→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行① 1日目(前半)=閑散としていた朴正熙記念図書館>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行② 1日目(後半)=安倍首相とのかすかな接点(??)>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行③ 2日目(前半)=市庁の地下にある遺跡→九老工団生活体験館>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行④ 2日目(前半のつづき)=大林洞の中華街は、中華料理というより中国朝鮮族料理の街>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑤ 2日目(後半)=清渓川文化館と板子家見学後、例の大デモ。直に見たら緊迫感ナシのお祭りムード!>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑥ 3日目(前半)=ソウル城郭道(恵化門~駱山公園)→大学路>
たかだか3泊4日の旅の記録なのに、長々と、そしてこまごまと書きすぎ。いやいや、それ以前に、旅行から帰って半年経っているのに、まだ完結していないというのが最大の問題です。前の記事が3月、そして今回もそれから3ヵ月以上経ってしまいました。
その間、新たに知ったこと。前回の記事では「駱山展示館を見た後、路上美術館を経て梨花荘(李承晩邸)へと下って行ったのですが、その辺りは→コチラの過去記事に書いた2014年8月の旅行記録とダブりますのでバサッと省略します」などと書いてしまいました。ところが、実は気になっていたことを書ませんでした。それは2014年8月に行った時に見たあの<花の階段>の絵が消されていたのです。私ヌルボ、内心「場所を間違えた?」「どこかの方針にしたがって消した?」等々考えましたが、その時も前回の記事を書いた時もスルーしてしまいました。ところがその後「ソウルの人気観光地「壁画の村」から絵が消えたワケ」という2016年4月の記事(→コチラ)を発見。つまり押し寄せる観光客に不満を募らせた住民によってあの「花の階段」や「魚の階段」等の絵が消されたということだったのですね。うーむ・・・。
○11月27日(日) (後半)
梨花荘(李承晩邸)の裏手を回ってタラタラ恵化駅方面に向かいます。
恵化駅まで10分あまりで着きましたが、時間はもう12時頃。この近辺で昼食にしようということになりました。と、その前に・・・。
マロニエ公園にあるソウル大学校遺趾記念碑。1975年冠岳区に移転するまでこの地にあったソウル大学校のかなり精巧な立体模型が付いています。移転後も表通りはずっと大学路のままというのはいかがなものか、・・・ってソウル大病院はまだあるし目くじら立てるほどのこともないか。小金井に移転してから半世紀以上経つのに学芸大前の駅名はそのままだしなー。(関係ない?)
マロニエ公園の北の道を東に行くと食堂がいろいろ。軽いものをたべようということでテキトーに入ったのが下左画像の店。
菊秀家(ククスガ)という店名通り麺(ククス)の専門店です。私ヌルボが食べたのはアサリきしめん(바지락 칼국수)。(右画像)6千ウォン。いやあ、すなおなヌルボがすなおに美味しいと言える味で大正解でしたね。後でネット検索してみると→コネストでも→ソウルナビでも写真満載で詳細に紹介しているではないですか。おまけにアサリきしめんは三色エゴマ入りすいとんと共にイチオシメニューになってます。(フフフ、やったね!) なお、→コチラのブログ記事によればキム・スヒョンのサインが貼ってあったとか。そういえば、いちいち確認はしませんでしたが壁にたくさんサインが貼られてましたね。
恵化駅から地下鉄で光化門駅に移動。そこからタクシーに乗って次の目的地彰義門・尹東柱文学館に向かいます。景福宮の正面(光化門)から北西方向に約3㎞の道のりです。バスではなくタクシーにしたのは途中立ち寄りたい所があったため。景福宮北西隅から至近のムクゲの丘(무궁화동산)という公園で、1979年朴正煕大統領が金載圭中央情報部部長に射殺された場所です。→コチラの過去記事に書いたように、その家(宮井洞の安家)は1980年取り壊されましたが、方向も同じだし、ちょっと行ってみたかったというわけです。
ところが景福宮の西側に入ると、道路のここかしこで警官が検問をしていて、なんだか物々しい雰囲気。われわれが乗ったタクシーも止められてしまいました。運転手さんは「日本から来たお客さんが・・・」等々フントーしてくれましたが結局ダメ。つまりは「青瓦台に近いから」で、とくに昨晩の大デモの翌日ということで厳重な規制が行われていたようです。関連で、つい先々週「半世紀ぶり大統領府前の道を全面開放」というニュース(→コチラ)が報じられました。1968年の北朝鮮武装ゲリラによる青瓦台襲撃事件(韓国では1.21事態あるいは金新朝事件)以来夜間通行禁止になっていたのが夜間も通行が自由になって検問も廃止され、検問所のバリケードも撤去されるようになったとの内容。ということは今度行く時は大丈夫ということか。
そんなわけでムクゲの丘には行けず、そのまま尹東柱文学館へ。紫霞門峠(チャハムンコゲ)というバス停の真ん前なのですが、タクシーを降りてすぐ目に入ったのは道路脇の大きな銅像(下左)です。
説明文を読むと、上述の青瓦台襲撃事件(→ウィキペディア)の時に戦死した崔圭植(チェ・ギュシク)鍾路警察署長の像とのこと。すぐ近くには、同じ戦闘で犠牲となった鄭鐘寿(チョン・ジョンス)警査の殉職碑(上右)もありました。あとで→ナムウィキ等を見てみると、ここより南(現・景福高校裏手の青雲シルバーセンター辺)にあった紫霞門哨所(検問所)に服装等を偽装したゲリラ部隊が差し掛かり、報告を受けていなかった崔圭植所長が待ったをかけたちょうどその時、道路を上がってきたバス2台を見たゲリラ隊員はそれを韓国軍の支援部隊と誤認して警察に銃を乱射し、バスには手榴弾を投げたりして戦闘が始まったそうです。実はバスは一般のバスで、乗客も多数犠牲になったとか・・・。
銅像の近くから少し登ると彰義門(北小門)。1741年に再建されたものだそうです。朝行った恵化門と一目見てどこが違うかというと・・・・・・わかりません。
ただ明らかに違うのは、この辺りが上記のように青瓦台の治安・防衛上の要地であるということ。ソウル城郭案内地図(下)にも記されているように、ここから粛靖門(北大門)までは「身分証持参区間」です。
そして、そのルートの入口付近。
空いてはいますが、緊張感漂うゲートには「彰義門案内所 確認、申請書作成」という文字があり(左)、真ん中の第3033部隊長名の警告文には「北岳山探訪は軍事作戦地域なので探訪時間以外には出入りが禁止されています」とあります。そして右は「ドローン飛行禁止」という掲示。
いやあ、来る前は全然意識はありませんでしたが、この一帯はそういう所だったのですね。そういえば前日、大規模デモに際してこの北岳山方面から青瓦台への接近を図って捕まった人たちがいたとのTVニュースがあったなー。
そんなこんなで、ようやく尹東柱文学館に入りました。
え、ここは館内撮影禁止だって!? 韓国では大体OKなのに・・・。(後から思い起こせば、撮ってた人がいたなー。) 映画「東柱」のヒットでここの入場者もずいぶん増えたのでは? この日も日曜ということもあって多数の観覧者がいました。あまり広くはないものの、東柱が読んでいた本とかの興味深い展示資料もあり、別棟の第3展示室では映像を流したりもしていました。詳細は→公式サイト(韓国語)、→<ソウルナビ>参照。
ここを出た後ちょっと近辺を散策。時計を見ると午後3時頃。この日の夕食は畏友Y氏の仕事上の知り合いという韓国人ジャーナリストSさんの案内でどこかに行くという予定。まだ時間に余裕があるぞ、どこに行くか?ということで、なぜか2人とも盲点のようにまだ行っていない再建後の南大門に、今度はバスに乗って向かいました。
さあ、これでこのシリーズあと2回だぞ。
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行② 1日目(後半)=安倍首相とのかすかな接点(??)>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行③ 2日目(前半)=市庁の地下にある遺跡→九老工団生活体験館>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行④ 2日目(前半のつづき)=大林洞の中華街は、中華料理というより中国朝鮮族料理の街>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑤ 2日目(後半)=清渓川文化館と板子家見学後、例の大デモ。直に見たら緊迫感ナシのお祭りムード!>
→<中高生の校外学習のような(?)3泊4日のソウル旅行⑥ 3日目(前半)=ソウル城郭道(恵化門~駱山公園)→大学路>
たかだか3泊4日の旅の記録なのに、長々と、そしてこまごまと書きすぎ。いやいや、それ以前に、旅行から帰って半年経っているのに、まだ完結していないというのが最大の問題です。前の記事が3月、そして今回もそれから3ヵ月以上経ってしまいました。
その間、新たに知ったこと。前回の記事では「駱山展示館を見た後、路上美術館を経て梨花荘(李承晩邸)へと下って行ったのですが、その辺りは→コチラの過去記事に書いた2014年8月の旅行記録とダブりますのでバサッと省略します」などと書いてしまいました。ところが、実は気になっていたことを書ませんでした。それは2014年8月に行った時に見たあの<花の階段>の絵が消されていたのです。私ヌルボ、内心「場所を間違えた?」「どこかの方針にしたがって消した?」等々考えましたが、その時も前回の記事を書いた時もスルーしてしまいました。ところがその後「ソウルの人気観光地「壁画の村」から絵が消えたワケ」という2016年4月の記事(→コチラ)を発見。つまり押し寄せる観光客に不満を募らせた住民によってあの「花の階段」や「魚の階段」等の絵が消されたということだったのですね。うーむ・・・。
○11月27日(日) (後半)
梨花荘(李承晩邸)の裏手を回ってタラタラ恵化駅方面に向かいます。
恵化駅まで10分あまりで着きましたが、時間はもう12時頃。この近辺で昼食にしようということになりました。と、その前に・・・。
マロニエ公園の北の道を東に行くと食堂がいろいろ。軽いものをたべようということでテキトーに入ったのが下左画像の店。
恵化駅から地下鉄で光化門駅に移動。そこからタクシーに乗って次の目的地彰義門・尹東柱文学館に向かいます。景福宮の正面(光化門)から北西方向に約3㎞の道のりです。バスではなくタクシーにしたのは途中立ち寄りたい所があったため。景福宮北西隅から至近のムクゲの丘(무궁화동산)という公園で、1979年朴正煕大統領が金載圭中央情報部部長に射殺された場所です。→コチラの過去記事に書いたように、その家(宮井洞の安家)は1980年取り壊されましたが、方向も同じだし、ちょっと行ってみたかったというわけです。
ところが景福宮の西側に入ると、道路のここかしこで警官が検問をしていて、なんだか物々しい雰囲気。われわれが乗ったタクシーも止められてしまいました。運転手さんは「日本から来たお客さんが・・・」等々フントーしてくれましたが結局ダメ。つまりは「青瓦台に近いから」で、とくに昨晩の大デモの翌日ということで厳重な規制が行われていたようです。関連で、つい先々週「半世紀ぶり大統領府前の道を全面開放」というニュース(→コチラ)が報じられました。1968年の北朝鮮武装ゲリラによる青瓦台襲撃事件(韓国では1.21事態あるいは金新朝事件)以来夜間通行禁止になっていたのが夜間も通行が自由になって検問も廃止され、検問所のバリケードも撤去されるようになったとの内容。ということは今度行く時は大丈夫ということか。
そんなわけでムクゲの丘には行けず、そのまま尹東柱文学館へ。紫霞門峠(チャハムンコゲ)というバス停の真ん前なのですが、タクシーを降りてすぐ目に入ったのは道路脇の大きな銅像(下左)です。
銅像の近くから少し登ると彰義門(北小門)。1741年に再建されたものだそうです。朝行った恵化門と一目見てどこが違うかというと・・・・・・わかりません。
ただ明らかに違うのは、この辺りが上記のように青瓦台の治安・防衛上の要地であるということ。ソウル城郭案内地図(下)にも記されているように、ここから粛靖門(北大門)までは「身分証持参区間」です。
そして、そのルートの入口付近。
いやあ、来る前は全然意識はありませんでしたが、この一帯はそういう所だったのですね。そういえば前日、大規模デモに際してこの北岳山方面から青瓦台への接近を図って捕まった人たちがいたとのTVニュースがあったなー。
そんなこんなで、ようやく尹東柱文学館に入りました。
え、ここは館内撮影禁止だって!? 韓国では大体OKなのに・・・。(後から思い起こせば、撮ってた人がいたなー。) 映画「東柱」のヒットでここの入場者もずいぶん増えたのでは? この日も日曜ということもあって多数の観覧者がいました。あまり広くはないものの、東柱が読んでいた本とかの興味深い展示資料もあり、別棟の第3展示室では映像を流したりもしていました。詳細は→公式サイト(韓国語)、→<ソウルナビ>参照。
ここを出た後ちょっと近辺を散策。時計を見ると午後3時頃。この日の夕食は畏友Y氏の仕事上の知り合いという韓国人ジャーナリストSさんの案内でどこかに行くという予定。まだ時間に余裕があるぞ、どこに行くか?ということで、なぜか2人とも盲点のようにまだ行っていない再建後の南大門に、今度はバスに乗って向かいました。
さあ、これでこのシリーズあと2回だぞ。