オンマ・シンドローム>を巻き起こした小説ですが、なにをかくそう私ヌルボ、2009年8月11日のこのブログの記念すべき(?)1回目の記事で<韓国の大ベストセラー 申京淑「オンマをお願い」、翻訳本刊行を期待!>と題して紹介してたんですねー。
 実際、なんと世界24ヵ国で翻訳出版されるということになり、けっこうなことですが、「毎日新聞」の記事によると、「母をお願い」(←記事ではこう表記)は日本では集英社から発売されるのが今年の9月だとか。おそらく、訳者の安宇植先生が昨年12月に亡くなったという事情もあって遅くなったのかも・・・。
※「をお願い」だと、「オンマ」という語に込められた子→母の情が感じられないので、ヌルボとしては納得できません。かといって「お母ちゃん」というのも今は死語となりつつあるし、「ママ」は西洋っぽいし・・・。安宇植先生は「離れ部屋」で「オムマ」としていましたが・・・。まあ、「オンマ」か「お母さん」ですかねー。

 このようにいろいろとニュースになっているのを機会に、多くの人が申京淑や韓国の文学に対して、もっと関心をもつことを期待したい、というのがヌルボの願いです。

※申京淑の小説の特徴や、文学史的な位置について、わかりやすく書かれている記事がありました。(日本語)→<KOREANA>のサイト中の「小説家 申京淑 希望と疎通を語る彼女特有の方法」。筆者は「ハンギョレ」の文芸担当の記者、かな?

※申京淑の小説を未読の方にぜひお薦めは、「毎日」の記事にもあった「離れ部屋」。数年前読んでとても感動しました。(←単純すぎる感想で恥ずかしい。) →ヌルボが愛読しているブログ<晴読雨読ときどき韓国語>を参照のこと。

※申京淑の昨年のベストセラー「どこからか私をよぶ電話が鳴って」の紹介記事は→コチラ

 さて、「毎日新聞」の「新世紀 世界文学ナビ 韓国編」が来週も続くとすると、今度は本命=孔枝泳でしょう。対抗は、うーむ、「妻が結婚した」パク・ヒョヌクあたりかなー。それからウン・ヒギョン・・・(?)。

[追記] 「毎日」の記事の<作家本人から>の文中、「中沢けいさん、島田雅彦さん、平野啓一郎さんのような作家と会い、彼らの作品を読んだことは大きな喜びだ。韓国で無作為に紹介されている日本の小説とは一味違う本格的な文学作品に接し、その多様な世界に強い印象を受けた」とあります。この韓国で無作為に紹介されている日本の小説とは、近年韓国のベストセラー上位に常にランクされている、奥田英朗等のエイタテインメント系の小説をさしています。「どこからか私をよぶ電話が鳴って」の執筆動機についても同様のことを語っていました。真摯な純文学を旨とする彼女らしいところです。
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韓国人が一番会いたい作家は、国内=孔枝泳、国外=ウェルベル

2011-04-27 00:45:43 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 今(4月26日午後10時15分頃)韓国KBS1ラジオの「シン・ソンウォンの文化読み」を聴いていたら、「アンケート調査によると、韓国人が一番会いたい国内作家は孔枝泳(コン・ジヨン)、外国作家はフランスのウェルベルだった」というニュースを報じていました。

 私ヌルボの聴き取り能力&記憶力には、絶大なる不信があるので、確認のため韓国のニュースを探してみると、連合ニュースにありました。さっそく要点を訳しておきます。

 26日、大韓出版文化協会によると、さる2月から4月までオン・オフラインを通して2300人あまりを対象として、「2011 ソウル国際書籍展で会いたい作家」を調査した結果、国内作家中では孔枝泳(コン・ジヨン)、海外作家ではフランスの小説家ベルナール・ウェルベルが最も多くの票を獲得した。  国内作家の中では、孔枝泳にも、金薫(キム・フン)、朴玟奎(パク・ミンギュ)、申京淑(シン・キョンスク)、李外秀(イ・ウェス)等の小説家をはじめとして、朴慶哲(パク・キョンチョル)、イ・チソン、チャン・ハジュン、イ・ヘイン修道女たちが選ばれた。
 海外作家では、ギヨーム・ミュッソ、ダン・ブラウン、マイケル・サンデル、アンソニー・ブラウン、奥田英朗等の名があがった。
 これとともに、「今年一番読みたい本」を問う質問には、キム・ナンドソウル大教授の「苦しいから青春だ(아프니까 청춘이다)」、マイケル・サンデルの「正義とは何か」、村上春樹の「1Q84」が1~3位となった。
 大韓出版文化協会は、6月15~19日ソウルのコーエックスで「本は、未来を見る千の目」というテーマで2011ソウル国際図書展を開催し、今回のアンケート調査結果を基に国内外の作家を招請して「著者との対話」等の行事を用意する予定だ。


 記事中の韓国の小説家の名前は、本ブログのつい5日前の記事<韓国の「今」の作家たち>に皆出ていました。
 小説家以外で、朴慶哲は、<田舎医者>でありながら「田舎医師の金持ち経済学」やエッセイ集を書いてベストセラーに。経済番組も担当しているとか。
 彼の本は、キムテイさんが「読み始めてすぐ涙・・・涙・・・涙・・・です」と紹介しています。Innolifeではもう本の内容を少しくわしく書いています。
 イ・チソンについては、以前たまたまラジオで彼女のことを聴きました。(それを聴いただけで大衝撃でした。) 女子大生の時、兄の車に乗っていて事故に遭い、全身に大やけどを負って美しかった顔も変わりはててしまいます。それでも「今日もしあわせです」とは・・・。詳しくは→コチラ
 チャン・ハジュンは、よく読まれている経済学者ですね。本ブログ今年1月2日の記事<2010年の韓国を代表する本は>にも、彼の著書「彼らが語らない23項目」のことを書きました。
 イ・ヘインは、「韓国の広末涼子」といわれる(?)女優イ・ヘインではなくて、Innolifeの記事によると「修道女詩人」だそうです。知らなかった~。別の記事によると、癌闘病中だった彼女が最近5年ぶりに散文集を出したことも注目を集めているようです。

 海外作家の方では、1位のベルナール・ウェルベルと、ギヨーム・ミュッソという2人のフランス作家は日本での知名度は低いですが、韓国ではなぜか常連のベストセラー作家。本ブログでも以前名前が出てきました。ダン・ブラウンは「ダ・ヴィンチ・コード」の作家、アンソニー・ブラウンは絵本作家ですね。日本での知名度はどのくらいだろう? 見当がつきません。

 知らない名前も少し出てきましたが、全体的に何の意外性もなく新たな発見もない、「やっぱりねー」というニュースでした。
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韓国の「今」の作家たち

2011-04-21 23:45:54 | 韓国の小説・詩・エッセイ
「毎日新聞」で、4月4日から木曜日連載の「新世紀 世界文学ナビ」というシリーズがスタートしました。「世界の“今”の文学を紹介していく」とのことで、まずは韓国編から。今日がその3回目になります。
 その韓国編は翻訳家のきむ ふなさんがナビゲーター。 1回目が金愛爛(キム・エラン)、2回目が金英夏(キム・ヨンハ)で、今日の3回目が金衍洙(キム・ヨンス)と続いています。
 韓国編がさらに続くかどうかわかりませんが、続いた場合には後でつけたしておきます。
[※4月28日の付記 さらに続いてますねー。申京淑ですよ。詳しくは1週間後の記事を参照されたし。]

 私ヌルボ、1980年生まれの女性作家・金愛爛は知りませんでした。金衍洙は、以前韓国のベストセラーを紹介した記事を書いた時に出てきた名前ですが、作品は未読。
 金英夏は、以前阿娘(アラン)はなぜという小説を図書館で借りて読んだことがあります。
 各書籍通販サイトでは「奇想天外な歴史ミステリー、貞操を疑われ、怨みを残して死んだ朝鮮王朝時代の地方官の娘阿娘。その地に赴任する長官はみな不審な死を遂げる―韓国で広く知られている阿娘伝説に大胆な再解釈を試みる奇想天外な小説」とありますが、現代と過去が交錯し、文学史的考察の中にインチキ(?)の古典も混じっていたり、「薔薇の名前」だのガリバルディだの、ポロックにパット・メセニー(ヌルボも好きなジャズ・ギタリスト)までなぜか入っていたりするメタ・ミステリー(?)で、感動したというよりも、韓国にもこんな意識面だけでなく、小説技法の面でもこれまでの伝統を越えた作品が生み出されるようになったか、とちょっと驚いた記憶があります。

    

 「毎日新聞」がこのような企画を立てて韓国の(&世界の)新しい文学の潮流を紹介するというのは大変けっこうなことだと思います。が、それ以前に、韓国で評価が確立し、今も活躍している作家をもっと紹介してくれなくっちゃ・・・。李文烈(イ・ムニョル)とか申京淑(シン・キョンスク)とか・・・。

 ・・・とここまで書いて、このブログ2009年8月22日の記事で紹介した、韓国の代表的ネット書店YES24が実施している「ネチズン推薦 韓国の代表作家・若手作家」を、昨年紹介していなかったことを思い出しました。
 遅ればせながら紹介します。
 まず、これまでの選定作家は以下の通り。

     [代表作家]          [代表的若手作家]
2004年 朴景利(パク・キョンニ)     金薫(キム・フン)
2005年 趙廷来(チョ・チョンネ)     孔枝泳(コン・ジヨン)
2006年 朴婉緒(パク・ワンソ )      申京淑(シン・キョンスク)
2007年 黄皙暎(ファン・ソギョン)     殷熙耕(ウン・ヒギョン)
2008年 趙世熙(チョ・セヒ)        鄭梨賢(チョン・イヒョン)
2009年 孔枝泳(コン・ジヨン)       朴賢煜(パク・ヒョヌク)

 そして2010年の結果です。
[代表作家]
1位=李外秀(イ・ウェス)13,041票・・・作品は未訳。すごく詳しい紹介は→コチラのブログ。
2位=申京淑(シン・キョンスク)12,129票・・・「離れ部屋」、読んでみて!
3位=高銀(コ・ウン)8,186票・・・高名な詩人。

[代表的若手作家]
1位=金英夏(キム・ヨンハ)7,217票・・・新作小説集「무슨 일이 일어났는지는 아무도(何が起こったかは誰も)」(2010)を刊行。前年3位だった。
2位=朴玟奎 (パク・ミンギュ)6,939票・・・2010年「朝の門」で李箱文学賞を受賞した。
3位=キム・ピョラ5,875票・・・前年2位だった。

[2010年韓国人必読書]
1位=申京淑「어디선가 나를 찾는 전화벨이 울리고(どこからか私をよぶ電話が鳴って)」11,408票・・・本ブログで紹介しました。(上述の「朝の門」といい、ヌルボの目のつけどころイイ線いってる、と自賛・・・というより、ほぼ本命が来てるだけか?) 2009年他を圧倒した「オンマをお願い」に続いて2年連続の1位。
2位=金薫(キム・フン)「공무도하(公無渡河)」11,151票・・・蓮池薫さん訳の「孤将」の作家。
3位=「석양을 등에 지고 그림자를 밟다(夕日を背にして影を踏む)」6,360票・・・朴婉緒(パク・ワンソ)、李東河(イ・トンハ)、尹厚明(ユン・フミョン)、金采原(キム・チェウォン)、梁貴子(ヤン・クィジャ)、崔秀哲(チェ・スチョル)、金仁淑(キム・インスク)、朴晟源(パク・ソンウォン)、趙京蘭(チョ・キョンラン)の各作家の自伝的短編集。

 なお、「代表作家」選定の前提としてYES24が候補として挙げた24人は以下の作家です。

*高銀(コ・ウン)、金承鈺(キムスンオク)、*金龍澤(キムヨンテク)、金仁淑(キム・インスク)、金周栄(キム・ジュヨン)、*金芝河(キム・ジハ)、金薫(キム・フン)、朴範信(パク・ボムシン)、朴常隆(パク・サンニュン)、成碩済(ソン・ソクチェ)、*申庚林(シン・キョンリム)、申京淑(シンキョンスク)、呉貞姫(オ・ジョンヒ)、尹大寧(ユン・デニョン)、尹厚明(ユン・フミョン)、尹興吉(ユンフンギル)、李文烈(イ・ムニョル)、*李晟馥(イ・ソンボク)、李承雨(イ・スンウ)、李外秀(イ・ウェス)、*鄭玄宗(チョン・ヒョンジョン)、崔仁勲(チェ・インフン)、*黄東奎(ファン・ドンギュ)、*黄芝雨(ファン・ジウ)

 一見して目につくのは、詩人が多く含まれていること。*印の8人が詩人です。
過去、文学史的に大きな足跡を残している作家よりも、現役で注目作を出している作家の方が多くの票を集めているようです。高銀は、ノーベル賞受賞の期待度が高いのかな?
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韓国作家・故朴婉緒(パク・ワンソ)さんのこと  ※動画はぜひ見て!

2011-02-05 16:10:15 | 韓国の小説・詩・エッセイ
 先月22日に韓国の代表的女性作家・朴婉緒(パク・ワンソ)さんが亡くなってからもう2週間経ちました。
 昨年も散文集「行ったことない道が美しい(못 가본 길이 더 아름답다)」がベストセラーの上位に入ったりしていて、80歳近いのに現役作家として活躍していると思っていたのに、結局この本が最後の著作となってしまいました。その直前に出版された童話のタイトルも「この世に生まれて本当によかった(이 세상에 태어나길 참 잘했다)」で、ちょっと暗示的です。

 <教保文庫><YES24>のサイトでも朴婉緒さんの哀悼ページを設けています。

   
            【教保文庫の朴婉緒さん追悼ページ

 新聞各紙も訃報に続きさまざまな関連記事を載せました。たとえば「朝鮮日報」連載の<萬物相>、翌23日に「朴婉緒の残したもの」という心のこもった追悼文を載せています。(→日本語) ※エンタメコリアに契約していない人、すみません。
 朴婉緒さんが「裸木」を書いて「女性東亜」の女性長編小説公募展に当選し、文壇に登場 (韓国語では登壇(등단))したのは1970年。その縁もあって、「東亜日報」では当時のことを記事にしています。(→日本語機械翻訳)
 その文壇デビューの時彼女は39歳。5人の子育てにやっと手がかからなくなったから、とのことです。

 また「東亜日報」の動画サイトには、彼女が昨年8月教保文庫でサイン会の際に話をしている動画がありました。とてもいい表情で、いい話をしています。これは韓国文学を愛する多くの方に、ぜひぜひ見てみてほしいと思います。

 私ヌルボが、彼女の小説を初めて読んだのは3年前。「新女性を生きよ-日本の植民地と朝鮮戦争を生きた二代の女の物語-」(梨の木舎.1999年)という書名になっている翻訳書です。原題は「그 많던 싱아는 누가 다 먹었을까(あのたくさんあったスイバは誰がみんな食べたのか)」。

        
      【装丁も書名も、大いに疑問あり。ですが、お奨め本です!

 全然小説本らしくない装丁で、それも「教科書に書かれなかった戦争・らいぶ」というシリーズ中の1冊なので、書店の棚を見てもに歴史・社会関係の本と思ってしまいます。
 朴婉緒という名前だけは知っていたので、なんとなく買って読んだら一気に引き込まれました。1931年現在は北朝鮮内になっている開城の近郊で生まれ、戦前・戦中から朝鮮戦争まで、困難な時代状況の中で過ごした自らの少女時代を(おそらくそのまま)描いた自伝的小説です。詳しい内容は、以前から韓国の童話をいくつも翻訳・紹介しているオリニネット・仲村修さんの記事を参照してください。

 この頃、「韓国の作家がなぜノーベル賞を取れないのか?」との問題に対して、外国への翻訳の少なさとともに、「作家が自身のことを書いたような作品が中心で、文学的想像力&創造力に欠ける」という見方があります。もしかしたら、韓国文壇の「巨木」とされる彼女もそうかもしれません。
 しかし、彼女がこれだけ多くの人々に愛読されてきたのは、おそらく同じように時代の波を生き抜いてきた韓国の多くの人にとって<語り部>のような役割を果たし、共感を得てきたからではないでしょうか? (一昨年申京淑の「離れ部屋」を読んだ時にもそんな印象をもったのですが・・・。)
 ただ、日本でも70年代以降社会が大きく変貌していく中で、両村上のような作品が主流になりました。たぶん韓国でもそんな変化が進行中であると思われます。戦前から現在までの歴史を体現していたベテラン作家朴婉緒さんの死去は、そんな文学史的な観点からも、ひとつの区切りになるかもしれません。
コメント (2)
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